源平合戦|壇ノ浦・義経・頼朝まとめ【治承・寿永の乱】

平清盛
平 清盛
源頼朝
源 頼朝
源平合戦 / 治承・寿永の乱

源平合戦
完全ガイド

1180〜1185年 — 以仁王令旨から壇ノ浦まで、武家の時代を切り開いた5年間

平氏
VS
源氏
5年間
1180〜1185
10+
主要合戦
20+
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もぐたろう
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このページは源平合戦(治承・寿永の乱)の総合まとめだよ!平清盛が築いた平氏政権が、なぜ源頼朝・源義経兄弟に滅ぼされたのか——「時系列」と「人物」2つの切り口から整理できるよ。中学テスト対策にも、大人の歴史学び直しにもバッチリ対応してるから、気になるところから読み始めてね!
TAIRA vs MINAMOTO — 2大勢力を比較する
平氏(へいし)
平清盛が築いた日本初の武家政権。西国・瀬戸内海を支配基盤とし、日宋貿易で巨富を得た。娘・徳子を天皇に嫁がせ、外戚として朝廷を掌握したが、1181年に清盛が没すると急速に衰える。
平清盛 平宗盛 平知盛 建礼門院 安徳天皇
VS
源氏(げんじ)
平治の乱で滅ぼされた源義朝の子・頼朝が伊豆から挙兵。弟・義経の天才的な用兵で平氏を撃破し、最終的に鎌倉幕府を開いて武家社会の基盤を作った。
源頼朝 源義経 木曽義仲 弁慶 北条政子
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合戦まとめ
富士川・倶利伽羅峠・一ノ谷・屋島・壇ノ浦など主要合戦を網羅
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平氏人物まとめ
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源氏人物まとめ
頼朝・義経・義仲・弁慶など源氏陣営の人物記事をまとめて読む
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1180
富士川
1181
清盛の死
1183
倶利伽羅峠
1184
一ノ谷
1185
屋島
1185
壇ノ浦
PHASE Ⅰ 1180年
乱の幕開け — 以仁王令旨から富士川まで
1180
4月 ・ 政治
以仁王の令旨 — 平氏追討の火ぶたが切られる

後白河法皇の皇子・以仁王が源頼政の勧めで令旨を発布。全国の源氏に平氏討伐を呼びかけ、治承・寿永の乱の引き金となった。

以仁王源頼政
1180
5月 ・ 合戦
宇治川の戦い — 以仁王・頼政が敗死するも令旨は届く

平氏軍に追い詰められた以仁王と頼政が宇治で交戦し惨敗。頼政は自刃、以仁王も落命。しかし令旨はすでに各地の源氏に届いていた。

以仁王源頼政勝者:平氏
1180
8月 ・ 源氏
源頼朝、伊豆で挙兵 — 鎌倉幕府への第一歩

伊豆に配流されていた頼朝が北条時政らと挙兵。最初は小勢力だったが関東武士が次々と合流し急速に勢力を拡大した。

1180
9月 ・ 合戦
石橋山の戦い — 頼朝、初戦で大敗するも再起

大庭景親率いる平氏軍に完敗し、頼朝は山中に逃げ込む。しかし海路で安房へ脱出し、関東で再起を図った。

源頼朝記事準備中
1180
10月 ・ 源氏
木曽義仲、信濃で挙兵 — 北陸を制圧し京を目指す

信濃に育った源義仲(木曽義仲)が頼朝に呼応して挙兵。北陸道を制圧しながら着実に京へ向かう。

1180
12月 ・ 平氏
平重衡の南都焼討 — 東大寺・興福寺が炎上

奈良の寺院勢力が反平氏の動きを見せたため、平重衡が焼き討ちを断行。東大寺大仏殿も炎上し、平氏への世論が決定的に悪化した。

平重衡東大寺
PHASE Ⅱ 1181〜1183年
清盛の死・平氏の西走
1181
〜1182年 ・ 社会
養和の大飢饉 — 全国で数十万人が死亡

2年続きの大飢饉と疫病が畿内を中心に猛威を振るい、数十万人が死亡したとされる。平氏の兵糧補給にも深刻な打撃を与えた。

記事準備中
1183
7月 ・ 転換点
平氏、安徳天皇を奉じて西国へ逃走 — 三種の神器とともに

義仲の進軍を前に平氏は京を放棄。幼い安徳天皇と三種の神器(剣・鏡・勾玉)を携えて西国へ落ち延びた。三種の神器が平氏の手にある限り、朝廷は平氏を完全には見捨てられなかった。

安徳天皇平宗盛
1183
7月 ・ 源氏
木曽義仲、入京後に乱暴狼藉で失墜

義仲軍が京に入城するが、飢饉中の京で乱暴狼藉を働き朝廷・貴族の信頼を急速に失った。やがて頼朝の命で義経に討伐される。

PHASE Ⅲ 1184〜1185年
義経の快進撃・平氏滅亡
1184
1月 ・ 合戦
粟津の戦い — 木曽義仲、義経に討たれる(享年31歳)

頼朝の命を受けた義経・範頼が義仲を討伐。近江・粟津で孤立した義仲は討ち死にした。「木曽の最期」として平家物語に名高い。

1185
11月 ・ 政治
守護・地頭の設置 — 鎌倉幕府の礎が固まる

義経追討を名目に朝廷から全国への守護・地頭設置権を認めさせた。これが鎌倉幕府の実質的な始まりとされる。

1185
秋〜冬 ・ 源氏
頼朝 vs 義経 — 兄弟対立、義経が奥州へ逃亡

義経が朝廷から官位を受けたことを頼朝が激怒。義経は京を追われ、奥州の藤原秀衡を頼って逃亡した。この対立が義経の悲劇的な最期へとつながる。

PHASE Ⅳ 1189年
英雄の最期
1189
4月 ・ 源氏
衣川の戦い — 義経、弁慶とともに最期を遂げる(享年31歳)

頼朝の圧力に屈した奥州藤原氏(泰衡)が義経を攻撃。弁慶が仁王立ちで矢を受け続ける中、義経は自刃した。英雄の悲劇的な最期。

源義経弁慶
源平合戦(治承・寿永の乱)はこうして幕を閉じた。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり——」
平家物語 冒頭

源平合戦 入門記事を読む →

源平合戦を動かした主要人物を、平氏陣営源氏陣営に分けて紹介するよ。

平氏陣営 TAIRA CLAN
平清盛 記事準備中
1118〜1181 / 太政大臣・平氏政権の創始者
日本初の武家政権を築いた人物。日宋貿易を推進し、娘・徳子を天皇に嫁がせ外戚として朝廷を支配した。1181年の没後、平氏は急速に衰退する。
平宗盛 記事準備中
1147〜1185 / 平氏総帥
清盛の三男。父の死後、平氏を率いるが優柔不断と批判された。壇ノ浦で捕らえられ、鎌倉へ護送ののち処刑された。
平知盛 記事準備中
1152〜1185 / 平氏随一の猛将
「見るべき程のことは見つ」の言葉を残し、壇ノ浦で錨を担いで入水した。平家物語で最も劇的に描かれる人物のひとり。
建礼門院(徳子) 記事準備中
1155〜1213 / 高倉天皇中宮・安徳天皇の母
平清盛の娘。壇ノ浦で入水するも引き上げられ、出家して大原寂光院で余生を過ごした。平家滅亡の悲劇を体現する女性。
源氏陣営 MINAMOTO CLAN
1147〜1199 / 鎌倉幕府初代将軍
平治の乱後に伊豆へ配流。北条政子と結婚し1180年に挙兵。冷静な政治力で関東を固め、鎌倉幕府を開いて武家社会の礎を築いた。
1159〜1189 / 天才的武将
一ノ谷・屋島・壇ノ浦で平氏を次々と撃破した天才武将。しかし兄・頼朝に疎まれ、奥州平泉で非業の死を遂げた。
木曽義仲 記事準備中
1154〜1184 / 倶利伽羅峠の英雄
信濃から挙兵し最初に京へ入った源氏の武将。しかし乱暴狼藉で民心を失い、最終的に頼朝の命を受けた義経に討たれた。
弁慶 記事準備中
? 〜1189 / 義経の忠臣
五条大橋で義経に敗れ家臣となった伝説の人物。衣川の戦いで多数の矢を受けながら立ったまま絶命したとされる。

「記事準備中」は制作中です。公開次第リンクを追加します。

もぐたろう
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以上、源平合戦のまとめでした!平氏の栄光と滅亡、源義経の天才と悲劇、そして鎌倉幕府誕生まで、日本史屈指のドラマが詰まった5年間だよ。「合戦まとめ」「平氏人物まとめ」「源氏人物まとめ」も順次公開予定なので、お楽しみに!
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