476年 〜 1789年
西ローマ帝国の滅亡から、フランス革命前夜までの約1300年間。キリスト教が社会の隅々まで浸透した中世から、ルネサンス・大航海時代・宗教改革を経て、主権国家と近代科学が生まれる近世まで。「ヨーロッパらしさ」がつくられていく激動の時代を、一つの物語として追いかけます。
なぜ中世・近世ヨーロッパを学ぶのか
教会の時代から主権国家の時代へ──近代世界の土台はここでつくられた
中世ヨーロッパは「暗黒時代」と呼ばれがちですが、実際には近代につながる制度や文化が着々と育った時代です。このクラスタでは、ゲルマン人の移動とフランク王国から始まる中世世界の形成、十字軍と黒死病がもたらした社会の変容、ルネサンスと大航海時代、そして宗教改革から啓蒙思想までを4つのフェーズで解説します。教皇と皇帝、国王と議会、信仰と科学──せめぎ合いの中から近代が生まれる流れをつかみましょう。
Phase I ─ 中世ヨーロッパ世界の形成
西ローマ帝国の滅亡 ─ ゲルマン人の大移動が古代地中海世界を塗り替える
4世紀後半に始まったゲルマン人の大移動の中で、476年に西ローマ帝国が滅亡します。一方、東のビザンツ帝国(東ローマ帝国)はその後約1000年にわたって存続し、ギリシア正教圏の中心となりました。
カールの戴冠 ─ ローマ・キリスト教・ゲルマンが融合した瞬間
フランク王国のカール大帝は西ヨーロッパの主要部を統一し、800年に教皇からローマ皇帝の帝冠を授けられました。962年のオットー1世の戴冠に始まる神聖ローマ帝国とあわせて、西欧中世世界の骨組みがここに整います。
ヴァイキングの衝撃 ─ 第2次民族移動が封建社会を生み出す
ノルマン人(ヴァイキング)の侵入など外部からの脅威にさらされた西欧では、主君と家臣が土地を仲立ちに結びつく封建制度が広がりました。荘園を基盤とする分権的な社会が、中世ヨーロッパの基本構造になります。
カノッサの屈辱 ─ 雪の中で皇帝が教皇に許しを乞うた3日間
聖職者の任命権(叙任権)をめぐって教皇グレゴリウス7世と対立した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、破門を解いてもらうため1077年、カノッサ城の教皇に謝罪しました。教皇権が皇帝権を上回る時代の象徴的事件です。
Phase II ─ 十字軍と中世の変容
十字軍の遠征開始 ─ 聖地イェルサレム奪回をめざした約200年の遠征
教皇ウルバヌス2世の提唱を受け、1096年に第1回十字軍が出発します。遠征は結果的に失敗に終わりますが、東方との交流で商業と都市が発展し、教皇や諸侯の力が衰えて国王の権力が強まるきっかけになりました。
マグナ=カルタ制定 ─ 「王も法に従う」を明文化した立憲政治の原点
イギリスでは失政を重ねたジョン王に対し、貴族たちが1215年にマグナ=カルタ(大憲章)を認めさせました。新たな課税には貴族の同意が必要などと定め、のちの議会政治・立憲政治の出発点とされています。
黒死病の大流行 ─ 人口激減が封建社会の崩壊を早める
1347年ごろからヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行し、人口のおよそ3分の1が失われたとされます。労働力不足で農民の地位が向上し、荘園制と封建社会の解体が一気に進みました。
百年戦争の終結とビザンツ帝国の滅亡 ─ 二つの「終わり」が重なった年
英仏間の百年戦争はジャンヌ=ダルクの活躍などを経て1453年に終わり、フランスでは王権が強化されます。同じ年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略し、約1000年続いたビザンツ帝国が滅亡しました。
Phase III ─ ルネサンスと大航海時代
Phase IV ─ 宗教改革と主権国家の時代
ウェストファリア条約 ─ 三十年戦争が終わり、主権国家の時代が始まる
宗教対立から始まった三十年戦争は、1648年のウェストファリア条約で終結し、各国が対等な主権をもつ国際秩序が確立します。エリザベス1世やルイ14世に代表される絶対王政が、この時代の典型的な国家体制でした。