太平記とは?わかりやすく解説【南北朝時代・あらすじ・登場人物まとめ】

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太平記とは?わかりやすく解説

もぐたろう
もぐたろう

今回は『太平記』について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!教科書だと数行しか載っていないけど、実は全40巻もある超大作なんだ。怨霊まで登場するってホント?そんな疑問にもしっかり答えていくね!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • 太平記がどんな作品か・いつ・誰が書いたか
  • 鎌倉幕府滅亡〜南北朝時代のあらすじを3部構成でざっくり理解
  • 楠木正成・足利尊氏・後醍醐天皇など主要人物の役割
  • 平家物語との違い・日本三大軍記の位置づけ

「太平記」と聞くと、漢文調で書かれた難解な古典文学——授業で名前を覚えるだけの、堅苦しい作品。そんなイメージを持っている人が多いかもしれません。

でも、実は太平記、単なる堅い軍記物語ではありません。怨霊が会議を開き、英雄の霊が祟りを起こす——まるでホラーとファンタジーが混在した、超個性的な作品なのです。描かれているのは、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱まで。天皇と武士、忠義と裏切りが入り乱れる、まさに「人間ドラマの宝庫」と言える物語です。

この記事では、太平記がどんな作品なのか、あらすじや主な登場人物、平家物語との違いまで、はじめての人にもわかりやすく解説していきます。

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太平記とは?3行でわかる要点まとめ

太平記 3行まとめ
  • 太平記は14世紀に成立した全40巻の軍記物語。鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代の動乱を描く
  • 作者は不詳。長い年月をかけて複数の人の手で書き継がれたと考えられている
  • 怨霊・霊異譚も登場する異色の作品で、後醍醐天皇・足利尊氏・楠木正成が主要登場人物

太平記たいへいきとは、南北朝なんぼくちょう時代を中心に書かれた、軍記物語です。全40巻という大長編で、1318年に後醍醐天皇ごだいごてんのうが即位したあたりから、1368年ごろまでのおよそ50年間を描いています。

※軍記物語:合戦や戦乱を題材にした物語のジャンル。実際の歴史上の出来事をもとにしながら、語りやすく脚色して書かれた作品が多い。

取り上げられている主な出来事は、鎌倉幕府の滅亡、後醍醐天皇による建武の新政、そして足利尊氏による室町幕府の成立です。日本の歴史の中でも、とりわけ混乱が激しかった時代を、まるで一本の大河ドラマのように描き切った作品——それが太平記なのです。

もぐたろう
もぐたろう

太平記っていうのは、今でいえば「南北朝時代を舞台にした大河ドラマの原作小説」みたいな作品だよ!全40巻もあるから、現代の長編シリーズ小説に近いイメージだね。

太平記が成立したのは、14世紀後半。物語に描かれた出来事が起きてから、それほど時間を置かずに書かれ始めたと考えられています。ただし一気に完成したわけではなく、長い年月をかけて少しずつ書き継がれ、増補(あとから内容を付け足すこと)が重ねられていきました。そのため、作者を一人に特定することはできていません。

室町時代以降、太平記は「太平記読みたいへいきよみ」と呼ばれる専門の語り手によって、人々の前で読み聞かせられるようになりました。文字を読めない人でも物語を楽しめたため、太平記は単なる文学作品の枠を超えて、日本人の歴史観に大きな影響を与えていきます。

あゆみ
あゆみ

太平記って、大河ドラマになったこともあるのよね?

もぐたろう
もぐたろう

そう!1991年にNHKで大河ドラマ「太平記」が放送されたんだよ。足利尊氏を主役にした大作で、原作は吉川英治の小説『私本太平記』なんだ。ドラマがきっかけで太平記に興味を持った人も多いんだよ。

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太平記が書かれた時代背景(鎌倉末期〜南北朝)

後醍醐天皇の肖像画
後醍醐天皇(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

太平記の物語を理解するには、まず「どんな時代に書かれた作品なのか」を押さえておくことが大切です。太平記が描くのは、鎌倉時代の終わりから南北朝時代にかけての、日本の歴史でもっとも混乱した時期の一つです。

■鎌倉幕府の終わり——御家人たちの不満

鎌倉時代の後半、武士たちは大きな不満を抱えていました。きっかけの一つが、2度にわたる元寇(モンゴル軍の襲来)です。武士たちは命がけで戦ったにもかかわらず、相手は海の向こうから攻めてきた外国——奪い取れる土地がありませんでした。そのため、幕府は十分な恩賞(ご褒美)を与えることができなかったのです。

さらに、武士の間では分割相続ぶんかつそうぞくによって土地がどんどん細分化され、生活が苦しくなる者が増えていきました。「幕府のために戦ったのに報われない」——そんな不満が、武士たちの心に静かに積もっていったのです。

ゆうき
ゆうき

南北朝時代って、天皇が2人いた時代ってこと?

もぐたろう
もぐたろう

そのとおり!後醍醐天皇の南朝と、足利尊氏が立てた北朝の2つの朝廷が並び立っていた時代だよ。「正統な天皇は自分のほうだ」とお互いが主張し合っていたんだ。太平記は、まさにこの混乱の時代を描いた作品なんだよ。

■後醍醐天皇の登場と建武の新政

そんな時代に現れたのが、後醍醐天皇です。後醍醐天皇は「武士の世の中ではなく、天皇が直接政治を行う世の中に戻すべきだ」という強い理想を持っていました。

後醍醐天皇は、幕府に不満を持つ武士たち——たとえば足利尊氏や楠木正成新田義貞にったよしさだらの力を借りて、1333年に鎌倉幕府を滅ぼすことに成功します。そして、念願だった天皇中心の政治——建武の新政を始めました。

ところが、この新しい政治は長く続きませんでした。後醍醐天皇は公家(貴族)を重んじる政治を進めたため、命がけで戦った武士たちへの恩賞が十分でなく、不満が爆発。わずか2〜3年ほどで建武の新政は崩れ去ってしまいます。

南北朝時代ってどういう時代?

南北朝時代とは、1336年から1392年までのおよそ56年間、日本に2つの朝廷が並び立っていた時代のことです。後醍醐天皇が奈良の吉野よしのに作った朝廷を「南朝」、足利尊氏が京都に立てた朝廷を「北朝」と呼びます。「どちらが正統な天皇か」をめぐって、全国の武士を巻き込んだ争いが長く続きました。最終的に1392年、室町幕府3代将軍の足利義満によって南北朝は一つにまとめられます(南北朝合一の詳細はこちら)。

太平記が描いているのは、まさにこの「鎌倉幕府の滅亡」「建武の新政の失敗」「南北朝の分裂」という、激動の連続です。だからこそ太平記には、これだけの長い物語が必要だったのです。

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太平記のあらすじ(3部構成でざっくり理解)

全40巻もある太平記ですが、内容は大きく3つのパートに分けて整理すると、ぐっと理解しやすくなります。ここでは「第1部」「第2部」「第3部」の3部構成で、あらすじをざっくりつかんでいきましょう。

第1部(巻1〜11ごろ):鎌倉幕府の滅亡まで

第1部は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと立ち上がるところから始まります。最初の計画(正中の変しょうちゅうのへん元弘の変げんこうのへん)は幕府に見つかって失敗し、後醍醐天皇は隠岐おきへ流されてしまいます。

しかし、ここで楠木正成が登場します。少ない兵で千早城ちはやじょうに立てこもり、奇策の数々で幕府の大軍を翻弄したのです。たとえば、城の上から大きな石を転がして敵に見せかけ、近づいてきたところに丸太を落とす——正成が使ったとされる「落石の罠」は、今の特撮映画さながらのアイデアです。少数の兵で大軍を100日以上くぎ付けにしたこの粘りが、全国の反幕府勢力を勇気づけ、やがて足利尊氏・新田義貞らが幕府に反旗をひるがえします。そして1333年、ついに鎌倉幕府は滅亡——第1部はここで一区切りを迎えます。

第2部(巻12〜21ごろ):建武の新政の失敗と後醍醐天皇の崩御

第2部の中心は、建武の新政の失敗と、足利尊氏の離反です。後醍醐天皇の政治に武士たちの不満が高まる中、足利尊氏はついに後醍醐天皇に背を向けます。両者は各地で激突し、1336年には楠木正成が湊川の戦いで尊氏軍に敗れ、命を落としました。

敗れた後醍醐天皇は吉野へ逃れ、自分の朝廷(南朝)を立てます。これが南北朝分裂の始まりです。そして1339年、後醍醐天皇は無念のうちに亡くなります。志半ばで世を去ったその姿は、太平記の中でもとりわけ印象的な場面の一つです。

第3部(巻22〜40ごろ):南北朝の動乱と室町幕府の安定

第3部では、後醍醐天皇という大きな主役を失ったあとの、複雑な動乱が描かれます。足利氏の内部でも争いが起こり(観応の擾乱)、敵と味方が目まぐるしく入れ替わっていきます。

多くの英雄が次々と倒れていく中で、物語は次第に室町幕府が安定へ向かう様子を描いていきます。第3部は、はっきりとした「主役」がいないぶん少し読みづらいとも言われますが、戦乱がようやく落ち着いていく流れがじっくりと語られています。

もぐたろう
もぐたろう

3部構成って覚えにくそうに見えるけど、「①幕府が滅びる→②天皇の政治が失敗して南北に分裂→③やっと幕府が安定する」って3ステップで覚えれば大丈夫だよ!長編ドラマも、シーズンごとに区切ると一気に整理しやすくなるよね。

太平記の主な登場人物

太平記には数多くの人物が登場しますが、まずはこの4人を押さえておけば物語の流れがつかめます。後醍醐天皇・足利尊氏・楠木正成・新田義貞です。一人ずつ見ていきましょう。

■後醍醐天皇——天皇親政を夢見た理想家

後醍醐天皇は、太平記の物語を動かす中心人物です。「武士ではなく天皇が政治を行うべきだ」という強い信念を持ち、鎌倉幕府を倒して建武の新政を実現しました。一度は隠岐に流されながらも諦めず、何度でも立ち上がるその粘り強さは、太平記の大きな見どころの一つです。

後醍醐天皇
後醍醐天皇

朕(ちん)は天皇親政を取り戻す。武家に政権を渡してなるものか!

■足利尊氏——室町幕府を開いた武将

足利尊氏の肖像画
足利尊氏(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

足利尊氏は、はじめは後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府を倒した武将でした。しかし建武の新政に失望し、やがて後醍醐天皇に背を向けます。そして京都に北朝を立て、1338年に室町幕府を開きました。「天皇に従う立場」と「武士のリーダー」という2つの顔の間で揺れ動く尊氏の姿は、太平記でもっとも複雑に描かれた人物像です。

足利尊氏
足利尊氏

後醍醐天皇に仕えながら、なぜ反旗を翻したのか——それはオレにしかわからない苦悩があったんだ。

■楠木正成——忠義を貫いた知将

楠木正成の肖像画
楠木正成像(狩野山楽筆/出典:Wikimedia Commons・パブリックドメイン)

楠木正成は、後醍醐天皇に最後まで忠義を尽くした武将です。千早城の戦いでは、少ない兵で幕府の大軍を相手に奇策を連発し、鎌倉幕府滅亡のきっかけをつくりました。後醍醐天皇への忠誠を貫き、勝てないとわかっていた湊川の戦いに出陣して命を落とします。その生き様から、後世「忠臣の象徴」と呼ばれるようになりました。楠木正成については、後の章でくわしく解説します。

■新田義貞——鎌倉を攻め落とした武将

新田義貞は、足利尊氏と同じく源氏の流れをくむ武将です。後醍醐天皇に従って鎌倉に攻め込み、1333年に鎌倉幕府を滅亡へと追い込みました。建武の新政が崩れたあとは、足利尊氏と敵対する立場となり、南朝方の主力として各地を転戦。最後は越前えちぜん(今の福井県)で戦死しました。尊氏のライバルとして、太平記の戦いの場面を彩る重要な人物です。

あゆみ
あゆみ

足利尊氏と新田義貞って、どっちも源氏なのに敵同士になっちゃったのね……。

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ。同じ目的(幕府を倒す)で協力した仲間が、その後の主導権争いで敵に分かれていく——太平記の人間ドラマの面白さは、まさにここにあるんだよ。

「太平記」というタイトルの意味

ここで一つ、ふしぎなことに気づきませんか。「太平記」というタイトルの「太平」とは、本来「世の中が平和で穏やかなこと」を意味する言葉です。しかし、太平記が描いているのは、戦乱・裏切り・死が続く、まったく平和とは言えない時代——。なぜ、そんな物語に「太平」という名前がつけられたのでしょうか。

これにはいくつかの考え方があります。一つは、混乱の時代を描きながらも、最後には世の中が落ち着いていく——その「平和への道のり」を願って名づけたという説です。物語の終盤は室町幕府が安定へ向かう流れなので、「太平」は物語のゴールを示しているとも考えられます。

もう一つは、戦乱の時代だからこそ「太平(平和)」を強く願う気持ちを込めた、という見方です。乱れた世を生きた人々が、「いつか平和が訪れますように」という祈りをタイトルに託した——そう考えると、「太平記」という名前には深い思いがこもっているように感じられます。

もぐたろう
もぐたろう

戦いだらけの物語に「平和の記録」ってタイトルをつけるのは、ちょっと意外だよね。でも「これだけ大変な時代だったからこそ、平和を願わずにいられなかった」って考えると、なんだか胸にくるものがあるね。

怨霊も登場する?太平記の異色な世界観

太平記が、ほかの軍記物語とくらべて「異色」と言われる最大の理由——それが怨霊(おんりょう)の登場です。太平記には、亡くなった人の霊が祟りを起こしたり、霊たちが集まって会議を開いたりする、ファンタジーのような場面がいくつも描かれています。

たとえば、後醍醐天皇は亡くなったあと、その無念から強い怨霊になったと太平記は語ります。また、京都の愛宕山あたごやまに天下を乱そうとたくらむ霊たちが集まり、会議を開く——という不気味な場面も登場します。歴史を記録する軍記物語のはずなのに、まるでホラー作品のような描写が混ざっているのです。

あゆみ
あゆみ

軍記物語なのに、なぜ怨霊が出てくるの?

もぐたろう
もぐたろう

当時の人たちは「無念のうちに亡くなった人の霊は、祟りを起こす」と本気で信じていたんだ。これを「御霊信仰ごりょうしんこう」っていうんだよ。だから太平記の怨霊は、当時の人にとっては作り話じゃなくて「リアルな恐怖」だったんだね。

📌 御霊信仰とは、政治的な争いに敗れたり、無念のうちに亡くなったりした人の霊が、生きている人々に災いをもたらすという考え方です。平安時代の菅原道真の例が有名で、人々はその霊を神としてまつることで、災いをしずめようとしました。太平記の怨霊描写も、この御霊信仰を背景にしています。

こうした怨霊や不思議な出来事の描写は、現代の私たちから見ると「歴史書らしくない」と感じるかもしれません。しかし、戦乱の時代を生きた当時の人々にとっては、たくさんの命が失われる恐怖と、その霊を鎮めたいという祈りが、確かに現実のものでした。怨霊の登場は、太平記が「その時代の人々の心」までていねいに描こうとした作品であることの、何よりの証なのです。

足利尊氏は裏切り者か、英雄か?

太平記を読むうえで、もっとも議論を呼ぶ人物が足利尊氏です。なぜなら尊氏は、後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府を倒した「功労者」でありながら、その後その後醍醐天皇に背を向けた「裏切り者」でもあるからです。この尊氏をどう評価するかは、時代によって大きく揺れ動いてきました。

「裏切り者」説:後醍醐天皇に背いた——天皇への反逆者

「英雄」説:武家社会の安定を築いた——室町幕府の創立者

明治時代になると、「天皇に忠義を尽くすこと」がとても重んじられるようになりました。その結果、後醍醐天皇に背いた足利尊氏は「逆賊(天皇に逆らった悪人)」とされ、強く非難される存在になります。逆に、最後まで天皇に忠義を尽くした楠木正成は、英雄として称えられました。「尊氏=悪者」というイメージが残っているのは、この時代の評価の影響です。

しかし現代では、足利尊氏の評価は大きく見直されています。尊氏は、武士たちの不満を受け止め、武家を中心とした新しい政治のしくみ——室町幕府を打ち立てた人物です。室町幕府はその後200年以上続きました(のちに応仁の乱で大きく揺れますが)。つまり尊氏は、「混乱の時代を終わらせ、新しい安定をつくった政治家」として、高く評価できる側面を持っているのです。

ゆうき
ゆうき

足利尊氏って、教科書だと悪者っぽく書かれてる気がするけど……結局どっちなの?

もぐたろう
もぐたろう

実は「どっちが正解」って決められないんだ。同じ人物でも、見る時代や立場によって「裏切り者」にも「英雄」にも見える——それが歴史の面白いところだよ。

太平記そのものの中でも、足利尊氏は単純な「悪役」としては描かれていません。後醍醐天皇への思いと、武士たちを率いる立場との間で苦しみ、迷いながら決断していく——その複雑な人間像こそ、太平記が描く尊氏の魅力なのです。

楠木正成はなぜ「忠臣の象徴」になったのか

皇居外苑に立つ楠木正成の銅像
皇居外苑に立つ楠木正成像。明治時代に「忠臣の象徴」として建てられた

太平記のなかで、足利尊氏と並んで強い印象を残す人物が楠木正成くすのきまさしげです。正成は後醍醐天皇に味方し、鎌倉幕府を倒すために大きな働きをした武将でした。とくに有名なのが、わずかな兵で千早城ちはやじょうに立てこもり、押し寄せる幕府の大軍を知恵と工夫で苦しめた「千早城の戦い」です。

その後、後醍醐天皇による建武けんむの新政が始まりますが、やがて足利尊氏が天皇に背いて挙兵します。正成は天皇を守るために尊氏を迎え撃つことになりますが、このとき正成は「今のままでは勝ち目がない」と冷静に見抜いていました。それでも天皇への忠義を貫き、勝ち目の薄い戦いへと向かっていったのです。

楠木正成
楠木正成

勝ち目はないとわかっていても、天皇陛下への忠義を貫く。それが武士というものだ。

そして1336年、正成は湊川みなとがわ(現在の神戸市)の戦いで足利尊氏の軍と激突し、敗れて命を落とします。最期まで天皇のために戦い抜いたこの姿が、後の世で「忠義の理想像」として語り継がれていくことになりました。

太平記には、正成が湊川へ向かう前に弟・正季(まさすえ)と交わした会話が記されています。「七生報国——七度生まれ変わってでも、この国のために戦い続けよう」。この言葉は後世まで語り継がれ、「忠義とは何か」を問う名場面として太平記の中でも特に有名です。

ゆうき
ゆうき

負けるとわかってる戦いに行くなんて……それって意味あったの?

もぐたろう
もぐたろう

それが太平記の見どころなんだ。正成は「結果」より「自分の信じる生き方」を選んだ。だからこそ、勝ち負けを超えて人の心を打つんだよ。「報われなくても貫いた忠義」——これが正成の魅力だね。

■明治時代に「英雄」として再評価された

楠木正成が「忠臣の象徴」として広く知られるようになったのは、実は江戸時代から明治時代にかけてのことです。「天皇に忠義を尽くすこと」が重んじられた時代に、最後まで後醍醐天皇のために戦った正成の生き方が、まさに理想の手本とされたのです。

明治時代には、正成をまつる湊川神社みなとがわじんじゃがつくられ、皇居の前には正成の銅像が建てられました。「大楠公だいなんこう」という尊称で呼ばれ、教科書でも忠義の象徴として大きく取り上げられたのです。太平記が正成をくわしく描いたことが、こうした後世の評価の土台になりました。

📌 楠木正成のように、太平記で活躍する武将を一人ずつ深く知ると、南北朝時代の流れがぐっとわかりやすくなります。「太平記=人物で覚える」のがコツです。

平家物語との違い——日本三大軍記を比較

太平記は、しばしば平家物語と並べて語られます。どちらも武士たちの戦いを描いた軍記物語ぐんきものがたりであり、日本文学を代表する作品だからです。一般に、平家物語・太平記・義経記ぎけいきの3つを合わせて「日本三大軍記」と呼びます(保元物語・平治物語を加える数え方もあります)。

同じ軍記物語でも、太平記と平家物語にはハッキリした違いがあります。表で整理してみましょう。

比較項目平家物語太平記
成立13世紀前半(鎌倉時代)14世紀後半(南北朝時代)
描く時代平安末期・源平の争乱鎌倉幕府滅亡〜南北朝の動乱
中心人物平清盛・源義経など後醍醐天皇・足利尊氏・楠木正成など
特徴「無常観」を貫いた静かな悲しみ怨霊・霊異も描く異色の世界観

平家物語は「祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声……」という有名な書き出しに表れているように、栄えた者もいつか滅びるという「無常観むじょうかん(すべては移り変わるという考え方)」が全体を貫いています。一方の太平記は、無常観も持ちつつ、怨霊や不思議な出来事まで取り込んだ、よりにぎやかでドラマチックな作品になっているのが大きな違いです。

もぐたろう
もぐたろう

ザックリ言うと、平家物語は「しっとり泣ける悲劇映画」、太平記は「怨霊もアクションも盛りだくさんの大長編ドラマ」って感じかな。同じ軍記物語でも、味わいはかなり違うんだよ!

なお、平安時代末期に成立した説話集である今昔物語集のような「説話文学」とも、太平記は性格が異なります。説話集が短いエピソードを集めたものであるのに対し、太平記は一つの大きな歴史の流れをまとまった物語として描いている点が特徴です。

太平記についてもっと詳しく知りたい人へ

①〔はじめて読む人〕なら|原文+訳で気軽に読める入門書

太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典

武田友宏(編) 著|角川ソフィア文庫

②〔南北朝時代の背景を深掘りしたい人〕なら|鎮魂と政治の視点から読み解く新書
③〔マンガで楽しく読みたい人〕なら|楠木正成の生涯をダイナミックに描く漫画版

太平記 楠木正成

横山まさみち 著|ぶんか社

太平記についてよくある質問(FAQ)

太平記とは、14世紀後半に成立したとされる全40巻の軍記物語です。鎌倉幕府の滅亡から建武の新政、南北朝時代の動乱までを描いており、後醍醐天皇・足利尊氏・楠木正成といった人物が登場します。作者は不詳で、複数の人の手で書き継がれたと考えられています。

太平記の作者は、はっきりとはわかっていません。小島法師という人物が関わったとする説などが伝えられていますが、確実な証拠はなく、複数の人の手で長い時間をかけて増補されていったと考えられています。「作者不詳」である点は、作者がはっきりしている作品との違いとしてよく問われます。

「太平」とは本来「世の中が平和なこと」を意味する言葉です。太平記が描くのは戦乱の時代ですが、混乱の先に世の中が落ち着いていく流れを示したという見方や、戦乱の時代だからこそ平和を強く願う気持ちを込めたという見方があります。逆説的なタイトルに、平和への祈りが込められていると考えられています。

平家物語は平安末期の源平の争乱を描き、「無常観」が全体を貫く作品です。一方の太平記は鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代の動乱を描き、怨霊や不思議な出来事まで取り込んだ、よりドラマチックで異色の作品です。「描く時代」が違う点が、両者を区別する一番のポイントです。

楠木正成は、勝ち目が薄いとわかっていながらも後醍醐天皇への忠義を貫き、湊川の戦いで最期まで戦い抜いた武将です。その生き方が「忠義の理想像」として後の世に語り継がれ、特に江戸時代から明治時代にかけて高く評価されました。湊川神社にまつられ、「大楠公」とも呼ばれています。

はい。1991年にNHK大河ドラマ「太平記」が放送されました。足利尊氏を主人公とした作品で、主演は真田広之さんが務めました。原作は吉川英治の小説『私本太平記』です。大河ドラマがきっかけで太平記や南北朝時代に興味を持った人も多くいます。

まとめ

太平記のポイントまとめ
  • 太平記は14世紀後半に成立した全40巻の軍記物語で、作者は不詳
  • 鎌倉幕府の滅亡から建武の新政、南北朝時代の動乱までを3部構成で描く
  • 後醍醐天皇・足利尊氏・楠木正成・新田義貞らが登場する人間ドラマ
  • 怨霊や霊異も描く異色の軍記物語で、平家物語との違いは「描く時代」

太平記・南北朝時代の年表
  • 1333年
    鎌倉幕府が滅亡する
  • 1334年
    建武の新政が始まる(後醍醐天皇による天皇親政)
  • 1336年
    湊川の戦いで楠木正成が戦死する
  • 1336年
    後醍醐天皇が吉野へ逃れ、南北朝の分裂が始まる
  • 1338年
    足利尊氏が征夷大将軍に就任する(室町幕府の成立)
  • 1339年
    後醍醐天皇が崩御する
  • 14世紀後半
    太平記が成立する(作者不詳・複数人による増補)
  • 1392年
    南北朝が合一し、動乱の時代が終わる

もぐたろう
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以上、太平記のまとめでした!教科書では数行だけど、その中身は南北朝時代を生きた人々の人間ドラマがぎっしり詰まった超大作なんだ。興味が出たら現代語訳でも読んでみてね。下の記事で足利尊氏や平家物語もあわせてチェックしてみてください!

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「太平記」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「楠木正成」(2026年5月確認)
コトバンク「太平記」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年5月確認)
コトバンク「楠木正成」「足利尊氏」「後醍醐天皇」(2026年5月確認)
山川出版社『詳説日本史』

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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