【応天門が燃えているのを見て混乱している人々】
【混乱している人々の拡大図】
応天門の変。この事件を知っている人は一体どれぐらいいるでしょうか。おそらくほとんどいないと思います(汗
応天門の変は、平安時代中期に起きたいわゆる政変の1つです。
あまり知名度のない事件なのですが、実は、伴大納言絵詞(とものだいなごんえことば)という絵巻として後世に伝えられています。
地味な事件ですが、絵巻を見ながら考察していくと意外と面白い!
というわけで、応天門の変について見ていきます。
応天門の変とは
【安全なところから応天門が焼けているところを眺める貴族たち】
応天門の変とは、前回の記事内容を引用して
応天門の変は、何者かが天皇が住む大内裏(だいだいり)という場所の近くにある応天門に火を付けた事件です。
これが、自然火ではなく、放火だとしたら間違いなく天皇に対する謀反となります。そうです、応天門に火が付いたというのは天皇から見ればかなり重大な出来事だったんです。
実は、この当時、明りにローソクなどの火を用いていたため、火災は結構な頻度で起こっていました。しかし、門が燃えるというのは明らかに人為的なものです。
上の絵巻を見るとわかりますが、かなりパニック状態になっています。応天門というのは、朝堂院と言う、重要な儀式などを行う場所に入るための正門であり、とても重要な門だったのです。その門が、放火されたのですから朝廷の人々は混乱し不安に怯えました。
(出典:wikipedia「応天門」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E5%A4%A9%E9%96%80)
現在、平安神宮でレプリカがあります(少し小さめの)。
犯人はだれだ!?伴善男(とものよしお)と源信(みなもとのまこと)
【焼けた応天門を眺める伴善男ではないか?と言われている人物】
事件の後、大納言の伴善男(とものよしお)という人物が右大臣の藤原良相という人物に、「左大臣の源信(みなもとのまこと)が火を付けた!!!」と告発します。
補足説明:大納言→右大臣→左大臣の順に偉い
伴善男は、昔から源信とは不仲だったようです。さらに、左大臣の源信が消えれば、
左大臣のポストには今の右大臣が、そして右大臣のポストには今の大納言、つまり伴善男が就くことができます。
つまり、伴善男にとって源信が放火犯人であり、失脚してくれるととてもとても嬉しいことなのです。このことから、伴善男は、自らの出世のために嫌いな源信を犯人に陥れようとした・・・なんていう説もあります。
真相はどうあれ、藤原良相は「源信が犯人だ!」という密告を受け、兵を派遣します。
兵は、右大臣の藤原良相(ふじわらのよしみ)が派遣しました。右大臣の藤原良相も左大臣の源信が消えると出世の見込みがでてくるので、源信が失脚するのはとても喜ばしいことでした。
源信が消えると嬉しい伴善男が告発し、同じく源信が消えて嬉しい右大臣の藤原良相が兵を派遣する。
怪しいにおいがプンプンします。
冤罪に落胆する源信
【藤原良相の兵に包囲され、悲嘆にくれる源信家の人々】
源信の家が危機に陥っている中、太政大臣の藤原良房の下に「藤原良相軍、源信家を包囲す」と報告が伝わります。
良房はこれに驚き、清和天皇にも確認したところ、なんと清和天皇も知らない。源信包囲は、伴善男と藤原良相の独断行動だったわけです。
良房は、藤原良相を止めようと、急いで使いを放ち、止めることに成功します。
源信は、頭脳明晰でとても優秀な人物で、その後、「俺はそんなことしてない!」と天皇の下へ直訴しに行きます。
【直訴をする源信の様子】
この直訴が実を結ぶことになります。
立場逆転!伴善男、捕まる
実は、藤原良房は伴善男に嫌疑をかけ始めます。実質的な最高権力者が疑いをかけるのですから、事実はどうあれ、伴善男に処分が下るのが当然の成り行きでした。
【清和天皇(一番左の人)に「伴善男が犯人だ!」と讒言する藤原良房の様子】
このとき、清和天皇は誰をどう処分してよいのかわからず、「天下の政を摂行せよ」と良房に丸投げしてしまいます。こうして、良房が摂政として(応天門の変が起きたとき、清和天皇は既に成人していましたが)権限を握ることになります。
ここでいう、権限とは、応天門の変の事後処理をいいます。
(前回、この発言こそが良房が摂政たる所以であるとお話ししました。)
【伴善男の家に向かう検非違使(けびいし。今でいう警察)】
【急に検非違使がやってきて、悲痛な表情を浮かべる伴善男の家の使い(左側)】
【事情を察して悲しむ伴善男の家の人々】
伴善男は、流罪。そして右大臣で源信の家に兵を派遣した藤原良相も、処罰は与えられなかったものの、影響力を失い、この事件の翌年亡くなりました。
そして、左大臣の源信は、冤罪を着せられたことがトラウマとなり、引きこもりがちになってしまいます。
漁夫の利を得た藤原良房。摂関家の確立へ
こうして、大納言、右大臣、左大臣と重要な役職の人々が、応天門放火事件を通じて、皆いなくなってしまいます。
応天門放火事件によって結果的に、藤原良房の邪魔者になりそうな人たちがみんな一掃されていました。
応天門を放火した真犯人は誰だ?
藤原良房は、犯人を伴善男と決めつけ流罪としましたが、放火した人が本当は誰なのか?
実は、よくわかっていません。本当に伴善男だ!という説もあれば、結果的に良房が独り勝ちなので、裏で良房が暗躍していたのでは?という説もあったり。
邪馬台国の謎とかと比べると小さな出来事かもしれませんが、日本古代史における1つの謎だったりします。
しかし、結果的に、応天門の変により邪魔者がすべていなくなった藤原良房の立場が盤石なものとなり、摂関家としての藤原氏の第1歩を歩み始めるのです。
というのが、摂政となった藤原良房のお話でした。次は、摂関政治の「関」である関白(かんぱく)という役職の話をしていきます。
平安時代を舞台にしたマンガが面白い!【おまけ】
この記事で紹介した藤原良房が活躍した時代を舞台にした漫画を見つけました。この頃まだ青年だった菅原道真(学問の神様で有名なやつね!)が、権謀術数に溢れる朝廷内で様々な謎を解決してゆくミステリー漫画です。この時代を舞台にした漫画はとても珍しいし、読んでいてとても面白かったです。ぜひ参考までに。
コメント
朝廷は「源信が犯人だ」という密告を受け、兵を派遣します とありますが、実際に派遣したのは右大臣ですよね?
それで、天皇も太政大臣もこのことを知らなかったということですが、上記の「朝廷への密告」という表現は合っているのでしょうか?大納言が、あとで辻褄を合わせるために、とりあえず報告はしたよ?という形式を取っているのでしょうか?
※命令系統がよくわからないのですが、右大臣の独断で兵を動かすことができるでしょうか?
コメントありがとうございます!
まず「朝廷は『源信が犯人だ』という密告を受け・・・」の部分ですが、ご指摘のとおり右大臣に密告が正しい表現です。記事についても修正をしました。
当時の命令系統についてはすみませんが私も正確な部分は把握しておりません・・・。記事中では伴善男が藤原良相に密告を行い、それを受け藤原良相が兵を派遣したという文脈で書いています。藤原良相は右大臣であるとともに左近衛府という天皇護衛部隊の長官でもあったようです。つまり、自らの率いる部隊であれば藤原良相の権限で兵を派遣することも可能だっということです。自ら率いる部隊だけを派遣しているので、兵と言ってもおそらく少数だったであろうと思います。
あまり断言的な回答をできず申し訳ありませんが、以上が私の可能な範囲での回答です。本当は回答のソースを示せれば良いのですが、やはりなかなか難しいです・・・。