平安時代の記事一覧【クラスターページ】

平安
平安時代

平安時代

約391年
時代の長さ

平安391年間 ─ 時代区分の比率

なぜ平安時代は「最長」なのか

平安時代は、日本史上もっとも長く続いた王朝政権の時代である

794年の平安京遷都から1185年の壇ノ浦まで、約391年。古代から中世への橋渡しとなったこの時代は、摂関政治・院政という独自の権力構造を生み出し、紫式部・清少納言・藤原道長・平清盛・源義経といった歴史上の名人たちを輩出した。この特集では、平安京遷都から壇ノ浦までの流れを「時系列」で、政治・文化・仏教・社会を「テーマ」で読み解けるよう、80本以上の記事をひとつのページに編みました。学びの目的に合ったタブを選んでお使いください。

794
平安京遷都
858
摂政はじまる
894
遣唐使停止
1016
道長の全盛
1086
院政開始
1156
保元の乱
1167
清盛太政大臣
1180
源平合戦
1185
壇ノ浦
Phase I ─ 平安初期
794〜858年
794
遷都
平安京遷都 ─ 平安時代のはじまり

781年に即位した桓武天皇は、仏教勢力の強い平城京を離れ、794年に平安京(京都)へ都を移しました。律令政治の立て直しをめざし、地方では軍団を廃して健児を置くなどの改革にも取り組みます。ここから約400年続く平安時代が始まりました。

▶ 深く読む
平安京遷都とは?桓武天皇が都を移した理由
長岡京の挫折から平安京へ。新しい都に込められた天皇のねらいをやさしく解説。
805〜
新仏教
空海と最澄 ─ 平安仏教の始まり

遣唐使とともに唐へ渡った最澄と空海は、新しい仏教を持ち帰りました。最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開きます。山中で厳しい修行を積むこれらの仏教は、奈良仏教とは異なる平安の新しい信仰となりました。

▶ 深く読む
空海と最澄の違いを簡単に|真言宗・天台宗の開祖
二人の天才僧はどこが違うのか。天台宗と真言宗の特徴をやさしく整理。
810
810
薬子の変 ─ 藤原氏台頭の転機

810年、平城太上天皇と嵯峨天皇が対立する薬子の変が起こります。これを抑えた嵯峨天皇は、天皇の側近として蔵人所を新設。藤原冬嗣がその長官(蔵人頭)に就き、藤原氏(北家)が政治の中心へ進み出ていきました。

▶ 深く読む
薬子の変とは?藤原氏が権力を握ったターニングポイント
兄弟の天皇の争いが、なぜ藤原北家の台頭につながったのか。
令外官
しくみ
令外官 ─ 新しい役所のしくみ

律令にはない新しい役職(令外官)が次々と置かれました。天皇の秘書役である蔵人頭、都の警察・裁判を担う検非違使などです。これらを足がかりに、藤原北家は他の貴族を退けて権力を固めていきます。

Phase II ─ 摂関政治の成立
858〜969年
858
摂政
摂政の始まり ─ 藤原良房の台頭

858年、藤原良房は幼い清和天皇の摂政となりました。臣下の身でありながら天皇に代わって政治を行う、初めての例です。866年の応天門の変で他氏を退け、養子の基経はのちに関白となって、藤原氏が天皇を後見する摂関政治の基礎が築かれていきます。

894
894
遣唐使の停止と菅原道真

894年、菅原道真の建議によって遣唐使が停止されました。学問の家から右大臣にまで上り詰めた道真でしたが、藤原氏に警戒され、901年に大宰府へ左遷されて失意のうちに世を去ります。のちに天神様として全国で信仰されました。

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菅原道真とは?左遷の理由と学問の神様になった経緯
かわいそうな最期から天神信仰へ。学者政治家・道真の生涯。
935〜
反乱
平将門・藤原純友の乱 ─ 武士の登場

10世紀前半、関東で平将門が、瀬戸内海で藤原純友がほぼ同時に反乱を起こしました(承平・天慶の乱)。地方の武士の力で鎮圧されたこの乱は、武士という新しい存在が歴史の表舞台に現れたことを示しています。

▶ 深く読む
平将門の乱とは?新皇を名乗った男の野望
なぜ将門は朝廷に反旗を翻したのか。関東の独立をめざした反乱。
国風
文化
国風文化の芽生え ─ 仮名文学の始まり

遣唐使の停止後、唐の文化を消化した日本独自の国風文化が育っていきます。紀貫之らが編んだ古今和歌集、在原業平を主人公とする伊勢物語など、仮名による文学が花開いていきました。

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古今和歌集とは?日本初の勅撰和歌集
紀貫之の仮名序で知られる、初めての勅撰和歌集の魅力。
Phase III ─ 摂関政治の最盛期
990〜1068年
986〜
全盛
摂関政治の確立 ─ 藤原兼家から道長へ

986年の寛和の変で花山天皇を退位させた藤原兼家は、外孫を即位させて摂政となります。その子・道長は、4人の娘を天皇や皇太子の后とし、「この世をば我が世とぞ思ふ」と詠むほどの権勢を誇りました。摂関政治はここに頂点を迎えます。

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藤原道長の生涯|望月の歌と栄華の頂点
4人の娘を后にした最強の権力者。摂関政治を極めた男の一生。
1000頃
後宮
一条天皇の後宮 ─ 彰子と定子

一条天皇のもとには、道長の娘・彰子と、中関白家の定子という二人の后が並びました。二人のサロンには才能ある女房が集められ、競い合うように文化が磨かれていきます。この後宮こそ、王朝文学が生まれた舞台でした。

▶ 深く読む
彰子と定子とは?一条天皇をめぐる二人の后
道長の娘・彰子と、悲劇の后・定子。後宮を彩った二人の生涯。
文学
国風
国風文化の最盛 ─ 紫式部と清少納言

彰子に仕えた紫式部は『源氏物語』を、定子に仕えた清少納言は『枕草子』を著しました。仮名文字を駆使した女流文学が次々と生まれ、貴族のみやびな美意識を映した国風文化が、最も華やかに輝いた時代です。

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紫式部の生涯|源氏物語を書いた女性
世界最古の長編小説『源氏物語』の作者。その人生と謎に迫る。
1053
かげり
摂関政治のかげり ─ 荘園の拡大

道長の子・頼通は、宇治に平等院鳳凰堂を建て、極楽浄土への願いを形にしました。しかし地方では有力者が土地を寄進する荘園が広がり、朝廷の財政基盤は揺らいでいきます。摂関政治はやがて行き詰まりを迎えました。

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藤原頼通と平等院鳳凰堂
道長の栄華を受け継いだ頼通。10円玉でおなじみの鳳凰堂に込めた祈り。
Phase IV ─ 院政の時代
1068〜1155年
1068
1068
後三条天皇の親政 ─ 摂関政治の終わり

1068年、藤原氏を外戚としない後三条天皇が即位しました。天皇は延久の荘園整理令を出して藤原氏の経済力を抑え、自ら政治を主導します。これにより摂関政治は終わりを告げ、新しい時代へと向かっていきました。

▶ 深く読む
後三条天皇の改革とは?摂関政治を終わらせた天皇
藤原氏に頼らない天皇の登場。延久の荘園整理令のねらい。
1086
1086
白河上皇と院政の開始

1086年、白河天皇は幼い堀河天皇に位を譲り、上皇(院)として政治の実権を握り続けました。これが院政です。天皇の父・祖父という立場から、摂関にも縛られない自由な政治を行い、院を守る武士も登用していきました。

▶ 深く読む
院政とは?上皇が政治を動かしたしくみ
なぜ天皇は位を譲って「院」になったのか。院政の構造をやさしく解説。
1051〜
戦乱
前九年・後三年の役 ─ 東国武士の成長

東北では前九年の役・後三年の役という大きな戦乱が続き、これを鎮めた源氏が東国武士の信頼を集めていきます。一方で比叡山などの僧兵が強訴を繰り返し、院も武士の力に頼らざるを得なくなっていきました。

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前九年の役とは?源氏が東国に基盤を築いた戦い
奥州の安倍氏との長い戦い。源頼義・義家親子の活躍。
対立
前夜
院政期の対立 ─ 保元の乱前夜

白河・鳥羽と続いた院政のもとで、天皇家や藤原氏の内部に深い対立が積もっていきます。皇位や摂関の地位をめぐる争いは、やがて武士の力を借りた武力衝突へと発展していきました。

Phase V ─ 武士の台頭
1155〜1180年
1156
1156
保元の乱 ─ 武士の力が中央を動かす

1156年、皇位をめぐる後白河天皇と崇徳上皇の対立に、藤原氏や源平の武士が加わって保元の乱が起こりました。勝敗を決めたのは武士の武力でした。貴族の争いも武士なしには決着しない時代になったことが、はっきりと示されます。

▶ 深く読む
保元の乱とは?崇徳上皇と後白河天皇の戦い
天皇家・摂関家を二分した争い。武士の時代の幕開け。
1159
1159
平治の乱 ─ 平清盛の勝利

1159年の平治の乱で、平清盛は源義朝を破り、武士のトップに立ちました。敗れた義朝の子・頼朝は伊豆へ流されます。この勝利によって、平氏が政界の中心へと一気に駆け上がっていきました。

▶ 深く読む
平治の乱とは?平清盛と源義朝の対決
なぜ源氏は敗れたのか。平氏政権を生んだ戦い。
1167
1167
平清盛、太政大臣に ─ 平氏政権の成立

1167年、平清盛は武士として初めて太政大臣となりました。娘を天皇の后とし、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの権勢を誇ります。日宋貿易にも力を入れ、巨額の富を築き上げました。

▶ 深く読む
平清盛の生涯|武士初の太政大臣
伊勢平氏の棟梁から日本の頂点へ。清盛が築いた平氏政権。
1177〜
反発
平氏への反発 ─ 以仁王の挙兵

平氏の専制に、貴族や寺社の不満が高まっていきます。1177年の鹿ケ谷の陰謀は未然に発覚しますが、1180年、以仁王が源頼政とともに平氏打倒の挙兵を呼びかけました。これが全国の源氏が立ち上がるきっかけとなります。

Phase VI ─ 源平合戦
1180〜1185年
1180
1180
源頼朝の挙兵 ─ 治承・寿永の乱はじまる

以仁王の令旨を受け、1180年に伊豆の源頼朝、信濃の木曽義仲らが各地で挙兵しました。富士川の戦いでは、平氏軍が水鳥の羽音に驚いて退却したと伝えられます。5年にわたる源平の争乱(治承・寿永の乱)の始まりです。

▶ 深く読む
治承・寿永の乱とは?源平合戦の全体像
5年に及んだ源平の争乱。挙兵から平氏滅亡までの流れを整理。
1181
都落ち
平氏の都落ち ─ 清盛の死

1181年、平清盛は熱病で世を去ります。前年には平氏に反抗した東大寺・興福寺が焼き討ちにあっていました。指導者を失った平氏は、やがて木曽義仲に攻められ、幼い安徳天皇を連れて都を西へ落ちのびていきました。

1184〜
奮戦
源義経の活躍 ─ 一ノ谷・屋島

頼朝の弟・源義経は、一ノ谷の戦いで「鵯越の逆落とし」、屋島の戦いで奇襲を成功させ、平氏を追い詰めていきます。その天才的な用兵が、平氏を西へ西へと押し込んでいきました。

▶ 深く読む
源義経とは?悲劇の英雄の生涯
一ノ谷・屋島・壇ノ浦で活躍しながら、なぜ兄に滅ぼされたのか。
1185
1185
壇ノ浦の戦い ─ 平氏の滅亡

1185年、長門の壇ノ浦で源平最後の決戦が行われました。海上の戦いに敗れた平氏は滅亡し、幼い安徳天皇は祖母に抱かれて海に沈みます。こうして平氏の世は終わり、源頼朝による鎌倉幕府の時代へと移っていきました。

▶ 深く読む
壇ノ浦の戦いとは?平氏滅亡の最終決戦
潮の流れが決めた勝敗。安徳天皇と三種の神器の悲劇。
年表で知る平安時代

Timeline

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平安時代の年表(794〜1185年)

平安時代391年間の主要な出来事を時系列で整理。政治・文化・仏教・武士の流れが一目でわかります。

年号 出来事 区分
794年桓武天皇、平安京に遷都初期
797年坂上田村麻呂、征夷大将軍に任命(蝦夷平定)初期
804年最澄・空海が遣唐使で唐へ(天台宗・真言宗の源流)初期
810年薬子の変(平城太上天皇の変)初期
858年藤原良房、摂政に就任(史上初の摂政)摂関
894年菅原道真、遣唐使廃止を建議(国風文化の幕開け)摂関
935年平将門の乱(武士の台頭を示す初の大反乱)摂関
969年安和の変(藤原氏、他氏排斥を完成)摂関
1017年藤原道長、太政大臣に就任(摂関政治の絶頂期)摂関
1068年後三条天皇即位(藤原氏外戚でない天皇)院政
1086年白河上皇、院政を開始(上皇が実権を握る)院政
1156年保元の乱(武士が政治闘争に介入)源平
1159年平治の乱(平清盛が台頭・源義朝敗北)源平
1167年平清盛、太政大臣に就任(武士初の最高位)源平
1185年壇ノ浦の戦い(源平合戦終結・平安時代終わる)源平
よく出る重要用語

Key Terms

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平安時代の重要用語(よく出る順)

平安仏教と鎌倉仏教の違い

Comparison

平安仏教と鎌倉仏教の違い

受験で頻出の「平安仏教と鎌倉仏教の違い」を表で整理。鎌倉時代まとめも参照してください。

項目 平安仏教 鎌倉仏教
時期9世紀〜(平安時代)12〜13世紀(鎌倉時代)
主な宗派天台宗・真言宗浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗
開祖最澄(天台)・空海(真言)法然・親鸞・道元・日蓮など
対象貴族・国家鎮護が中心庶民・武士に広まる
特徴難解な密教・修行重視念仏・禅・題目など単純明快
中心地比叡山延暦寺・高野山鎌倉・越前・身延山
よくある質問

FAQ

平安時代についてよくある質問

平安時代はいつからいつまでですか?

794年(桓武天皇による平安京への遷都)から1185年(壇ノ浦の戦いで源氏が平氏を滅ぼし、源頼朝が鎌倉幕府を開く前夜)まで、約391年間とされています。

摂関政治とはどういう意味ですか?

天皇の外戚(妻の父や祖父)となった藤原氏が、摂政(天皇未成年時の代行)・関白(成人天皇の補佐)として政治の実権を握った制度です。藤原道長・頼通の時代(11世紀前半)に全盛期を迎えました。

院政とは何ですか?

天皇が退位して上皇(院)となった後も、政治の実権を握り続ける政治形態です。白河上皇が1086年に開始し、摂関家の力を抑えて皇室が政治の主導権を取り戻しました。

平安時代の文化の特徴は何ですか?

894年の遣唐使廃止後に生まれた国風文化が最大の特徴です。ひらがな・カタカナの発達により、紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』など独自の文学作品が誕生しました。

平安時代が終わったのはなぜですか?

武士の台頭(保元・平治の乱→源平合戦)により、貴族政権が崩壊したためです。1185年に源頼朝が全国に守護・地頭を設置し、武家政権(鎌倉幕府)への移行が決定的となりました。

平安時代の有名な人物は誰ですか?

政治:藤原道長・菅原道真・白河上皇・平清盛。文学:紫式部・清少納言。宗教:最澄・空海。軍事:坂上田村麻呂・源義経・源頼朝などが代表的な人物です。