幕末
1853〜1868年(黒船来航から戊辰戦争まで)
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開国と幕政混乱
再来航したペリーとの交渉で締結。下田・函館を開港し、漂流民の保護や物資の補給を認めた。本格的な通商ではないが、200年以上続いた鎖国体制に最初の穴が開いた瞬間だった。
大老・井伊直弼は勅許なしに日米修好通商条約を締結(関税自主権なし・領事裁判権あり)。これに反発する尊攘派を「安政の大獄」で大弾圧し、吉田松陰・橋本左内ら100人以上を処罰した。
尊王攘夷と公武合体
生麦事件の報復としてイギリス艦隊が鹿児島を砲撃した薩英戦争。薩摩は攘夷の限界を悟り開国へ傾く。同年8月18日には公武合体派が長州藩ら急進尊攘派を京都から追放し(八月十八日の政変)、政局が大きく動いた。
1864年(元治元年)6月5日の夜、京都・三条木屋町の旅籠「池田屋」に潜伏していた尊王攘夷派の志士を新選組が急襲。捕らえた古高俊太郎の自白が発端だった。尊攘派は壊滅的な打撃を受け、激怒した長州藩が翌月の禁門の変へ突き進む引き金になったとされています。
英仏米蘭4カ国艦隊が下関を砲撃・占領(下関戦争)。長州藩は屈服し攘夷をあきらめる。幕府は続いて第一次長州征討を命じ、長州藩は謝罪して開戦を免れた——しかし高杉晋作の奇兵隊が台頭し、長州内部は混乱に向かう。
倒幕と維新
犬猿の仲だった薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通)と長州藩(木戸孝允)が坂本龍馬の仲介で同盟を結んだ。これが倒幕勢力の結集となり、幕府に対抗できる実力が生まれた。日本史最大の「敵の敵は味方」の転換。
薩長を中心とした倒幕派が天皇の名のもとに「幕府・摂政・関白の廃止」を宣言。「総裁・議定・参与」の三職が設置され、新政府の骨格が整った。小御所会議では徳川慶喜の辞官・納地が決定された。
1868年10月に蝦夷地へ上陸した榎本武揚らの旧幕府軍は、五稜郭を拠点に新政府軍と戦った。新選組副長の土方歳三もこの戦いで命を落とす。1869年(明治2年)5月の降伏で戊辰戦争は終結し、新政府による国内統一が完成した。
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※ 西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・高杉晋作・土方歳三・近藤勇・徳川慶喜 は順次追加予定