日中戦争・戦時体制(1937〜1941年)|昭和100年特集

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昭和100年特集 / テーマ②
テーマ② / 1937〜1941年

日中戦争

盧溝橋の一発の銃声が全面戦争の引き金となり、国家総動員法が国民生活を戦時体制に組み込んでいく。ハルノートで外交が行き詰まり、日本は太平洋戦争へと突き進みます。

4年
戦争継続
1937
日中全面戦争
1941
太平洋戦争開戦
1937
盧溝橋
1937
南京入城
1938
総動員法
1940
三国同盟
1940
大政翼賛
1941
ハルノート
Phase I — 開戦
1936〜1937
1936.12
開戦の背景
西安事件 ─ 国共合作が成立

蒋介石が部下に監禁された西安事件の結果、国民党と共産党が第二次国共合作を結成。中国側の抗日統一戦線が固まり、日本の中国政策は行き詰まりへと向かいます。

1937.7.7
開戦
盧溝橋事件 ─ 宣戦布告なき全面戦争

北京郊外の盧溝橋での発砲事件を機に、日中双方が軍を増派。「3ヶ月で決着」のはずが、国共合作による抗日統一戦線の前に泥沼の戦争へと転がり込みます。

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日中戦争 ─ なぜ「3ヶ月」が14年に変わったのか
宣戦布告なき全面戦争の実態。泥沼化の構造と国民生活への影響、そして太平洋戦争への連鎖を読み解く。
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1937.8〜12
戦線拡大
第二次上海事変・南京入城

上海での激戦を経て12月に南京を占領。首都陥落後も中国の抵抗は続き、蒋介石政権は重慶へ遷都して徹底抗戦を選びました。

Phase II — 泥沼化・総動員
1938〜1940
1938.4
戦時立法
国家総動員法 ─ 議会を飛び越えた動員体制

議会の承認なく人的・物的資源を戦争に動員できる権限を政府に付与。「議会政治の終焉」とも言われる法律で、日本は完全な戦時体制へ移行します。

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国家総動員法 ─ 議会を飛び越えた全体主義の完成
1938年制定。物資・労働力・言論まであらゆるものを戦争に動員できる体制はいかに完成したか。
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1938.11
中国政策
東亜新秩序声明・汪兆銘工作

近衛文麿首相が「東亜新秩序」建設を宣言し、蒋介石政権との交渉を打ち切り。親日政権樹立を狙った汪兆銘工作も成果を上げられず、戦局は膠着しました。

1939.5〜9
対ソ摩擦
ノモンハン事件 ─ 北進か南進か

満蒙国境でソ連・モンゴル軍と激突。最新兵器と機械化部隊に圧倒されて壊滅的敗北。「北進」(対ソ攻撃)論は後退し、日本の戦略は「南進」へと転換します。

1940.10
国内体制
大政翼賛会 ─ 政党の消滅

既存政党が解散し「大政翼賛会」に統合。議会政治・複数政党制が事実上消滅し、ドイツのナチス党に倣った一国一党体制が完成しました。

Phase III — 太平洋戦争前夜
1940〜1941
1940.9
枢軸同盟
日独伊三国同盟の締結

ドイツ・イタリアと軍事同盟を締結。アメリカへの牽制を狙いましたが、逆に日米関係を急速に悪化させ、対米石油禁輸という致命的な反応を引き出すことになります。

1941.4
外交
日ソ中立条約

ソ連との中立条約を締結し、北方の脅威を取り除くことで南進への道を開きました。しかし4年後、ソ連はこの条約を破棄して対日参戦します。

1941.7〜8
経済封鎖
南部仏印進駐・ABCD包囲網

南部仏印(現ベトナム南部)に進駐したことでアメリカが石油の全面禁輸を発動。英・中・蘭も同調してABCD包囲網が完成し、日本の石油備蓄は急速に底をつき始めます。

1941.11
開戦決断
ハルノート ─ 日米交渉の決裂

アメリカが提示したハルノートは中国・仏印からの全面撤退を要求。「対米開戦か屈服か」を迫られた日本は開戦を決断し、太平洋戦争へと突き進みます。

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ハルノート ─ 外交はなぜ行き詰まったのか
「最後通牒」とも呼ばれる文書の実態。日米双方の思惑と交渉破綻の経緯を読み解く。
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