空海(弘法大師)とは何をした人?生涯・教え・面白い伝説をわかりやすく解説

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もぐたろう
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今回は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)の生涯と功績を、最澄との関係・各地の伝説・ゆかりの地まで含めてわかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 空海はどんな生涯を生きたの?
  • 空海はなぜ真言宗を開いたの?
  • 真言宗ってどんな宗派なの?
  • 空海と最澄はどう違うの?
  • 空海にまつわる伝説・逸話
  • 空海と弘法大師は同じ人?

「弘法も筆の誤り」「お大師様」——日本人なら誰もが一度は耳にしたことがある空海くうかい。ちなみに「空海」と「弘法大師こうぼうだいし」は同じ人物のこと。「弘法大師」は921年に醍醐天皇から贈られた称号(諡号しごう)です。

ところが、「空海って実際に何をした人なの?」と聞かれると、意外と答えられる人は少ないのではないでしょうか。

空海が何をした人かを一言で言うと、唐(中国)で密教を学び、真言宗を開いた平安時代の天才僧侶です。しかもただの宗教家にとどまらず、書家・土木技術者・教育者・語学者として一人何役もこなした、日本史上屈指のマルチ人間でした。

空海を3行でまとめると…

❶ 774年に讃岐国(香川県)で生まれ、唐で密教を極めて帰国した天才僧侶

❷ 真言宗を開き、「即身成仏(この世で悟りを開ける)」という教えを広めた

❸ 高野山開山・東寺整備・綜芸種智院(庶民向け学校)・満濃池修築など、宗教の枠を超えた業績多数

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空海(弘法大師)のプロフィール

PROFILE
空海くうかい(弘法大師)
774年 − 835年|平安時代初期

本名 真魚まお
生年月日 774年 (伝承では6月15日)
没年 835年3月21日 (承和2年・享年62歳)
出身地 讃岐国多度郡 (現・香川県善通寺市)
称号 弘法大師こうぼうだいし (921年・醍醐天皇より)
主な業績 真言宗を開く・高野山開山
東寺整備・綜芸種智院創設
満濃池修築
その他 三筆のひとり
四国八十八ヶ所霊場を整備
空海(弘法大師)肖像画 太山寺蔵
空海(弘法大師)肖像画(太山寺蔵・パブリックドメイン)
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幼少期の伝説 〜捨身誓願しゃしんせいがん〜

空海は、774年に、讃岐国の多度郡(現在の香川県善通寺市)で誕生しました。父は佐伯直田公さえきのあたいたぎみ、母は玉依御前たまよりごぜんと言いました。誕生日は伝承によると6月15日とされています。

空海はスクスクと育ち、7歳の時、とある伝説を残しています。

ある日、優しい空海は、捨身ヶ嶽すてみがたけという山(香川県に実在する山)に登って、突如として崖から飛び降りたと言われています。

空海(7歳)
空海(7歳)

将来、私は困っている人を救いたいです。もし、この願いが叶うならどうか我が命を救ってください。

人々を救うという夢を叶えるため、自らの命を賭けて運命を試そうとしたのですね。

すると、飛び降りたところを舞い降りた天女が受け止めてくれて、空海は一命を取り留めました。このエピソードのことを捨身誓願と言います。

空海の持つ優しい心は、後に真言宗を開く大きな大きな原動力となります。

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勉学に励む日々

788年、15歳(数え歳)になった空海は、母方の叔父・阿刀大足あとうのおおたりの勧めで上京し、学問の道を志します。

791年頃(792年説もあり)、空海は官僚になることを目指して大学に入りました。空海は、優しいだけでなくとても頭の良い青年でもありました。

・・・ところが間もなく、空海はある僧侶から「仏門に入らない?」と勧められ、学業をなげうって、修道の旅に出てしまいます。

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官僚を目指して大学まで入ったのに、いきなり中退して修行の旅へ…! 幼い頃から「困っている人を救いたい」と願っていた空海にとって、仏教の教えがそれほど魅力的だったんだろうね。

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仏門に入り、修行の日々

仏門に入った空海は、奈良や四国の山岳などでの修行に励みました。793年頃には山林修行に本格的に打ち込むようになったとされています。(正式な得度の時期については諸説あります。)

797年、空海は三教指帰さんごうしきという書を書きます。仏教は道教や儒教よりも優れた教えであるということを書いた本です。

さらに修行の過程で、空海は大和国の久米寺くめでら大日経だいにちきょうと呼ばれるお経を手に入れたと伝えられています。

もぐたろう
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大日経は、大乗仏教・密教の教えが書かれたお経だよ。大乗仏教と密教がよくわからない人は下の解説を読んでみて!

大乗仏教って何?

「全ての人が悟りを開ける(苦のない浄土の世界へ行ける)」と考える仏教思想のことを大乗仏教だいじょうぶっきょうと言います。

当時の日本では、「お釈迦様のように厳しい修行を重ねた者だけが悟りを開ける」という考え方が主流でした。大乗仏教の「みんなきっと救われるよ!」という思想は、困っている人たちを救いたいと願う空海にとって、とても魅力的だったのですね。

密教って何?

密教とは、「仏教の教えは人間の理解を超えたものだから、理解するのではなく感じるものだ」と考えて、呪文を唱えたり厳しい修行で精神を鍛える教えのことです。

仏法に関する知識よりも、精神や五感に重きを置いているのが大きな特徴。後に空海が開く真言宗は、この密教の教えに特化した宗派です。

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空海、唐へ留学する

厳しい修行を続けていた空海ですが、これだけでは満足しませんでした。大乗仏教・密教を本格的に学ぶには、日本の環境では不十分だったからです。

空海
空海

大乗仏教・密教の真髄を会得するため、なんとかして本場の唐に留学したいものだ…。

この想いは、804年(空海31歳の時)に無事叶い、唐へ留学するチャンスを得ました。(同じ遣唐使の一行として、もう一人の偉人・最澄も別の船で唐へ渡りました)

最澄が約8ヶ月で帰国したのに対して、空海は唐への留学に約2年の長い年月を費やしました。留学の目標は、ズバリ密教マスターになることです。

空海は、唐の都長安ちょうあんに向かった後、各地の寺院を渡り歩き、最終的に長安の青龍寺せいりゅうじ恵果けいかという人物の弟子となります。

秀才だった空海は、すぐに恵果の一番弟子的な存在となり、恵果から灌頂かんじょうを授かります。

灌頂(かんじょう)とは?

密教の正当な継承者として認める時に行う儀式のこと。

つまり空海は、恵果から正式な密教マスターの称号を得たことになります。

空海は密教をマスターするだけではなく、サンスクリット語を学んだり、書道・詩などの腕を磨くなど、多彩な才能を発揮。密教に関連する大量の仏教グッズ・著書を集めて日本に持ち帰りました。

もぐたろう
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空海は『荘子』の言葉を引いて「虚しく往きて、実ちて帰る(空っぽで行って、満タンで帰ってきた)」と唐留学を振り返ったんだ。この言葉、カッコよすぎない…!?

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空海、真言宗を開く

密教マスターとなった空海は、806年に帰国すると布教活動を始め、809年に即位した嵯峨天皇の信任を少しずつ得ていきます。

嵯峨天皇は生粋の唐マニアで、唐の文化や最新知識に強い関心を持っていました。唐への留学経験を持ち、密教をマスターした空海は、嵯峨天皇にとって非常に魅力的な人物だったのです。

816年、空海は嵯峨天皇から高野山を与えられます。高野山を密教修行の本拠地とし、さらなる布教活動に邁進しました。

高野山壇上伽藍・御影堂
高野山壇上伽藍・御影堂(出典:Wikimedia Commons・CC0)

さらに823年には、平安京にある東寺を与えられました。東寺は教王護国寺きょうおうごこくじとも呼ばれ、平安京を密教の力で守る重要な寺院となります。

こうして空海が広めていった密教の教えのことを、真言宗しんごんしゅうと言います。

東寺(教王護国寺)
空海に与えられた東寺(教王護国寺) 撮影:もぐたろう
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空海の教え|真言宗と即身成仏をわかりやすく解説

空海の教えを簡単にまとめると、「密教の修行を通じて、今この世に生きたまま悟りを開こう(即身成仏そくしんじょうぶつ)」というものです。もう少し詳しく見ていきましょう。

仏教の多くの宗派では、「仏様のいる苦のない世界(浄土)へ行くための教え」が仏教だと考えます。しかし、真言宗の教えは少し独特です。

真言宗では、人々が住む現世そのものが実は浄土である…と考えます。それなのに多くの人が苦しむのは、「この世が浄土だ」という真理に気づいていないためだ、というわけです。

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ざっくり言うと、「密教パワーで、この世に生きたまま悟りを開こう!」という宗派だよ。この「生きたまま悟りを開く」という考え方を即身成仏って言うんだ。

即身成仏そくしんじょうぶつって何?

真言宗では、万物の真理を象徴する仏様として大日如来だいにちにょらいを崇めます。大日如来は「宇宙そのもの」であり、その宇宙の一部である私たちにも大日如来の素質が備わっているはず……という考え方です。

大日如来坐像(石山寺)
大日如来坐像・石山寺(出典:Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

この素質を開花させて大日如来と一体化すれば、現世のまま悟りが開ける。これが即身成仏の思想です。

具体的には、以下3つの修行(三密)を重んじます。

①身密:印を結ぶ

②口密:真言(呪文)を唱える

③意密:心を仏の境地とする

この三密の修行に大日如来のパワーを組み合わせること(三密加持)で、即身成仏が可能となります。

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空海と最澄の違いは?

空海と同時代の僧・最澄さいちょう天台宗の開祖)は、よく空海と比較されます。

最澄像(一乗寺蔵・平安時代)
最澄像(一乗寺蔵・平安時代、パブリックドメイン)

二人は同じ804年に唐へ渡った同世代の僧。しかし、その性格・思想・行動はまったく異なります。

空海 最澄
開いた宗派 真言宗 天台宗
拠点 高野山・東寺(京都) 比叡山(滋賀)
中心の教え 密教(真言密教) 法華経+密教
悟りの考え方 即身成仏(この世で悟れる) 厳しい修行を積んで悟りへ
旧仏教との関係 融和的(対立を好まず) 対立的(南都六宗と論争)
性格 社交的・柔軟・外交上手 厳格・学究的・直情的
比叡山延暦寺
最澄が拠点とした比叡山延暦寺(出典:Wikimedia Commons・CC0)

二人は当初、互いに経典を貸し借りするなど親交がありました。しかし最澄が密教の経典の借用を求めたのに対し、空海がこれを断ったことで関係が冷え込み、最終的には疎遠になったとされています。

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最澄が「経典を貸してほしい」と何度も手紙を送っているのに、空海がなかなか貸さない…という当時のやり取りが書状に残っているんだ。二人の関係がじわじわ冷えていく様子がとてもリアルです。

風信帖(空海筆・国宝)
風信帖(空海から最澄への書簡・国宝)。二人の交流を今に伝える貴重な史料(パブリックドメイン)
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空海は何をした人?宗教を超えた多彩な業績

真言宗を開いただけでも十分すごいのに、空海の活躍はそれだけにとどまりません。宗教の枠を超えた多岐にわたる業績を残しています。

業績①:四国八十八ヶ所霊場

信仰上の伝承では、弘仁6年(815年)頃に空海が四国を行脚して修行したとされています。現在の四国八十八ヶ所霊場は、この空海の行脚に由来するとされ、「お遍路さん」として今も多くの人が巡礼する全長約1,200kmのルートです。

※八十八ヶ所の巡礼ルートが現在の形に整備されたのは江戸時代とされており、空海が直接選定したという確実な史料は見つかっていません。

業績②:綜芸種智院しゅげいしゅちいんを創設(828年)

828年には、平安京左京九条に日本最初の庶民向け学校を開校しました。身分に関係なく誰でも学べる場を作ったのですが、これは当時としては非常に先進的な発想でした。

業績③:満濃池まんのういけの修築(821年)

821年には、唐で学んだ土木技術を用いて、堤防決壊に悩まされていた讃岐国の満濃池を修築しました。農業用のため池として現在も香川県に存在する、日本最大のため池です。

満濃池(香川県)
満濃池(出典:Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

業績④:三筆のひとりとして書の名人

空海は書の才能にも優れており、嵯峨天皇・橘逸勢たちばなのはやなりとともに三筆のひとりに数えられています。「弘法も筆の誤り」ということわざでもその名は広く知られていますね。

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空海にまつわる伝説・逸話

空海には日本各地に数多くの伝説が残されています。それだけ空海の存在が民衆に深く根付いていた証拠です。

■杖で水を湧かせた「弘法水」の伝説

空海が修行中、水に困っている村人のために地面に杖を突き刺すと、清水が湧き出た——という伝説が全国各地に残っています。「弘法水」と呼ばれるこれらの湧き水は、今も各地に点在しています。

■温泉を発見した伝説

全国各地に、空海が温泉を発見・開湯したという伝説が数多く残っています。修善寺温泉(静岡県)や龍神温泉(和歌山県)などがその代表例です。それほど空海の旅の行動範囲が広大で、民衆に深く親しまれていたことを示しています。

■雨乞いを成功させた伝説

824年、極度の干ばつに見舞われた際、空海は神泉苑(京都)で雨乞いの祈祷を行い、見事に雨を降らせたと伝えられています。

神泉苑(京都)
神泉苑・法成橋(出典:Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

■「弘法大師は今も高野山で生きている」

真言宗では、835年に空海は「亡くなった」のではなく、「即身成仏した」と考えます。

厳密には今も魂は生き続けており、弥勒菩薩がこの世に現れるとされる56億7千万年後に、人々を救済するために再びこの世に現れるとの遺言を残したとされています。

そのため今もなお、空海の霊廟れいびょうでは真言宗の宗徒によって毎日2回の食事が給仕されています。(その様子は極秘中の極秘とされており、一般に公開されることもほとんどありません…!)

高野山奥之院・御廟橋から見た燈籠堂
高野山奥之院(出典:Wikimedia Commons・CC0)
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生まれた時から伝説を残し、亡くなった後も伝説を作り続ける…。空海のスケールの大きさがわかるね!

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空海の生涯年表

空海の生涯年表
  • 774年
    讃岐国(現・香川県)で誕生。本名は真魚(まお)
  • 780年頃
    捨身誓願の伝説を残す
  • 791年頃
    大学に入学するも仏教の道へ転換し中退(入学年は791年説・792年説あり)
  • 793年頃
    山林修行に本格的に入る
  • 797年
    三教指帰を著す
  • 804年
    唐へ留学(最澄も同行)
  • 805年
    青龍寺の恵果から灌頂を受け、密教マスターとなる
  • 806年
    帰国。真言宗の開宗
  • 810年
    嵯峨天皇の信任を得る。東大寺別当に就任
  • 815年頃
    四国を行脚・修行したと伝わる(四国八十八ヶ所霊場の由来)
  • 816年
    嵯峨天皇から高野山を賜り、開山
  • 821年
    満濃池の改修工事を指揮
  • 823年
    嵯峨天皇から東寺を賜る
  • 824年
    神泉苑で雨乞い祈祷を成功させる
  • 828年
    綜芸種智院を開校(庶民向けの学校)
  • 835年
    高野山にて入定(即身成仏)。享年62歳
  • 921年
    醍醐天皇から「弘法大師」の称号を賜る
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空海の名言・格言

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空海は著書や手紙に数多くの言葉を残しているよ。その中から、今の時代にもグッとくる名言を3つ厳選して紹介!

①「虚しく往きて、実ちて帰る」

現代語訳:「空っぽの状態で唐に旅立ち、満タンになって帰ってきた」

もともとは中国の古典『荘子』にある言葉ですが、空海はこれを引用して唐留学を振り返りました。密教・サンスクリット語・書道・詩と、あらゆる知識をわずか約2年で吸収して帰国した空海ならではの一言。「行動すれば必ず得られるものがある」という力強いメッセージです。

②「心暗きときは 遇うところ禍なり。眼明らかなれば 途にふれてみな宝なり」

現代語訳:「心が暗いときは、何を見ても不幸のタネにしかみえない。しかし心の目が開いていれば、道ばたに転がっているものでさえ宝に見える」

これは空海の主著のひとつ『性霊集しょうりょうしゅう』に記された言葉。「同じ現実でも、心の持ちようで全然違って見える」という教えです。どんな時代にも通じる人生哲学ですね。

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ネガティブな気持ちのとき、何もかも嫌に見えること、あるよね。逆に調子いいときは何でも楽しく見える。空海はそれを1200年も前に言語化してたわけか…。

③「仏法は遙かにあらず、心中にして即ち近し」

現代語訳:「仏の教えは遠いところにあるのではなく、自分の心の中にある」

空海の著書『般若心経秘鍵はんにゃしんぎょうひけん』に記された言葉で、真言宗の「即身成仏」——すなわち「今この瞬間、この体のまま悟りを開ける」という思想を端的に表しています。仏様に近づくために修行や学問も大切だが、答えはすでに自分の中にあると説いています。

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テストに出るポイント&覚え方

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試験でよく出る空海のポイントをまとめたよ!

試験に出やすいポイント
  • 空海真言宗の開祖。最澄=天台宗の開祖(セットで覚える)
  • 804年に唐へ留学(最澄と同じ年)
  • 高野山(和歌山県)=真言宗の本山。東寺(京都)も空海に与えられた寺
  • 即身成仏=「この世に生きたまま悟りを開ける」真言宗の核心思想
  • 綜芸種智院=庶民のための学校。身分を問わず学べた点がポイント
  • 三筆=空海・嵯峨天皇・橘逸勢(「くさた」→空海・嵯峨・橘で覚える)

覚え方のコツ:「空海=真言宗=高野山=即身成仏」をワンセットで覚えよう。対比として「最澄=天台宗=比叡山=法華経」もセットにすると効率的だよ!

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よくある質問(FAQ)

同じ人です。「空海」は出家後に名乗った名前で、「弘法大師」は921年に醍醐天皇から贈られた称号(諡号)です。

本名は「真魚まお」です。出家した後に「空海」と名乗るようになりました。

書の達人・弘法大師(空海)でさえ書き間違えることがある、つまり「どんな名人でも失敗することがある」という意味のことわざです。空海が三筆(平安三大書家)のひとりとして知られるほど書の名手だったことに由来します。

「どっちが偉い」というより、活躍分野と宗派の方向性が異なる2人です。最澄は天台宗の開祖で、もともと空海より年上・先輩格でした。しかし密教については空海の方が圧倒的に深く学んでおり、最澄が空海に「教えてほしい」と頼んだこともありました。やがて2人の関係は疎遠になりますが、詳しくは最澄の記事もご覧ください。

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まとめ

空海(弘法大師)は、平安時代初期に真言宗を開いた僧侶であり、宗教・書・土木・教育など多方面で時代を超えた功績を残した人物です。

  • 774年、香川県で生まれ、幼い頃から「人々を救いたい」という強い志を持っていた
  • 804年に唐へ留学し、密教を完全マスターして帰国した
  • 真言宗を開き、「即身成仏(この世で悟りを開ける)」という教えを広めた
  • 高野山・東寺・四国八十八ヶ所など、現代まで続く文化遺産を整備した
  • 庶民のための学校(綜芸種智院)・満濃池の修築など、社会貢献にも尽力した
  • 書・詩・土木・語学まで何でもこなす、規格外のマルチ人間だった
もぐたろう
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「弘法大師」として今も多くの人に親しまれ、高野山の霊廟では1200年以上経った今も毎日食事が供えられています。ぜひ一度、高野山や東寺・四国八十八ヶ所などゆかりの地を訪れてみてください!

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空海についてもっと知りたい方へ|おすすめ本・漫画

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空海についてもっと深く知りたい方におすすめの本・漫画を紹介するよ!

①漫画で読むなら|空海の人生をドラマとして楽しみたい人にイチオシ!文化庁メディア芸術祭推薦作品

阿・吽(全14巻完結)

おかざき真里 著|小学館(ビッグコミックス)


②名言から入るなら|空海の名言を現代語訳で手軽に学べる入門書!

空海 人生の言葉

川辺秀美 著|ディスカヴァー携書


③全体像をつかむなら|図解たっぷり!空海と密教の全体像をつかみたい方に最適

知れば知るほど面白い空海と密教

島田裕巳 著|宝島社(宝島SUGOI文庫)

参考文献
  • Wikipedia日本語版「空海」「三教指帰」「真言宗」「四国八十八箇所」「綜芸種智院」
  • コトバンク「空海」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
  • 高野山真言宗総本山金剛峯寺公式サイト
  • 川辺秀美著『空海 人生の言葉』(ディスカヴァー携書)
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この記事を書いた人
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教育系歴史ブロガー。
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コメント

  1. ともぞう より:

    超おもしろい空海さん解説、ほんとにありがとうございます。
    拙ブログでも紹介させていただきました。

    高野山行ったのに空海さんがどういう人かよくわかってなかった…(;´д`)トホホ…
    次に日本でどこか行くときにはこのサイトを参考にさせていただきます。

    • もぐたろう mogutaro より:

      ブログを読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
      読んでいただいた方にそう言って頂けると本当に嬉しいです!
      日本の歴史って日本人でも知らないことが意外と多いな!と個人的に実感しています。
      仕事もあるので更新は不定期ですが、日本の歴史のことを少しでも知ってもらえる・楽しんでもらえるよう記事を書いていくつもりなので、何かの機会がありましたらまたこのブログを見てもらえると嬉しいです。

  2. あーろん より:

    どのサイトより読みやすくて 詳しく説明してくださって
    今 歴史に夢中です。
    子供のころにこんなサイトがあったら 歴史好きになっていただろうと思います。
    今までつながらなかったものが 線になり 自分の子供にも教えてあげれる
    ようになりましたし ゆかりのある建物なんかはワクワクしながら
    見るようになりました。
    特に天武天皇が好きになりましたね^^琵琶湖一周してきましたw
    一つ作るだけでもものすごい苦労だと読めば読むほどわかります
    お仕事の合間に大変だとは思いますが これからも続けていってくれたら
    うれしいです ではノシ

    • もぐたろう mogutaro より:

      返信遅くなりました(汗
      そういっていただけるととても嬉しいです。実は、私も昔に歴史に興味を持ちいろんなサイトを見て回りました。
      しかし、あまりわかりやすいサイトはありませんでした。多分、個別の出来事・人物にピックアップした内容が多く時代背景や歴史の流れがわからないのと詳しく書いてあるサイトは、内容が難しすぎて理解できないためだと思います。個人的に一番わかりやすいサイトはwikipediaという結論に至りました(笑)。
      そこで、wikipediaよりも精度が落ちても構わないので、もう少しわかりやすいサイトが欲しいと思ったので自分で作ることしたのがこのサイトです。
      そして、そのわかりやすさの目安として漠然と思っていたのが「大人がこのサイトを見て、他人にそれを教えれるような内容」だったので、あーろん様が子供に教えているというお話を聞いてとても嬉しいです!
      このようなコメントは本当に励みになります。ありがとうございます!
      亀の歩みとなりそうですが、室町時代(戦国時代前)までは続けていく予定ですので、今後も引き続きご覧いただければ幸いです。

  3. Corvallis より:

    アメリカの大学で日本文化を教えています。
    仏教についても少し触れることになり、最澄と空海の資料を探していてこのブログに辿り着きました。今風のタイトルで面白かったですし、内容もとても分かりやすかったです。

    ありがとうございました。

    • もぐたろう mogutaro より:

      ブログを読んでいただき本当にありがとうございます。そして、コメントありがとうございます!
      アメリカの大学でも日本文化について教わる場がちゃんとあるんですね。初耳でした。
      日本の歴史でいえば外国だと「BUSHI」が有名なんでしょうけど、それ以外にも日本の歴史についてもっと知ってもらえたらなぁと漠然と思っています。
      至らぬ点も多々あるブログですが、今後もチマチマと更新していきますので、何かありましたらまたご覧いただければと思います。

  4. まちも より:

    勉強も歴史も全く興味のなかった私ですが、一気に読むことが出来ました。
    お話もぐんぐん入ってきて、小学生の娘と近いうちに高野山に足を運んでみようと思いました。
    今の時代だからこそ学びたい歴史だなと感じます。