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面白いほどわかる更級日記!内容・あらすじを徹底解説【源氏物語オタク菅原孝標女が人生悟って書いた自伝です】

この記事は約8分で読めます。

今回は、平安文学の1つである更級日記さらしなにっきについてわかりやすく丁寧に紹介していきます。

この記事を読んでわかること
  • 著者の菅原孝標女はどんな人?
  • 更級日記が書かれた理由は?
  • 更級日記の内容・あらすじを知りたい!
  • 更級日記を実際に読んでみるには?
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更級日記の著者は菅原孝標女

更級日記は、菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめという女性によって書かれた作品です。当時の女性には名前がなかったので、見慣れない表現になっています。読みのとおり、菅原孝標の娘です。

菅原孝標女が更級日記を書き始めたのは1060年から。53歳の時でした。

子供が巣立ち、旦那もなくなって、1人孤独になった菅原孝標女が自分の過去を振り返って書き綴った作品が更級日記です。言い換えると、菅原孝標女の自伝ですね。

とはいえ、ただの平凡な自伝ではなく、菅原孝標女には文才があったため、平安文学の代表作の1つとして、今もなお読まれ続ける名作になっています。

蜻蛉日記と更級日記

実は、菅原孝標女の伯母は蜻蛉日記の著者で有名な藤原道綱母でした。

もしかすると偶然ではなくて、菅原孝標女は文才のある血筋の下に生まれた・・・のかもしれません。

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更級日記のあらすじ・内容

次に、更級日記がどんな内容なのか紹介していきます。

先ほど述べたように更級日記は菅原孝標女の自伝です。なので、菅原孝標女の人生を追うことで、更級日記の内容に迫ることができます。

更級日記は、菅原孝標女が10歳頃(1017年頃)の話から始まります。

当時、菅原孝標女は父の仕事の関係で上総国かずさのくに(今の千葉県あたり)に住んでました。当時の感覚で言えば、ど田舎です。

そんな田舎娘の菅原孝標女が、強く憧れていたのが源氏物語でした。

菅原孝標女「姉さんや継母が噂で話していた源氏物語。噂だけでも面白くて、早く京に行って読んでみたい!!

1020年、菅原孝標女が13歳の時、父の転勤により念願の上京が決まります。

乳母うば継母ままははとの別れに悲しみを感じつつも、憧れの源氏物語のことを考えながら菅原孝標女は京へ向かいます。

継母と乳母

【継母】

実母でない母のこと。菅原孝標は2人の妻を持っており、ここでは菅原孝標女を産んでいない方の妻を指しています。菅原孝標女に源氏物語のことを教えてくれた大事な人物です。

【乳母】

菅原孝標女を育ててくれた女性のこと。当時は、子供が生まれると実母ではなく別な女性に子育てを任せるのが普通でした。そこで登場するのが乳母です。菅原孝標女にとっては、実母以上に身近な大切な存在でした。

ちなみに、この乳母は三蹟の1人で名高い藤原行成の娘でした。菅原孝標女の周りには文筆に優れた人たちがたくさんいたのですね。

京に到着すると、母が源氏物語を探してきてくれました(優しい!)。

こうして、念願の源氏物語を遂に読むことができたのです。

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【悲報】菅原孝標女、源氏物語オタクになる

源氏物語を読んだ菅原孝標女は、そこに登場する浮舟うきふねという人物に憧れを持つようになります。

悲劇のヒロイン浮舟

浮舟は、源氏物語の終盤に登場する女性。

田舎の出身でしたが、イケメンエリートのかおるきみと恋に落ちます。ところが、薫の君の友人で同じくイケメンエリートの匂宮におうのみやも浮舟に惚れ込み、密かに肉体関係を結んでしまいます。

エリートイケメン2人の狭間で悩み続けた浮舟は、川に飛び込んで自害しようとしますが、未遂に。

生き残った浮舟は出家してひっそりと暮らしました。

菅原孝標女は、浮舟の田舎からのシンデレラストーリーを自分の境遇に重ね、浮舟のような生涯を理想の生涯と考えました。

菅原孝標女はすっかり源氏物語にハマってしまい、次第にそれ以外のことをないがしろにするようになります。つまり、熱烈な源氏物語オタクになってしまったのです。

仏事や神事を蔑ろにするようになり、たびたび見た夢のお告げで「そんな物語にうつつを抜かすと、将来後悔するぞ」というお告げがあっても、菅原孝標女は気にせず、「いつか私は浮舟みたいな素敵な男性に出会うの!」と物語に夢中のまま。

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菅原孝標女、平凡な男と結婚

菅原孝標女は浮舟に憧れで理想が高すぎたためか、30歳を過ぎても結婚をする気配すらありませんでした。

当時は、20歳にもなれば女性はどんどん結婚する時代でしたから、30歳で独身というのは相当な晩婚でした。

そこで、菅原孝標女の母は、結婚相手として橘俊通たちばなのとしみちという男を紹介しました。

しかし、菅原孝標女はこれに不満です。

菅原孝標女「私は、浮舟のようなイケメンエリートとの素敵な出会いを待っているのに、なんでそんな平凡な男を結婚しなきゃいけないの・・・

しかし、30歳を過ぎて現実をわかってきた菅原孝標女は、夢を諦めて、この縁談を受け入れることを決意します。33歳のとき(1040年)、菅原孝標女は橘俊通と結婚しました。

このときに菅原孝標女が詠んだ和歌がこちら↓

幾千いくちたび水の田芹たぜりを摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ

【現代語訳】

何度も水辺で芹を摘むように苦労を重ねて生きてきたのに、思っていたことは何一つ叶いませんでした。

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菅原孝標女、人生を悟る

結婚した菅原孝標女は、刺激はないものの平和な日々を過ごします。

家事や仕事、子育てに忙しい日々。源氏物語のことを思い出す時間もありません。

昔のような源氏物語熱が無くなると、無下にしていた仏教への信仰心も深まっていきました。子供の立派な成長や家内安全のことを仏様にお参りするようになったのです。源氏物語オタクも、さすがに家庭を持てば変わります。

1058年、菅原孝標女が51歳のとき、夫の橘俊通が亡くなります。

菅原孝標女は悲しみに暮れながら、結婚前に見た夢のお告げを思い出します。

「源氏物語に夢中になっていると、将来後悔するぞ」とお告げがあった時、そのお告げには泣き崩れている女性の姿ありました。

菅原孝標女「あの女性の姿は、まさに今の私だわ。あの時にお告げの忠告をちゃんと聞いていれば・・・

が、後悔先に立たずです。

悲しみと後悔に打ちひしがれている菅原孝標女が、最後に頼ったのは阿弥陀如来あみだにょらいでした。

阿弥陀如来は人々を極楽浄土に案内してくれる仏様です。

源氏物語に憧れてキラキラしていた若い頃、後悔はありながらも幸せな日々を過ごした結婚生活、これらが夫の死によって一変します。

悲しみと後悔、そして孤独に苛まれた菅原孝標女は苦しい晩年を過ごすことになります。(ちゃんと夢のお告げを聞いておけば・・・!)

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更級日記の名前の由来

夫が亡くなった翌年(1059年)、1人寂しく暮らす菅原孝標女のところに甥っ子がやってきました。

すると、菅原孝標女は思わず次のような和歌を口にだしてしまいます。

月も出でて闇にくれたる姥捨になにとて今宵たづね来つらむ

【現代語訳】

月も出ず、闇に閉ざされている姥捨て山のような私のところに、どうして今夜は訪ねてくださったのですか

この和歌は、古今和歌集に納められている

「わが心慰めかねつ更級姨捨山うばすてやまに照る月を見て」

をベースとしたものです。

更級は更科とも言って、信濃国しなののくに(今の長野県)の地名の1つでした。今でも「更科そば」なんかでよく聞く言葉ですね。

信濃国は亡くなった夫の最後の赴任地であり、和歌に登場する姨捨山も信濃国の更科郡という場所にありました。

菅原孝標女は、自分の心細く孤独な心境を夫ゆかりの地に関連づけて詠んだわけです。夫を想う気持ちが溢れ出るこの和歌に登場する更級にちなんで、この日記は更級日記と呼ばれることになりました。(ネーミングセンスがとても良い!)

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更級日記を読んでみよう

成功者や有名人の自伝というのは、世の中に腐る程あります。

一方で、平凡な人間の自伝というのは、なかなか読むことができません。書く人が少ないだろうし、仮に書いたとしても綿密なブランディングでもしない限り売れませんからね。

更級日記の魅力は、そんな平凡で源氏物語好きな1人(今風に言えばジャニオタ)の女性の自伝を読むことができるという点です。しかも1,000年も前の自伝です。

一度更級日記を読んでみたいと思っていましたが、結構長めの物語なのでハードルが高めでした。しかし、良い本がありました。

私が古典を最初に読むときに必ず買っている角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」シリーズです。

このシリーズは古典入門に超オススメなのですが、更級日記もちゃんとありました。

要点を絞った内容になっていて、現代語訳・解説もバッチリなので、素人でも普通の本みたいにスラスラと読むことができます。

  • 若い頃は夢と希望に溢れ、
  • アラサーになると夢を諦め、現実を受け入れて、
  • 老後は子は巣立ち、夫も亡くなり孤独な生涯へ・・

という、現代でも共感できる部分の多い菅原孝標女の生涯。気になる方はぜひ本を手に取って読んでみてはいかがでしょうか。

更級日記を読んでみよう!

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