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令外官とは?簡単にわかりやすく解説するよ【覚えておきた官職をまとめました】

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もぐたろう
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今回は、主に古代史に登場する令外官りょうげのかんについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 令外官ってそもそもなに?
  • 代表的な令外官の官職を知っておきたい!
  • 令外官はどんな仕事をしていたの?
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令外官とは

大宝律令が制定されて以降、新しく置かれた官職のことをまとめて令外官と言います。

昔の日本では、新しい官職ができても律令りつりょうに修正を加えることはしませんでした。

その代わりとして、新しく設けられた官職は「律令の外にある官職」という意味で、すベて令外官と呼ばれるようになったのです。

律令とは、当時の法律のことを言います。

「律」は刑罰に関する法律(今でいう刑法)

「令」は、訴訟や行政全般に関する法律のことを意味していて、官職のことはこの令に定められています。

なので、厳密には「律令の外の官職」ではなく「令の外の官職」が正確な表現になります。

もぐたろう
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だから律令外官ではなくて、令外官と呼ばれているんだね!

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高校日本史で覚えておきたい令外官一覧

令外官は、大宝律令以降に定められたほぼ全ての官職になるので、膨大な数の官職があります。

この記事では、その膨大な数の令外官から、高校の日本史で知っておきたい重要な令外官をいくつかピックアップして紹介していきます。

絶対に知っておきたい令外官は5つです。

高校日本史で抑えておきたい令外官5選
  • 勘解由使かげゆし
  • 蔵人頭くろうどのとう
  • 検非違使けびいし
  • 押領使おうりょうし
  • 追捕使ついぶし
もぐたろう
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それぞれについて、簡単に紹介していくよー!

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勘解由使

勘解由使は、地方に派遣された国司が、ちゃんと仕事をしているかチェックする官職。797年頃に設置されました。

具体的には、

国司が不正をしていないかチェックする。

新しく赴任する国司と前任の国司が利権をめぐってトラブった際に、争いを収める。

というような仕事をしていました。

国司の任期は基本4年。任期を終えた国司は、活躍が朝廷で認められれば、出世することができます。

しかし国司は、勘解由使による審査をクリアしなければ、任期を終えることができませんでした。

※問題ないことが確認できた国司には、解由状げゆじょうが渡されました。国司には解由状を渡すか調べる(かんがえる)、という意味で、勘解由使と名付けられました。

勘解由使
勘解由使

あなたが任期中に、不正に農民から稲を搾取していることが確認できました。

よって解由状は渡さない。これまでの不正を改善するまで、出世は諦めな!

国司
国司

俺は朝廷からの評価も良かったから、国司の任期が終われば出世コースに乗るはずだったのに・・・!

なぜ勘解由使が置かれたのか?

勘解由使の設置を決めたのは桓武天皇

当時、桓武天皇は、平安京への遷都と蝦夷との戦争を同時並行で行なっており、民に徴兵や重税で大きな負担を強いていました。

そこで、国司が不正に民を虐げたり、税金を着服するのを防ぐために設置されたのが勘解由使でした。

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蔵人頭

蔵人頭は、天皇の側近秘書的な官職。810年に設置されました。

天皇と朝廷の役人たちの間を行き来して、情報の伝達をするのが仕事でした。

情報伝達の仕事は、蔵人頭が設置されるまでは天皇の生活全般の世話をする女官の仕事でした。

ところが、810年に起きた平城太上天皇の変(薬子の変)によって、事態は一変します。

平城太上天皇の変は、権力をめぐる嵯峨天皇VS平城太上天皇という争いです。

この時大問題になったのが、女官のトップ(尚侍ないしのかみ)だった藤原薬子ふじわらのくすこという女性が、平城太上天皇の愛人だったことです。

嵯峨天皇
嵯峨天皇

敵の愛人が情報伝達の担当だなんて、機密情報がすべて敵に筒抜けになってしまう・・・(絶望)

そこで、情報伝達の仕事を女官から分離させて、独立した部署を立ち上げることにしました。

この部署のことを蔵人所くろうどどころと呼び、蔵人所のトップを蔵人頭と言いました。

蔵人頭は、重要な機密情報を扱うこともあったため、天皇から信頼されている人物が抜擢されました。

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検非違使

検非違使は、平安京の治安を守る官職。816年頃に設置されました。

平安京内の監視や違法者の逮捕といった警察のような仕事から、必要であれば裁判や行政に関することまで幅広い仕事をこなしました。

検非違使が置かれるまで、平安京の治安を守る仕事は、多くの部署が役割分担をして行われていました。

平安京内の監視をするのは弾正台だんじょうだい

違法者を捕まえるのは衛府えふ

裁判を担当するのは刑部省おさかべしょう

といった感じです。

しかし、平安時代に入ると、この治安維持の仕組みが機能しなくなります。

「悪い奴を見つける」→「捕らえる」→「裁判する」という3つの手順を進めるのに、それぞれ別の部署で手続する必要があるので、スムーズに処理を進めることができなくなってきたのです。(いわゆる縦割り行政ってやつです)

こうして治安維持の機能が低下すれば、当然、平安京の治安は悪化します。そこで設置されたのが検非違使です。

検非違使は、縦割り行政になっていた監視・逮捕・裁判を一手に引き受ることで、強大な権限を持ちました。その強権を活かして、実効性のある治安維持活動を行っていたのです。

もぐたろう
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令外官の良いところは、従来の律令制では解決できない問題に対して柔軟な対応ができる点です。

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押領使&追捕使

もぐたろう
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押領使と追捕使は、とても似ている官職だからまとめて紹介するよ

押領使は、地方の国々の治安を守る警察のこと。検非違使の地方版のイメージです。

追捕使は、地方の国々で反乱が起きた時に、これを鎮圧する軍隊の長のこと。

今風にいえば、押領使は地方警察追捕使は自衛隊のイメージです。

どちらも地域密着型の仕事なので、各国の有力者(豪族)で、かつ、武芸に長けた者が抜擢されました。

古代日本の軍隊の歴史

日本は、663年の白村江の戦いとう新羅しらぎ連合軍に敗北してから、報復攻撃に備えて軍事力の強化を進めてきました。(その最たる例が、防人の存在です)

飛鳥時代末期〜奈良時代の間、日本は全国各地に徴兵制度を取り入れて、戦争や反乱が起こればすぐに兵を集めれる仕組みを採用していました。

ところが、700年代後半になると唐・新羅との関係が改善し、戦争に備える必要性が薄れてきます。すると792年、桓武天皇は軍備縮小を決断しました。

嵯峨天皇
嵯峨天皇

徴兵の負担が重すぎて民衆は苦しんでいる。唐・新羅との関係が改善した今、優先すべきは民の負担を軽くすることだ。

よって、これまでの徴兵制度は廃止する。ただ、全廃することはできないから、規模を縮小して少数精鋭だけを残すことにする!(健児の制

しかし、平安時代に入って律令制が崩壊してくると、朝廷は少数精鋭の組織すら維持できなくなってしまいます。

そこで、令外官として新しく設置されたのが、押領使&追捕使でした。

健児の制による軍隊と、押領使&追捕使って何が違うの?

決定的に違ったのは、押領使&追捕使は、朝廷自身が軍事組織を作る必要がなくて、地方の有力者に全てを丸投げできた点です。

つまり、朝廷は軍事組織を維持できなくなったから、軍事を傭兵ようへいにお任せしたわけです。

もともと押領使&追捕使は、有事が起こった時にだけ置かれる臨時的な令外官でした。

ところが、地方の軍事制度が崩壊すると、押領使&追捕使なしでは地方の治安を守りきれなくなり、常に置かれる常設の官職となっていきます。

軍事のスペシャリストだった押領使&追捕使は、後に登場する武士の始まりとなる存在でもありました。

939年に日本では、2つの大反乱が同時に起こりました。平将門の乱藤原純友の乱です。

この大反乱の鎮圧で大活躍したのが、押領使&追捕使でした。

平将門の乱の鎮圧に当たったのは、追捕使の平貞盛たいらのさだもり。そして、平将門の首を直接討ち取ったのは押領使だった藤原秀郷ふじわらのひでさとという人物でした。

一方、藤原純友の乱の鎮圧に当たったのも、追捕使の源経基みなもとのつねもとでした。

平貞盛・藤原秀郷・源経基は、その活躍が評価され大出世を遂げることになります。そしてこの三人は、それぞれ・・・

平貞盛→平清盛のご先祖さま

藤原秀郷→奥州藤原氏のご先祖さま

源基経→源頼朝のご先祖さま

となり、武士の始まりとも言える存在になっていきます。

平将門の乱・藤原純友の乱以後も、反乱が起こるたびに押領使と追捕使の活躍は脚光を浴びるようになり、両者は次第に武士へと成長していきました。

中世の武士の繁栄は、押領使と追捕使から始まった・・・といっても過言ではないわけです。

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そのほかの令外官

教科書に載っている令外官は、他にも次のような官職があります。

  • 征夷大将軍せいいたいしょうぐん
  • 摂政せっしょう
  • 関白かんぱく

この3つの官職は、教科書にも載っている大事な官職です。ただ、「令外官かどうか?」と問われることはほぼないので、令外官であることは参考程度に知っておけばOKです。

もぐたろう
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この3つの官職は、令外官かどうかよりも、征夷大将軍は鎌倉幕府の創設と関連して、摂政関白は摂関政治と関連して覚えておくことが重要です!

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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