場所請負制・商場知行制とは?アイヌと和人の関係から違いをわかりやすく解説【松前藩の制度史】

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場所請負制

もぐたろう
もぐたろう

今回は松前藩まつまえはん商場知行制あきないばちぎょうせい場所請負制ばしょうけおいせいについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!2つの制度の違いや、アイヌの人たちとの関わりまでバッチリ整理するね!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応

この記事を読んでわかること
  • 商場知行制とは何か・仕組みと松前藩における位置づけ
  • 場所請負制とは何か・運上屋と運上金の仕組み
  • 商場知行制と場所請負制の違いを比較でスッキリ整理
  • シャクシャインの乱・クナシリ・メナシの戦いと交易制度のつながり
  • アイヌへの影響と場所請負制が廃止された理由

場所請負制ばしょうけおいせいは、アイヌの人々を苦しめた“悪い制度”として知られています。でも実は——その前にあった商場知行制あきないばちぎょうせいのほうが、先にアイヌの自由を奪い、シャクシャインの乱という大反乱を引き起こしていました。場所請負制は、いわばその商場知行制の“改良版”。商人にとっては、とても合理的でムダのない制度だったのです。しかし、その「合理化」の先にこそ、アイヌにとっての本当の悲劇が待っていました。この記事では、2つの制度の違いをたどりながら、その理由をひもといていきます。

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商場知行制とは?【アイヌとの交易の始まり】

商場知行制とは?3行でわかるまとめ

・松前藩が、家臣に「アイヌと交易する権利」を給料(知行)として与えた制度。
・米がとれない松前藩は、米の代わりに“交易権”を分け与えるしかなかった。
・1604年(慶長9年)の松前藩成立とともに始まった。

ふつう江戸時代の大名は、家臣に「土地(領地)」を与えて、そこからとれる米を給料代わりにしていました。これを知行ちぎょうといいます。

ところが、松前藩のあった蝦夷地えぞち(今の北海道)は寒さがきびしく、米がほとんどとれません。米を給料として配ることができなかったのです。

そこで松前藩が考えたのが、「米の代わりに、アイヌと交易できる権利を給料にしよう」というアイデアでした。これが商場知行制あきないばちぎょうせいです。

■商場(あきないば)ってどんな場所?

商場あきないばというのは、藩士がアイヌと交易することを許された、決められた場所(エリア)のことです。「場所」とも呼ばれました。

商場には、アイヌがさけ昆布こんぶ・毛皮などの特産品を持ち寄り、藩士はそれを米や酒、鉄製品などと交換しました。

もぐたろう
もぐたろう

商場っていうのは、アイヌと交易できる権利のこと。今でいうと、決まったエリアでしか営業できない“商売の縄張り”みたいなイメージだよ!藩士はこの縄張りからの売り上げで生活していたんだ。

松前藩ってどんな藩?──蝦夷地(北海道)の南端を治めた藩で、米がほとんどとれないのが最大の特徴。だからアイヌとの交易こそが藩の生命線で、その交易の独占権を幕府から特別に認められていました。

■商場知行制の仕組み(STEP解説)

商場知行制の流れは、大きく3つのステップで整理できます。

STEP1:松前藩主が、家臣に「商場」を知行(給料)として割り当てる。

STEP2:家臣(藩士)は、自分の商場に出向いてアイヌと交易する。

STEP3:アイヌから得た鮭や昆布、毛皮などを売って、藩士は利益を得る。

このように、交易の主役はあくまで藩士本人でした。ここが、のちの場所請負制との大きな違いになります。

■なぜ場所請負制に移行したのか?ニシン漁の需要増加

商場知行制には、ある弱点がありました。それは、藩士たちが「商売のプロではなかった」ことです。

武士の本業は戦いや行政で、交易の駆け引きや経営は得意ではありません。さらに18世紀になると、にしん(ニシン)を原料とする肥料ひりょうの需要が全国で急増します。

ニシンからつくる「〆粕しめかす」は田畑の肥料として大人気となり、蝦夷地のニシン漁は一大ビジネスへと成長しました。

こうなると漁の規模はどんどん大きくなり、とても藩士ひとりの手には負えません。そこで「商売のプロである商人に、まるごと任せてしまおう」という流れが生まれます。これが、次の章で説明する場所請負制へとつながっていきます。

ゆうき
ゆうき

商場知行制と場所請負制って、どっちが先なの?

もぐたろう
もぐたろう

商場知行制が先だよ!1604年の松前藩成立と同時にスタートしたんだ。その後、18世紀ごろから少しずつ場所請負制に置きかわっていったんだよ。だから「商場知行制→場所請負制」の順番で覚えればバッチリだね!

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シャクシャインの乱(1669年)と交易制度の転換

商場知行制のもとで交易が進むにつれて、ある問題が深刻になっていきました。それは、交易のレートが、どんどんアイヌに不利になっていったことです。

たとえば、はじめは「米2俵=鮭100匹」だった交換比率が、しだいに「米1俵=鮭100匹」のように、和人(日本人)側に都合よく変えられていきました。アイヌは同じ量の品物を渡しても、年々受け取れる米が減っていったのです。

こうした不満が積もり積もって、ついに大きな反乱が起こります。1669年(寛文かんぶん9年)のシャクシャインの乱です。

シャクシャインは、日高ひだか地方の静内しずない(シブチャリ)を拠点とするアイヌの首長でした。彼は周辺のアイヌをまとめあげ、和人の商人や松前藩に対して、いっせいに立ち上がったのです。

シャクシャイン
シャクシャイン

俺たちアイヌは、なぜこんな不公平な扱いを受けなければならないんだ…!この怒りを、もう抑えることはできない。

蜂起した当初、アイヌ側は各地で和人を襲い、優勢に戦いを進めました。しかし、鉄砲などの武器で勝る松前藩が、しだいに反撃を強めていきます。

追いつめられたシャクシャインは、松前藩から「和睦しよう」ともちかけられ、その和議わぎ(仲直り)の席に出向きました。ところが——これは松前藩のわなでした。シャクシャインは酒宴の場でだまし討ちにあい、殺されてしまったのです。

指導者を失ったアイヌの抵抗はしずまり、乱は終結しました。そしてこの事件以降、アイヌは松前藩の支配のもとに大きく組みこまれ、自由に交易する力を失っていくことになります。

あゆみ
あゆみ

アイヌの人たちって、こんな扱いを受けていたんですね…。和議の席で討たれるなんて、あんまりです。

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ…。シャクシャインの乱は、ただの反乱じゃなくて、交易制度の“転換点”になった事件なんだよ。この乱でアイヌの抵抗力がそがれたことで、和人側はますます有利な立場になった。そして、より組織的にアイヌを管理する仕組み——場所請負制へと進んでいくんだ。

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場所請負制とは?【わかりやすく解説】

場所請負制とは?3行でわかるまとめ

・藩士が持っていた商場での交易権を、商人にまるごと請け負わせた制度。
・商人は交易を代行する見返りに、藩士へ「運上金」というお金を納めた。
・17世紀末ごろから現れはじめ、18世紀前半には蝦夷地の交易の主流となった。

場所請負制ばしょうけおいせいとは、藩士が「自分で交易するのは大変だから」と、商場での商売を商人にまるごと任せてしまう仕組みです。

交易を任された商人を場所請負人ばしょうけおいにんといいます。彼らは藩士に代わって商場(=場所)を経営し、その見返りとして決まったお金を納めました。

■運上屋と運上金の仕組み

場所請負人は、それぞれの商場に運上屋うんじょうやという拠点をつくりました。運上屋は、アイヌとの交易や漁の管理を行う“現地の本社”のような施設です。

そして、商人が藩士に納めるお金を運上金うんじょうきんといいました。藩士は自分では何もしなくても、この運上金を受け取るだけで収入を得られるようになったのです。

もぐたろう
もぐたろう

運上屋っていうのは、今でいうと“現地の支店+管理事務所”みたいなもの。運上金は、商人が藩士に払う“営業の許可料(フランチャイズ料)”ってイメージだよ。藩士はもう自分で働かなくても、お金が入ってくる仕組みになったんだ!

場所請負人になったのは、近江おうみ(今の滋賀県)や大坂、江戸などの大商人が中心でした。彼らは豊富な資金力を生かして、ニシン漁や昆布漁を大規模に展開していきます。

しかし、商人にとって「もうけ」がいちばん大事だったことが、やがてアイヌにとっての悲劇を生むことになります。

商場知行制と場所請負制の違いを比較

ここまで読んで、「結局、2つの制度は何がちがうの?」と思った人も多いはず。一言でいえば、交易の担い手が「藩士」から「商人」に変わった——これが最大のポイントです。

商場知行制のポイント:交易するのは藩士本人/1604年〜/アイヌの自由がまだ残っていた

場所請負制のポイント:交易するのは商人(場所請負人)/17世紀末〜18世紀前半/アイヌへの支配・搾取が強まった

比較項目商場知行制場所請負制
開始時期1604年(松前藩成立)ごろ〜17世紀末〜18世紀前半
交易の担い手松前藩の藩士(知行主)場所請負人(商人)
仕組み交易権を「知行(給料)」として付与交易を商人が請け負い「運上金」を納付
アイヌとの関係不利な交易が進む(自由はまだ残る)運上屋での強制労働・搾取が強まる
代表的な反乱シャクシャインの乱(1669年)クナシリ・メナシの戦い(1789年)

ゆうき
ゆうき

場所請負制のほうは、藩士じゃなくて商人がやるってこと?

もぐたろう
もぐたろう

そのとおり!藩士は商売が下手なうえに、ニシン漁の規模が大きくなりすぎて、とても手に負えなくなったんだ。だから「経営のプロ」である商人に丸投げした、というわけ。覚え方は“藩士→商人にバトンタッチ”でOKだよ!

場所請負制の闇:アイヌへの苛酷な影響

商人が交易を仕切るようになると、アイヌの立場はますます弱くなっていきました。

場所請負人は、より多くのもうけを出すために、アイヌを運上屋での労働力として使うようになります。アイヌは鮭漁や昆布採取、ニシン漁などに、半ば強制的にかり出されました。

賃金はわずかで、しかも品物で支払われることが多く、その交換レートも商人に都合よく決められていました。働いても働いても、まともな対価は得られなかったのです。

さらに、男性が遠くの漁場へ連れて行かれることで家族が引きさかれ、伝統的な暮らしや文化までもが大きく壊されていきました。「場所請負制=アイヌ搾取の制度」と呼ばれるのは、こうした実態があったからです。

もぐたろう
もぐたろう

商場知行制のころは、まだアイヌが自分たちの暮らしを保ちながら交易していたんだ。でも場所請負制になると、アイヌは商人に“使われる労働力”にされてしまった。制度が“合理的”になるほど、アイヌの自由が奪われていった——ここが、この記事でいちばん知ってほしいポイントだよ。

あゆみ
あゆみ

知らなかった…。こんな歴史があったんですね。アイヌの人たちは、ただ黙って耐えていたんですか?

もぐたろう
もぐたろう

いや、ちゃんと抵抗したんだよ!それが、次の章で話す「クナシリ・メナシの戦い(1789年)」なんだ。シャクシャインの乱から120年——アイヌは、ふたたび立ち上がることになる。


クナシリ・メナシの戦い(1789年)

シャクシャインの乱から120年——1789年(寛政かんせい元年)、アイヌはふたたび立ち上がりました。これがクナシリ・メナシの戦いです。

舞台となったのは、北海道の東のはて、クナシリ(国後島)とメナシ(標津周辺)の地域。ここでも場所請負制のもとで、商人によるアイヌへの過酷な労働の強制や、不当な交易がくり返されていました。

📍 クナシリ・メナシってどこ? クナシリは現在の国後島、メナシは根室半島の北側・標津しべつ一帯を指します。どちらも北海道の東のはずれで、アイヌが多く暮らす地域でした。

耐えかねたアイヌたちは、ついに蜂起します。襲撃によって71名もの和人が殺害されました。シャクシャインの乱と同じく、アイヌの怒りはもはや限界に達していたのです。

しかし、松前藩はただちに鎮圧に乗り出します。蜂起したアイヌは捕らえられ、主謀者とされた37名が処刑されました。アイヌの抵抗は、またしても力でねじ伏せられてしまったのです。

最上徳内
最上徳内

アイヌたちは過重な労働を強いられ、その土地を奪われた。私はこの目で、彼らの暮らしの厳しさを目の当たりにした……。

この最上徳内(1755〜1836年)は、当時の蝦夷地を探検した幕府の役人です。彼はアイヌの暮らしを実際に見聞きし、その記録を後世に残しました。蜂起の背景にどれほどの苦しみがあったか、その証言は重い意味を持っています。

あゆみ
あゆみ

シャクシャインの乱の120年後に、また反乱が起きてしまったんですね…。制度が変わっても、結局アイヌの苦しみは変わらなかったということですか?

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ。商場知行制から場所請負制へと“制度の名前”は変わったけど、アイヌを搾取するという根っこの部分は変わらなかった。だから、120年たってもまた同じように反乱が起きてしまったんだよ。クナシリ・メナシの戦いについてもっと知りたい人は、専用の記事も読んでみてね。

場所請負制の廃止とその後

クナシリ・メナシの戦いは、幕府を大きく動かすきっかけになりました。ちょうどこのころ、北からはロシアが日本に接近しはじめていたからです。

「松前藩や商人にまかせきりでは、北の守りがあぶない」——そう考えた江戸幕府は、ついに蝦夷地を自分たちの直接支配下に置く決断をします。1799年(寛政11年)に東蝦夷地を、1807年(文化4年)には西蝦夷地を直轄化し、このとき場所請負制も一時的に廃止されました。

ゆうき
ゆうき

場所請負制が廃止されたなら、アイヌの人たちはやっと自由になれたの?

もぐたろう
もぐたろう

それが、そう簡単にはいかなかったんだ…。制度の名前は変わっても、幕府の直轄になったあともアイヌへの労働の強制は続いた。「誰が支配するか」が変わっただけで、アイヌが苦しい立場に置かれたことは、ほとんど変わらなかったんだよ。

その後、幕府の直轄と松前藩への返還がくり返されたのち、明治時代に入ると蝦夷地は「北海道」と名づけられ、本格的な開拓が始まります。

しかし、アイヌにとっての苦難はここでも終わりませんでした。1899年(明治32年)に制定された北海道旧土人保護法ほっかいどうきゅうどじんほごほうによって、アイヌは伝統的な暮らしや土地を失い、和人への同化を強いられていきます。「保護」という名前とは裏腹に、アイヌの文化と権利を大きく損なう法律だったのです。

もぐたろう
もぐたろう

商場知行制→場所請負制→幕府直轄→明治の同化政策。担い手は次々と変わったけど、アイヌが苦しい立場に置かれ続けたという事実は変わらなかった。「制度が廃止された=問題が解決した」わけじゃない——ここが、この歴史をふり返るうえで大事なポイントだよ。

商場知行制・場所請負制の理解を深めるおすすめ本

①アイヌの歴史・文化を一冊でつかむなら|まずこの本から

商場知行制や場所請負制の背景を深く理解するには、アイヌ民族そのものの歴史・文化への理解が欠かせません。考古学者でアイヌ研究の第一人者・瀬川拓郎が書いた『アイヌ学入門』(講談社現代新書)は、海を渡り交易を担った「海の民」としてのアイヌ像を、最新の考古学・歴史学の視点からわかりやすく描いた一冊です。「アイヌ=狩猟民」という従来のイメージを覆し、北方交易ネットワークの中でアイヌが果たした役割をリアルに知ることができます。松前藩との交易制度を学んだ後に読むと、より立体的にこの時代が見えてきます。

アイヌ学入門

瀬川拓郎 著|講談社

テストに出るポイント【商場知行制・場所請負制】

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 商場知行制(1604年〜):松前藩士がアイヌとの交易権(商場)を知行として持つ制度。藩士が直接交易を行った
  • 場所請負制(18世紀に確立):商人が藩士から場所を借り受け、交易を管理する制度。運上金を藩に納めた
  • シャクシャインの乱(1669年):商場知行制下の不当な交易に不満を持ったアイヌが蜂起した事件
  • クナシリ・メナシの戦い(1789年):場所請負制下の強制労働に対するアイヌの反乱
  • 運上屋うんじょうや:場所請負制下で商人が設置した交易・管理の拠点
  • 運上金うんじょうきん:商人が松前藩に支払った場所の使用料

📌 暗記のコツ:入試では「商場知行制→場所請負制」への移行の流れが頻出です。「担い手が藩士から商人へバトンタッチ」「商場知行制が・場所請負制が」とセットで覚えましょう。「あきないばちぎょうせい」の漢字変換(商場知行制)も問われやすいので要注意です。

ゆうき
ゆうき

「松前藩がアイヌとの交易権を藩士に与えた制度を漢字5字で答えなさい」って出たんだけど、これって商場知行制でいいの?

もぐたろう
もぐたろう

正解!「藩士が」交易するのが商場知行制、「商人が」請け負うのが場所請負制だよ。問題文に“藩士”が出てきたら商場知行制、“商人”や“運上金”が出てきたら場所請負制——このキーワードで見分ければバッチリだね!

よくある質問(FAQ)

交易権を「誰が」管理するかの違いです。商場知行制は藩士が持ち、場所請負制は商人が請け負う仕組みです。

商場知行制の下で、和人との交易レートがアイヌにとって年々不利になり(同じ量の品物で受け取れる米が減らされるなど)、その不満が積み重なった結果です。

運上屋での強制労働、漁獲物の強制的な買い取り、家族からの引き離しなどが行われ、アイヌの伝統的な生活が大きく破壊されました。

場所請負制下での強制労働と搾取に耐えかねたアイヌが1789年に蜂起した事件です。シャクシャインの乱から120年後の出来事です。

1799年に江戸幕府が東蝦夷地を直轄化したことで一時廃止されました。ただし、アイヌへの労働強制はその後も形を変えて続きました。

「商場知行制と場所請負制の違い」「シャクシャインの乱・クナシリ・メナシの戦いの背景」がよく出ます。制度移行の流れと「誰が交易を管理するか」を押さえましょう。

まとめ:商場知行制・場所請負制の歴史

松前藩のアイヌ交易制度は、商場知行制から場所請負制へと姿を変えながら、アイヌの暮らしを少しずつ追いつめていきました。最後に、その流れを年表で整理しておきましょう。

商場知行制・場所請負制の年表
  • 1604年
    松前藩成立・商場知行制が始まる
  • 1669年
    シャクシャインの乱
  • 18世紀前半
    場所請負制の確立
  • 1789年
    クナシリ・メナシの戦い
  • 1799年
    東蝦夷地直轄化・場所請負制廃止(一時)
  • 1899年
    北海道旧土人保護法

もぐたろう
もぐたろう

以上、商場知行制と場所請負制のまとめでした!「藩士が交易するのが商場知行制」「商人が請け負うのが場所請負制」——この違いだけ押さえれば、テストはバッチリだよ。下の記事で、シャクシャインの乱や松前藩とアイヌの関係についてもあわせて読んでみてね!

📅 最終確認:2026年6月
📖 本記事は山川出版『詳説日本史』(2022年版)に基づいています。中学歴史・高校日本史どちらにも対応しています。

参考文献

Wikipedia日本語版「シャクシャインの戦い」(2026年6月確認)
Wikipedia日本語版「場所請負制」(2026年6月確認)
Wikipedia日本語版「クナシリ・メナシの戦い」(2026年6月確認)
コトバンク「商場知行制」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
コトバンク「場所請負制」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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