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蜻蛉日記が超面白い!あらすじとかをわかりやすく解説【浮気性の夫に悩む妻のはかなき物語】

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蜻蛉日記の著者:藤原道綱の母

今回は、蜻蛉日記かげろうにっきという古典について紹介します。

蜻蛉日記は平安時代に生きたとある女性が、浮気ばかりする夫に悩みながらも夫との愛情を回顧しながら書いたちょっぴり複雑な経緯を持つ日記です。

女性の名は不明。藤原道綱ふじわらのみちつなという人物の母ということはわかっているので藤原道綱母という呼び名で呼ばれることが多いです。

蜻蛉日記は、日記と言っても毎日の日々を生活を綴ったものではありません。

蜻蛉日記は、これまでの切なかった夫婦生活を記録に残そうと考えた藤原道綱母が昔を回想しながら書いたもので、日記というよりも自らの生涯を綴った自伝に近いです。

夫の浮気(不倫)は許せないけど、やっぱり夫が好き・・・」そんな赤裸々な藤原道綱母の気持ちが全体的に負のオーラに包まれながら描かれているのが蜻蛉日記です。女性の複雑な心を描き出す蜻蛉日記は、女性の恋心が今も昔も変わらないことを証明する名著。悩める女性に、ぜひご一読オススメしたい一冊です。

では、蜻蛉日記のあらすじについて簡単に解説したいと思います。

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蜻蛉日記の蜻蛉(かげろう)の意味

藤原道綱母は、過去の夫婦生活を書き綴ったこの日記のことを次のように表現しています。

あるかないのかよくわからない、かげろうのような儚い身の上のことを書きつづった日記

なんだかものすごく意味深な日記ですよね・・・。少なくともポジティブな動機で日記を書いたわけではないことはわかります。

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蜻蛉日記を書いた動機は?

藤原道綱母は、冒頭で蜻蛉日記を書く理由を若干皮肉りつつも次のように述べています。

世の中にある古い物語は綺麗事や嘘ばかり。それでもみんな楽しく読んでいる。それだったら、私のような普通の人の身の上の実際にあった話でも書いたら、それはそれは珍しいものになるでしょう。『最高の身分の男との結婚生活はどんな感じ?』と聞かれた時の実例にでもしようと思う。長い月日が流れたことで許せることも多くなってきましたし。

藤原道綱母の夫は、藤原兼家という当時超エリートの一族の1人。兼家は豪快で気さくな人物でしたが浮気性で色んな女と遊んでいました。

すごく回りくどいですが、藤原道綱母は要するにこんなことを言っているわけです。「高貴な身分の男性と結婚をしたけど、私は夫に振り回されるばかりの儚き身。まさか高貴な身分と結婚した女の心境が私のようだとは誰も思わないでしょう。私のこの儚い結婚生活は、きっと嘘や綺麗事で並べられた古い物語よりも面白いに違いないわ」と。

蜻蛉日記は、浮気夫に翻弄された儚き結婚生活を回想し書き綴った本なんですね。

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蜻蛉日記の登場人物

さて、簡単にですが蜻蛉日記の主役である藤原道綱母と藤原兼家について紹介しましょう。

藤原道綱母はどんな人?

まずは蜻蛉日記の著者である藤原道綱母について。

藤原道綱母は歌の才に優れ、当時絶世の美女とまで言われたほどの美貌の持ち主でした。家柄こそそこまで高貴でない藤原道綱母でしたが、その美貌がエリートだった藤原兼家の目に留まり、兼家からの求婚を受け結婚しました。蜻蛉日記は、そんな藤原兼家のプロポーズからスタートします。いきなりポロポーズのシーンが始まるとは現代の我々にとってはなんとも新鮮です。

そして藤原道綱母は、とてもプライドの高い女性でもありました。そのプライドの高さから、藤原兼家の浮気を素直に許すことができず、とても苦しい想いをすることになります。そんな藤原道綱母のストレートな心境が蜻蛉日記には赤裸々に描き出されています。

夫の藤原兼家ってどんな人?

藤原兼家は数ある藤原氏の中でも名門の藤原氏であり、多くの女性が憧れるエリートな存在でした。藤原兼家については以下の記事で詳しく紹介しております。

藤原兼家は朝廷内の熾烈な権力争いを勝ち抜いたいわばウルトラ勝ち組。兼家は陰謀渦巻く朝廷内を巧みに生き抜く狡猾さと豪快さを兼ね揃えた人物でした。

ちなみに、有名な藤原道長はこの兼家の息子に当たります。道長も父の兼家に似て、肝の据わった豪快な人物でした。

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蜻蛉日記のあらすじ

次に、蜻蛉日記のあらすじをほんの少しだけ紹介します。蜻蛉日記は、上・中・下の3巻構成となっています。

上巻が結婚してからの15年間中・下巻はそれぞれその後の3年を綴っています。内容的には、上巻の内容がメインと言えるでしょう。

藤原兼家「嫁が子を産んだら別な女と遊びたくなる病な件www」

繰り返しですが、蜻蛉日記の始まりは藤原兼家の求婚から始まります。

婚姻関係を結んだ藤原道綱母は、その翌年、妊娠し無事に男の子を授かりました。この男の子が藤原道綱です。

ところで、藤原兼家には妻が子を産むと浮気をする癖がありました。性欲に忠実な兼家は、藤原道綱母に子が産まれるとさっそく別の女の元へ頻繁に出かけるようになります。

もちろん藤原道綱母は夫の怪しい行動には気付いています。プライドの高い藤原道綱母は簡単にこれを許すことができず心を苦しめます。

当時は一夫多妻制の時代。藤原兼家には藤原道綱母と結婚する以前からもう1人の妻がいました。名を時姫ときひめと言います。実は、藤原兼家が藤原道綱母にプロポーズを始めたのも、ちょうど時姫が出産した直後でした。

藤原道綱母の心境は複雑です。浮気をする藤原兼家のことを許せませんが、自分自身もまさにその兼家の浮気によって兼家と結ばれることになったのですから。

ところで、さっきから「浮気」という言葉を多用していますが、当時は一夫多妻制の時代であり別な女と遊ぶこと自体は決して変な話ではありません。

しかし、プライドの高い藤原道綱母はこの浮気を簡単に認めることはできませんでした。そして、藤原兼家も堂々と浮気をするものだから、それがさらに藤原道綱母の気持ちを搔き乱します。

通い婚(妻問婚)

蜻蛉日記を読むと、平安時代の結婚の仕組みがとてもよくわかって面白いです。当時の結婚生活には、現代のように夫婦共に同じ家に住むという発想はありません。

「通い婚」とか「妻問婚つまどいこん」と言って、夫が定期的に妻の実家に通い、そこで慎ましく愛を育むというのが当時の結婚生活の一般的な形でした。夫が妻の元へ通うのにも決まりがあって「夜に通って朝に帰る」というのが通例で、普段は夫婦は別々の場所で暮らしているわけです。

妻となった女性にとって「夫がどれぐらいの頻度で通ってくれるか?」は非常に重要で、その頻度や滞在時間で夫の愛情を確認します。

夫が別の女と遊ぶようになれば、当然、通ってくれる回数は減ります。藤原道綱母は、兼家がテキトーな言い訳を言って全然自分の元へ通ってくれないことをひどく嘆き、浮気相手の女に強く嫉妬するようになってゆきます。

この通い婚という結婚制度は、夫を愛する妻にとっては非常に心悩める結婚制度です。

愛する夫に会いたいと想っても、妻に会うかどうかの決定権を握るのは夫のみ。一夫多妻制の時代ですから、夫に飽きられてしまえば妻は見捨てられてしまう可能性すらありました。妻たちは、通って来た夫の心を繋ぎとめようと必死だったに違いありません。

蜻蛉日記は、「かげろうのように儚い身の上を日記にしたもの」と藤原道綱母は言っていますが、この通い婚という制度自体が女性たちの身をはかなきものとする大きな原因になっていたのです。

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蜻蛉日記を簡単お手軽に読んでみよう!

・・・と、蜻蛉日記のあらすじはここまで。「もっと蜻蛉日記の内容を知りたいよ!」って方は実際に蜻蛉日記を読んでみましょう。

古典って言葉を聞くと難しいイメージがありますが、全然そんなことはありません。今では、わかりやすい現代語訳付きの本がたくさん売られています。

そんな中でも、個人的に特に読みやすいと思っているが角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」シリーズです。

初心者向けに要点のみをピックアップしてくれているし、現代語訳も難しい言葉を使わないようにしてくれています。おまけに、コラム的な感じで当時の時代背景や人々の心境を語ってくれるので古典入門には最適な一冊になっています。(おまけに本も分厚くないし、値段も安い!)

今も昔も変わらぬ女性の恋心。それが蜻蛉日記には記されています。

蜻蛉日記を読んでみよう!

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