源平合戦 完全ガイド|合戦・人物・年表の記事まとめ

GENPEI KASSEN  ·  1180 – 1185

源平合戦

源平合戦 / 治承・寿永の乱

平氏
平 清盛
VS
源氏
源 頼朝
1180
1185
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TAIRA vs MINAMOTO — 2大勢力を比較する
平氏(へいし)
平清盛が築いた日本初の武家政権。西国・瀬戸内海を支配基盤とし、日宋貿易で巨富を得た。外戚として朝廷を掌握したが、1181年の清盛没後に急速に衰退する。
平清盛 平重盛 平宗盛 安徳天皇
VS
源氏(げんじ)
伊豆に配流されていた源頼朝が1180年に挙兵。弟・義経の天才的用兵で平氏を各地で撃破し、壇ノ浦で平家を滅ぼして鎌倉幕府を開いた。
源頼朝 源義経 木曽義仲 北条政子
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前史
保元・平治
1156
〜79
清盛台頭
1180
以仁王令旨
1180
富士川
1183
倶利伽羅峠
1184
一ノ谷
1185
屋島
1185
壇ノ浦
01
Timeline
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前史 1156〜1159年
保元の乱・平治の乱 — 源平抗争の火種
1156
保元の乱
保元の乱 — 皇室・藤原氏の内紛に武士が動員される

崇徳上皇vs後白河天皇の対立に源氏・平氏が双方に分かれて参戦。武士が政権抗争の表舞台に登場した転換点。

1159
平治の乱
平治の乱 — 清盛が勝利し平氏政権の礎が固まる

源義朝が平清盛に敗れて処刑。義朝の子・頼朝は伊豆に流される。この敗北から20年後、頼朝が源平合戦を引き起こす。

関連記事
PHASE Ⅰ 1160〜1180年
平氏政権の絶頂 — 清盛、太政大臣へ
1179
平氏政権
治承三年の政変 — 後白河法皇を幽閉し独裁体制を確立

清盛が後白河法皇を幽閉し、反平氏派の公家を一斉罷免。独裁体制が頂点に達したが、反発が各地で拡大し翌年の源氏挙兵につながる。

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PHASE Ⅱ 1180年
乱の幕開け — 以仁王令旨から富士川まで
1180
4月 ・ 発端
以仁王の令旨 — 全国の源氏に平氏追討を命じる

後白河法皇の皇子・以仁王が源頼政の勧めで令旨を発布。これが治承・寿永の乱の引き金となった。宇治川で平氏軍に追い詰められ頼政とともに敗死するが、令旨はすでに届いていた。

1180
6月 ・ 平氏
福原遷都 — 清盛が京から福原(現神戸)へ強引に遷都

清盛が突如、都を京から摂津の福原(現在の神戸市)へ移す。公家・民衆の猛反発を受け、わずか半年で京へ還都した。

準備中
福原遷都
1180
8〜9月 ・ 源氏
源頼朝、挙兵〜石橋山の敗北〜再起

頼朝が伊豆で挙兵するが石橋山で平氏軍に大敗し山中へ逃亡。海路で安房に渡り関東武士を結集して急速に勢力を回復した。

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1180
10月 ・ 源氏
木曽義仲、信濃で挙兵 — 北陸を席捲して京を目指す

頼朝に呼応して信濃の義仲が挙兵。北陸道を制圧しながら京へ向かい、1183年に倶利伽羅峠で平氏大軍を壊滅させる。

1180
12月 ・ 平氏
南都焼き討ち — 東大寺・興福寺が炎上し民心が離れる

平重衡が奈良の寺院勢力を焼き討ち。東大寺大仏殿も炎上し、平氏への世論が決定的に悪化した。

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PHASE Ⅲ 1181〜1183年
清盛の死・平氏の西走
1181
転換点
平清盛、熱病により死去(享年64歳)

「頼朝の首を墓前に供えよ」と遺言したとされる平氏の大黒柱が没す。清盛なき後、平氏は急速に求心力を失う。

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1181
平氏
墨俣川の戦い — 平氏軍が尾張で源氏を撃退

清盛の死直後、平氏が尾張国・墨俣川で源氏軍を撃退。平氏の最後の攻勢となった戦いで、以後は西国防衛へ転じる。

準備中
墨俣川の戦い
1183
7月 ・ 転換点
平氏、安徳天皇を奉じて西国へ逃走 — 三種の神器とともに

義仲の進軍を前に平氏は京を放棄し、幼い安徳天皇と三種の神器を携えて西国へ落ちた。寿永二年十月宣旨で頼朝が東国支配権を公認される。

PHASE Ⅳ 1184〜1185年
義経の快進撃・平氏滅亡
1185
11月 ・ 政治
守護・地頭の設置 — 鎌倉幕府の礎が固まる

義経追討を名目に頼朝が全国への守護・地頭設置権を朝廷から認めさせた。これが鎌倉幕府の実質的な始まり。

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PHASE Ⅴ 1185〜1189年
頼朝vs義経・奥州合戦で内乱に幕
1189
源氏・結末
衣川の戦い — 義経、弁慶とともに最期。奥州合戦で内乱終結

頼朝に追われた義経が奥州平泉で自刃。頼朝はさらに奥州藤原氏も滅ぼし(奥州合戦)、全国の武家支配を完成させた。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり——」
平家物語 冒頭 / 源平合戦(治承・寿永の乱)はこうして幕を閉じ、武家の時代が始まった

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02
People
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源平合戦を動かした主要人物を、平氏陣営源氏陣営に分けて紹介するよ。

平氏陣営 TAIRA CLAN
平清盛
1118〜1181 / 太政大臣・平氏政権の創始者
日本初の武家政権を築いた人物。日宋貿易を推進し外戚として朝廷を支配。1181年の没後、平氏は急速に衰退する。
平重盛
1138〜1179 / 清盛の嫡男・温厚な調停者
清盛の暴走を諫め後白河法皇との調停を試みた良識派。1179年に先立ち、父の暴走を止める者がいなくなった。
安徳天皇
1178〜1185 / 平清盛の外孫・悲劇の幼帝
わずか8歳で祖母・二位尼に抱かれ壇ノ浦に沈んだ幼い天皇。三種の神器とともに波間に消えた。
記事準備中
平宗盛
1147〜1185 / 清盛の三男・平氏軍総大将
清盛の死後、平氏軍の総大将として源平合戦を戦った。壇ノ浦で捕縛され、鎌倉に送られた後に処刑された。
記事準備中
平知盛
1152〜1185 / 清盛の四男・壇ノ浦の指揮官
壇ノ浦の戦いを指揮した猛将。潮目が変わり形勢が逆転したとき、「見るべき程のことは見つ」と言って碇を抱いて海に沈んだと伝わる。
記事準備中
建礼門院(徳子)
1155〜1213 / 清盛の娘・安徳天皇の母
平清盛の娘で高倉天皇の皇后。安徳天皇の母として壇ノ浦を生き延び、大原・寂光院で出家して平氏の滅亡を見届けた。
朝廷・その他の関係者
03
Themes
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⚔️
前史 — 保元・平治の乱
源平合戦はなぜ起きたのか。火種となった武家台頭のプロセスを探る
🔴
平氏政権 — 清盛の野望と落日
武家初の太政大臣・清盛が作り上げた政権の全貌
🏬
戦後・奥州 — 義経の悲劇と幕府の完成
壇ノ浦の後、頼朝はどうやって全国支配を完成させたのか
🏛️
鎌倉幕府の誕生とその後
源平合戦が切り開いた武家政権の時代——北条氏台頭・承久の乱まで
📚
文学・文化 — 平家物語と源平の時代
源平争乱が生んだ文学・文化を深掘りする
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