三代格式とは?弘仁・貞観・延喜格式の違いと令義解・令集解をわかりやすく解説

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三代格式
もぐたろう
もぐたろう

今回は三代格式・令義解・令集解について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「名前が似ていて覚えにくい…」と思われがちなテーマだけど、コツをつかめば一気に整理できるんだ。試験に出やすいポイントもしっかり押さえていこうね。

📚 この記事のレベル:高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
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この記事を読んでわかること
  • 三代格式とは何か(弘仁・貞観・延喜の3つと各天皇の関係)
  • 格と式の違い(律令を補う「格」と細則「式」の役割の違い)
  • 弘仁格式・貞観格式・延喜格式の制定経緯(誰が・いつ・誰に命じて作ったか)
  • 令義解・令集解とは何か(格式との違い・制定者・使い分け)
  • テストで押さえるべき覚え方(天皇名=年号の由来というシンプルなルール)

「三代格式」と聞くと、漢字がいかめしくて「覚えにくい複雑な法律だな…」と身構えてしまう人が多いと思います。テスト前に弘仁・貞観・延喜の3つをごちゃ混ぜにして、どれがどの天皇だったか分からなくなった経験はないでしょうか。

実は、三代格式は「誰の時代に作られたか=天皇の年号がそのまま名前になっている」というシンプルなルールひとつで、全部まとめて覚えられます。弘仁格式・貞観格式・延喜格式という名前は、それぞれ「弘仁」「貞観」「延喜」という年号からきていて、その年号の天皇とセットにすれば一発です。

さらに、よく一緒に出てくる令義解・令集解との違いも、「格式=律令への追加ルール/令の解説書=律令の答え合わせ」というイメージでとらえれば、混乱せずに整理できます。この記事では、その整理のしかたを順番に解説していきます。

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三代格式とは?律令との関係からわかりやすく解説

3行でわかる三代格式
  • ポイント①:三代格式とは、平安時代に編さんされた弘仁格式・貞観格式・延喜格式という3つの法令集をまとめた呼び名。
  • ポイント②:「格(きゃく)」と「式(しき)」の2種類がセットになっていて、いずれも律令を補うための法令
  • ポイント③:「格」は律令の改正・追加を定めた法令、「式」は律令の施行細則(実施マニュアル)

三代格式さんだいきゃくしきとは、平安時代の前期から中期にかけて編さんされた3つの法令集——弘仁格式貞観格式延喜格式——をまとめて呼ぶときの言い方です。「三つの天皇の時代(三代)に作られた格式」という意味で、こう呼ばれています。

そもそも「格式」とは、奈良時代から続いていた律令という基本法を、時代に合わせて補うために作られた法令のことです。律令りつりょうは国の「憲法+基本法」のようなものでしたが、一度作ってしまうとなかなか書き換えられません。そこで、律令の足りない部分や現実に合わなくなった部分を補うために「格」と「式」が次々と発布され、それを後からまとめたものが三代格式なのです。

もぐたろう
もぐたろう

イメージとしては、律令という「分厚いルールブック本体」に、あとから貼っていく「修正シール」や「補足マニュアル」が格と式なんだ。その修正シールたちを3回分まとめて本にしたのが三代格式、ってわけだね!

■格と式の違い

三代格式を理解するうえで、まず押さえておきたいのが「きゃく」と「しき」の違いです。どちらも律令を補う法令ですが、役割がはっきり分かれています。

「格」は、律令そのものを改正したり、新しい規定を追加したりする法令です。時代の変化で律令の条文が現実に合わなくなったとき、「この部分はこう変える」「こういう場合はこうする」と定めたのが格でした。いわば律令の「改正令」「追加ルール」にあたります。

一方の「式」は、律令や格を実際に運用するための細かな手続き・実施マニュアルを定めた法令です。たとえば「役所での書類の書き方」「儀式の進め方」「税の集め方の手順」など、現場で困らないように具体的な決まりを定めたのが式でした。

あゆみ
あゆみ

格と式って、似ているようで別物なのね。でも、いまいちピンとこないかも…。

もぐたろう
もぐたろう

会社の就業規則で例えると分かりやすいよ。「格」は規則そのものを書き換える改訂版のお知らせ。「式」はその規則を実際にどう運用するかをまとめた業務マニュアル。法律そのものをいじるのが格、現場の手順を決めるのが式、ってイメージだね!

■「三大格式」じゃなくて「三代格式」!

三代格式でとても間違えやすいのが、漢字の表記です。「三格式」と書いてしまう人が非常に多いのですが、正しくは「三代格式」です。

「三大〇〇」というと「3つの代表的なもの」という意味になりますが、三代格式の「三代」はそういう意味ではありません。弘仁・貞観・延喜という3つの天皇の時代(=三代)に作られた格式だから「三代格式」なのです。テストで漢字を書かせる問題が出ることもあるので、「大」ではなく「代」と覚えておきましょう。

もぐたろう
もぐたろう

「三大じゃなくて三代!」——ここ、テストの落とし穴だよ。三つの天皇の時代に作られたから「三代」格式なんだ。この一文を覚えておくだけで、漢字ミスはもう怖くないよ!

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三代格式が作られた背景——律令制の限界と改正の必要性

そもそも、なぜ律令とは別に「格」や「式」をわざわざ作る必要があったのでしょうか。その理由は、律令が時代の変化についていけなくなってきたからです。

律令は、大宝律令(701年)以降、奈良時代の日本の国家運営を支えてきた基本法でした。しかし、律令は中国(唐)の制度を手本に作られたもので、日本の実情と合わない部分が最初から少なくありませんでした。さらに時代が下ると、人口の増減や土地制度の変化、社会のしくみの変化によって、条文どおりに運用できない場面がどんどん増えていきます。

律令制の形骸化:時代とともに、法律が現実に合わなくなってきた

とはいえ、律令そのものを丸ごと作り直すのは大変です。律令は国家の根幹をなす法典で、簡単に書き換えられるものではありませんでした。そこで採られたのが、律令の本体はそのまま残しつつ、必要な修正や手続きを「格」と「式」という別の法令で補っていくという方法でした。

こうして発布された格や式は、年月を重ねるうちにどんどん数が増えていきます。バラバラに出された法令を放置しておくと、「どれが今も有効なのか」「内容が重複していないか」が分からなくなり、現場が混乱してしまいます。そこで、ある時点までに出された格・式を整理して一冊の本にまとめる作業が行われました。これが格式の「編さん」です。

もぐたろう
もぐたろう

パソコンのソフトでいうと、律令が「最初にインストールした本体」、格や式が「アップデートのパッチ」。パッチがどんどん溜まってきたから、何回かに分けてまとめてパッケージ化したのが三代格式なんだよ。だから「三代格式は律令を補うために作られた」って覚えればOK!

この格式の編さんは、平安時代の前期に活発に行われました。最初に手がけられたのが、これから見ていく弘仁格式です。律令を中心とした国家のしくみ——いわゆる律令制——を立て直し、安定して運営していくための取り組みだったといえます。

嵯峨天皇
嵯峨天皇

律令の条文だけでは、もう今の世を治められぬ。これまでに出された格や式を整理し、誰もが参照できる一冊にまとめよ。律令の国を、しっかり立て直すのだ。

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弘仁格式とは?嵯峨天皇が命じた最初の格式

弘仁格式とは?

弘仁格式こうにんきゃくしきとは、三代格式のうち最初に編さんされた格式です。嵯峨天皇が命じて制定され、弘仁年間(810〜824年)までに出された格・式を整理してまとめたものです。年号「弘仁」は嵯峨天皇の治世の年号で、これが名前の由来になっています。

弘仁格式こうにんきゃくしきは、三代格式のなかで一番最初に作られた格式です。嵯峨天皇が命じて制定され、藤原冬嗣らが中心となって編さんを進めました。弘仁年間までに発布された格と式を整理し、「弘仁格」と「弘仁式」という2つのまとまりとして完成させたものです。

編さんを担当した藤原冬嗣は、嵯峨天皇の信任が厚かった人物で、蔵人頭を最初につとめたことでも知られます。嵯峨天皇のもとで政治の実務を支え、その一環として弘仁格式の編さんにも携わったのです。

弘仁格式は、それまでバラバラだった格・式を初めて体系的に一冊にまとめた、いわば「格式の出発点」となる存在でした。後に作られる貞観格式・延喜格式も、この弘仁格式を基準とし、その後に追加された格・式を補っていく形で編さんされていきます。

📌 弘仁格式そのものは現在ほとんど伝わっていないが、その内容の一部は 類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)などの後世の書物に収録されて伝わっている。

ゆうき
ゆうき

弘仁格式って、今でも本として残ってるの?テストで「現存しているか」を聞かれることってある?

もぐたろう
もぐたろう

弘仁格式そのものは、完全な形では残っていないんだ。でも内容の一部は「類聚三代格」っていう後の時代の本に拾われて伝わっているよ。「三代格式の格はほぼ現存しない」「現存部分は類聚三代格に拠る」——この2点は共通テストでも問われやすいから押さえておこう!

貞観格式とは?清和天皇の時代に編纂された第二の格式

貞観格式じょうがんきゃくしきは、三代格式のなかで2番目に作られた格式です。清和天皇が命じて制定され、弘仁格式が完成したあとに発布された格・式を整理してまとめたものです。年号「貞観」が清和天皇の治世の年号であることから、この名前がつけられました。

貞観格式:年号「貞観」は清和天皇の治世の年号に由来

貞観格式は、弘仁格式のあとを補う「2冊目」という位置づけです。弘仁格式が完成してからも、当然ながら新しい格や式は次々と発布され続けました。そのままにしておくと、再びどの法令が有効なのか分からなくなってしまいます。そこで、弘仁格式以降に出された分を改めて整理し、「貞観格」と「貞観式」としてまとめたのが貞観格式でした。

清和天皇は、藤原氏が政治の実権を握っていく時代——のちの摂関政治へとつながる時期——の天皇です。律令制を補強する格式の編さんは、こうした時代のなかで国家のしくみを安定させるための、地道で重要な作業として続けられていきました。

なお、貞観格式も弘仁格式と同じく、現在では完全な形で伝わっていません。その内容は、後にまとめられた類聚三代格などをとおして一部が知られているにすぎません。弘仁・貞観の格式は「散逸して現存しない」という点が共通している、と覚えておきましょう。

もぐたろう
もぐたろう

貞観格式は、ちょうど「アップデートの2回目のまとめ」みたいなもの。弘仁格式以降に溜まった新しいパッチを、もう一度まとめ直したんだ。「貞観=清和天皇」のセットだけ忘れずにね!

延喜格式とは?醍醐天皇が命じた三代格式の集大成

延喜格式えんぎきゃくしきは、三代格式のなかで最後(3番目)に作られた格式で、三代格式の「集大成」といえる存在です。醍醐天皇が命じて制定され、貞観格式が完成したあとに発布された格・式を整理してまとめたものです。年号「延喜」は醍醐天皇の治世の年号で、これが名前の由来になっています。

延喜格式は、「延喜格」と「延喜式」の2つから成ります。弘仁・貞観の2つの格式に続く3冊目として編さんされ、これによって平安時代の格式の整備はひとつの到達点を迎えました。醍醐天皇の治世は、政治が比較的安定した時代として「延喜の治」と呼ばれることもあり、その時代を象徴する事業のひとつが延喜格式の編さんだったのです。

■延喜式と延喜格式の違い

ここで混乱しやすいのが、「延喜式」と「延喜格式」という言葉の関係です。名前が似ているので同じものだと思われがちですが、整理すると次のようになります。

「延喜格式」は、「延喜格」と「延喜式」をあわせた呼び名です。つまり「延喜式」は、延喜格式という大きなくくりの一部分にあたります。延喜格が律令の改正・追加を定めた法令であるのに対し、延喜式は律令の施行細則をまとめた法令です。

そして重要なのが、延喜式は三代格式のなかで唯一、ほぼ完全な形で現代まで伝わっているという点です。弘仁・貞観・延喜の「格」の部分や、弘仁式・貞観式はほとんど散逸してしまいましたが、延喜式だけは全50巻がそろって残り、平安時代の制度や行事を知るための第一級の史料となっています。

あゆみ
あゆみ

延喜式と延喜格式って、結局どう違うの?同じものを別の名前で呼んでいるだけなのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

「延喜格式」は大きな箱の名前で、その中に「延喜格(改正令)」と「延喜式(実施マニュアル)」の2つが入っているイメージだよ。そして延喜式だけは、奇跡的に全巻そろって残った——だから史料としてものすごく価値が高いんだ。

📌 延喜格式の「延喜」は、醍醐天皇の治世の年号。醍醐天皇の時代は政治が安定した時期とされ、「延喜の治」と呼ばれることがある。

醍醐天皇
醍醐天皇

弘仁・貞観に続く3冊目の格式を編め。これをもって、律令の世を支える法の整えはひとまずの完成とする。後の世まで使えるよう、しっかりとまとめるのだ。

三代格式の比較一覧——弘仁・貞観・延喜を表でまとめる

ここまで弘仁・貞観・延喜の3つの格式を順番に見てきました。それぞれの「制定を命じた天皇」「現存しているかどうか」を一気に整理しておきましょう。下の3つを並べて見比べると、ポイントがはっきりつかめます。

弘仁格式:嵯峨天皇 / 弘仁年間(〜824年)までの格・式を整理 / 現存せず(内容の一部は類聚三代格に収録)

貞観格式:清和天皇 / 弘仁格式以降の格・式を整理 / 現存せず(内容の一部は類聚三代格に収録)

延喜格式:醍醐天皇 / 貞観格式以降の格・式を整理 / 延喜「格」は現存せず・延喜「式」は全50巻が現存

こうして並べると、三代格式の覚え方が一目で見えてきます。3つの格式の名前は、すべてその時代の天皇の年号からきています。「弘仁=嵯峨天皇」「貞観=清和天皇」「延喜=醍醐天皇」——この3組のセットさえ覚えてしまえば、「どの格式を誰が命じたか」という頻出問題は確実に答えられます。

そして現存状況については、「三代格式の格はほぼ現存せず、延喜式だけが完全に残っている」と覚えておきましょう。散逸した格・式の内容は、後にまとめられた類聚三代格などをとおして一部が知られています。

もぐたろう
もぐたろう

3つとも、年号がそのまま天皇とつながっているのがポイント!「弘仁=嵯峨」「貞観=清和」「延喜=醍醐」——この3セットを丸ごと覚えれば、三代格式はもう怖くないよ。次の章では、よく一緒に出てくる令義解・令集解との違いを整理していくよ!

📌 類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく):弘仁・貞観・延喜の三代格式から、関連する格を内容ごとに分類して抜き出してまとめた書物。散逸した三代格式の格の内容は、おもにこの類聚三代格をとおして現代に伝わっている。


令義解・令集解とは?格式との違いをわかりやすく解説

三代格式とセットでよく登場するのが、令義解りょうのぎげ令集解りょうのしゅうげです。名前が似ているうえに「格式」とも混ざりやすく、テスト前に混乱しやすい代表格といえます。

ただ、ここまで読んできた人なら、整理のしかたはもう見えています。格式は「律令を補う追加ルール」だったのに対し、令義解・令集解は「律令の本文を読み解くための解説書」です。律令そのものを変えたり手続きを足したりするのが格式、律令の条文の意味を説明するのが令義解・令集解——この役割の違いを最初につかんでおきましょう。

もぐたろう
もぐたろう

教科書でいうと、律令が「本文」、格式が「あとから貼る修正シール」、令義解・令集解が「本文の意味を説明する参考書・注釈書」ってイメージだよ。律令をいじるのが格式、律令を解説するのが令義解・令集解——ここを分けて考えれば、もう混ざらないよ!

■令義解とは

令義解とは?

令義解りょうのぎげとは、律令のうち「令」の条文について、朝廷が公式に認めた解釈をまとめた解説書です。清原夏野(きよはらのなつの)らが中心となって編さんし、嵯峨天皇の弟である淳和天皇の命で天長10年(833年)に完成、翌年から施行されました。

令義解りょうのぎげは、律令の「令」——行政や民事のしくみを定めた部分——の条文を、ひとつひとつ読み解いて意味を説明した解説書です。清原夏野きよはらのなつのらが中心となって編さんし、淳和天皇の命によって天長10年(833年)に完成しました。

令義解の最大の特徴は、これが国家による公式の解釈書だったという点です。律令の条文は古い漢文で書かれており、時代が下ると「この条文はどういう意味なのか」をめぐって役人や学者のあいだで解釈が分かれてしまいます。解釈がバラバラだと、同じ法律でも役所ごとに運用が違ってしまい、混乱のもとになります。

そこで朝廷は、令の正しい読み方を国として定め、それを公式の解説書としてまとめました。これが令義解です。令義解に書かれた解釈は、いわば「朝廷お墨つきの正解」として、法律と同じような効力を持って扱われました。

■令集解とは

令集解とは?

令集解りょうのしゅうげとは、律令の「令」について、さまざまな学者の解釈を集めて編さんした注釈書です。惟宗直本(これむねのなおもと)が9世紀後半ごろに編さんしたもので、国の公式解釈である令義解とは異なり、私的にまとめられた研究の集大成でした。

令集解りょうのしゅうげは、律令の「令」について、これまでに出されたさまざまな注釈や学説を幅広く集めてまとめた書物です。惟宗直本これむねのなおもとが編さんしたもので、9世紀後半ごろに成立したと考えられています。

令集解が令義解と決定的に違うのは、その性格です。令義解が「国が定めた公式の解釈書」だったのに対し、令集解は惟宗直本という一人の学者が、私的にまとめた研究書でした。直本は、令義解はもちろん、それ以前・以後の学者たちが書き残した多くの注釈をかき集め、ひとつの本に整理したのです。

そのため令集解には、令義解とは違う立場の解釈や、いまでは失われてしまった古い注釈が数多く引用されています。令集解そのものは私的な書物ですが、結果的に「失われた注釈をまとめて伝えてくれた貴重な史料」として、現在でも高く評価されています。

ゆうき
ゆうき

令義解と令集解、どっちが先に作られたの?テストでごちゃごちゃになりそうなんだけど、何が違うのか一言で言うとどうなる?

もぐたろう
もぐたろう

順番は「令義解が先、令集解があと」。一言でいうと、令義解=国の公式マニュアル、令集解=学者がいろんな解説をかき集めた研究書だよ。「義解=公式」「集解=集めた」って、漢字の意味とセットで覚えると忘れないよ!ちなみに令義解の編さん責任者が清原夏野、令集解の編さん者が惟宗直本——この2人の名前もよく問われるから要チェック!

📌 役割で整理すると——格式(きゃくしき)=律令の追加・改正と施行細則 / 令義解(りょうのぎげ)=令の公式解釈書(清原夏野ら・833年完成) / 令集解(りょうのしゅうげ)=令の私的注釈書(惟宗直本・9世紀後半)。「律令を補う」のが格式、「律令を解説する」のが令義解・令集解。

三代格式・令義解・令集解の覚え方

ここまで、三代格式と令義解・令集解をひととおり見てきました。最後に、試験本番で迷わないためのシンプルな覚え方を整理しておきましょう。コツは「丸暗記しようとしない」ことです。名前のしくみを理解してしまえば、自然と思い出せるようになります。

まず一番のポイントは、三代格式の名前は、すべて「その時代の天皇の年号」からきているということです。年号さえ天皇とつなげて覚えてしまえば、「どの格式を誰が命じたか」という頻出問題は確実に答えられます。

覚え方のコツ①:年号「弘仁」「貞観」「延喜」は、それぞれ嵯峨・清和・醍醐天皇の治世の年号

「弘仁=嵯峨天皇」「貞観=清和天皇」「延喜=醍醐天皇」——この3つのセットを丸ごと覚えてしまいましょう。さらに、3つの格式が作られた順番は「弘仁→貞観→延喜」の時代順です。年号の順番=編さんの順番なので、ここも合わせて押さえておくと安心です。

覚え方のコツ②:「格式=律令を補う」「令義解・令集解=律令を解説する」と役割で区別する

次に、格式と令義解・令集解の区別です。これは「役割」で覚えるのがおすすめです。格式は律令を補うための法令、令義解・令集解は律令の条文を読み解くための解説書。「補う」のか「解説する」のか——この一点で、まったく性格の違うものだと整理できます。

そして令義解と令集解の区別は、漢字の意味とセットで覚えるのが効果的です。「義」は朝廷が定めた“正しい解釈”で公式、「解」はいろいろな学者の解釈を“集めた”もので私的。「集解=集める=民間の研究をかき集めた本」とイメージすれば、もう取り違えません。

あゆみ
あゆみ

名前のしくみが分かると、急にすっきり整理できるのね。年号と天皇をセットにする、というのが大事なポイントなのね。

もぐたろう
もぐたろう

そのとおり!整理すると——①「弘仁=嵯峨」「貞観=清和」「延喜=醍醐」の3セット、②格式は「補う」・令義解/令集解は「解説する」、③「義解=公式」「集解=集めた=私的」。この3つを唱えられれば、三代格式まわりはもう完璧だよ!

三代格式の理解を深めるおすすめ本

もぐたろう
もぐたろう

三代格式や律令制をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!教科書レベルで読めてわかりやすいから、ぜひチェックしてみてね。

律令制の仕組みと格式の関係を体系的に学びたいなら|山川出版社の入門シリーズ

テストに出るポイント

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 三代格式(弘仁・貞観・延喜):律令を補うために編さんされた3つの格式の総称。「三大」ではなく「三代」と書く。
  • 格と式の違い:「格」は律令の改正・追加を定めた法令、「式」は律令の施行細則(実施マニュアル)。
  • 各格式を命じた天皇:弘仁格式=嵯峨天皇、貞観格式=清和天皇、延喜格式=醍醐天皇。年号=天皇の治世の年号。
  • 現存状況:三代格式の「格」はほぼ現存しない(内容は類聚三代格に収録)。延喜式だけが全50巻そろって現存。
  • 令義解・令集解:令義解=令の公式解釈書(清原夏野ら・淳和天皇の命で833年完成)、令集解=令の私的注釈書(惟宗直本・9世紀後半)。

📌 比較問題でよく出るポイント:①「格」と「式」の役割の違い(改正令か/施行細則か)を入れ替えて誤答にする問題が頻出。②令義解(公式)と令集解(私的)の性格の取り違えに注意。③「延喜式は現存/弘仁格式・貞観格式は散逸」という現存状況の対比。④編さんした人物——弘仁格式は藤原冬嗣、令義解は清原夏野、令集解は惟宗直本——の組み合わせ問題。

ゆうき
ゆうき

覚えることが多くて不安なんだけど…結局、ここだけは絶対外せない!っていう一番大事なポイントはどこ?

もぐたろう
もぐたろう

一番出るのは「弘仁=嵯峨」「貞観=清和」「延喜=醍醐」の3セット!ここを落とすと一気に失点しちゃうから最優先で覚えよう。次に大事なのが「格と式の違い」。これらを押さえておけば、三代格式の問題で大コケすることはまずないよ!

よくある質問(FAQ)

三代格式とは、平安時代に編さんされた弘仁格式・貞観格式・延喜格式という3つの法令集をまとめて呼ぶ言い方です。いずれも、基本法である律令を時代に合わせて補うために作られた「格(改正・追加規定)」と「式(施行細則)」をまとめたものです。3つの天皇の時代(三代)に編さんされたことから「三代格式」と呼ばれます。

「延喜式」は三代格式の一部です。三代格式は弘仁・貞観・延喜の3つの格式の総称で、それぞれが「格」と「式」から成ります。そのうち延喜格式に含まれる「式」が延喜式です。三代格式の格はほとんど散逸しましたが、延喜式だけは全50巻がそろって現存し、平安時代の制度を知る第一級の史料となっています。

令義解は、律令の「令」について朝廷が定めた公式の解釈書で、清原夏野らが編さんし淳和天皇の命によって833年に完成しました。一方の令集解は、惟宗直本が9世紀後半ごろに編さんした私的な注釈書で、さまざまな学者の解釈を幅広く集めたものです。「令義解=公式」「令集解=私的に集めたもの」と整理すると区別しやすくなります。

律令は中国(唐)の制度を手本に作られた基本法で、日本の実情と最初から合わない部分がありました。さらに時代が下ると、社会のしくみや土地制度の変化によって、条文どおりに運用できない場面が増えていきます。律令そのものを作り直すのは難しかったため、律令の本体は残しつつ、必要な修正や手続きを「格」と「式」で補う方法が採られました。これらを整理したものが三代格式です。

いずれも、その格式が編さんされた時代の天皇の治世の年号からきています。「弘仁」は嵯峨天皇、「貞観」は清和天皇、「延喜」は醍醐天皇の治世の年号です。そのため、年号と天皇をセットで覚えれば「どの格式を誰が命じたか」という問題に答えられます。

「弘仁=嵯峨天皇」「貞観=清和天皇」「延喜=醍醐天皇」の3セットを丸ごと覚えるのが基本です。3つの格式は時代順(弘仁→貞観→延喜)に作られたので、年号の順番=編さんの順番として覚えられます。また、格式は「律令を補う」・令義解/令集解は「律令を解説する」と役割で区別し、表記は「三大」ではなく「三代」と書く点も合わせて押さえておきましょう。

まとめ

三代格式・令義解・令集解について、ここまでの内容を年表で振り返っておきましょう。編さん年は史料により諸説あるものもあるため、Phase4のファクトチェックで最終確認します。

三代格式・令義解・令集解 年表
  • 820年ごろ
    弘仁格式 完成(嵯峨天皇の命・藤原冬嗣ら編さん)
  • 833年
    令義解 完成(清原夏野ら編さん・淳和天皇の命)
  • 834年
    令義解 施行
  • 869年ごろ
    貞観格式 完成(清和天皇の命)
  • 9世紀後半
    令集解 成立(惟宗直本が編さんした私的注釈書)
  • 927年
    延喜式 完成(醍醐天皇の命・三代格式の集大成)
  • 967年
    延喜式 施行(全50巻が現代まで現存)
もぐたろう
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以上、三代格式・令義解・令集解のまとめでした!「弘仁=嵯峨」「貞観=清和」「延喜=醍醐」の3セットと、「格式=律令を補う/令義解・令集解=律令を解説する」という役割の違い——この2つさえ押さえれば大丈夫だよ。下の記事で、平安時代の政治や律令制についてもあわせて読んでみてください!

📅 最終確認:2026年5月
📖 本記事は山川出版『詳説日本史』(2022年版)に基づいています。中学歴史・高校日本史どちらにも対応しています。

参考文献

Wikipedia日本語版「三代格式」((2026年5月確認))
Wikipedia日本語版「令義解」((2026年5月確認))
Wikipedia日本語版「令集解」((2026年5月確認))
コトバンク「三代格式」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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