太平洋戦争(1941〜1945年)|昭和100年特集

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昭和100年特集 / テーマ③
テーマ③ / 1941〜1945年

太平洋戦争

真珠湾の奇襲から始まった4年間の戦争。ミッドウェーで転換点を迎え、玉砕・特攻・原爆投下を経て、310万人の犠牲とともに昭和20年8月に幕を閉じます。

310万人
日本人犠牲者
1941
真珠湾奇襲
1945.8.15
終戦
1941
真珠湾
1942
ミッドウェー
1943
ガダルカナル
1944
サイパン陥落
1945.3
沖縄戦
1945.8
終戦
Phase I — 攻勢
1941〜1942
1941.12
開戦・奇襲
真珠湾攻撃 ─ 奇襲開戦

1941年12月8日、機動部隊がハワイ真珠湾の米太平洋艦隊を奇襲。空母6隻・航空機350機を投入し、戦艦4隻撃沈の戦果を挙げました。同日マレー半島にも上陸し、「大東亜戦争」が開幕します。

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太平洋戦争 ─ 開戦から敗戦まで、4年間の全体像
真珠湾奇襲からポツダム宣言受諾まで。日本はどう戦い、なぜ敗れたのか——全体の流れを把握する。
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1942.6
転換点
ミッドウェー海戦 ─ 太平洋戦争の分水嶺

主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を一挙に喪失。日本海軍の航空主力が壊滅し、制空・制海権が逆転しました。以後、日本は終始防御に回ることになります。

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ミッドウェー海戦 ─ なぜ日本は敗れたのか
暗号解読・情報漏洩・指揮の混乱——敗北の構造を多角的に読み解く。
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Phase II — 防御・消耗
1942〜1944
1942〜43
消耗戦
ガダルカナル島の戦い

南太平洋の飛行場をめぐる6ヶ月の消耗戦。夜間輸送(鼠輸送)を繰り返しながら物資不足で兵力が擦り減り、最終的に「転進」(撤退)。以後、日本は守勢一辺倒になります。

1943.11
体制・外交
大東亜会議

東京に「大東亜共栄圏」参加国首脳が集結。アジア解放と共存共栄を宣言しましたが、現実の戦線は縮小の一途でした。

1943.12
銃後・動員
学徒出陣

文科系学生への徴兵猶予廃止。雨の明治神宮外苑に77,000人の学生が整列し、戦場へ向かいました。「知性」が戦争に飲み込まれた瞬間です。

準備中
学徒出陣と特攻 ─ 国民を飲み込んだ総力戦の実態
1943年秋、文科系学生への徴兵猶予が廃止され77,000人が戦場へ。特攻作戦とともに若者の命を吸い込んだ体制の内側を読む。
準備中
1944.7
拠点陥落
サイパン陥落 ─ 本土空襲が現実に

マリアナ諸島のサイパンが陥落。B-29の爆撃圏内に本土全域が入り、東条内閣が総辞職。「絶対国防圏」の崩壊で、戦争の帰趨はほぼ決しました。

1944秋〜
特攻
特攻作戦の開始

「神風特別攻撃隊」が編成され、航空機ごと敵艦に体当たりする作戦が組織的に採用されました。3,000人超が還らぬ出撃をしました。

1945.2
玉砕
硫黄島の戦い

守備隊約21,000名のほぼ全員が戦死。36日間の激戦で米軍にも甚大な損害を与えましたが、島の陥落でB-29護衛戦闘機が本土爆撃に参加できるようになりました。

Phase III — 終戦
1945
1945.3.10
本土爆撃
東京大空襲

B-29約300機が低空爆撃。木造密集地帯に焼夷弾を投下し、一夜で約10万人が犠牲に。東京の下町一帯が壊滅しました。以後、日本各地で無差別爆撃が続きます。

1945.4〜6
地上戦
沖縄戦 ─ 本土最後の大規模地上戦

民間人を含む90,000人超が犠牲となった沖縄戦。住民が壕を追い出され「集団自決」の悲劇も起きました。沖縄喪失で政府・軍部の終戦判断が加速します。

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昭和20年 ─ 沖縄・広島・長崎・そして終戦
「黙殺」からポツダム宣言受諾へ。天皇の「聖断」が下るまでの経緯と、終戦の決定的瞬間を読み解く。
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1945.8.6/9
原子爆弾
広島・長崎への原子爆弾投下

8月6日広島、9日長崎。人類史上初の核兵器使用。広島で約14万人、長崎で約7万人が年内に犠牲となりました。

1945.8.8
ソ連参戦
ソ連、対日宣戦布告

日ソ中立条約を破棄してソ連軍が満州・樺太・千島に侵攻。「ソ連仲介による終戦」という最後の望みが断たれ、ポツダム宣言受諾が不可避となりました。

1945.8.15
終戦
玉音放送 ─ 昭和天皇の肉声

正午、ラジオから流れた「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」。国民の多くが初めて天皇の声を聞いた日。310万人の犠牲を経て、4年間の戦争が幕を閉じました。

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