江戸時代
1603〜1853年(幕藩体制の成立から対外危機まで)
なぜ江戸時代は「泰平の世」と呼ばれるのか
江戸時代は、幕藩体制のもとで約250年にわたる平和と変革が共存した時代である
1603年、徳川家康が江戸に幕府を開いてから1853年のペリー来航まで——約250年にわたる江戸時代は、参勤交代・身分制度・鎖国によって安定を保ちながら、元禄文化・化政文化・田沼時代・三大改革など激しい変革を繰り返した複合的な時代です。この特集では、江戸250年を4つの時代区分に整理し、各時代を深掘りできる構成になっています。
STEP 1 — 幕藩体制の成立
1603年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開きます。1605年には早くも三男・秀忠に将軍職を譲り、将軍職が徳川家の世襲であることを天下に示しました。豊臣家はなお大坂城に健在でしたが、徳川支配の基盤はこの時点で固まりつつありました。
武家諸法度は大名が守るべき規則を定めた法令で、無断で城を修築したり大名同士が幕府の許可なく婚姻・同盟を結ぶことを禁じました。禁中並公家諸法度は天皇・公家の行動を規制し、朝廷が幕府に優越する政治的権威を持てないよう制度的に封じました。
九州・島原・天草地方のキリシタンと農民が、重税と圧政に反発して蜂起した大規模一揆です。天草四郎(益田時貞)を総大将として原城に籠城した反乱軍は12万の幕府軍によって鎮圧されました。この乱を機に幕府のキリスト教弾圧と鎖国政策が加速します。
1639年のポルトガル船来航禁止により、日本の対外関係は長崎出島のオランダ・中国貿易、対馬藩を通じた朝鮮、薩摩藩を通じた琉球、松前藩を通じたアイヌとの交易の4ルートに限定されます。これが一般に「鎖国」と呼ばれる体制の完成とされています。
STEP 2 — 文治政治と元禄文化
1657年(明暦3年)1月、本郷丸山町の本妙寺から出火した大火は強風にあおられて江戸市中に燃え広がり、江戸城本丸天守閣を含む城の大部分と市街地を焼き尽くしました。死者は数万人とも言われ、江戸最大の火災です。この後、都市整備・防火対策として江戸の町割りが大幅に見直されました。
5代将軍綱吉は儒学を奨励し、湯島聖堂を建立するなど文治政治をさらに推し進めました。一方で1687年から段階的に発令された「生類憐みの令」は犬・猫・魚介類など生き物の殺傷を禁じる異例の法令で、特に犬の保護が徹底され「犬公方」と揶揄されました。
1682年に井原西鶴が『好色一代男』を刊行し、町人の現実生活を描く浮世草子(ウキヨゾウシ)が誕生します。松尾芭蕉は俳諧を芸術の域まで高め、『奥の細道』(1689年)を著しました。近松門左衛門は人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本家として活躍し、町人の悲劇を舞台に乗せました。
6代家宣・7代家継の時代、儒学者の新井白石と側用人・間部詮房が幕政を主導しました(正徳の治)。綱吉時代に悪化した幕府財政を立て直すため、金銀の含有量を戻した正徳小判を発行し、長崎貿易を制限する「海舶互市新例」も定めました。
STEP 3 — 幕政改革と化政文化
紀州藩主から将軍に就任した吉宗は、幕府財政の立て直しを最優先に享保の改革を断行します。上米の制・足高の制・公事方御定書・目安箱の設置など、実務的な改革が幕政を刷新しました。
徳川家治が10代将軍に就任。温厚な性格で政治より囲碁を好んだとも伝わる家治のもと、側用人から老中格に昇り詰めた田沼意次が実質的な幕政を主導していきます。
田沼意次が老中に就任し、商品流通の活性化・株仲間の公認・印旛沼干拓・長崎貿易拡大など重商主義的政策を次々と推進。賄賂政治との批判も受けましたが、実は先進的な経済感覚の持ち主でした。
発明家・本草学者・戯作者として多彩な才能を発揮した平賀源内が、オランダ製摩擦起電機を復元・改良したエレキテルを完成。田沼時代の自由な文化的空気が生んだ江戸のダ・ヴィンチ的存在です。
田沼政治の腐敗への反動として、老中・松平定信が緊縮財政・風紀取締り・旗本御家人の救済(棄捐令)などを柱とする寛政の改革を断行。厳格すぎる統制は反発を招き、6年余りで退任となります。
STEP 4 — 内憂外患と天保の改革
イギリス軍艦フェートン号が長崎港に無断侵入し、オランダ商館員を人質にして食料・薪水を要求。幕府の鎖国体制の脆弱さが露わになった事件で、長崎奉行は責任をとって切腹しました。
外国船の来航が相次ぐなか、幕府は「理由を問わず外国船を撃退せよ」という強硬姿勢の異国船打払令(無二念打払令)を発令。しかしこの強硬策が後のモリソン号事件での批判を招きます。
天保の飢饉で大坂の民衆が飢えるなか、幕府の対応に抗議して大坂町奉行所の元与力・大塩平八郎が挙兵しました。乱そのものは半日で鎮圧されましたが、幕府の元役人が公然と反旗を翻したという事実は各地の一揆を刺激し、幕府に大きな衝撃を与えます。モリソン号事件と並ぶ「内憂外患」の象徴でした。
日本人漂流民を送り届けようとしたアメリカ商船モリソン号を、幕府は打払令に基づき砲撃して追い返します。これを批判した渡辺崋山・高野長英らが翌年の蛮社の獄で処罰されました。
内憂外患の危機を受けて、老中・水野忠邦は倹約令・株仲間の解散・人返しの法などの改革を断行します(三大改革の最後)。しかし江戸・大坂周辺を幕府直轄地にする上知令が大名・旗本の猛反発を招き、改革はわずか2年余りで挫折。幕府権威の低下を天下にさらす結果となりました。
アヘン戦争でイギリスが清を破ったとの情報が伝わると、幕府は強硬策の限界を悟り、異国船打払令を撤回。外国船に薪・水・食料を与えて帰帆させる薪水給与令に切り替えました。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の黒船を率いて浦賀に来航し、開国と通商を要求。幕府は翌年の日米和親条約締結を余儀なくされ、260年余り続いた鎖国体制が終わりを迎えます。
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幕藩政治・三大改革
徳川幕府の政治制度(武家諸法度・参勤交代)から享保・寛政・天保の三大改革、田沼意次の重商主義政策まで。260年の政治の流れを記事でたどる。
元禄・化政文化
町人が担い手となった元禄文化(俳諧・浮世絵草創・装飾画)と化政文化(錦絵・読本・狂歌・蘭学)。平賀源内・蔦屋重三郎ら文化の仕掛け人にも注目。
対外関係・鎖国
島原の乱と鎖国の完成から、ラクスマン・レザノフ来航、フェートン号事件、異国船打払令まで。孤立した日本に外圧が高まる対外関係史を記事でたどる。
経済・社会・産業
三都(江戸・大坂・京都)を中心とした商品経済の発展、株仲間・三貨制度・場所請負制、農村の変化。身分制度が社会を規定した江戸の経済社会史。