土一揆・国一揆とは?正長の土一揆から山城の国一揆まで農民の抵抗運動をわかりやすく解説

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土一揆・国一揆

もぐたろう
もぐたろう

今回は室町時代の民衆運動——土一揆・国一揆について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「正長しょうちょうの土一揆」「嘉吉かきつの土一揆」「山城やましろの国一揆」「徳政令」もセットで覚えられるようにまとめるね!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応

この記事を読んでわかること
  • 土一揆・国一揆とは何か、その違いがひと目でわかる
  • 正長の土一揆(1428年)・嘉吉の土一揆(1441年)の原因・経過・結果がわかる
  • 山城の国一揆(1485〜1493年)で農民・国人が8年間自治を実現した経緯がわかる
  • 徳政令とは何か、私徳政との違いと「借金帳消し」の功罪がわかる
  • 惣(そう)という村落共同体が一揆を支えた仕組みがわかる

室町時代の農民といえば、支配される側——そんなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。

実は農民たちは、自分たちで借金証文を燃やし、守護大名しゅごだいみょうを国から追い出すほどの政治力を持っていました。幕府すら動かして徳政令を出させた——これが土一揆どいっき国一揆くにいっきの実態です。

この記事では、土一揆・国一揆のそれぞれの意味と違い、正長の土一揆・嘉吉の土一揆・山城の国一揆という主要な事件を、中学生でもわかるようにわかりやすく解説します。

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土一揆とは?国一揆とは? 基本をわかりやすく解説

土一揆・国一揆・徳政令の3行まとめ
  • 土一揆:室町時代、農民(土民)が徳政令(借金帳消し)を求めて起こした武力行動
  • 国一揆:農民・国人(地侍)が守護大名の支配に抵抗した一揆。山城の国一揆が最大の例
  • 徳政令:幕府が発した借金帳消し令。農民が幕府を待たず自力で証文を奪う「私徳政」も起きた

まず「土一揆」の「土」とは何でしょうか。室町時代、農民・庶民のことを「土民どみん」と呼んでいました。つまり土一揆とは、土民(農民)が起こした一揆という意味です。

土一揆の最大の目的は、徳政令とくせいれい——借金を帳消しにする命令——を幕府に出させることでした。室町時代は農民が土倉どそう(金融業者)や酒屋から高い利息でお金を借りており、返せなくなった農民が増えていたのです。

あゆみ
あゆみ

土一揆と国一揆って、どこが違うの?どちらも「一揆」なのに……。

もぐたろう
もぐたろう

一番わかりやすい違いは「参加者」と「目的」の2点だよ!土一揆=農民(土民)が借金帳消しを要求、国一揆=国人(地侍・武士身分の農村支配者)と農民が一緒になって守護を排除しようとした運動。今でいえば、土一揆は「消費者ローン踏み倒し運動」、国一揆は「地方が中央政府を追い出した自治運動」みたいなイメージだよ!

「国人(こくじん)」とは、各地の農村に土着して土地を支配していた小規模な武士のことです。守護大名の家臣でありながら、独自の利権を持っていたため、守護大名の横暴な支配には強く反発しました。

土一揆と国一揆の違いをひとことで言うと、次のようになります。

土一揆:参加者=農民(土民)/目的=徳政令(借金帳消し)の要求

国一揆:参加者=国人(地侍)+農民/目的=守護大名の排除・自治の確立

この「参加者」と「目的」の2点セットを押さえておけば、テストで「土一揆と国一揆の違いを説明しなさい」という問題が出ても、すぐに答えられます。

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なぜ農民は立ち上がったのか——惣と一揆の仕組み

「農民が守護大名に立ち向かえるの?」と思う人もいるかもしれません。実はこれには理由があります。室町時代、農民たちはそう(惣村)と呼ばれる強力な自治組織を作っていたのです。

とは、農民が自分たちで形成した村落の自治共同体のことです。村人全員が集まる「寄合よりあい」で話し合いをして、「惣掟そうおきて」と呼ばれる村のルールを自分たちで決めました。今でいえば自治会や町内会の、もっと強力なバージョンをイメージするとわかりやすいでしょう。

📌 惣(そう)とは:室町時代に農民が形成した自治的な村落共同体。寄合で村のルールを決め、惣掟そうおきてを制定した。惣村そうそんの発達が土一揆・国一揆を可能にした組織力の根底にある。

惣には大きな力がありました。農村の水の管理(水利権)、共同の山林・野原の利用(入会地)、そして村の税の徴収まで、農民たちが自分たちで取り仕切っていたのです。この経験が、組織的な集団行動——一揆を生み出しました。

ゆうき
ゆうき

農民って武士より弱いのに、なんで幕府も動かせたの?

もぐたろう
もぐたろう

「数の力」と「組織力」が答えだよ!何千人・何万人もの農民が一斉に立ち上がると、武士だけでは対応できない。さらに馬借ばしゃく(荷物を運ぶ運送業者)が加わると、京都への物資の流れが完全に止まる——これが幕府に「徳政令を出すしかない」と決断させた圧力の正体だよ!

馬借ばしゃくとは、馬で荷物を運ぶ運送業者のことです。今でいえばトラック運転手のような存在で、室町時代の物流を担っていました。馬借が一揆に加わると、京都への食料・物資の輸送が止まり、都市機能に直接打撃を与えることができたのです。

つまり土一揆・国一揆は、単なる農民の「暴動」ではありませんでした。惣という自治組織が生み出した組織的かつ戦略的な政治運動だったのです。この点が、後の時代の「百姓一揆」とは大きく異なります。

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正長の土一揆(1428年)——最初の大規模土一揆

正長の土一揆(1428年):4点整理|いつ→1428年(正長元年)|誰が→近江の馬借・農民|なぜ→借金問題と飢饉|結果→私徳政の実行・幕府は拒否するも事実上黙認

1428年(正長元年)、日本史上最初の大規模な土一揆が起きました。これが正長の土一揆しょうちょうのどいっきです。

発端は近江国(現在の滋賀県)の馬借ばしゃく・馬子(うまこ)たちの蜂起でした。彼らは重い借金に苦しみ、返済の見通しが立たない状況に追い詰められていました。蜂起はたちまち農民たちにも広がり、京都へと波及します。

京都に到達した一揆勢が向かった先は、土倉どそう酒屋でした。土倉とは、質草を取って金を貸す金融業者のことです。現代でいえばリース会社や質屋のような存在で、農民の多くがここから高利で借金していました。酒屋も醸造業の傍らで金融業を営んでいることが多かったのです。

一揆の農民
一揆の農民

借金証文?そんなもん、燃やしてしまえ!これが俺たちの徳政だ!幕府が動かないなら、自分たちでやるしかない!

農民たちは土倉・酒屋に押し入り、借金の証文を奪い取って自分たちで焼き捨てました。これを「私徳政わたくしとくせい」と言います。幕府の公式命令(徳政令)を待たず、農民が自力で借金を帳消しにしてしまった行為です。

📌 私徳政(わたくしとくせい)とは:農民が幕府の命令を待たずに、自力で土倉・酒屋に押し入って借金証文を奪い、焼き捨てることで借金を「なかったこと」にした行為。公式の徳政令(幕府・守護が発するもの)とは区別される。「自力救済」の一形態。

歴史の証拠——奈良に残る「柳生の徳政碑文」

奈良県の柳生荘(現・奈良市柳生町)に、正長の土一揆の時代に農民が刻んだとされる石碑が今も残っています。その碑文には「正長元年ヨリサキ者 カンヘ四ケ郷ニ ヲヰメ アルヘカラス」——大意「正長元年より以前の借金は帳消しとする」という内容が刻まれています。

幕府の命令を一切待たず、農民たちが自分たちで「俺たちに借金はない」と石に刻んで宣言した。これが「私徳政」の実態を示す、日本史上きわめて珍しい一次史料です。学術界では「民衆の声が刻まれた石碑」として高く評価されています。

なお、この一揆が起きた1428年は、4代将軍・足利義持が同年1月に死去し、次期将軍の選出(くじ引き)が行われた直後の年です。正式な将軍がいない不安定な時期に一揆は発生し、管領・畠山満家ら幕府の重臣たちはこの要求を拒否しました。しかし一揆があまりにも大規模だったため、幕府は徳政令を公式には出さないまま、事実上これを黙認するしかありませんでした。

正長の土一揆は、農民が幕府に対して政治的要求を突きつけた日本史上初の大規模な事例として、歴史に刻まれています。この地震のような衝撃は、その後の一揆運動を大きく後押しすることになりました。

もぐたろう
もぐたろう

「私徳政」がポイント!公式の徳政令(幕府が出す)じゃなくて、農民が自分たちの手で証文を奪って燃やした——これが正長の土一揆の最大の特徴だよ。幕府を通さずに「自力救済」したわけで、当時としては革命的な行動だったんだ。テストでは「私徳政」というキーワードで記述問題が出ることもあるから要チェック!

嘉吉の土一揆(1441年)——徳政令を勝ち取った民衆

正長の土一揆から13年後の1441年、今度は幕府の正式な徳政令を勝ち取る一揆が起きました。これが嘉吉の土一揆かきつのどいっき(嘉吉の徳政一揆とも)です。

この一揆が起きた背景には、同年に起きた「嘉吉の変」が深く関わっています。嘉吉の変とは、守護大名の赤松満祐(あかまつみつすけ)が6代将軍・足利義教(よしのり)を暗殺した事件です。

足利義教の肖像画
6代将軍・足利義教の肖像。強権的な政治を行い「万人恐怖」と恐れられたが、嘉吉の変で暗殺された。

足利義教
足利義教

徳政令?民に甘い顔をすれば、幕府の権威が落ちる。断じて認めん!

もぐたろう
もぐたろう

義教はこう言っていたけど、その年の6月に赤松満祐に暗殺されちゃうんだよ!幕府は一気に大混乱。そこに農民たちが一斉に蜂起して「今がチャンスだ!」って徳政令を要求したわけ。混乱した幕府はついに要求を認めて、日本史上初めて「民衆が幕府に政策変更を強制した」瞬間が生まれたんだ!

嘉吉の変で義教が暗殺されると、幕府は指導者を失って政治的に弱体化しました。そこへ数万人規模の農民が京都に押し寄せて徳政令を要求したのです。幕府は対応する余力を持てず、ついに正式な徳政令を発布するに至りました。

これは日本史において画期的な出来事でした。武士でも貴族でもない農民が、幕府の政策を変更させた——つまり民衆が政治を動かしたという歴史的事実です。正長の土一揆が「私徳政(自力救済)」で終わったのに対し、嘉吉の土一揆では幕府の公式な徳政令を引き出すことに成功しました。

📌 嘉吉の土一揆のポイント:①嘉吉の変(足利義教暗殺)で幕府が弱体化 ②農民が好機を捉えて京都に押し寄せ ③幕府が正式な徳政令を発布——この3ステップが定期テスト・共通テストで頻出。「嘉吉の変と嘉吉の土一揆は同年(1441年)」という年代の一致も覚えておこう。

国一揆とは? 守護大名に立ち向かった国人たち

土一揆が農民(土民)中心の運動だったのに対し、国一揆国人こくじん(地侍)が中心となって起こした一揆です。国人とは、地方の農村に根ざした小規模な武士のことで、守護大名の下に置かれながらも独自の地位を持っていました。

国一揆の目的は、徳政令(借金帳消し)ではありません。守護大名の横暴な支配を排除し、自分たちの自治を守ることでした。特に応仁の乱(1467年〜)以降、守護大名が在京(京都に滞在)して地元を顧みないケースや、反対に乱暴な支配を押し付けるケースが増えていたのです。

あゆみ
あゆみ

「国人」って武士なの?農民なの?なんかよくわからない……。

もぐたろう
もぐたろう

国人は「地侍(じざむらい)」とも呼ばれる武士身分の人たちだよ。農村に住んでいて、農民を支配する側——でも守護大名の家臣でもある、という中間的な立場。今でいえば「地方の名士・地主であり、県知事(守護大名)の部下でもある市長さん」みたいなイメージかな!守護大名が横暴なことをすると、自分たちの利権が侵されるから一揆で対抗したんだよ。

播磨はりまの国一揆(1429年)——国一揆の先駆け

最初の国一揆として歴史に残るのが、1429年(正長2年)に播磨国(現在の兵庫県)で起きた播磨の国一揆はりまのくにいっきです。

播磨の守護大名は赤松満祐(のちに嘉吉の変で義教を暗殺する人物)でした。一揆勢は国人・農民が団結して守護方の軍兵・代官を一時的に国内から追い払いましたが、京都にいた赤松満祐が播磨の守護代・浦上氏らに命じて鎮圧させ、最終的には平定されました。

播磨の国一揆は最終的には鎮圧されましたが、「国人と農民が連合して守護方の支配に抵抗する」という国一揆の基本パターンを示した点で重要です。この経験が、後の山城の国一揆(1485年)へとつながっていきます。

山城の国一揆(1485〜1493年)——農民が守護大名を追い出した!

山城の国一揆のポイント:国人+農民が守護大名を撤退させ、三十六人衆による8年間の自治を実現——室町時代最大・最長の国一揆

国一揆の最高傑作として日本史に輝くのが、山城の国一揆やましろのくにいっき(1485〜1493年)です。山城国とは現在の京都府南部にあたる地域で、室町幕府のお膝元でした。

この一揆の背景には、応仁の乱(1467〜1477年)があります。応仁の乱で東軍と西軍に分かれて対立していた畠山義就はたけやまよしひろ(西軍)と畠山政長はたけやままさなが(東軍)は、応仁の乱が終わった後も山城国で戦闘を続けていました。国内は荒れ果て、農民・国人の生活は壊滅的な打撃を受けていたのです。

1485年(文明17年)、ついに山城の国人・農民は決起しました。

要求①:両畠山軍は山城国から即時撤退せよ!

要求②:守護代・荘園の代官を追放し、徳政令を実施せよ!

国人・農民の代表者たちは宇治うじ平等院に集まって会議を開き、両畠山軍への撤退を迫りました。驚くべきことに、この要求は実現します。両畠山軍は山城国から撤退し、国人・農民が国内の支配権を手にしたのです。

あゆみ
あゆみ

8年間も自治を続けられたって、すごくない?どうやって運営したの?

もぐたろう
もぐたろう

三十六人衆という自治組織を作ったんだよ!今でいえば「地方議会」みたいなイメージ。国人36人が代表として集まって月交代で運営する仕組みを整えた。宇治平等院を会場に「国中掟法(こくちゅうおきてほう)」という自治法まで制定したんだ。農民が守護なしで8年間も国を運営したって、日本史上ほぼ奇跡に近い話だよ!

📌 三十六人衆(さんじゅうろくにんしゅう)とは:山城の国一揆で組織された国人代表者会議。国人36人が月交代(月行事)で運営。宇治平等院を定期会合の場として国中掟法こくちゅうおきてほう(自治法)を制定し、山城国内の行政・裁判・税収を取り仕切った。室町時代における民衆自治の到達点。

しかし、この輝かしい自治は永続しませんでした。1493年(明応の政変の年)、幕府の実力者・細川政元ほそかわまさもとが山城の支配権を回復し、三十六人衆の自治は終わりを告げます。8年間という期間でしたが、農民・国人が守護なしで地方行政を動かしたこの経験は、その後の戦国大名たちにも大きな影響を与えました。

山城の国一揆は、「農民や国人が単なる支配される存在ではなく、自ら政治を動かす主体になれる」ということを歴史に証明した出来事として、高く評価されています。

土一揆と国一揆の違い——整理して覚えよう

土一揆:参加者=農民(土民)/目的=徳政令(借金帳消し)/代表例=正長の土一揆(1428年)・嘉吉の土一揆(1441年)

国一揆:参加者=国人(地侍)+農民/目的=守護大名の排除・自治確立/代表例=播磨の国一揆(1429年)・山城の国一揆(1485〜1493年)

ここまで個別の事例を見てきましたが、改めて土一揆と国一揆の違いを整理しておきましょう。テストで「違いを説明せよ」という問題が出たとき、この2点を軸に答えられれば完璧です。

比較項目土一揆国一揆
主な参加者農民(土民)国人(地侍)+農民
主な目的徳政令の要求(借金帳消し)守護大名の排除・自治確立
活動時期15世紀前半〜中期15世紀中期〜後期
代表例正長の土一揆(1428)・嘉吉の土一揆(1441)播磨の国一揆(1429)・山城の国一揆(1485〜1493)
結果幕府の徳政令を引き出す(嘉吉以降)守護撤退・8年間の自治実現(山城)

最大のポイントは「参加者」と「目的」の2点です。土一揆の「土」は土民(農民・庶民)を意味し、目的は借金帳消し(徳政令)の要求です。一方、国一揆には国人こくじん(武士身分の地侍)が加わり、目的は守護大名を排除して自治を実現することでした。

ゆうき
ゆうき

テストで「土一揆と国一揆の違い」を答えさせる問題が出たら、どう書けばいい?

もぐたろう
もぐたろう

「土一揆は農民(土民)が徳政令(借金帳消し)を求めて起こした一揆、国一揆は国人(地侍)と農民が守護大名の支配に抵抗して自治を求めた一揆。参加者と目的が異なる」——これを1〜2文でまとめれば記述問題もバッチリだよ!「参加者」と「目的」の2点セットで答えるのがコツ!

徳政令とは?——借金帳消しの功罪

土一揆を語るうえで欠かせないキーワードが徳政令とくせいれいです。幕府や守護が「すべての借金を帳消しにする」と命じた法令のことで、農民にとっては文字通り「天の助け」でした。

しかし徳政令には、メリットだけでなく大きなデメリット(副作用)もありました。「功」と「罪」の両面を理解しておくと、室町時代の経済がなぜ不安定だったかもよくわかります。

徳政令の「功」と「罪」

【功】 農民の借金が帳消しになり、一時的に生活が安定した。重い借金に苦しむ農民が救済され、農業の再建や年貢の支払い能力が回復した。

【罪】 土倉・酒屋などの金融業者が「どうせ徳政令で帳消しになるなら、もう貸さない」と考えて貸付を控えるようになった。その結果、農民が新たな資金を借りられなくなり、室町の商業・農業が停滞するという逆説的な副作用が生じた。

徳政令には大きく2種類があります。ひとつは幕府・守護が公式に発布する「公徳政令」、もうひとつは農民が幕府を待たずに自力で土倉・酒屋を打ち壊して証文を奪う「私徳政(わたくしとくせい)」です。正長の土一揆は私徳政が典型的な例、嘉吉の土一揆は公徳政令を引き出した例として対比的に覚えておきましょう。

さらに、室町後期には分一徳政令ぶんいちとくせいれいという変形バージョンも登場しました。これは「借金の5分の1または10分の1(分一銭ぶんいちせん)を幕府に手数料として納めれば残りは帳消し」というもの。農民の要求を利用して財政収入にするという、幕府のしたたかな発想です。

もぐたろう
もぐたろう

「分一徳政令」って面白くて、借金の5分の1か10分の1(分一銭)を幕府に手数料として払えば残りは帳消し——つまり幕府が借金の仲介業者みたいになっちゃったんだよ。農民の要求をうまく利用して財政収入に変えてしまう幕府のしたたかさが見えるね!テストでは「分一徳政令」という語句自体は出にくいけど、「徳政令の副作用」として金融業者が貸付を控えた点は記述問題で使えるよ。

テストに出るポイント&覚え方

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 正長の土一揆(1428年):近江の馬借ばしゃく(運送業者)が発端→京都に波及→農民が土倉・酒屋を打ち壊す「私徳政」→日本史上初の大規模土一揆
  • 嘉吉の土一揆(1441年):嘉吉の変(足利義教暗殺)直後に発生→幕府が混乱→農民が好機に蜂起→幕府が正式な徳政令を発布(民衆が政策変更を強制した初例)
  • 播磨の国一揆(1429年):国人・農民が守護方の代官・軍兵に抵抗。一時追い払ったが最終的に赤松満祐に鎮圧。国一揆の先駆け。正長の翌年(1429年)に起きた点に注意
  • 山城の国一揆(1485〜1493年):国人・農民が畠山氏の両軍を撃退→三十六人衆による8年間の自治→国中掟法こくちゅうおきてほう制定。1493年に細川政元が介入して終焉
  • 徳政令と私徳政の違い:徳政令=幕府・守護が公式に発布、私徳政=農民が自力で証文を奪う行動。嘉吉の土一揆で初めて公式な徳政令が実現
  • 惣(そう):農民の自治的村落共同体。寄合・惣掟で村のルールを決めた。一揆を可能にした組織力の背景として必ず押さえる

📌 暗記のコツ:「土一揆=土民(農民)が徳政令を要求、国一揆=国人(地侍)が守護を排除」を対比で覚えると一発。年代は正長(1428)→播磨(1429)→嘉吉(1441)→山城(1485〜1493)の順。播磨は正長のわずか翌年なので、1428・1429と連続して覚えよう。山城の国一揆で頻出なのは「三十六人衆」「8年間の自治」「宇治平等院での会合」の3点セット!

ゆうき
ゆうき

「山城の国一揆」って論述でも出る?どういうポイントを書けば点数もらえる?

もぐたろう
もぐたろう

論述問題なら「①背景:応仁の乱後の畠山氏の内紛で山城国が荒廃 ②経過:国人・農民が連合して両畠山軍の撤退を要求 ③結果:三十六人衆による8年間の自治(国中掟法制定)を実現」の3点を入れれば高得点!「民衆による地方自治の実現」という歴史的意義まで書けると最高点が狙えるよ!

土一揆・国一揆の理解を深めるおすすめ本

もぐたろう
もぐたろう

土一揆・国一揆についてもっと深く知りたいなら、この1冊がおすすめだよ!土一揆を専門に研究した歴史家が書いた本で、教科書では触れられない農民たちの実態まで解説してくれているんだ。

①〔室町・戦国の一揆を深掘りしたい人〕なら|土一揆・徳政一揆・宗教一揆を一冊で学べる専門書

土一揆の時代

神田 千里 著|吉川弘文館

よくある質問(FAQ)

土一揆とは、室町時代に農民(土民どみん)が借金の帳消し(徳政令)を幕府や守護大名に求めて武力行動を起こしたことです。「土」は土民(農民・庶民)を意味します。代表例は正長の土一揆(1428年)と嘉吉の土一揆(1441年)で、農民たちはそう(村落共同体)の組織力を背景に大規模な集団行動を起こしました。

国一揆とは、国人こくじん(地侍・小規模な武士)と農民が守護大名の支配に抵抗して起こした一揆です。土一揆との違いは①参加者(国一揆は武士身分の国人が中心)②目的(土一揆は徳政令の要求、国一揆は守護大名の排除と自治確立)の2点です。最大の例が山城の国一揆(1485〜1493年)で、8年間の自治を実現しました。

1428(正長元)年、近江の馬借(運送業者)が重い借金や飢饉に苦しんで蜂起したことが発端です。農民たちはそうという村落共同体の組織力を持っており、蜂起が京都に波及して大規模一揆に発展しました。農民たちは土倉・酒屋(金融業者)に押し入って借金証文を奪い焼き捨てる「私徳政(わたくしとくせい)」を各地で実行しました。幕府は拒否しましたが、一揆の規模が大きすぎて事実上黙認するしかありませんでした。

主な違いは「参加者」と「目的」の2点です。土一揆は農民(土民)が中心で、目的は借金帳消し(徳政令)の要求です。国一揆は国人(地侍・小武士)と農民が連合し、目的は守護大名の排除と自治の確立です。代表例で覚えるなら、土一揆は正長(1428年)・嘉吉(1441年)、国一揆は播磨(1429年)・山城(1485年)です。

1485年(文明17年)、山城国(現京都府南部)で国人・農民が、長年争い続ける畠山義就はたけやまよしひろ畠山政長はたけやままさながの両軍に撤退を要求して起こした国一揆です。両軍が退いた後、国人36人で構成される三十六人衆が宇治平等院を会場に自治組織を運営し、国中掟法こくちゅうおきてほう(自治法)を制定して8年間の地方自治を実現しました。1493年に細川政元の介入で終焉しました。

徳政令とは、幕府・守護が「すべての借金(債務)を帳消しにする」と命じた法令です。農民の生活苦を一時的に救う効果がありましたが、金融業者(土倉・酒屋)が「どうせ帳消しになるなら貸さない」と貸付を控えるようになる副作用も生じました。幕府が正式に発布する「公徳政令」と、農民が自力で証文を奪い取る「私徳政(わたくしとくせい)」の2種類があります。

土一揆=土民(農民)が徳政令を要求、国一揆=国人(地侍)が守護を排除」という対比で覚えるのが最も効果的です。年代は正長(1428)→播磨(1429)→嘉吉(1441)→山城(1485〜1493)の順です。語呂として「一葉(いちよう=1428)咲く正長の揆(き)」などで1428年を覚えると便利です。なお、嘉吉の土一揆(1441年)は嘉吉の変(足利義教暗殺)と同年に起きているため、セットで覚えると忘れにくくなります。

まとめ——土一揆・国一揆・徳政令を整理しよう

土一揆・国一揆のポイントまとめ
  • 土一揆:農民(土民)が徳政令を要求。代表例は正長(1428年)・嘉吉(1441年)の土一揆
  • 国一揆:国人(地侍)+農民が守護大名を排除。代表例は播磨(1429年)・山城(1485〜1493年)の国一揆
  • 徳政令:借金帳消し令。農民が自力で実行する「私徳政」と、幕府が発布する公徳政令がある
  • 惣(そう):農民の自治的村落共同体。寄合・惣掟が一揆の組織力を支えた
  • 山城の国一揆:三十六人衆による8年間の自治が室町時代最大の民衆自治として高く評価される

もぐたろう
もぐたろう

以上、土一揆・国一揆・徳政令のまとめでした!室町時代の農民が「ただ支配される存在ではなかった」という点が、この時代の一番面白いところだよ。8年間も守護なしで自治を続けた山城の国一揆なんて、今でも驚かされるよね。下の記事で一向一揆・応仁の乱・戦国時代もあわせて読んでみてください!

土一揆・国一揆の年表
  • 1428年
    正長の土一揆:近江の馬借が発端、京都に波及。私徳政が各地で起きる。日本史上初の大規模土一揆
  • 1429年
    播磨の国一揆:国人・農民が守護方の代官・軍兵に抵抗。最終的に赤松満祐に鎮圧。国一揆の先駆け
  • 1441年
    嘉吉の土一揆:嘉吉の変(足利義教暗殺)直後に発生。幕府が正式な徳政令を発布
  • 1485年
    山城の国一揆(開始):国人・農民が畠山氏の両軍を撤退させる。三十六人衆による自治が始まる
  • 1488年
    加賀の一向一揆:浄土真宗信徒が守護富樫政親を倒す(参考・記事射程外)
  • 1493年
    山城の国一揆(終焉):幕府の実力者・細川政元が山城の支配権を回復。8年間の自治に幕
  • 戦国時代へ
    各地で守護大名が弱体化し、下克上・戦国大名の時代へ。土一揆・国一揆の経験が民衆の政治力を証明した

📅 最終確認:2026年6月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「土一揆」「国一揆」「正長の土一揆」「嘉吉の土一揆」「山城の国一揆」「徳政令」(2026年6月確認)
コトバンク「土一揆」「国一揆」「徳政令」「惣」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』

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