

今回は今昔物語集について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!1000話以上を収める日本最大の説話集——その謎と面白さに迫ってみよう!
📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史 / 高校国語(古典)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
実は、今昔物語集は「難しい古典」なんかじゃありません。芥川龍之介が「この本は野蛮に輝いている」と絶賛し、あの『源氏物語』と並び立つ平安末期の傑作文学——それが今昔物語集なのです。しかも作者が誰なのかは、1000年以上たった今も謎のままなのです。
今昔物語集とは?
- 平安末期(院政期・1120年代頃)に成立した日本最大の説話集で、全31巻・1000話以上を収録
- 作者は不明(「今は昔」で始まり「となむ語り伝えたるとや」で終わる独特の形式)
- 天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の3部構成で、芥川龍之介の「羅生門」「鼻」の原作でもある
今昔物語集は、平安時代末期(院政期・12世紀前半)に成立したと考えられる日本最大の説話集です。全31巻に1000話以上の物語を収め、インド・中国・日本の3つの地域にわたる幅広い話を集めています。
各話は必ず「今は昔、〇〇という人がいた……」という書き出しで始まり、「となむ語り伝えたるとや」という結びで締めくくられます。このセット構造が今昔物語集の大きな特徴のひとつです。
ちなみに現在残っているのは28巻分のみで、8巻・18巻・21巻の3巻は内容が失われています。なぜこの3巻だけが欠けているのかも、現在もわかっていません。

「説話集」って、小説や日記とはどう違うの?

説話集っていうのは、「昔から語り伝えられてきた話を集めた本」のことだよ。今でいう「都市伝説・武勇伝・怪談・仏教の教え話が全部ごちゃまぜになった昔話の詰め合わせ本」ってイメージに近いかな!小説みたいに一本の大きなストーリーがあるんじゃなくて、短い話がたくさん並んでいるんだ。
今昔物語集が書かれた平安末期は、貴族文化が全盛を迎える一方で、武士の台頭や社会の変動が起きていた時代でした。その活気が、1000話以上の生き生きとした物語の中に凝縮されているのです。次の章では、そんな今昔物語集を「誰が」書いたのかという大きな謎に迫ります。
作者は誰?成立年はいつ?謎に包まれた説話集
今昔物語集のもっとも大きな謎は、作者がまったく不明だということです。1000話以上もの膨大な物語を集めた人物が誰なのか、書かれた当時の記録にも、後の文献にも名前が出てきません。正式なタイトルすら存在せず、「今は昔」という冒頭の書き出しから後世の人々が「今昔物語集」と呼ぶようになったのです。

1000話以上も書いたのに名前がわからないって、どういうこと?なんで?

当時は「著作権」なんて概念がなかったし、民間で語り伝えられてきた話を集めただけ、という意識だったから名前を残さなかったのかもしれないね。書いた人、絶対すごいよね——でもその人の名前が1000年後も謎のままって、なんかロマンチックだと思わない?
成立年についても、確定した記録はありません。ただし内容から見て、院政期——白河上皇・鳥羽上皇が権力を握っていた12世紀前半(1120年代頃)に成立したと考えられています。
📌 作者諸説まとめ:源隆国(平安中期の貴族・説話収集で有名)・藤原伊房・源俊頼などの説がある。しかしいずれも決定的な証拠はなく、現在も「作者未詳」が定説。
また不思議なことに、現存する写本(手書き本)は全て後世に書き写されたものだけで、原本が残っていません。しかも全31巻のうち8巻・18巻・21巻の3巻は内容が伝わっておらず、なぜこの3巻だけが失われたのかも謎のままです。
謎に包まれた成り立ちですが、だからこそ今昔物語集は「誰かが1000年前にこっそり遺した、名もなき人類の記憶」としても読めるのです。次の章では、その1000話がどんな構成で収められているかを見ていきます。
三部構成を解説——天竺てんじく・震旦しんたん・本朝ほんちょうとは?
今昔物語集の1000話以上の物語は、大きく3つの地域に分類されています。インドを指す「天竺」・中国を指す「震旦」・日本を指す「本朝」の三部構成です。それぞれをざっくりと見てみましょう。
第一部:天竺(インドの話) 仏教説話・釈迦の前世物語(ジャータカ)が中心。仏教の教えを物語の形で伝える話が多い
第二部:震旦(中国の話) 漢訳仏典・中国の歴史上の逸話・怪異話。インドからシルクロードを渡ってきた仏教的世界観が反映されている
第三部:本朝(日本の話) 皇室・貴族・武人・庶民・盗賊・鬼・怪異まで幅広く収録。全31巻のうち約20巻を占める最大のパートで、全体の半分以上がここに入っている
さらに各パートは、仏法部(仏教的な教えや奇跡の話)と世俗部(世間の出来事・武勇談・怪談など)に細かく分かれています。貴族の宮廷ドラマもあれば、盗人の逃げ足の速さを讃える話も、恐ろしい鬼に出会う話もある——それが今昔物語集の豊かさです。

なぜ日本の説話集なのに、インドや中国の話が入ってるの?

当時の日本人にとって、インド(天竺)は仏教の故郷、中国(唐・震旦)は文化の師匠だったんだ。だから「世界の話を集めるならインドと中国も外せない!」という感覚だったんだよ。今でいう「世界文学全集」に近い発想だね。
三部構成の中でも、圧倒的な分量を誇るのが「本朝」パートです。貴族社会の裏話から庶民の生活・武士の武勇談・鬼や妖怪との遭遇まで、平安末期の「生きた日本」がここに詰まっています。次の章では、その中でも特に有名な話を3つ選んで紹介します。
有名な話のあらすじ——羅城門らじょうもんの盗人・禅珍内供の鼻など
今昔物語集の1000話以上の中から、特に有名な3つの話を紹介します。どれも芥川龍之介が小説の素材に選んだほど、人間の本質に迫る力強い物語です。
■ 羅城門の盗人(本朝・世俗部)
都の南の正門「羅城門」は、荒廃して鬼や死体が集まる恐ろしい場所でした。ある日の夕暮れ、一人の男が雨宿りのために門の上層に上ると、老婆が死体の髪を抜いているところを見かけます。男が「なぜそんなことをするのか」と問い詰めると、老婆は「かつらを作るためです。この人も生前は同じことをしていたから悪くない」と答えます。
その答えを聞いた男は「それなら自分がこの老婆の着物を奪っても悪くない」と悟り、老婆の衣を剥ぎ取って逃げ去ります。——善と悪の境界線はどこにあるのか。生きるための「悪」はどこまで許されるのか。平安末期の世の乱れが生んだ、鋭い人間観察の物語です。
📌 芥川龍之介の「羅生門」(1915年)はこの話をもとにしています。ただし芥川版では老婆を見下ろす男の心の動きをより深く描き、「生きるために悪を行うことを認める」心理の変化が主題になっています。
■ 禅珍内供の鼻(本朝・世俗部)
池尾に住む僧・禅珍内供は、長さ5〜6寸(約15〜18cm)もある異様に長い鼻を持っていました。食事のたびに弟子が鼻を専用の板で持ち上げなければならないほどです。禅珍内供はその鼻をずっと恥じていました。
ある時、弟子が医者から鼻を短くする方法を教わり、お湯で茹でて足で踏み踏みするという処置を施します。すると鼻は短くなりました。ところが、短くなった途端に周囲の人が以前より笑うようになります。「短い鼻のほうが可笑しい」と言われ続け、禅珍内供は鼻が戻るのを待ち望むようになります。翌朝、鼻は元の長さに戻っていました——。
コンプレックスとプライドの複雑な心理を描いた話で、芥川龍之介の「鼻」(1916年)の直接の原話です。
■ 検非違使忠明(本朝・世俗部)
検非違使(今でいう警察官のような役職)だった忠明は、ある日清水寺の舞台に追い詰められました。大勢の盗賊たちに囲まれ、逃げ場のない断崖の上です。
忠明は仏に祈り、舞台から飛び降ります。しかし地面に着地せず、木の枝に引っかかって命拾い。盗賊たちが呆然と見ている間に逃げおおせた——という武勇伝です。

サスペンス・コメディ・武勇伝・哲学的な話——今でいうジャンルを超えた話が1000話も入ってる。それが今昔物語集のすごさだよ!平安時代の人たちが何を面白いと思っていたか、そのままが詰まってるんだよね。
■ 芋粥——食の夢に取り憑かれた男(本朝・世俗部)
五位という身分の低い官人が、一生に一度でいいから芋粥(山芋を甘く煮た高級料理)をお腹いっぱい食べてみたい、と夢見ていました。そんな男の夢を聞きつけた武将・藤原利仁が、「そんなに食べたいならどうぞ」と越前(現在の福井県)に連れていき、巨大な鍋いっぱいの芋粥を用意します。
ところが、いざ目の前に本物が現れると、男はもう一口も食べられませんでした。夢が叶ったとたんに、夢が色褪せてしまう——そんな人間の心理の滑稽さを描いた作品です。芥川龍之介が「芋粥」(1916年)の原作とした話で、欲望と満足のパラドックスを軽妙に描いています。

こうした有名な話の多くは「本朝・世俗部」に含まれていますが、その原作になったと言われる近代文学があります。次の章では、今昔物語集を「素材」として傑作を生み出した芥川龍之介について詳しく見ていきましょう。
芥川龍之介と今昔物語集——「羅生門」「鼻」の原作として
明治・大正時代の作家・芥川龍之介(1892〜1927年)は、今昔物語集の熱心な読者でした。彼が書いた小説の多くは、今昔物語集の話を素材にして書き直したものです。

今昔物語集の美しさは、野蛮に輝いている——。平安の人々が書き残したこの物語の生々しさに、私は何度でも魅了される。
芥川は今昔物語集について「野蛮に輝いている」と評したとされています。貴族文化の優雅さではなく、盗人・鬼・老婆・武人という「人間の生々しい側面」に光を当てた今昔物語集の魅力を、芥川は誰よりも鋭く見抜いていたのです。
📖 羅生門(1915年) ← 今昔物語集「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語」(本朝・世俗部)
📖 鼻(1916年) ← 今昔物語集「池尾禅珍内供鼻語」(本朝・世俗部)
📖 芋粥(1916年) ← 今昔物語集「利仁将軍若時従京敦賀将行語」(本朝・世俗部)
芥川は今昔物語集の話を「そのままコピー」したわけではありません。原話では盗人の心理変化がそれほど深く掘り下げられていないのに対し、芥川は「下人の心の揺れ」を物語の核心に据えました。古典の素材に近代的な心理描写を重ねることで、新しい文学として蘇らせたのです。


高校国語で習う芥川の「羅生門」のルーツが、日本史で習う平安末期の説話集にある——国語と日本史がここでつながるんだよ!
芥川が今昔物語集に見出したのは、貴族文学には描かれなかった「人間の暗い部分」の普遍性でした。平安末期の無名の編者が集めた1000話が、800年後に近代文学の金字塔を生んだのです。次の章では、今昔物語集が生まれた時代背景——院政期という激動の時代に迫ります。
今昔物語集が生まれた時代背景——院政期いんせいきとの関係
今昔物語集が成立したのは、平安時代も後半に差しかかった院政期——11世紀末から12世紀にかけての時代です。1086年に白河上皇が院政を開始し、天皇の父や祖父にあたる「院」(上皇・法皇)が実権を握る政治体制が始まりました。

院政期って、摂関政治とはどう違うの?

院政期の社会は、それまでの貴族文化の全盛期とは大きく様子が変わっていました。武士が都の警備や院の警護を担うようになり、地方では豪族・武士団が力をつけていました。貴族の荘園をめぐって争いが起き、盗賊や強盗が都でも暗躍するようになります。
こうした社会の変化が、今昔物語集の内容に直接反映されています。なぜ1000話以上もの中に、武人の武勇伝・盗賊の逃亡劇・鬼との遭遇談がこれほど多いのか——それは、平安末期の「生きている社会」がそのまま物語の世界に流れ込んでいるからなのです。
📖 院政期と文学の関係:院政期は政治の変動期と同時に、文学の「大衆化」が始まった時代でもある。それまでの日記文学・物語文学(源氏物語・枕草子など)は貴族女性が書いた「宮廷の内側」の文学だった。一方、今昔物語集は庶民・武人・商人・盗賊といった「宮廷の外側」の人々も主人公として登場させた。この視野の広さは、院政期という社会変動なしには生まれなかっただろう、と言われている。
■ 荒廃した平安京の姿が物語を生んだ
12世紀の平安京は、今でいう「治安の崩壊した大都市」のような状態でした。荒廃した羅城門には死体が積まれ、夜は盗賊が出没し、貴族の屋敷でも強盗事件が相次いでいました。今昔物語集の「羅城門の盗人」の話が、まさに「夕暮れに雨宿りに来た男と死人から髪を抜く老婆」という具体的な情景から始まるのは、こうした現実を反映しているのです。
また武士の存在感も急速に増していました。今昔物語集の「本朝・世俗部」には、武士の武勇伝が多数収録されています。その中には後に平家物語で描かれる武士たちの先祖も登場しており、平安末期という「時代の変わり目」をまじまじと感じさせます。
貴族文化が頂点を迎えながらも、その水面下で武士の力が増大していく——今昔物語集はそんな平安末期の「曲がり角」に立つ日本の姿を、1000話という形で後世に伝えてくれました。
今昔物語集の文学的特徴——「今は昔」から始まる独特の文体
今昔物語集には、すべての話に共通するルールがあります。それが「今は昔」という書き出しと、「となむ語り伝えたるとや」という結びのセット構造です。
「今は昔、〇〇といふ者ありけり……となむ語り伝えたるとや」
「今は昔」は「今となっては昔のことですが」という意味です。「となむ語り伝えたるとや」は「このように語り伝えたということだ」という結びの決まり文句です。始まりと終わりにこのセットを置くことで、「口伝で語り継がれてきた話を書き留めた」という性格を示しています。

「今は昔」という書き出しがずっと使い続けられたのはなぜ?

今でいう昔話の「むかしむかし、あるところに……」と同じ役割だよ!このフレーズを聞くだけで「ああ、昔話が始まるんだな」とわかる合図になってる。1000話全部がこの形式で統一されているのが今昔物語集の特徴の一つだね。
文体の特徴としてもうひとつ重要なのが、和漢混淆文(和漢混交文とも)という文体です。ひらがなと漢字を混ぜた文語体で書かれており、それまでの純粋な漢文や大和言葉(ひらがな中心)とは異なります。
この和漢混淆文は、のちの日本語文章の基礎になっていきます。固い漢文の骨格に、話し言葉に近いやわらかさを加えた文体——「書き言葉と話し言葉の中間」とも言えるこの形式が、今昔物語集を1000年後の現代人でも比較的読みやすい古典にしています。
📌 後世の説話文学への影響(諸説あり):今昔物語集の成立後、鎌倉時代初期には『宇治拾遺物語』(13世紀初め)や『古今著聞集』(1254年)など、多数の説話集が成立した。今昔物語集と重複する話も多く、互いに影響し合ったと考えられている。「今は昔」という書き出しが宇治拾遺物語にも使われており、今昔物語集の影響が伺える(ただし直接の影響関係については諸説あり)。
また今昔物語集が後世に与えた最大の影響は、「宮廷・貴族だけでなく庶民・武人・鬼・妖怪も物語の主人公になれる」という革新的な視点でした。この視野の広さが、日本文学が豊かに広がっていく礎になったのです。
今昔物語集についてもっと詳しく知りたい人へ

今昔物語集についてもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!テスト前から原文に挑戦したい人まで、ぴったりの1冊が見つかるはず!
今昔物語集についてよくある質問
平安時代末期(院政期・12世紀前半)に成立した日本最大の説話集です。全31巻(現存28巻)に1000話以上の物語を収め、インド(天竺)・中国(震旦)・日本(本朝)の三部構成になっています。作者は不明で、「今は昔」という書き出しから書名がつけられました。芥川龍之介の「羅生門」「鼻」の原作としても知られています。
作者は不明(作者未詳)です。源隆国・藤原伊房・源俊頼などの説がありますが、現在も確定していません。正式なタイトルすら残っておらず、「今は昔」という冒頭の書き出しから後世の人々が「今昔物語集」と呼ぶようになりました。
源氏物語は紫式部が書いた長篇小説(一人の作者・一つの大きな物語)で、宮廷貴族の恋愛・政治を描いています。一方、今昔物語集は作者不明・1000話以上の短篇説話集で、貴族だけでなく庶民・武人・盗賊・鬼まで幅広く登場します。成立時期も源氏物語(平安中期・11世紀初め)の方が約100年早く、今昔物語集(院政期・12世紀前半)より先です。
芥川は今昔物語集の「野蛮に輝いている」生々しさに惹かれたとされています。平安の都に生きた盗人・老婆・武士の姿が、美化されることなくリアルに描かれている点が芥川の文学観と合致しました。芥川は原話をそのまま使うのではなく、人物の心理描写を深く掘り下げて近代小説として書き直しました。「羅生門」「鼻」「芋粥」などがその代表作です。
成立年は確定していませんが、院政期(11世紀末〜12世紀初め)の1120年代頃が有力とされています。白河上皇・鳥羽上皇が権力を握っていた時代です。この年代は内容から推定されたもので、原本も残っていないため正確な成立年はわかっていません。
まとめ:今昔物語集は日本最大の「生きた人間ドラマ集」

以上、今昔物語集のまとめでした!「国語で習う芥川の羅生門の原作が、日本史で習う院政期の説話集だった」——この視点でぜひ2つの教科をつなげて理解してみてください!下の記事で平安時代の文学作品もあわせて読んでみてください!
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1086年頃院政の始まり(白河上皇)——今昔物語集が生まれた時代の幕開け
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1120年代頃今昔物語集の成立(推定)——全31巻・1000話以上を収録
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1185年平安時代終わり・鎌倉時代へ——今昔物語集が生まれた時代の終焉
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13世紀初め宇治拾遺物語など後継説話集の成立——今昔物語集の影響を受けて
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1915年芥川龍之介「羅生門」発表——今昔物語集の羅城門説話を原作に
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1916年芥川「鼻」「芋粥」発表——今昔物語集を素材とした初期傑作
📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版社『詳説日本史』(2022年版)
Wikipedia日本語版「今昔物語集」(2026年5月確認)
コトバンク「今昔物語集」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「羅生門(小説)」「鼻(芥川龍之介)」「芋粥」(2026年5月確認)
山川出版社『詳説日本史』
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