租、調、庸って何?簡単にわかりやすく解説!【奈良時代の税制度】

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今回は主に飛鳥時代末期〜奈良時代に導入された租(そ)・調(ちょう)・庸(よう)という3つの税制度について解説したいと思います。学生の方は受験用に、大人の方は雑学としてぜひ。

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祖・調・庸とは?

租・調・庸は、大国の唐を参考に作られた税制度。唐の制度をそのまま導入すると、日本に馴染まないため、唐の制度を日本風に改良したものが租・調・庸になります。

 

租・調・庸とは、簡単に言えば

  1. 租→米を収めること。
  2. 調→繊維製品(麻とか絹とか)を収めること。
  3. 庸→労役。これ以外に雑徭(ぞうよう)と言った肉体労働もある。

 

こんな感じ。

 

租・調・庸はどれも本来は唐の制度なんですけど、日本古来の文化や風習をそこに融合させ、日本オリジナルの制度に仕上げました。なんだか日本人らしいやり方ですよね。日本人って昔から物事を改良したり、何かと融合させるのが得意だったんでしょう。

 

では租・調・庸それぞれについて紹介していきます。

租とは何か?

租は、田んぼでとれた稲の一定割合を税として納めるというもの。税率は3%〜10%。

 

いきなり「田んぼから税金取るからよろしくな!」と言っても大反発を受けるのが目に見えているので、朝廷は各地で行われている伝統文化を利用したと考えられています。

 

奈良時代以前の昔から日本では、集落ごとにその年の最初に収穫された稲穂の一部を神に捧げるという儀礼がありました。これを初穂儀礼と言ったりします。神に捧げられた稲穂は、無事に収穫できたことを神に感謝する意味合いと、何かあったときや冬季に、集落で利用する非常食的な意味合いもありました。

 

朝廷は、この初穂儀礼を利用します。というか初穂儀礼を税金にすり替えてしまいました。農民達から見れば、稲を納めるという行為自体は昔から何も変わらないわけなので、これだとスムーズに租という税制を導入できるわけ。さすが官僚!賢いですね。

 

ただ、初穂儀礼は日常的に利用する稲ではありませんので、租と見なされた後もしばらくの間は、非常用に保管しておくだけで、官僚達が自由に使える財源とはなりません。

 

租が自由に使えないなら官僚たちはどうしていたのかというと、実は官僚には官僚用の田畑がちゃんと用意されていたり、農民達に稲の種籾を利子を付けて強制的に貸し付けることで財源を確保していました。

 

後者は公出挙(くすいこ)と呼ばれ、元々は春に種植えを始める時に種が無くて困っている人に貸し付ける慈善事業みたいなものでした。それが「あれ?公出挙の利子ってめっちゃ儲かるじゃんw。俺らの公権力で圧力かけて強制的に貸付たろw」というゲスな官僚の発想により、気付けば祖と並ぶ新たな税金に早替りしていました。もしかすると、地方官僚は地方官僚で中央に搾取されて生活が苦しかったのかもしれませんがね。

 

さらに730年頃になると、官僚の生計維持用の田畑の運営が苦しくなります。理由は色々あったでしょうが、官僚組織の肥大化や班田収授の停滞が原因と思われます。

 

こうして行われたのが官稲混合(かんとうこんごう)。初穂儀礼を由来として長く保管されていた稲を、これまで官僚用の田畑から得られていた稲と合体させて、全てお役人の自由に使える稲にしてしまいました。

 

こうして、ジワリジワリと農民は搾取されていったのです。租自体は、徴収しても自由に使えない微妙な税だったんですけど、租は官稲混合の布石でしかなくて、最終目標はあくまで官稲混合にあったものと思われます。

 

いやー、官僚の発想は凄いなぁ・・・。

 

調とは何か?

調は、朝廷への貢物を意味します。主に繊維製品。

 

実は、奈良時代以前から日本には地方から朝廷へ貢物をする制度がありました。これを租の時と同じように、調に置き換えます。

 

調として納める名目の中には、神への捧げものとして用いる儀式用の生糸も含まれていました。儀式に用いる生糸とは、天皇の着る儀礼服や幣帛(へいはく。神社によくある白いギザギザのやつ)に使われました。

 

儀式用の生糸が調の対象となった背景には、「朝廷が代表して国民の代わりに収穫を祈ったり感謝する儀式をしているんだから、それぐらい納めて当然でしょ?」という発想があったのでしょう。

 

こんな感じでいろんな言い訳を考えたり、昔からの習慣を巧みに利用して新しい税目を作っていったわけです。

 

生糸のほか、調は各地の特産物が選ばれ、平城京には様々な特産品が集まりました。

庸・雑徭とは何か?

庸は、「京に赴いて労働をする代わりに何か納め物をしろ」というちょっと変わった税目。

 

奈良時代以前から日本では、地方から朝廷へ出仕する形で人質を朝廷に送るという仕組みがありました。(人質と言っても監禁されたりとかそんなんじゃありませんけど)

 

そして、朝廷に送り込んだ人質のため、地方の人々は京へ食料などを送っていました。これを庸という税に置き換えたわけです。

 

「京に赴いて労働をする代わり」というのは、京から離れている地方の場合で、京に近い地域では本当に労役に駆り出されました。この労役は雇役(こえき)と言って、とても大変だったみたいです。

 

雑徭は、まさに肉体労働を指します。各種公共事業を行う際に、その都度駆り出される過酷な肉体労働。

 

雇役と雑徭は、強制労働に近いもので、民たちを大いに苦しめました。税としての労働なのでお給料も出るわけでなくタダ働き。しかもルールを破れば罰則が。

 

有名な奈良の大仏もこれらの制度を利用して作られており、奈良の大仏ができた背景には、強制労働で苦しむ多くの民がいたわけです。

まとめ

 

以上、租・調・庸について整理してみました。複雑ですね!

 

租・調・庸の全てに共通しているのは、民から強い反発を受けないよう官僚たちによって綿密に考え抜かれた制度であるということです。

 

特に租なんて凄いですよね。最初は「納められるけど誰も使えない」という意味不明な税だったのに、数十年経過して気付いてみたら官僚たちが自由に使える財源に変わっているんですから。

 

既存の習慣・文化を利用し、長い時間をかけて税の存在を既成事実化させていく・・・。これって増税政策の王道なのかもしれませんね。現代社会にも大いに応用できそう。というか、されているんでしょうね・・・。

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