世界的にも有名な金閣寺。最近では、2014年に京都が世界観光ランク1位を獲得したこともあり外国人観光客で賑わっています。
そんな金閣寺ですが、観光に行っても「金色で派手だなぁ」とか「きれいだなぁ」だけで終わってはもったいない!!
金閣寺に行く前に知っておきたい4つのことを紹介します。せっかく行くなら、大いに金閣寺を味わいましょう!サッと読めるよう4つに絞ってコンパクトにまとめてみました。
その1!意外と弱かった?足利義満の権力
金閣寺は足利3代将軍の足利義満が別邸として建てられたものが、義満の死後、寺となったもので、正式名称は鹿苑寺と言います。
金閣寺というのは、その見た目からつけられたあだ名で、正式名称ではありません。
というのは、多くの方が知っていると思いますが、足利義満ってどんな人か知っているでしょうか?
観光雑誌等では、当時の最高権力者であるという説明がよくされています。確かに、義満は当時の最高権力者でしたが、その権力の土台たるものはとても脆弱なものでした。
脆弱だからこそ、ど派手な金閣寺を建立して、権力を外に示す必要があったのだろうと思います。
足利義満は巧みな仲介役だった
権力の土台が脆弱という話をしましたが、それは義満が国の統治に必要な軍事力をほとんど持っていなかったからです。
一方、当時の将軍補佐の最高の役職である管領(かんれい)の一族は強大な軍事力を持っていました。しかも、管領は将軍直属の部下というわけではなく、この時代の人々は常に一族のことを考えて行動します。一族にとって不利になるようなことを義満が行えば、たとえ将軍義満の決定であっても、有力一族たちは一族の利益を優先しようとしていました。
こんな状況でどうやって最高権力者になったのでしょう?裸の王様状態です。
驚くなかれ、「俺は将軍なんだから、俺の言うことを聞けこら!」と将軍権威を振りかざし、有力一族同士の争いの仲介役となることで両者の上に君臨していたのです。裸の王様がそう言うだけでみんな従ってしまうのです。不思議ですよね。
室町時代の人々の持つ精神は、非常に独特なものだったようです。そして、将軍権威の失墜が、歯止めのきかない応仁の乱の1つの要因となっていきます。
力はないけど権威があるという複雑な状況の中で最高権力者である義満に求められたのは仲介役としての緻密な政治力です。そのため、義満の人柄は、几帳面で、どちらかというと卑屈な性格だっただろうと言われており、その一方で非常に権力欲が強いという複雑な性格の持ち主だったのではないかと思います。
↓は義満の人物画です。ちょっと複雑そうな人に見えませんか?
その2!親子げんかで小さくなった金閣寺
足利義満には、足利義持(よしもち)という息子がいましたが、義持が大人になった後も義満は強大な権力を持ち続け、次第に険悪な仲となっていきました。
背景には、時期将軍になりたい義持VS弟の義嗣(よしつぐ)を溺愛する義満という構図がありました。
すると、義満死後、義持はすぐに金閣寺の解体を行ってしまいます。「息子の俺を疎んじる父の住んでいた北山殿(今の金閣寺)なんか壊してやる!」という思いだったのでしょう。
今残っている金閣寺とその周りの建築物は、義持に解体されなかった運の良い建物たちなのです。
親子喧嘩がなければ、金閣寺は別の姿になっていた可能性もあるということです。歴史を変えた親子喧嘩と言える・・・かな?
その3!鏡湖池は極楽の世界を表現している
池に映る金閣寺の姿、それは「逆さ金閣」ともいわれ、金閣寺の写真と言えば、逆さ金閣と言っても過言ではないと思います(記事トップの写真も逆さ金閣が映っていますね)
この池は鏡湖池(きょうこち)と言い、極楽浄土にある七宝の池を再現したものと言われています。
七宝(しちほう)とは、金や銀、瑠璃などの7つの宝石を言います、七宝焼きの「七宝」はこれが由来となっています。
極楽浄土ですので、池もとても華やかです。池の底には金が敷き詰められ、池の上にはカラフルな蓮華が咲いています。そんな極楽浄土に相応しい七宝の池を再現したのが金閣の鏡湖池です。
また、同じ時代に建立された天龍寺の庭園や、枯山水で有名な竜安寺の石庭にもあるように、当時の庭園は、石を上手く配置することで、庭園をより美しく表現する手法が取られていました。
金閣寺も例外ではありません、池の中にはいくつかの石が配置されています。ただあるだけではなく、意図的な配置がなされています。平らな水面に絶妙なバランスで石を配置することで、何度見ても飽きないような素晴らしい景観が出来上がるのです。
ぜひ、金閣寺に行ったら池の中の石を見てみてください。あまり目立たないですが、「もしなかったらどんな感じかな~」と想像してみると池に配置されている石のすごさがわかると思います。
金閣寺は、わびさびの質素な銀閣寺と対比されることも多いですが、個人的には、この石を使った池の作りの中に金閣寺にも少しだけわびさびを感じたりします。
その4!四季折々で姿を変える金閣寺
金閣寺は、四季折々でその姿を変えるため、いつ行っても違った金閣寺を堪能することができます。
【冬】風景と屋根に積もった雪の白色とのコントラストが奇麗ですね。
【秋】この時期は、金閣寺はもちろん、京都全体が観光客で賑わいます。
ちなみに、金閣寺の一階部分には義満像と観音菩薩が置かれています。肉眼だとよく見えませんが、望遠鏡や一眼カメラの望遠レンズがあれば良く見えますよ。(下は一眼の望遠レンズで私が撮影しました。)
さいごに
金閣寺は、いつ行ってもたくさんの人で混雑しています。ゆっくりと見るのが難しい場合もあるかもしれません。行くときは、閑散期を狙うか、混雑を覚悟で行きましょう!
コメント
10月末に蓮華王院の中を初めて見ました。千一体の千手菩薩を観てほんとに驚きました。行く前にこの説明を読んでおれば「もっと楽しめたのに」悔やんでいます。
また、歴史の面白さ深さを思い知らされました。これからもっと勉強して京都を訪れたいと思いました。俳句を一句読みました「一矢残る蓮華王院秋の暮れ」
京都を度々訪れていますが、蓮華王院も外からだけ観ていましたが、今回、中に入ってそのものすごさやに驚きました。実は、豊田市の住人ですが豊田市は昔は「挙母藩」と言いまして名君「内藤学文公顕彰会」と言うものがあり、「通し矢」に係る挙母藩に「安藤早太郎」と言う豪弓の武士がおり、その関わりで顕彰会員が訪れた次第です。
千一体の千手菩薩のこと、風神、雷神のことなど、事前にこの説明を読んでおれば、もっと楽しかったな-、と思います。京都をもっともっと勉強して訪れたいと思いました。
俳句を一句「一矢(ひとや)残る蓮華王院秋の暮れ」
私も歴史をいろいろと知るようになって、何も知らずに京都の寺院観光をしていたことを少し後悔しています(汗
その後悔から京都の寺院のことを書こうと思ったので、このようなコメントをいただけてとても嬉しいです。
私は、歴史オタクでも専門家でもないただのサラリーマンですが、歴史の楽しさを少しでも多くの方に感じてもらえるよう
今後も歴史や寺院について書いていきたいと思っています。
コメントありがとうございました!