イスラーム・中東|世界史まとめ・記事一覧

WORLD HISTORY ─ ISLAMIC WORLD & MIDDLE EAST
イスラーム・中東

610年 〜 現代

16
解説記事
約1400年
あつかう時間
3
学びのフェーズ

7世紀にムハンマドが開いたイスラーム教は、わずか100年ほどで西アジアから北アフリカまで広がる大帝国を生み出しました。オスマン帝国の栄光から現代の中東情勢まで、ニュースを深く理解するためにも欠かせない約1400年の歴史を、16本の記事でたどっていきます。

622
ヒジュラ
750
アッバース朝
1258
バグダード陥落
1453
ビザンツ滅亡
1948
イスラエル建国
1979
イラン革命
2001
同時多発テロ

なぜイスラーム・中東史を学ぶのか

ニュースの奥にある1400年の文脈。中東を知ることは、現代世界そのものを読み解くこと。

イスラーム世界の歴史は、ムハンマドの登場から現代の紛争まで一本の線でつながっています。このページでは、イスラーム世界の成立と拡大、オスマン帝国の時代、そして現代中東の紛争と変動という3つのフェーズで全体像を整理しました。年表と重要事件を手がかりに、気になる時代から読み進めてみてください。

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Phase I ─ イスラーム世界の成立と拡大

610〜1258
610ごろ
宗教の誕生

ムハンマドとイスラーム教の成立 ─ 622年のヒジュラが暦の起点に

メッカの商人ムハンマドは610年ごろ唯一神アッラーの啓示を受け、イスラーム教をとなえ始めました。622年のメディナへの移住(ヒジュラ)は、イスラーム暦の元年とされています。

661
帝国への発展

ウマイヤ朝からアッバース朝へ ─ スンナ派とシーア派の分裂

ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て661年にウマイヤ朝が成立しました。カリフの後継をめぐる対立からスンナ派とシーア派の分裂が生まれ、750年に成立したアッバース朝では都バグダードが大いに栄えました。

シーア派とスンニ派 正統カリフ時代準備中 ウマイヤ朝準備中 アッバース朝準備中
1096
衝突と交流

十字軍とイスラーム世界 ─ セルジューク朝の西進が引き金に

セルジューク朝の西進を背景に、1096年から十字軍の遠征が始まりました。約200年におよぶ戦いのなかで、サラディン(サラーフ=アッディーン)が聖地イェルサレムを奪回したことはよく知られています。

十字軍 セルジューク朝準備中 サラディン準備中
1258
時代の転換

バグダード陥落 ─ モンゴル軍がアッバース朝を滅ぼす

1258年、モンゴル軍がバグダードを占領し、アッバース朝は滅亡しました。以後、イスラーム世界の中心はエジプトのマムルーク朝や、のちに台頭するオスマン帝国へと移っていきます。

マムルーク朝準備中
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Phase II ─ オスマン帝国の時代

1299〜1922
1453
帝国の全盛

オスマン帝国の発展 ─ コンスタンティノープル征服でビザンツ帝国が滅亡

1299年ごろアナトリアに成立したオスマン帝国は、1453年にコンスタンティノープルを征服してビザンツ帝国を滅ぼしました。16世紀のスレイマン1世の時代には、地中海世界に君臨する大帝国となります。

1501
シーア派国家

サファヴィー朝イラン ─ シーア派を国教とした王朝の登場

1501年に成立したサファヴィー朝は、シーア派(十二イマーム派)を国教としました。現在のイランがシーア派の国である原点はここにあるとされています。

イランの歴史 シーア派とスンニ派 サファヴィー朝準備中
1922
帝国の解体

オスマン帝国の動揺と滅亡 ─ 三枚舌外交が現代中東の火種に

19世紀、ムハンマド=アリーの台頭やタンジマートなどの改革を経ても衰退は止まらず、オスマン帝国は第一次世界大戦で敗北。大戦中のイギリスの多重外交(三枚舌外交)はパレスチナ問題の一因となり、1922年のスルタン制廃止で帝国は滅亡しました。

三枚舌外交 ムハンマド=アリー準備中 タンジマート準備中

Phase III ─ 現代中東の紛争と変動

1948〜現在
1948
紛争の始まり

イスラエル建国とパレスチナ問題 ─ 現代中東の出発点

1948年、国連のパレスチナ分割案を受けてイスラエルが建国を宣言しました。これに周辺アラブ諸国が反発して第1次中東戦争が起こり、多くのパレスチナ難民が生まれ、今日まで続くパレスチナ問題の原点となりました。

1948〜73
4次の戦争

中東戦争 ─ 第4次では石油危機が世界経済を直撃

イスラエルとアラブ諸国の間で、中東戦争は4次にわたって戦われました。1973年の第4次中東戦争ではアラブ産油国の石油戦略により第1次石油危機が起こり、日本を含む世界経済に大きな影響を与えました。

1979
革命と戦争

イラン革命とイラン・イラク戦争 ─ 中東の勢力図が一変

1979年、ホメイニを指導者とするイラン革命が起こり、イラン・イスラーム共和国が成立しました。翌1980年にはイラクとの間でイラン・イラク戦争が始まり、1988年の停戦まで続きました。

1991〜
動き続ける中東

湾岸戦争から9.11・イラク戦争へ ─ ISの盛衰と2026年の情勢

1990年のイラクによるクウェート侵攻から1991年に湾岸戦争が起こり、2001年のアメリカ同時多発テロは2003年のイラク戦争につながりました。その混乱から台頭したISの盛衰、そして2026年のイラン攻撃まで、中東情勢は今も動き続けています。

02
Chronology

イスラーム・中東のハイライト年表

610ごろ ムハンマドが啓示を受け、イスラーム教をとなえ始める
622 ヒジュラ(聖遷)。この年がイスラーム暦の元年となる
661 ウマイヤ朝が成立。スンナ派とシーア派の分裂が進む
750 アッバース朝が成立。都バグダードが繁栄する
1096 第1回十字軍が始まる。以後約200年におよぶ遠征に
1258 モンゴル軍がバグダードを陥落させ、アッバース朝が滅亡
1453 オスマン帝国がコンスタンティノープルを征服。ビザンツ帝国滅亡
1922 オスマン帝国が滅亡(スルタン制の廃止)
1948 イスラエル建国。第1次中東戦争が始まる
1973 第4次中東戦争。第1次石油危機が世界経済を揺るがす
1979 イラン革命。イラン・イスラーム共和国が成立する
1991 湾岸戦争。多国籍軍がイラク軍をクウェートから撤退させる
2001 アメリカ同時多発テロ(9.11)。2003年にはイラク戦争へ
2014 「イスラム国(IS)」が台頭。のちに支配地域を失う
03
FAQ

イスラーム・中東でよく出る疑問

ムハンマドの後継者(カリフ)をだれと認めるかをめぐる対立が出発点です。共同体の慣行(スンナ)を重視する多数派がスンナ派、第4代カリフのアリーとその子孫だけを正統な指導者と考えるのがシーア派です。現在はスンナ派が世界のムスリムの多数を占め、イランなどでシーア派が多数派となっています。
第一次世界大戦中にイギリスが行った多重外交(いわゆる三枚舌外交)で、アラブ人とユダヤ人の双方に矛盾する約束がなされたことが背景の一つとされています。1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争で多くのパレスチナ難民が生まれ、土地と国家をめぐる対立が現在まで続いています。
1948年・1956年・1967年・1973年の計4次にわたって戦われました。1973年の第4次中東戦争では、アラブ産油国が石油戦略を発動して第1次石油危機が起こり、高度経済成長期の日本にも大きな影響を与えました。
征服地の多様な民族や宗教に一定の自治を認める柔軟な統治を行ったことが大きいとされています。キリスト教徒などの共同体(ミッレト)に自治を与え、イェニチェリなどの強力な軍事制度を整えたことで、13世紀末から1922年まで長期の支配を続けました。