今回は、元禄文化の時代に活躍した作家、井原西鶴とその代表作品について、わかりやすく丁寧に紹介していくよ!
井原西鶴ってどんな人?
井原西鶴は、元禄文化の時代に活躍した代表的な文化人の1人です。
井原西鶴が得意としたのは、俳諧と文学。
特に文学の分野では、浮世草子と呼ばれる新ジャンルの小説を創り上げ、日本の後の文学の世界に大きな影響を与えることになりました。
浮世草子については、後ほど詳しく紹介するよ!
井原西鶴、俳諧にハマる
井原西鶴は大阪の裕福な商人の家で、1642年に生まれました。
しかし、井原西鶴は家業に興味は持たず、もっぱら俳諧にハマります。
井原西鶴は15,16歳の頃から俳諧にハマり、西山宗因という人物の下に弟子入りして、俳諧を学ぶようになります。
その後、井原西鶴の詩の才能が開花。20歳頃には詩に点数を付ける偉い立場にまでなっていました。
ある時、井原西鶴は京都の三十三間堂で行われている大矢数という競技からアイデアを得て、こんなことを思いつきます。
※大数矢:一晩で何本の矢を射ることができるか競う競技のこと。
矢を射た数で競うとは、なかなか面白い。
矢の数を競って面白いなら、詩の数を競ったら絶対に面白いんじゃね!?
こうして井原西鶴は、一昼夜でどれだけ句を詠めるのかチャレンジをはじめました。
1675年には、一日で1,600句を詠むことに成功し、この時詠んだ詩は『俳諧大句数』という本として出版されました。
井原西鶴の予想どおり、この詩詠みチャレンジは結構ウケました。すぐにライバルが現れ、世間ではスコアアタックが始まります。
そして1684年、熾烈な争いの末、井原西鶴は一日で23,500句を詠みあげ、日本人最高記録(というか世界記録?)を達成します。
この句の数に勝てる者は誰もおらず、おそらく今もなお、誰もこの記録を越すことはできないでしょう・・・。
この頃にギネス世界記録があれば、井原西鶴は間違いなく記録に名を刻んでいたはずです!
ちなみに、こんな感じで、従来の文化を斬新なアイデアで、庶民たちが夢中になるような文化へと変えていったのが元禄文化の大きな特徴の1つだよ。
井原西鶴、作家デビューして大ヒットする
俳諧で名を馳せていた井原西鶴ですが、実はスキマ時間を使って、とある文学作品を書いていました。
その作品の名は『好色一代男』
1682年に出版されると、これがもう大ヒット中の大ヒット!!
『好色一代男』がベストセラーになると、井原西鶴は文学作品にも本腰を入れるようになり、次々とヒット作品を出版するようになりました。
それぞれの作品の内容は、最後に改めて紹介するよ!
浮世草子という新ジャンル小説
井原西鶴の作品がベストセラーになったのはわかったよ。
当時は、他にもいろんな作品があったと思うんだけど、なぜ井原西鶴の作品がそこまで大ヒットすることになったの?
大ヒットの理由は、井原西鶴が書いた作品が、これまでにない新ジャンルの小説だったからなんだ。
井原西鶴が登場するまで、江戸で流行っていたのは仮名草子というジャンルの小説でした。
仮名草子っていうのは、昔話や伝説などをベースに教訓や道徳をテーマにした小説のことを言います。
仮名草子は確かに人々の娯楽ではあったのですが、少し堅苦しさがありました。
※例えば、教訓をテーマにすると「この物語みたいなことを失敗するから気をつけろよ!」みたいな否定的な内容になりがちですよね。
昔話もいいけど、江戸とか大阪で起こる日々の出来事だってめっちゃ面白いんだぜ。それに教訓や道徳がテーマっていうのもなんだか堅苦しいんだよな。
うーん。そうだな。俺が、「過去」ではなく「今」を生きる人たちの色恋沙汰や人情をテーマにして、おもしろおかしい作品を作ってやろうじゃないか!
こうして生まれた作品が、『好色一代男』です。
『好色一代男』は、仮名草子に残る堅苦しさを無くして、純粋に読んで楽しんでもらうことを目的としたまったく新しい小説でした。
このような「今を生きる人々の色恋沙汰や人情などをテーマにした、読んで楽しむための小説」のことを浮世草子と言います。
『好色一代男』が大ヒットしたのは、井原西鶴の文才も当然あるだろうけど、何より『読む人を楽しませてやるぞ!』という井原西鶴の意気込みにその理由があったんじゃないかと思います。
『好色一代男』は、そのタイトルのとおり、色恋沙汰をテーマにした「好色物」と呼ばれるジャンルの浮世草子ですが、浮世草子が流行るようになると、ほかにも「町人物」「武家物」といった様々な小説が生み出されるようになりました。
好色一代男
最後に上で紹介した5つの作品について簡単に紹介してくよ。
『好色一代男』は、すでに紹介したように井原西鶴のデビュー作(1682年)。
浮世草子という新ジャンル小説は、この『好色一代男』から始まりました。
主人公は、豊かな町人の家に生まれた浮世之介。(略して世之介)
世之介の7歳から60歳までの54年間の色恋沙汰エピソードをまとめた小説です。
純粋な恋愛から、遊郭での女遊びまで多彩な色恋エピソードが盛り込まれており、読み手を飽きさせません。
好色一代男を描く際に井原西鶴が参考にしたのは、日本屈指の文学作品「源氏物語」だと言われています。
源氏物語は、王子様である光源氏を主人公にした宮廷ラブロマンスの超大作です。
井原西鶴は、主人公を王子様→金持ちの息子へ、舞台を宮廷→庶民の街々へと移し替えて、面白おかしい作品にリメイクしたわけです。
※ちなみに、江戸で出版された好色一代男で使われた挿絵には、浮世絵の祖とも呼ばれた菱川師宣の作品が使われています。
好色五人女
『好色五人女』は、1686年に作られた作品。実際に起こった5件の恋愛事件をモチーフに描いた悲劇的恋愛小説です。
エピソードの1つに、1682年に江戸で実際に起きた少女による放火事件をテーマにしたものがあります。
主人公は、八百屋の娘だったお七。
ある時、お七の家が火事によって焼失すると、お七はお寺に非難することになりました。そこで出会ったのが小姓吉三郎という男性。
お七は吉三郎に恋に落ち、二人は将来について契りを交わしますが、お七の新しい住居が見つかると、2人は離れ離れになってしまいます。
あぁ、吉三郎様に会いたすぎて私はもう限界です。
いっそのこと、今の家も火事で焼けてしまえば、また吉三郎様に会えるのではないかしら・・・。
こうしてお七は、吉三郎に会うため、新居を放火。火はボヤで消し止められましたが、お七は放火の罪で裁かれ、処刑されてしまいました。
後にこの事件を知った吉三郎は、自害しようとしますが止められ、出家。お七を弔いました。
当時は、現代と違って自由恋愛は許されない時代でした。
お七の放火事件は、抑圧された愛情を満たすための悩んだ末の決断だったんだよ。
『武道伝来記』
好色一代男・好色五人女は「好色物」と呼ばれるジャンルでした。次に登場する『武道伝来記』は、「武家物」と呼ばれる浮世草子です。
『武道伝来記』は、1687年(貞享4年)に書かれた武家物の浮世草子。
日本全国の敵討ちをテーマにした32の短編小説です。
敵を討ってスッキリ爽快!!って感じではなく、敵討ちに至るまでの経過や心の葛藤、矛盾をテーマに描いた内容となっています。
『日本永代蔵』
『日本永代蔵』は、1688年(貞享5年)に書かれた小説で、町人物の浮世草子です。
数々の商人たちの成功と破産という栄枯盛衰の世相を描いた小説で、30話が収録されています。
商人たちの実話をモチーフに、多くの成功談と失敗談を盛り込んだ作品で、幕末に至るまで版を重ねるロングセラーとなりました。
『世間胸算用』
『世間胸算用』も町人物の浮世草子で、井原西鶴が亡くなる1年前の1692年(元禄5年)に書かれました
サブタイトルは「大晦日は一日千金」。そのタイトルのとおり、大晦日に繰り広げられる街のさまざまな出来事を描いています。
裕福な町人から貧しい町屋の人々まで、身分や貧富の上下を問わず、いろんな人たちの大晦日のあわただしい一日をまとめた作品です。
わずか一日にスポットを当てた異質の小説ですが、大晦日は一年の最後を締め括る集大成の日。
そんな大晦日ですから、その過ごし方は人々の人生観によって十人十色。井原西鶴は、いろんな人の大晦日の様子や喜怒哀楽を描くことで、表現豊かな最高の作品を作り上げました。
今でも、大晦日の代わりにクリスマスとかバレンタインを題材にした好色物なんかがあると、すごく面白そうだよねー。
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