第二次上海事変を簡単にわかりやすく解説【盧溝橋事件から日中戦争へ・・・】

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第二次上海事変で戦い日本兵の様子
もぐたろう
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今回は、1937年に起きた第二次上海事変について、わかりやすく丁寧に解説していくよ

この記事を読んでわかること
  • 第二次上海事変ってなに?
  • 第二次上海事変はなぜ起こったの?
  • 第二次上海事変の経過は?
  • 第二次上海事変によって日本と中国の関係はどうなったの?
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第二次上海事変とは

第二次上海戦争とは、1937年8月に上海で起きた中国軍と日本軍の軍事衝突のことを言います。

1937年7月に起きた盧溝橋事件から始まった日中戦争は、第二次上海事変をきっかけに泥沼の全面戦争へと発展していきました。

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少しわかりにくいので補足しておくと、

日中戦争の一番最初のきっかけを作ったのが盧溝橋事件

日中戦争が日本と中国の全面戦争になるきっかけを作ったのが第二次上海事変です。

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第二次上海事変が起きた時代背景

1930年代に入ると日本は、中国に対する侵略を強めていきました。

1931年に満州事変を起こし、1932年には満州を中国から切り離して満州国を建国。

1935年頃になると、次は華北地方(満州の南に隣接する地域)を中国から分離させるため、華北分離工作を開始します。

もぐたろう
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日本が中国への侵略を強めた理由は色々あるけど、特に大きかったのはソ連の存在でした。

日本は、ソ連から社会主義思想が国内に入り込んでくることを恐れていて、軍部の中には『日本とソ連はいずれ戦争をすることになる』と考えている人もいたんだ。

こうした侵略に対して、中国は強い抵抗はしませんでした。・・・というか、できませんでした。

なぜなら、当時の中国政府(国民政府)は、共産党との内紛状態に陥っていたからです。政府は共産党との戦いを優先し、日本に対しては妥協的な対応を採っていたのです。

ところが1936年、西安事件という事件が起こって、国民政府と共産党との間で停戦が成立します。

内紛が終わると、中国では共産党員を中心に日本に抵抗する動きが強くなっていきます。

そうなると、日本がターゲットにしていた華北地方で中国と日本の小競り合いが増えるようになり、その小競り合いの1つが、1937年7月に起きた盧溝橋事件だったのです。

盧溝橋事件は、それまでの小競り合いとは違って単発で終わることなく、日が経つにつれて少しずつ戦線が拡大していきました。

盧溝橋事件の後に起こった出来事一覧
  • 7月7日
    北京で盧溝橋事件が起こる
  • 7月11日
    日本政府、援軍派遣を決定
  • 7月13日
    日本軍のトラックが爆破されるテロ事件が起こる。
  • 7月19日
    国民政府の蒋介石が、日本に徹底抗戦することを宣言
  • 7月25日
    日本の通信兵が中国兵からの銃撃を受け、14名が死傷
  • 7月26日
    北京の広安門で中国軍の奇襲を受けて、日本兵19名が死傷
  • 7月29日
    北京の通州で、民間人含む日本人200人が中国兵に惨殺される
もぐたろう
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日中関係が悪化するのと同時に、北京を中心に日本軍への襲撃事件が続いていたことがわかるね。

北京を中心地として、戦火がジワリジワリと拡大していきましたが、8月になると戦火が一気に上海まで飛び火することになりました。

こうして起きたのが第二次上海事変です。

話が逸れてしまうかもしれないけど、『第二次』上海事変ってことは、過去には『第一次』上海事変もあったということなのかしら?

第一次上海事変(おまけ)

第一次の上海事変は、1932年1月に上海で起きた日本軍と中国軍の軍事衝突のこと。

当時、日本は満州国の建国に向けて準備を進めているところでしたが、中国や列強国からは批判の声も多くありました。

そこで日本は、『上海で騒ぎを起こせば、みんなの注目を満州から逸らすことができるんじゃね?』と考え、裏工作を進めて上海で騒ぎを起こしました。こうして起きたのが第一次上海事変です。

上海で起こったイザコザは日本VS中国の軍事衝突にまで拡大し、日露戦争以来の大激戦となりました。

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第二次上海事変が起きたきっかけ

日本政府は盧溝橋事件以降の中国の治安悪化を受けて、中国に住む日本人約3万人を引き揚げる方針を決定します。

上海にいる日本海軍の下に合流して、上海の港から船で日本に帰国する計画でした。

そして、帰国予定者たちが上海に集まった8月9日、事件は起こります。

海軍中尉だった大山勇夫おおやまいさおという人物が、上海で中国人の手によって射殺されてしまったのです。

大山勇夫の射殺現場
大山勇夫の射殺現場

日本はこれに抗議しますが、中国軍はこれを聞き入れません。それどころか中国軍は上海にいる日本海軍を殲滅するため、上海周辺に軍を集め始めました。

上海の情勢は、中国軍約30,000に対して日本海軍約4,000。やる気マンマンの中国軍を前にして、日本は圧倒的不利な立場に立たされました。

当時海軍大臣だった米内光政よないみつまさは、大山中尉が殺されたことにブチギレ。海軍の援軍を送り込むと同時に、陸軍に対しても派兵を要求しました。

米内光政
米内光政

上海に本格的な軍隊を送り込んでやる!!

陸上戦も想定されるから、海軍だけではなく陸軍ももちろん出兵な!!

ところが、肝心の陸軍には派兵をためらう声も強かったため、援軍の派遣が遅れてしまいます。

もぐたろう
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陸軍の中には、『日本が戦うべき相手はソ連であって、中国を敵にすべきではない』という考えた方が根強くあって、上海で戦闘を繰り広げることに抵抗を持つ者もいました。

さらに言えば、政府の方針としても、盧溝橋事件の震源地である北京周辺への援軍は認めつつ、基本的には戦線を拡大しない方針だったんだ。

8月12日、上海の日本人が住む地域が中国軍に包囲され、夕方になると日本軍に対して本格的な攻撃が開始されました。

14日には中国軍による空爆が行われ、日本軍や現地日本人らは窮地に立たされます。空爆は、日本艦隊を狙って行われたものでしたが、誤爆によって上海の街中にも爆弾が投下され、多くの民間人が死傷する大惨事となりました。

第二次上海事変で爆撃を受けた上海の様子
爆撃を受けた上海の様子

上海での戦闘は、多くの民間人が犠牲になるほど大規模なものであり、これまでの小競り合いとは異なる本格的な戦闘となりました。

中国軍は上海周辺にも大軍を集結させており、日本軍を本気で殲滅せんめつしようと目論もくろんでいたのです。

中国の強引な攻め方を見た日本政府は、8月14日、不拡大方針を撤回。

8月15日には、日本政府は「中国軍のらしめ、国民政府の反省を促すため、断固たる措置を講じる!」と宣戦布告とも捉えられる声明を出し、

17日には正式に不拡大方針を放棄して、戦争に必要な準備対策を講ずることが決まりました。

こんな感じで起きた日本軍VS中国軍の争いが、第二次上海事変となりました。

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第二次上海事変の経過

現地(上海)では、17日までに中国軍の数が約7万にまで増強。

一方の日本軍は、陸軍の援軍が遅れたこともあり、約6,000の兵力しかありません。

現地の日本軍は10倍近い兵力を相手に、日本人居住地域(日本租界そかい)を死守することに成功するも、反撃に転じることができません。

もぐたろう
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中国軍は、上海にある日本海軍の拠点を囲むように堅牢な防御陣地を築いていました。

この防御陣地は、陣地を構築したドイツ人、ハンス・フォン・ゼークトの名をとってゼークト・ラインと呼ばれているよ。

ただでさえ兵力的に不利の中、鉄壁の守備を誇ったゼークト・ラインの突破は難しかったんだ。

第二次上海事変で日本軍に抵抗する中国兵
日本軍に攻撃を仕掛ける中国兵

8月の下旬になると陸軍の援軍も到着したものの、それでも日本軍はしばらくの間、ゼークト・ラインに足止めされて上海から出ることができません。

・・・が、日本軍は当時、東アジア最強の軍隊です。9月に入ると次第に日本軍が優勢となりました。

ジワリジワリと追い詰められていた国民政府は、8月になるとソ連からの支援を得るために、ソ連との連携を深めていきます。

そして、ソ連との連携が深まるのに合わせて、中国国内では共産党がその存在感を増していきました。

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ソ連と中国共産党は、共産主義思想の国際組織「コミンテルン」を通じて繋がっていたんだ。だから、ソ連と国民政府の関係が深まると、中国共産党の発言力も増すようになったんだ。

共産党の影響力が強くなると、9月には日本に対抗するため、国民政府と共産党の間で共闘関係(第二次国共合作)が結ばれました。

しかし、ソ連との連携を深めても中国は日本の快進撃を止めることはできません。

日本軍は、10月にはゼークト・ラインを突破。11月には中国軍が上海から撤退を始め、第二次上海事変は日本軍の勝利に終わりました。

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第二次上海事変のその後・・・

上海を攻略した日本軍は、11月になると首都だった南京なんきんへの侵攻を開始します。

日本
日本

首都を攻撃して懲らしめてやれば、さすがの中国も反省するはずだ!

国民政府のトップだった蒋介石は上海での中国軍敗北を受けて、日本との長期戦を覚悟。長期戦に備えて、首都を南京から奥地にある重慶じゅうけいへと遷都することを決定しました。

そして盧溝橋事件→第二次上海事変と発展していった戦争は、中国全土を巻き込んだ泥沼の長期戦(日中戦争)へと突入していきます・・・。

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もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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