中世・近世ヨーロッパ|世界史まとめ・記事一覧

WORLD HISTORY ─ MEDIEVAL & EARLY MODERN EUROPE
中世・近世ヨーロッパ

476年 〜 1789年

21
解説記事
約1300年
あつかう時間
4
学びのフェーズ

西ローマ帝国の滅亡から、フランス革命前夜までの約1300年間。キリスト教が社会の隅々まで浸透した中世から、ルネサンス・大航海時代・宗教改革を経て、主権国家と近代科学が生まれる近世まで。「ヨーロッパらしさ」がつくられていく激動の時代を、一つの物語として追いかけます。

800
カールの戴冠
1096
十字軍の開始
1453
ビザンツ滅亡
1492
新大陸到達
1517
宗教改革
1648
主権国家体制
1688
名誉革命

なぜ中世・近世ヨーロッパを学ぶのか

教会の時代から主権国家の時代へ──近代世界の土台はここでつくられた

中世ヨーロッパは「暗黒時代」と呼ばれがちですが、実際には近代につながる制度や文化が着々と育った時代です。このクラスタでは、ゲルマン人の移動とフランク王国から始まる中世世界の形成、十字軍と黒死病がもたらした社会の変容、ルネサンスと大航海時代、そして宗教改革から啓蒙思想までを4つのフェーズで解説します。教皇と皇帝、国王と議会、信仰と科学──せめぎ合いの中から近代が生まれる流れをつかみましょう。

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Phase I ─ 中世ヨーロッパ世界の形成

476〜1096
476
古代の終わり

西ローマ帝国の滅亡 ─ ゲルマン人の大移動が古代地中海世界を塗り替える

4世紀後半に始まったゲルマン人の大移動の中で、476年に西ローマ帝国が滅亡します。一方、東のビザンツ帝国(東ローマ帝国)はその後約1000年にわたって存続し、ギリシア正教圏の中心となりました。

ゲルマン民族の大移動準備中 ビザンツ帝国
800
西欧世界の誕生

カールの戴冠 ─ ローマ・キリスト教・ゲルマンが融合した瞬間

フランク王国のカール大帝は西ヨーロッパの主要部を統一し、800年に教皇からローマ皇帝の帝冠を授けられました。962年のオットー1世の戴冠に始まる神聖ローマ帝国とあわせて、西欧中世世界の骨組みがここに整います。

フランク王国準備中 神聖ローマ帝国
9〜11世紀
封建社会の成立

ヴァイキングの衝撃 ─ 第2次民族移動が封建社会を生み出す

ノルマン人(ヴァイキング)の侵入など外部からの脅威にさらされた西欧では、主君と家臣が土地を仲立ちに結びつく封建制度が広がりました。荘園を基盤とする分権的な社会が、中世ヨーロッパの基本構造になります。

ヴァイキング準備中 封建制度準備中
1077
教皇権の伸長

カノッサの屈辱 ─ 雪の中で皇帝が教皇に許しを乞うた3日間

聖職者の任命権(叙任権)をめぐって教皇グレゴリウス7世と対立した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、破門を解いてもらうため1077年、カノッサ城の教皇に謝罪しました。教皇権が皇帝権を上回る時代の象徴的事件です。

カノッサの屈辱準備中
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Phase II ─ 十字軍と中世の変容

1096〜1453
1096
十字軍の時代

十字軍の遠征開始 ─ 聖地イェルサレム奪回をめざした約200年の遠征

教皇ウルバヌス2世の提唱を受け、1096年に第1回十字軍が出発します。遠征は結果的に失敗に終わりますが、東方との交流で商業と都市が発展し、教皇や諸侯の力が衰えて国王の権力が強まるきっかけになりました。

1215
王権への制限

マグナ=カルタ制定 ─ 「王も法に従う」を明文化した立憲政治の原点

イギリスでは失政を重ねたジョン王に対し、貴族たちが1215年にマグナ=カルタ(大憲章)を認めさせました。新たな課税には貴族の同意が必要などと定め、のちの議会政治・立憲政治の出発点とされています。

1347〜
危機の14世紀

黒死病の大流行 ─ 人口激減が封建社会の崩壊を早める

1347年ごろからヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行し、人口のおよそ3分の1が失われたとされます。労働力不足で農民の地位が向上し、荘園制と封建社会の解体が一気に進みました。

1453
中世の終幕

百年戦争の終結とビザンツ帝国の滅亡 ─ 二つの「終わり」が重なった年

英仏間の百年戦争はジャンヌ=ダルクの活躍などを経て1453年に終わり、フランスでは王権が強化されます。同じ年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略し、約1000年続いたビザンツ帝国が滅亡しました。

百年戦争準備中 ジャンヌ=ダルク準備中 ビザンツ帝国

Phase III ─ ルネサンスと大航海時代

1350ごろ〜1600ごろ
14〜16世紀
文化の革新

ルネサンス ─ 「人間らしさ」の復興がイタリアから始まる

14世紀のイタリアで、古代ギリシア・ローマ文化を手本に人間性を重んじるルネサンスが開花しました。レオナルド=ダ=ヴィンチら芸術家が傑作を生み、マキャヴェッリの『君主論』は政治を宗教から切り離して論じました。

ルネサンス レオナルド=ダ=ヴィンチ準備中 君主論
1492
世界の一体化

大航海時代 ─ コロンブスの到達が世界史を一つにつなげる

レコンキスタを完成させたスペインの支援を受け、コロンブスは1492年にアメリカ大陸近海へ到達します。以後スペインはアステカ王国・インカ帝国を征服し、ヨーロッパとアメリカ・アジアを結ぶ「世界の一体化」が始まりました。

大航海時代 コロンブス レコンキスタ準備中 アステカ王国準備中 インカ帝国準備中

Phase IV ─ 宗教改革と主権国家の時代

1517〜1789
1517
教会の分裂

ルターの95か条の論題 ─ 贖宥状批判から宗教改革が燃え広がる

1517年、ルターが贖宥状の販売を批判する95か条の論題を発表し、宗教改革が始まります。カルヴァンの改革も加わってプロテスタントが広がる一方、社会不安を背景に魔女狩りが激化した時代でもありました。

1648
主権国家体制

ウェストファリア条約 ─ 三十年戦争が終わり、主権国家の時代が始まる

宗教対立から始まった三十年戦争は、1648年のウェストファリア条約で終結し、各国が対等な主権をもつ国際秩序が確立します。エリザベス1世やルイ14世に代表される絶対王政が、この時代の典型的な国家体制でした。

三十年戦争準備中 ハプスブルク家準備中 オランダ独立戦争準備中 絶対王政準備中 エリザベス1世準備中 ルイ14世準備中
1688
議会政治の確立

イギリス革命 ─ ピューリタン革命から名誉革命へ、王権から議会へ

イギリスでは国王と議会の対立からピューリタン革命が起こり、国王チャールズ1世が処刑されました。その後1688年の名誉革命で「権利の章典」が定められ、議会が主導する立憲王政が確立します。

17〜18世紀
理性の時代

科学革命と啓蒙思想 ─ 「神の秩序」から「理性の光」へ

コペルニクスの地動説に始まる科学革命は、ガリレオを経てニュートンの万有引力の法則で頂点に達します。理性を重んじる啓蒙思想も広がり、ルソーらの社会契約説はアメリカ独立革命やフランス革命の思想的な土台となりました。

02
Chronology

中世・近世ヨーロッパのハイライト年表

476 西ローマ帝国が滅亡し、中世ヨーロッパが始まる
800 カール大帝がローマ皇帝の帝冠を授けられる
962 オットー1世が戴冠し、神聖ローマ帝国が成立
1077 カノッサの屈辱(皇帝が教皇に謝罪)
1096 第1回十字軍が聖地イェルサレムへ出発
1215 イギリスでマグナ=カルタ(大憲章)が制定される
1347〜 黒死病(ペスト)がヨーロッパで大流行
1453 百年戦争が終結。ビザンツ帝国が滅亡
1492 コロンブスがアメリカ大陸近海に到達
1517 ルターが95か条の論題を発表し、宗教改革が始まる
1648 ウェストファリア条約で三十年戦争が終結
1688 イギリスで名誉革命。翌年、権利の章典が成立
03
FAQ

中世・近世ヨーロッパでよく出る疑問

一般に、476年の西ローマ帝国滅亡から、1453年のビザンツ帝国滅亡ごろまでの約1000年間を指します。その後のルネサンス・大航海時代・宗教改革からフランス革命前までは「近世」と呼ばれます。
聖地の奪回という目的は最終的に果たせませんでした。しかし東方との交流で商業や都市が発展し、遠征を主導した教皇や諸侯の権威が衰えて国王の力が強まるなど、中世社会を大きく変えるきっかけになりました。
直接のきっかけは、教会が資金集めのために贖宥状を販売したことです。1517年にルターが95か条の論題でこれを批判すると、印刷術の普及もあって主張が急速に広まり、カトリック教会からプロテスタントが分離しました。
主権国家とは、ほかの権力に干渉されない独立した国家のことで、1648年のウェストファリア条約でこの体制が確立しました。絶対王政は、その主権国家を国王が絶対的な権力で統治する形態を指し、ルイ14世の時代が典型とされます。