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公営田・官田・諸司田・勅使田を簡単にわかりやすく解説します【4つの違いがスッキリわかる!】

この記事は約4分で読めます。

今回は、平安時代に登場する4種類の田んぼ、公営田くえいでん官田かんでん諸司田しょしでん勅使田ちょくしでんについてわかりやすく丁寧に解説していきます。

最初に簡単な概要を載せておきます。

公営田・官田・諸司田・勅使田とは?

調・庸などの未納によって国家財政が厳しくなると、823年には太宰府において公営田を、879年には畿内に官田元慶官田がんぎょうかんでん)を設けて、有力農民を利用した直営方式を採用して収入をはかるなど、財源の確保に努めた。

さらに、中央政府の各官庁も諸司田を持つようになり自立すると、国家財政に対する依存が弱くなった。

天皇も勅使田と呼ぶ田を持ち、皇族にも天皇から賜田が与えられた

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公営田・官田・諸司田・勅使田に共通していること

上の説明だけだと4つの田地がどうなっているのかサッパリですが、実はこの4つの田地には1つの大事な共通点があります。

それは、「税収減で給料をカットされてしまったお役人たちが、自分たちの生活を守るために自ら経営するようになった田地」という点です。

そして、4つの田地の違いは、「誰の田地なのか?」という点だけです。

  • 太宰府が経営している田地:公営田
  • 畿内のお役人が経営している田地:官田
  • 中央官庁のお役人が経営している田地:諸司田
  • 天皇が経営している田地:勅使田
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なぜ税収が減ってしまった?

なぜ国の税収が減ってしまったのか?

その原因は重税です。税の負担が重すぎて、民衆たちが逃げ出してしまったんです。しかも、逃亡した民衆たちを受け入れる人たちがいたので、逃亡に拍車がかかりました。

どんな人が逃亡した民衆を受け入れたのかというと、貴族や寺院など広大な土地を持っていて、土地を耕す人手を欲している人々でした。

743年に墾田永年私財法が制定されて以降、貴族や寺院などの富裕層は広大な土地を手に入れるようになりました。

貴族や寺院などの地主のところへ逃げ出した民衆たちは、そこで働くようになります。結局、苦しい労働が待っていることには変わりませんが、多くの人は「国の課す税よりはマシ」と考えていたのです。

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当時は大発明だった公営田

逃亡による税収減はジワリジワリと国の財政を圧迫し、800年を過ぎた頃から深刻な問題に発展していきました。

この問題を解決するため大成功を収めたのが、太宰府で提案された公営田という試みでした。

減り続ける税収・苦しむ民、この2つの問題を解決するため、当時太宰府を任されていた小野岑守おののみねもりは、公営田という仕組みを発案しました。

小野岑守
小野岑守

妙案がある。

まずは、民に課されている調・庸は免除する。

さらに、良好な口分田を太宰府がもらい受けて、直接経営することにする。そうだな、この太宰府直営の田んぼのことをを公営田と言おう。

民衆の税負担を減らす代わりに、民衆には公営田を耕してもらって米を太宰府に納めてもらう。

そして、公営田を耕作してくれている間の生活費(食糧)は、太宰府が面倒を見る。

こうすれば、民の負担が減って太宰府の収入も増える。まさに一石二鳥だ!!

旧来の税の仕組みは、「税金を国に納める」→「国からその一部を分配してもらう」という形でしたが、財政難で国からの支給が減ったため、太宰府は自力でお金を稼ぐ仕組みを発案したのです。(おまけに、民の負担も軽減できるし、民衆の逃亡によって空いた田地も活用できる妙案です。)

この公営田の仕組みは823年に試験的に導入され、高い評価を受けることになります。

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官田と諸司田

879年、財政難はますます深刻化し、太宰府で評判の良かった公営田制度が畿内でも導入されることになりました。

畿内に導入されたこの田んぼは官田と呼ばれ、中央政府(朝廷)の財源として利用されることになります。

官田を管理する担当部署がそこで得た収入を各官庁へ配分する仕組みでしたが、少し経つと、官田の管理も各官庁に任されることになり、各官庁ごとに自力で田地を経営するようになります。

この各官庁が直営する田地のことを諸司田と言います。

諸司田が登場すると、各官庁は独立経営をするようになり、それぞれの官庁は朝廷に縛られない独自の動きをするようになります。

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勅使田

お役所の財政難はお役人たちのみならず、国のトップである天皇にも及びます。

そこで天皇も直営の田地を持つようになります。これが勅使田です。

皇族には賜田しでんが与えられ、お役人も天皇家も「税金に頼らず自分たちで稼げ!」という時代に突入していきます。

さらに、官庁の上層部にいる有力貴族たちは元々持っていた初期荘園に加えて諸司田も活用して、広大な私有地を手に入れることになります。諸司田のような国に頼らない経営をするようになると、貴族たちの発言力は増し、強大な権力を持つようになります。(こうして最強貴族になったのが藤原氏!)

民衆の逃亡によって班田収授の仕組みが崩壊すると、朝廷はこれをなんとか維持しようといろいろな策を講じます。(有名なのは荘園整理令と呼ばれるものです)

ただ、朝廷が官田や諸司田などを活用することで、自ら班田収授を否定するような手法を用いたというのは、なんとも皮肉な話です。



平安時代
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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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