三代格式・令義解・令集解を簡単にわかりやすく解説するよ【弘仁・貞観・延喜格式をまとめてバッチリ覚えよう】

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もぐたろう
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今回は、平安時代初期にでてくる三代格式さんだいきゃくしき令義解りょうのぎげ令集解りょうのしゅうげについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ。

この記事を読んでわかること
  • 三代格式・令義解・令集解、それぞれどんなもの?
  • 三代格式・令義解・令集解は何のために作られたの?
  • 三代格式・令義解・令集解にはどんなことが書かれているの?
  • 三代格式・令義解・令集解の歴史的な意義は何?
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三代格式・令義解・令集解とは?

三代格式

格式というのは、律令の内容を補足したり、律令に書ききれない細かいルールを設けるために造られた法令のこと。

法令には、きゃくしきの2種類があって、これをまとめて格式と呼んでいます。

格とは?

格は、律令を修正したり、足りない決まりを補足する法令のこと。

式とは?

式は、律令には書ききれない実務上の細かな決まり事を定めた法令のこと。

もぐたろう
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格は、律令を手直しするための法令。

式は、律令には書ききれない細かな取り決めを書いた法令ってことだね!

そして、平安時代に作られた弘仁こうにん格式貞観じょうがん格式延喜えんぎ格式の3つのことを合わせて三代格式と言います。

※「三大」じゃなくて「三代」なので注意!

もぐたろう
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格式の弘仁・貞観・延喜っていうネーミングは、格式が作られた時代の年号に由来しているよ。

弘仁格式

嵯峨天皇

弘仁格式は、嵯峨天皇さがてんのうの治世だった820年(弘仁11年)に完成して、その後に修正が加えられ、840年(承和7年)から運用がスタートしました。

貞観格式

清和天皇

貞観格式は、格は869年(貞観11年)、式は871年(貞観13年)に完成して、それぞれ同年に運用がスタートしました。

天皇の治世で言うと清和天皇せいわてんのうの時代です。

延喜格式

醍醐天皇

延喜格は、907年(延喜7年)に完成して908年(延喜8年)に運用がスタート。

一方の延喜式は905年(延喜5年)に完成した後、紆余曲折を経て967年に運用がスタートしました。

作業が始まったのは、醍醐天皇だいごてんのうの治世です。

もぐたろう
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延喜格式は、延喜・天暦の治とセットで覚えておくと忘れにくいからオススメだよ!

ちなみに、三代格式の中で現存しているのは延喜式だけです。

令義解

令に書かれている曖昧な内容を、誰が呼んでも同じ解釈ができるよう公式に統一した解説書。

律令の「律」と「令」

ここまで、律令という言葉を当たり前のように使ってきましたが、律令という言葉の意味を改めて確認しておきます。

律令とは、古代日本の法律のこと。

「律」は刑法。

「令」は、行政法とか民法とか律以外の法律全般のことを言います。

令義解は律と令のうち、令の解釈について書かれたものです。

833年に清原夏野きよはらのなつのたちによって作られました。

令集解

令の内容についてまとめた参考書。

9世紀後半(だいたい870年頃)に、惟宗直本これむねのなおもとと言う学者が個人的に作り上げました。

令義解と令集解の違い

令義解と令集解は、名前も内容も似ていて非常にわかりにくいです。

この2つの大きな違いは、「法的な効力があるかどうか?」と言う点です。

令義解は、政府の公式見解を示した解説書なので、書かれた内容には従わなければなりません。つまり、法的な効力があります。

一方の令集解は、個人的に作られた参考書。あくまで令の内容を理解する補助ツールです。

もぐたろう
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学校の勉強は教科書がメインで、参考書はあくまで教科書の理解を助ける補助ツールなのと一緒だね!

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三代格式・令義解・令集解が作られた時代背景

三代格式・令義解・令集解がなぜ作られたのか、まずはその時代背景から見ていくことにします。

日本の律令が完成したのは、701年までさかのぼります。

701年に制定された数々の律令は全部まとめて大宝律令と呼ばれ、国家の根幹を成す重要な法律が整備されました。

ただし、整備したと言っても法律を0から作り上げたわけではありません。なぜなら、大宝律令に含まれる律令の数は膨大な量があり、何もない状態から制定できるような代物ではないからです。

・・・では、どうやって制定したのか?

簡単に言うと、お隣の大国「とう」の律令をパクることにしました。

大国である唐を支える律令なら、日本に導入してもしっかりと機能するだろう・・・と、朝廷の偉い人たちが考えたからです。

朝廷の目論見どおり、唐をパクった大宝律令は日本でもある程度は機能しました・・・が、完璧には機能しませんでした。

もぐたろう
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 日本と唐では、価値観や文化も違うし、政治の仕組みだって全く同じわけではありません。

そのため、他国の制度を真似るだけでは、日本の政治にマッチしなかったのです。

そこで、大宝律令は制定後少しずつ修正が加えられ、日本オリジナルの律令へと洗練されていきました。

※その修正の一環として757年には大宝律令の改良版「養老律令ようろうりつりょう」が制定されています。

そして、大宝律令が制定されて100年が経過した800年代に入ると、日本と唐の違いだけではなく、時代の変化にも対応する必要に迫られてきました。

そこで、時代の変化にも対応するために律令を改正したり、補足したりしようとしたのが、今回紹介する三代格式令義解令集解の3つなのです。

もぐたろう
もぐたろう

養老律令のように律令そのものを改正するのは、一大プロジェクトで大変な労力が必要なんだ。

だから朝廷は、律令を変えるのではなく、律令をサポートする法令(格式)を作ることで、律令を時代に合わせていこうとしたんだよ。

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三代格式・令義解・令集解の歴史的な意義

ここまで読んで、こんな疑問を思った人もいるのではないでしょうか。

三代格式とか令義解・令集解のことはわかったけど、こんなマニアックなことを覚えて何か意味あるの?

なぜこんなマニアックなことが教科書に載っているのかというと、三代格式などの制定経過を追うことで、律令に沿った日本の政治(律令制)が崩壊していく様子がわかるからです。

法律っていうのは、時代に合わせてメンテナンスをしないと機能しなくなります。これは今も昔も変わりません。(今の日本の国会でも、実は毎年大量の法律が制定されたり修正されたりしていますよ。)

このメンテナンスの役割を果たしたのが、三代格式・令義解・令集解です。

逆に言えば、メンテナンスがされなくなった時こそが、律令が機能しなくなった時だということ。だから、三代格式・令義解・令集解の制定経過を追っていくと、律令制崩壊の動きがわかるのです。

この3つの中で、特に重要な役割を果たしたのが格式です。

格式は、律令を時代に合わせてスムーズに運用するため、800年代〜900年代初期まで弘仁→貞観→延喜と常にメンテナンスされてきました。

・・・しかし、延喜格式の後、格式が本格的に整備されることはありませんでした。

これが何を意味しているかというと、少しずつ崩壊していった律令が、900年代に入ると一気に機能しなくなっていったということです。

実際に、900年代に入ると、朝廷は律令制の崩壊を認めた上で、別な道を模索し始めることになります。

当時の偉い人
当時の偉い人

なんかもう、律令制にこだわる必要なくね?

律令制が崩壊してもなんとか朝廷は存続できてるし、みんな税収さえ納めてくれれば律令に従う必要もないし、好きにしたらいいんじゃないの?

もぐたろう
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この方針転換の後、崩壊した律令に代わって日本の政治を支配したのが摂関政治院政です。

そして、律令という秩序が失われた結果、地方の治安は大いに乱れ、人々は自分を守るため武装化し、武士が登場することになります。

905年に制定作業が始まった延喜式が、運用スタートまでに約60年の歳月を経ていることからも、900年代に入ると律令制を維持しようとする朝廷の意欲・能力が衰えていることがうかがえます。

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三代格式・令義解・令集解まとめ

もぐたろう
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三代格式の制定時期を正確に覚えておく必要はありませんが、先ほど話した時代の流れを理解する意味でも、制定された順番は重要です。

弘仁格式→令義解→貞観格式・令集解→延喜格式の順番はしっかり覚えましょう!

三代格式・令義解・令集解まとめ
  • 820年
    (弘仁11年)
    弘仁格式が完成!

    嵯峨天皇の時代

  • 833年
    令義解が完成!

    制定の中心人物は清原夏野

  • 869年
    (貞観11年)
    貞観格が完成

    清和天皇の時代

  • 870年頃
    令集解が完成!

    制定の中心人物は惟宗直本

  • 871年
    (貞観13年)
    貞観式が完成!

    清和天皇の時代

  • 905年
    (延喜5年)
    延喜式が完成!

    醍醐天皇の時代

  • 907年
    (延喜7年)
    延喜格が完成!

    醍醐天皇の時代

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もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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