WORLD HISTORY ─ THE CONTEMPORARY WORLD
現代の世界
1914年 〜 現在
34
解説記事
約110年
あつかう時間
5
学びのフェーズ
二度の世界大戦、米ソの冷戦、そしてグローバル化と現代の紛争まで。現代史は、いま私たちが生きる世界そのものの成り立ちを教えてくれます。日々のニュースの背景が「歴史の続き」として見えてくる、世界史学習の総仕上げの単元です。
1914
大戦勃発
1917
ロシア革命
1929
世界恐慌
1939
第二次大戦
1961
ベルリンの壁
1991
ソ連解体
2022
ウクライナ
なぜ現代史を学ぶのか
ウクライナ侵攻もEU離脱も、1914年に始まる現代史の延長線上にある。世界の「いま」を読み解く鍵
1914年の第一次世界大戦から現在まで、世界は戦争と平和、対立と統合をくり返してきました。このページでは、二つの世界大戦、冷戦、そして冷戦後のグローバル化という大きな流れを5つのフェーズで整理します。入試頻出の重要単元であると同時に、現代のニュースを理解するための土台にもなります。年表と記事リンクをたどりながら、110年の歩みを一気に見渡してみましょう。
Phase I ─ 第一次世界大戦とロシア革命
1914〜1929
1914
1917
Phase II ─ 世界恐慌とファシズム
1929〜1939
1929
1933
Phase III ─ 第二次世界大戦
1939〜1945
1939
1941
1943〜45
終戦
連合国の首脳会談 ─ カイロ・ヤルタからポツダムへ
連合国はカイロ・テヘラン・ヤルタの各会談で戦後処理を協議しました。1945年5月にドイツが降伏し、8月にポツダム宣言を受諾した日本の降伏で大戦は終結します。
Phase IV ─ 冷戦の時代
1945〜1991
1945〜
冷戦開始
冷戦の始まり ─ 米ソ二大陣営が世界を分ける
国際連合が発足する一方で、アメリカ中心の資本主義陣営とソ連中心の社会主義陣営の対立が深まりました。1950年に始まる朝鮮戦争で対立はアジアでの熱戦となります。
国際連合の成立準備中
冷戦の全体像準備中
朝鮮戦争準備中
1961
対立激化
ベルリンの壁とキューバ危機 ─ 核戦争の瀬戸際へ
1961年、東ドイツ市民の西側への流出を防ぐためベルリンの壁が構築されました。翌1962年のキューバ危機では、米ソが核戦争の瀬戸際まで対立します。
1960年代
Phase V ─ 冷戦後の世界
1991〜現在
2001
新たな課題
グローバル化の光と影 ─ 地域紛争と同時多発テロ
冷戦後は市場経済が世界に広がる一方、ユーゴスラヴィア内戦など地域紛争が相次ぎました。2001年にはアメリカ同時多発テロが起こり、国際社会は新たな課題に直面します。
2008〜16
2022
現在進行
ロシアのウクライナ侵攻 ─ 問われる国際秩序
2022年2月、ロシアがウクライナへ全面的に侵攻しました。第二次世界大戦後に築かれた国際秩序が大きく揺らぎ、現在も続く「世界史の最前線」といえる出来事です。
02
Chronology
現代の世界のハイライト年表
1914
サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発
1917
ロシア革命。世界初の社会主義政権が誕生
1919
ヴェルサイユ条約調印。翌年、国際連盟が発足
1929
ニューヨーク株価大暴落。世界恐慌が始まる
1933
ドイツでヒトラー政権成立。米はニューディール開始
1939
独ソ不可侵条約・ポーランド侵攻。第二次世界大戦勃発
1941
独ソ戦開始。太平洋戦争も始まり戦争は世界規模に
1945
ヤルタ会談・ポツダム宣言。第二次世界大戦終結
1961
ベルリンの壁が構築される
1965
アメリカが北爆を開始しベトナム戦争へ本格介入
1989
ベルリンの壁崩壊。マルタ会談で冷戦終結を宣言
1991
ソ連解体。冷戦後の新しい世界秩序へ
2008
リーマン=ショック。世界金融危機が広がる
2022
ロシアがウクライナへ侵攻。国際秩序が揺らぐ
03
FAQ
現代の世界でよく出る疑問
第一次世界大戦(1914〜18)は帝国主義列強の対立が原因で、ヨーロッパが主戦場でした。第二次世界大戦(1939〜45)は世界恐慌後に台頭したファシズム諸国と連合国の戦いで、被害も規模もさらに大きくなりました。
第二次世界大戦後の、アメリカ中心の資本主義陣営とソ連中心の社会主義陣営の対立です。米ソが直接戦火を交えなかったため「冷たい戦争」と呼ばれますが、朝鮮戦争やベトナム戦争など各地で熱戦も起こりました。
東ドイツから西ベルリンを経由して西側へ逃れる市民が急増したため、1961年に東ドイツ政府が流出を防ぐ目的で構築しました。1989年の崩壊は冷戦終結の象徴的な出来事となりました。
計画経済の行き詰まりや軍事費の負担で経済が停滞したことが背景です。ゴルバチョフのペレストロイカでも立て直せず、東欧の民主化や連邦内の独立運動が進み、1991年に解体されました。