室町時代

MUROMACHI PERIOD

室町時代

1336〜1573年(南北朝の動乱から応仁の乱まで)

約237年
時代の長さ
34記事
収録中
5ステップ
で整理

室町237年間 ─ 時代区分の比率

なぜ室町時代は「中世の転換点」なのか

室町時代は、武家政権が全国を統治し、民衆・文化・対外交流が花開いた約237年間である

1336年の足利尊氏による室町幕府成立から1573年の足利義昭追放まで、約237年。南北朝57年の動乱、足利義満による天下統一と勘合貿易、北山文化・東山文化の隆盛、そして応仁の乱による下剋上の幕開け——この特集では、複雑な室町時代を5つの時代区分に整理し、各時代を深掘りできる構成になっています。

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STEP 1 — 南北朝の動乱

1336〜1392年
1333
幕府滅亡
鎌倉幕府の滅亡 — 後醍醐天皇の倒幕と元弘の乱

後醍醐天皇の倒幕運動(正中の変・元弘の乱)を経て、1333年に足利尊氏が六波羅探題を攻略、新田義貞が鎌倉を陥落させ北条高時が自害。150年続いた鎌倉幕府が滅亡します。

1334
天皇親政
建武の新政 — 天皇親政の復活とその矛盾

後醍醐天皇が「建武」と改元し、天皇親政を復活(建武の新政)。記録所・雑訴決断所を設置しますが、武士への恩賞が不十分で不満が噴出。公家優遇・武士軽視の姿勢が足利尊氏ら武士の離反を招きます。

1336
朝廷分裂
南北朝の分裂 — 建武式目制定と後醍醐天皇の吉野行幸

足利尊氏が光明天皇(北朝)を擁立し「建武式目」を制定、室町幕府の基礎を築きます。一方、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開き、以後60年近く南北両朝が対立する時代が続きます。

建武式目 南朝・北朝準備中
1338
幕府開設
足利尊氏、征夷大将軍就任 — 室町幕府の成立

足利尊氏が征夷大将軍に任命され、室町幕府が正式に成立。管領・侍所などの機構を整備しますが、南朝との戦いが各地で続き、武士たちはどちらにつくか迷いながら「半武半南」の動向をとります。

室町幕府のしくみ準備中 管領
1350
内紛
観応の擾乱 — 尊氏vs直義、幕府を二分した兄弟対立

足利尊氏の執事・高師直と弟の足利直義が対立し、幕府が真っ二つに割れた内乱(観応の擾乱)。直義は南朝と手を結ぶ異常事態となり、1352年に直義が毒殺されて収束。この内乱が幕府の権威を大きく損ないます。

1392
全盛
南北朝統一と義満の絶頂 — 太政大臣就任・「日本国王」号

1392年、3代将軍・足利義満が南北朝を統一。さらに太政大臣就任・出家後も権勢を振るい、明から「日本国王」に封じられます。公武を超えた権力を握り、室町幕府最盛期を現出しました。

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STEP 2 — 足利義満と幕府の全盛

1392〜1428年
1397
文化
金閣寺(鹿苑寺)造営 — 北山文化の象徴

京都北山に建てられた舎利殿「金閣」は、義満の権勢と公武融合の理念を体現。第1層(寝殿造)・第2層(武家造)・第3層(禅宗仏殿造)の三層構造が、公家・武家・禅の融合を示します。世阿弥の能楽もこの時期に大成されました。

1399
守護討伐
応永の乱 — 大内義弘を討ち守護大名を抑圧

義満は強大な守護大名の力を削ぎ落とす策をとります。山名氏清(明徳の乱・1391年)に続き、大内義弘を応永の乱(1399年)で討伐。「六分の一殿」とよばれた山名氏の勢力を大幅に削減し、幕府の集権化を進めました。

1401
外交・貿易
勘合貿易の開始 — 日明貿易で幕府財政を潤す

義満は明(中国)に使節を送り、「日本国王」として冊封を受け勘合貿易を開始(1401年)。勘合符(合い印)で正規の貿易船を識別し、生糸・銅銭・陶磁器などを輸入。この貿易収益が幕府の重要な財源となります。

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1419
外患
応永の外寇 — 朝鮮軍の対馬来襲

4代将軍・足利義持の時代、朝鮮が倭寇の根拠地とみなした対馬に大規模な軍事遠征を行います(応永の外寇・1419年)。この事件は日朝関係に緊張をもたらし、以後も倭寇問題が東アジア外交の懸案となります。

応永の外寇 日朝貿易準備中

STEP 3 — 将軍の時代と東山文化

1428〜1467年
1438
権力集中
6代将軍・足利義教の独裁 — 「万人恐怖」の時代

くじ引きで選ばれた6代将軍・義教は強圧的な政治で「万人恐怖」と恐れられました。永享の乱(1438年)で関東公方・足利持氏を滅ぼし、鎌倉府を廃止。守護大名への弾圧を強め、幕府の専制強化を図りますが反感を買います。

1441
将軍暗殺
嘉吉の乱 — 播磨守護・赤松満祐が将軍を暗殺

弾圧を恐れた播磨守護・赤松満祐が宴席で義教を暗殺した嘉吉の乱(1441年)。幕府は赤松氏を討ちますが、将軍が守護大名に殺されたことで幕府の権威は大きく失墜。下克上の先駆けとなる衝撃的な事件です。

1457〜
文化
銀閣寺・書院造・東山文化 — 義政が育んだ「侘び」の美

8代将軍・足利義政は政治を顧みず、東山山荘(銀閣寺)の造営に熱中。書院造・枯山水・侘び茶(村田珠光)・連歌(宗祇)・水墨画(雪舟)が花開いた東山文化は、現代の「和」の美意識の原点です。

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東山文化 雪舟 侘び茶準備中 書院造準備中
1485
民衆自治
山城国一揆 — 国人が守護大名を追放した自治の実現

南山城の国人・農民が畠山氏の両軍を国外に追放し、8年間にわたって国人自治を行った山城国一揆(1485年)。守護大名を実力で排除した画期的な事件で、下克上・戦国時代の到来を予感させます。

1467
大乱
応仁の乱 — 将軍家の後継争いが全国を巻き込む大乱へ

義政の後継問題に細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の守護大名対立が絡み合い、1467年に応仁の乱が勃発。11年の戦乱で京都は廃墟と化し、将軍権威は地に落ちました。→ 詳細はSTEP 4「応仁の乱」

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STEP 4 — 応仁の乱と下剋上の幕開け

1467〜1477年
1464〜
後継問題
将軍家の後継問題 — 義視vs義尚、守護大名を巻き込む

8代将軍・足利義政は後継ぎがなく、弟の足利義視を後継者に定めます。しかし翌年に義政の実子・義尚が誕生したことで後継争いが勃発。義視を支持する細川勝元(東軍)と義尚を支持する山名宗全(西軍)の守護大名対立に発展しました。管領家(斯波氏・畠山氏)の相続争いも重なり、緊張が高まります。

1477
終結
応仁の乱の収束 — 下剋上・戦国時代への転換

1477年(文明9年)、大内政弘が西軍を解散し京都から撤退したことで応仁の乱が事実上収束。しかし将軍の権威は完全に失墜し、守護大名の力も弱体化。各地では守護代や国人が実力で主君を倒す「下剋上」が横行し、戦国大名が台頭する戦国時代が始まります。

戦国時代へ 下剋上準備中 戦国大名準備中

STEP 5 — 室町幕府の衰退と滅亡

1477〜1573年
1493〜
1523
権威失墜
明応の政変と寧波の乱 — 幕府権威の崩壊

1493年、管領・細川政元が将軍を廃立した明応の政変で「守護が将軍を守る」室町の原則が崩壊。1523年には細川・大内両氏の争いが明の寧波で武力衝突となり(寧波の乱)、勘合貿易が停止。幕府の外交権も実質的に失われます。

1549〜
1573
戦国・滅亡
戦国時代へ — キリスト教伝来・信長上洛・幕府滅亡

1549年、フランシスコ・ザビエルが来日しキリスト教を伝来。戦国大名が南蛮貿易で鉄砲・文物を取り入れる中、1568年には織田信長が足利義昭を擁立して上洛。1573年、信長は義昭を追放し237年の室町幕府が滅亡します。

テーマ別で学ぶ
02
4 Themes

テーマ別で室町を読み解く

武家政治のしくみ

管領・守護大名・分国法——室町幕府の権力構造

管領(三管領:斯波・細川・畠山)が将軍を補佐し、侍所頭人(四職:赤松・一色・山名・京極)が京都の警察・軍事を担う幕府機構。守護大名が「守護請・半済令」で地方支配を固め、応仁の乱を経て戦国大名へと変貌するまでの政治史を追う。

南北朝の動乱

後醍醐天皇・建武の新政・北畠親房——57年の南北朝対立

鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の「建武の新政」は武士の支持を失い崩壊。足利尊氏が北朝(京都)を擁立し、南朝(吉野)と57年間対立した。「神皇正統記」の北畠親房ら南朝の論客の活躍、観応の擾乱、そして1392年の義満による南北朝合一までを整理する。

室町文化

北山文化と東山文化——金閣・銀閣・能・茶道・水墨画

室町時代の文化は2つの山がある。義満期の「北山文化」(公武融合・豪華・金閣寺・世阿弥の能楽)と、義政期の「東山文化」(侘び・簡素・銀閣寺・書院造・侘び茶・水墨画・連歌)だ。入試では「北山vs東山」の対比問題が頻出——それぞれの特徴を押さえよう。

対外関係と民衆の台頭

倭寇・勘合貿易・琉球王国——東アジアとの交流と一揆の時代

義満が開始した勘合貿易(日明貿易)は幕府の主要財源となり、日朝貿易・琉球王国との交易も活発化した。一方、倭寇が東アジアの海を席巻。国内では農民・商人が「一揆」を結んで力をつけ、惣村の自治が生まれるなど、応仁の乱後の戦国時代を準備する民衆社会の成熟が進んだ。

勘合貿易(日明貿易) 倭寇 琉球王国 コシャマインの戦い 一揆(総論) 惣村(惣) 土倉・酒屋準備中 座(商工業者の組合)準備中 日朝貿易・三浦の乱準備中
03
Timeline

室町史のハイライト年表

1336 室町幕府成立 足利尊氏が征夷大将軍に就任。建武式目を制定し新たな武家政権の方針を示す。
1338 南北朝の分裂 後醍醐天皇が吉野に南朝を開き、北朝(京都)と対立。動乱が全国に拡大。
1392 南北朝の合一 足利義満が北朝・南朝を統合。56年にわたる南北朝時代が終結。
1397 金閣寺(鹿苑寺)完成 義満が北山に造営。北山文化の象徴。日明貿易(勘合貿易)も開始。
1428 正長の土一揆 近江坂本の馬借が蜂起。最初の大規模な土一揆として惣村の自治力を示した。
1467 応仁の乱勃発 将軍家の後継争いと守護大名の対立が重なり11年にわたる大乱に。下剋上の幕開け。
1489 銀閣寺(慈照寺)完成 足利義政が東山に造営。東山文化(書院造・侘び茶・能)の象徴。
1543 鉄砲伝来 ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝える。戦国の戦術を根本から変えた。
1549 キリスト教伝来 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。宣教師が全国各地に布教を展開。
1573 室町幕府滅亡 織田信長が足利義昭を京都から追放。237年続いた室町幕府が終焉。
04
FAQ

室町史でよく出る疑問

京都・室町(現在の京都市上京区)に幕府が置かれたため「室町幕府」と呼ばれます。花の御所とも呼ばれた将軍御所が中心でした。鎌倉幕府(鎌倉)とは異なり都に近い場所に置かれたことが特徴です。
1336〜1392年の約56年間、足利氏が擁立する北朝(京都)と、後醍醐天皇の南朝(吉野)が並立した時代です。最終的に足利義満が南朝に有利な条件(交互在位)を約束して合一しましたが、北朝の天皇が継続しました。
主な原因は①将軍家の後継問題(義政の弟・義視 vs 義政の子・義尚)と②有力守護大名(細川勝元:東軍 vs 山名宗全:西軍)の権力争いが絡み合ったことです。11年間(1467〜1477)続き、京都が焼け野原になりました。
北山文化は足利義満の時代(14世紀末〜15世紀初)の武家・公家・禅宗が融合した豪華な文化(金閣寺・能・連歌)。東山文化は足利義政の時代(15世紀後半)の簡素で幽玄を重んじる文化(銀閣寺・書院造・侘び茶・枯山水)です。
「下が上を倒す」こと。守護代や国人が守護大名を倒し、武士が公家・貴族を圧倒するように、身分の低い者が実力で上位者の権力を奪う現象を指します。戦国時代の始まりとなった応仁の乱後に全国的に広がりました。
二毛作の普及・牛馬耕の拡大・灌漑技術の向上で農業生産力が高まりました。手工業・商業も発展し、商工業者の座(組合)や定期市が各地に普及。勘合貿易(日明貿易)や南蛮貿易で銅銭・陶磁器が流入し貨幣経済が進展しました。