江戸時代

江戸
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江戸時代

EDO PERIOD / 1603〜1853年(幕藩体制の成立から対外危機まで)

約250年
時代の長さ
37記事
収録記事数
4 STEP
時代区分

江戸250年間 ─ 時代区分の比率

なぜ江戸時代は「泰平の世」と呼ばれるのか

江戸時代は、幕藩体制のもとで約250年にわたる平和と変革が共存した時代である

1603年、徳川家康が江戸に幕府を開いてから1853年のペリー来航まで——約250年にわたる江戸時代は、参勤交代・身分制度・鎖国によって安定を保ちながら、元禄文化・化政文化・田沼時代・三大改革など激しい変革を繰り返した複合的な時代です。この特集では、江戸250年を4つの時代区分に整理し、各時代を深掘りできる構成になっています。

4 つの時代

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江戸250年を読み解く、四つの時代

THEME INDEX

幕藩政治・三大改革

幕府の支配制度・政策・改革

徳川幕府の政治制度(武家諸法度・参勤交代)から享保・寛政・天保の三大改革、田沼意次の重商主義政策まで。260年の政治の流れを記事でたどる。

武家諸法度 徳川綱吉 正徳の治 享保の改革 田沼意次 徳川家治 寛政の改革 天保の改革 大坂の陣準備中 慶安の変準備中 徳川家康準備中

元禄・化政文化

町人文化・芸術・文学

町人が担い手となった元禄文化(俳諧・浮世絵草創・装飾画)と化政文化(錦絵・読本・狂歌・蘭学)。平賀源内・蔦屋重三郎ら文化の仕掛け人にも注目。

井原西鶴 平賀源内 蔦屋重三郎 喜多川歌麿 尾形光琳準備中 菱川師宣準備中 松尾芭蕉準備中 本居宣長準備中

対外関係・鎖国

外交政策・外国船来航・開国前夜

島原の乱と鎖国の完成から、ラクスマン・レザノフ来航、フェートン号事件、異国船打払令まで。孤立した日本に外圧が高まる対外関係史を記事でたどる。

鎖国 島原の乱 フェートン号事件 モリソン号事件 異国船打払令 ラクスマン来航準備中 レザノフ来航準備中 ゴローニン事件準備中

経済・社会・産業

商業・貨幣・農村・身分制度

三都(江戸・大坂・京都)を中心とした商品経済の発展、株仲間・三貨制度・場所請負制、農村の変化。身分制度が社会を規定した江戸の経済社会史。

株仲間準備中 三貨制度準備中 場所請負制準備中 シャクシャインの戦い準備中 農村の変化準備中

TIMELINE

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江戸史のハイライト年表

1603 江戸幕府成立 徳川家康が征夷大将軍に就任。江戸を本拠に武家政権を開く。
1615 武家諸法度制定・大阪夏の陣 豊臣氏を滅ぼし戦国時代に終止符。大名統制の基本法を制定。
1635 参勤交代の制度化 3代将軍家光が武家諸法度に明記。大名が1年おきに江戸と国元を往復する義務。
1641 鎖国体制の完成 長崎出島にオランダ商館を移転。日本人の海外渡航・帰国を全面禁止し鎖国が完成。
1716 享保の改革(吉宗) 8代将軍吉宗が幕府財政を立て直す三大改革の一つ。上米の制・目安箱・公事方御定書などを実施。
1787 寛政の改革(松平定信) 田沼時代の贈収賄を一掃し倹約・農村復興を断行。厳格すぎて反発を招き失脚。
1825 異国船打払令 外国船を問答無用で砲撃する強硬策。モリソン号事件で批判を受け後に緩和。
1841 天保の改革(水野忠邦) 三大改革の一つ。人返し令・株仲間解散・倹約令を実施。2年余りで失敗に終わる。
1853 ペリー来航・黒船 浦賀に4隻の蒸気船が来航。鎖国を揺るがす開国要求。日本社会に大衝撃。
1858 日米修好通商条約締結 井伊直弼が勅許なく調印。安政の大獄→桜田門外の変(1860)へ。
1867 大政奉還 15代将軍慶喜が政権を朝廷に返上。翌年の王政復古の大号令で江戸幕府が終焉。

江戸史でよく出る疑問

1603年(慶長8年)、徳川家康が征夷大将軍に任じられた時が成立とされます。ただし豊臣氏が滅亡した1615年(元和元年)の大阪夏の陣後にようやく安定政権となりました。
大名が1年おきに江戸と国元(藩)を往復する義務制度(1635年制度化)。莫大な費用が大名の財政を圧迫し、幕府への反抗を防ぐ効果がありました。妻子は江戸に人質として常駐させられました。
1641年に完成。日本人の海外渡航禁止・外国船の寄港地制限(長崎・対馬・薩摩・松前の4口)を柱とした対外政策です。ただし「完全な鎖国」ではなく、オランダ・中国・朝鮮・琉球との貿易・交流は継続していました。
幕府財政立て直しを目的とした3つの政治改革の総称。①享保の改革(8代吉宗・1716〜):上米の制・目安箱。②寛政の改革(松平定信・1787〜):倹約・棄捐令。③天保の改革(水野忠邦・1841〜):人返し令・株仲間解散。いずれも2〜5年で頓挫。
17世紀末の「元禄文化」(松尾芭蕉・井原西鶴・近松門左衛門・尾形光琳)と19世紀初頭の「化政文化」(葛飾北斎・歌川広重・滝沢馬琴・十返舎一九)が二大文化期。上方(大阪・京都)発の元禄文化と江戸発の化政文化という違いがあります。
ペリー来航(1853年)以来の外圧で攘夷論が高まり、薩摩・長州を中心とする「尊王攘夷」運動が台頭。公武合体策も失敗し、15代将軍慶喜が1867年に大政奉還。翌年の王政復古の大号令・戊辰戦争で徳川政権が終焉しました。