

今回はABCD包囲網(ABCD包囲陣)について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!アメリカ・イギリス・中国・オランダの4か国が日本に迫った「あの経済制裁」の全貌をバッチリ理解しよう!
📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・共通テスト対応
ABCD包囲網(包囲陣)とは?
- ABCD包囲網とは、亜米利加(America)・英吉利(Britain)・支那(China)・和蘭(Dutch)の4か国による対日経済制裁の総称
- 4か国が連携して計画したわけではなく、日本政府が勝手に名付けた言葉であることに注意
- 1941年の石油全面禁輸が決定打となり、太平洋戦争開戦へとつながった
ABCD包囲網(ABCD包囲陣)とは、1930年代後半から1941年にかけて、アメリカ・イギリス・中国・オランダの4か国が行った対日経済制裁を、日本側が「包囲されている」と感じて名付けた呼び方のことです。
ABCDというのは、それぞれの国の頭文字を並べたものです。America(アメリカ)・Britain(イギリス)・China(中国)・Dutch(オランダ)の4文字が由来です。
重要なのは、これは4か国の協定や同盟ではない、という点です。それぞれの国が自国の利益・安全保障のために独立して制裁を行っていただけで、「ABCD包囲網」という言葉自体は日本が作ったプロパガンダ的な呼称でした。当時の日本のメディアや軍部がこの言葉を使って「日本は包囲されている!」と国民に訴えたのです。

「ABCD包囲網」「ABCD包囲陣」「ABCDライン」の3つがよく混同されるけど、整理すると「包囲網」と「包囲陣」は完全に同じ意味・同じ出来事の別の呼び方なんだよ。一方、「ABCDライン」はちょっと別の話で、地理的な防衛ラインのこと。くわしくは後の章で解説するね!

ABCDはどこの国?なぜオランダが含まれるのか
ABCD包囲網の4か国は、それぞれ東アジア・東南アジアで日本と利害がぶつかっていた国々でした。一つずつ確認してみましょう。
A:America(アメリカ) フィリピンを植民地として保有。対日石油輸出の主役
B:Britain(イギリス) マレー半島・ビルマ・香港などを植民地として保有
C:China(中国) 日本が侵攻中の日中戦争の相手国。蒋介石の国民政府が抵抗を続けた
D:Dutch(オランダ) 蘭印(現インドネシア)を植民地として保有。日本が最も必要としていた石油の産地
アメリカ・イギリスが含まれるのはわかりやすいですが、「なぜオランダ?」と疑問に思う人も多いでしょう。

オランダって小さい国なのに、なんでABCDに入ってるの?日本とどんな関係があったの?

オランダが重要なのは、今のインドネシアにあたる「蘭印(らんいん)」を植民地として持っていたからなんだよ!当時の蘭印は世界有数の石油産地で、日本が喉から手が出るほど欲しがっていた資源の宝庫だったんだ。だからオランダ本国は小さくても、「蘭印を支配しているオランダ」は日本にとって超重要な交渉相手だったんだね。
当時、日本の工業・軍事に欠かせない石油の約80%はアメリカから輸入していました。しかし1941年にアメリカが石油輸出を全面禁止すると、日本は代替として蘭印(現インドネシア)の石油を確保しようとしました。
オランダは南部仏印進駐後に日本の要求を拒絶し、石油の供給を停止しました。こうして日本にとってオランダは「包囲の一角」となったのです。

なぜ作られたのか?ABCD包囲網の背景と原因
ABCD包囲網(各国の対日制裁)は、一夜にして生まれたものではありません。1930年代の日本の行動が積み重なり、各国の警戒心と敵意が高まった結果として生まれたものです。
原因①:日中戦争(1937年〜) 中国への侵攻がアメリカ・イギリスの反発を招いた
1937年に勃発した日中戦争は、アメリカとイギリスにとって大きな問題でした。両国は中国に多くの権益(貿易・投資・領事館など)を持っており、日本の占領によってそれらが脅かされることになったからです。
特にアメリカは、蒋介石の国民政府を支援するため、中国への物資援助(援蒋ルート)を続けました。日本はこれを「中国側を助けている」と強く非難しましたが、アメリカは聞き入れませんでした。

原因②:日独伊三国同盟(1940年9月) アメリカが日本を「敵国」と明確に位置づけた
1940年9月、日本はドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を締結しました。ヨーロッパで既にナチス・ドイツと戦っていたイギリスと、それを支援していたアメリカにとって、日本はもはや単なる「アジアの膨張主義国」ではなく、枢軸国の一員=敵となったのです。
原因③:南部仏印進駐(1941年7月) アメリカを石油全面禁輸へと踏み切らせた決定的な一手
1941年7月、日本軍が仏領インドシナ南部(現ベトナム南部)に進駐したことが決定打になりました。この動きはアメリカやイギリスから見ると、東南アジア全域を狙う日本の「南進政策」の一環として映りました。アメリカはこれに激怒し、ついに石油の全面輸出禁止に踏み切ります。

各国が制裁を行った動機をまとめると…
・アメリカ:中国権益の保護+日独伊同盟への対抗
・イギリス:植民地(マレー・ビルマ・香港)の防衛
・中国:自国への侵攻を続ける日本への抵抗
・オランダ:蘭印(インドネシア)の石油資源を守るため
…それぞれ別々の理由で動いていたんだ。「4か国連合」じゃなくて「利害が一致した結果」なんだよね。
ABCD包囲網はいつ?段階的に強まった経済制裁
ABCD包囲網は一度に作られたものではなく、1939年から1941年にかけて段階的に強化されていきました。日本の行動に対してアメリカを中心とする各国が制裁を積み上げていった過程を、年代順に整理してみましょう。
「ABCD包囲網はいつから?」という問いへの答え:最初の制裁は1939年(日米通商航海条約の破棄通告)、最も重大な制裁は1941年7月の石油全面禁輸です。
1939年7月:アメリカが日米通商航海条約の破棄を通告します。これにより日米間の通商上の優遇措置が消え、アメリカは日本への輸出品を随時制限できるようになりました。
1940年7月〜8月:アメリカが航空機用ガソリン(オクタン価87以上の航空用燃料)の対日輸出を禁止します(西半球以外への全面禁輸)。日本の軍需産業に直接打撃を与えることが狙いでした。
1940年9月:日独伊三国同盟が締結され、アメリカの対日感情がさらに悪化。イギリスもビルマルート(援蒋ルートの一つ)の閉鎖・再開を繰り返すなど、圧力を強めます。
1941年7月(最重要):日本が南部仏印に進駐。これに対しアメリカは在米日本資産の凍結と石油の全面輸出禁止を発動します。イギリス・オランダも同調し、ここで「ABCD包囲網」は事実上完成しました。

1941年7月の石油全面禁輸は本当に大きなターニングポイントだったんだよ。日本は石油の約80%をアメリカから輸入していたから、「いきなり全部カット!」ってなったら、軍の艦船も飛行機も動かせなくなる。このまま何もしなければ、2年以内に石油備蓄が底をつく計算だったんだ。それが開戦への大きな引き金になったんだね。
日本への影響——石油禁輸が太平洋戦争を招いた
1941年7月の石油全面禁輸は、日本の指導層に深刻な危機感をもたらしました。当時の日本は石油の約80%をアメリカに依存しており、それが一夜にして断ち切られたのです。
日本軍の試算では、現状の消費ペースが続けば、石油備蓄は約2年で枯渇するとされていました。艦艇が動かせず、戦闘機も飛べなくなる――それは「軍事大国・日本」の終わりを意味していました。
日本は外交交渉で局面打開を図ります。1941年を通じて日米交渉が断続的に続けられましたが、アメリカはハル・ノート(中国・インドシナからの全面撤退要求)を突きつけ、交渉は決裂します。

アメリカは徹底的に日本を兵糧攻めにする気だ…。外交はもはや限界。こうなったら一か八か、打って出るしかない!
1941年10月、東條英機が首相に就任。11月のハル・ノート受領後、日本の御前会議では対米英開戦が決定されました。こうして1941年12月8日、真珠湾攻撃によって太平洋戦争の幕が開けたのです。

流れをまとめると、「石油禁輸 → 備蓄枯渇の危機 → 外交交渉失敗(ハル・ノート) → 開戦決定 → 真珠湾攻撃」という因果関係になるんだ。今の時代に置き換えると、「ある国の経済制裁によってエネルギーが一切入ってこなくなった」という状況。現代でも経済制裁は重要な外交ツールだけど、当時の日本がいかに追い詰められていたか、わかるよね。
「包囲網」「包囲陣」「ABCDライン」の違いは?
ここで一度、よく混同される3つの言葉を整理しておきましょう。
ネット検索やテスト勉強をしていると「ABCD包囲網」「ABCD包囲陣」「ABCDライン」という3つの言葉に出くわすことがあります。一見バラバラに見えますが、実は意味が大きく異なるものも含まれています。
ABCD包囲網=ABCD包囲陣(まったく同じ出来事・同じ意味)
→ アメリカ・イギリス・中国・オランダによる対日経済制裁のこと。「包囲陣」は日本の新聞が使った呼び名で、「包囲網」という呼び方もほぼ同義で使われています。
ABCDライン(これは別の概念・軍事・地理の話)
→ アメリカ(A)のフィリピン、イギリス(B)のビルマ・マレー、中国(C)、オランダ(D)の蘭印(インドネシア)が地理的に日本を取り囲む形をなしていることを指す軍事・地政学的な概念です。経済制裁ではなく「防衛ラインの形が日本を囲んでいる」という意味で使われます。

経済制裁って現代でもよく聞くけど、こんな昔からあったんですね。今のロシアへの制裁と似ていると思いました。

そうそう!現代の対ロシア制裁と本質は同じだよ。「資源を断てば戦争をやめるだろう」という発想はこの時代にもあったんだ。ただ、当時の日本は「だったら戦争で突破するしかない!」という選択をしてしまった…。それが太平洋戦争の悲劇だね。
なお、「ABCD包囲陣」という言葉は当時の日本政府・マスコミが積極的に使いました。「日本は4か国に囲まれて苦しめられている被害者だ!」というプロパガンダ的なニュアンスを持つ言葉でもあったのです。
テストに出るポイント
共通テストや定期テストでは、ABCD包囲網の「きっかけ→内容→結果」の流れと、関連する年号・条約名がセットで問われます。特に「1941年7月の石油全面禁輸」と「ハル・ノート」の位置づけを押さえておきましょう。
💡 共通テスト頻出のひっかけ:「ABCD包囲網がいつ成立したか」は1つの年月では答えにくい。1939年(日米通商航海条約破棄)から段階的に強化され、1941年7月(石油全面禁輸)で完成したと覚えるのがポイント。「1941年に成立した」と書いて減点になるケースがあります。
よくある質問
はい、まったく同じ出来事を指す別称です。どちらもアメリカ(America)・イギリス(Britain)・中国(China)・オランダ(Dutch)の4か国による対日経済制裁を指します。「包囲陣」は当時の日本の新聞・政府が多用した言葉で、「日本が包囲されている」という被害者意識を強調したニュアンスがあります。一方「包囲網」は戦後の歴史研究でより中立的に使われた言葉です。山川教科書では「ABCD包囲陣」という表記が使われているため、高校入試・共通テストではどちらで書いても正解ですが、問題文の表記に合わせるのが安全です。
「D」は英語のDutch(ダッチ)の頭文字で、オランダ人・オランダのことを指す英語表現です。オランダ語では「Nederland(ネーデルラント)」ですので、「D」はオランダ語ではありません。
オランダが含まれる理由は、オランダが当時東南アジアに蘭印(オランダ領東インド=現在のインドネシア)を植民地として持っており、そこには日本が最も必要としていた石油資源が豊富にあったからです。オランダが石油禁輸を実施したことで、日本の石油供給はほぼ完全に断たれました。これがオランダがABCDの「D」に入っている理由です。
1つの「始まり」があるわけではなく、段階的に強化されていきました。
起点とされるのは1939年7月で、アメリカが日米通商航海条約の廃棄を通告し、翌1940年1月に失効しました。その後、1940年には航空燃料・屑鉄の禁輸が始まり、1941年7月に日本の資産凍結と石油の全面禁輸が実施されてABCD包囲網が事実上「完成」しました。テストでは「1941年7月の石油全面禁輸」が最重要の年月として問われることが多いです。
「もし解除されれば戦争は避けられた」とは一概に言えません。アメリカが制裁解除の条件として、中国・インドシナからの日本軍の完全撤退(1931年以前の状態への復帰)を求めていたからです。これは事実上、日本が10年以上にわたって築いてきた大陸政策を全て放棄することを意味しており、当時の日本軍部・政府にとっては受け入れがたい要求でした。
逆に言えば、日本が中国への侵攻をやめていれば経済制裁はそもそも始まらず、太平洋戦争も起きなかった可能性が高いといえます。ABCD包囲網は「結果」であり、「原因」は日中戦争の長期化にあったのです。
ハル・ノートとは、1941年11月26日にアメリカの国務長官コーデル・ハルが日本に提示した外交文書のことです。内容は「中国・インドシナからの全面撤退」「中華民国(蒋介石政権)の承認」「日独伊三国同盟の実質的破棄」など、日本にとって到底受け入れられない要求が並んでいました。
ABCD包囲網(経済制裁)とハル・ノート(外交的最後通牒)はセットで機能しました。つまり「経済的に締め上げながら、外交的にも完全降伏を迫る」という二重の圧力だったのです。この組み合わせが、日本の対米開戦決断を決定的に後押ししました。
世界史・国際政治の観点からは、ABCD包囲網(対日経済制裁)は「侵略行為を止めるための正当な圧力」という評価が主流です。日本が中国・東南アジアへの侵略を続けていたことが制裁の根本的な原因であるため、欧米・中国の歴史研究ではおおむねこの立場をとります。
一方で、「経済制裁が戦争を引き起こすリスク」という観点からも研究されています。石油禁輸という極端な経済制裁が日本に「戦争か降伏か」という二択しか残さなかったとする見方もあり、現代の国際関係論でも「制裁の設計」として引用されることがあります。
日本国内では「ABCD包囲陣」という言葉に含まれた被害者意識の側面を批判的に捉える研究も多く、「戦争責任論」と絡めて議論されることがあります。
まとめ:ABCD包囲網(包囲陣)のポイント
ABCD包囲網・太平洋戦争の理解を深めるおすすめ本

記事を読んでもっと深掘りしたい人は、こちらの本もチェックしてみてね!

以上、ABCD包囲網(包囲陣)のまとめでした!石油を断たれた日本がどんな選択をしたのか、その後の太平洋戦争・昭和史についても下の記事でぜひあわせて読んでみてください!
日中戦争開始——盧溝橋事件(7月)をきっかけに全面戦争へ。長期化により欧米諸国との関係が悪化し始める
日独伊三国同盟締結・日本軍が仏印北部に進駐。アメリカが屑鉄・鉄鋼の対日輸出を禁止。日米関係が急速に悪化する
日本軍が仏印南部に進駐——これを受けてアメリカが石油の対日全面禁輸・日本資産の凍結を実施。イギリス・オランダも追随。ABCD包囲網が事実上完成する
アメリカが石油の対日全面禁輸(7月末〜8月初旬)を正式発効。日本の石油備蓄は約2年分しかなく、時間的猶予がなくなる
ハル・ノート提示——アメリカが中国・インドシナからの完全撤退を要求。日本はこれを最後通牒と受け取り、外交交渉が決裂する
太平洋戦争開戦——日本軍が真珠湾を奇襲攻撃。アメリカ・イギリスに対して宣戦布告。太平洋戦争が始まる
Wikipedia日本語版「ABCD包囲網」(2026年4月確認)
コトバンク「ABCD包囲陣」(デジタル大辞泉・日本大百科全書、2026年4月確認)
コトバンク「南部仏印進駐」「日独伊三国同盟」(2026年4月確認)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)第5章・近現代史(太平洋戦争への道)
山川出版社『詳説世界史』(2022年版)第13章・第二次世界大戦
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