今回は、1940年に日本・ドイツ・イタリアの間で結ばれた日独伊三国同盟について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!
日独伊三国同盟とは
日独伊三国同盟とは、
日本(日)
ドイツ(独)
イタリア(伊)
の3国が共通の敵と戦うため、1940年に結ばれた軍事同盟のことを言います。
日独伊三国同盟を理解する上で重要なポイントになるのが「共通の敵」ってところです。
共通の敵って一体誰だったの?
勿体ぶらず教えて欲しいわ・・・。
ここで登場する『共通の敵』っていうのは、主にアメリカのことを指しているよ。
なぜ、アメリカが日本・ドイツ・イタリアの共通の敵だったのかしら?
良い質問だね。
実は、その理由を理解することが、日独伊三国同盟について理解する大事なポイントなんだ。この記事ではその点を詳しく紹介していくことにするよ!
日独伊三国同盟が結ばれた理由
なぜアメリカが共通の敵だったのか、まずは日本・ドイツ・イタリアそれぞれの事情を確認しておきます。
日本の事情
日本がアメリカと敵対することになったきっかけは、1937年に起きた日中戦争でした。
アメリカは、1900年頃からずーっと『中国との貿易には制限を加えることなく、どの国もみんな平等に中国と貿易できるようにしようぜ!』という門戸開放・機会均等を主張していて、中国が他の国に支配されることを強く嫌っていました。
アメリカの中国に対するスタンスは、以下の記事を参考にしてみてください!
・・・しかし、1930年代に入ると、日本の中国支配が段々と強まっていきます。
それでもアメリカは、日本を刺激しないよう事態を静観していましたが、1937年に日中戦争が起こると、さすがのアメリカも日本を無視できなくなります。
1938年、アメリカは中国政府のトップである蒋介石への軍事物資などの支援を開始。
さらに1939年には、日米通商航海条約の破棄を決め、1940年には条約が失効しました。
日本は日中戦争を早期に終わらせるつもりでしたが、アメリカらの支援を受けて中国がパワーアップしたせいで、なかなか戦争を終わらせることができません。
アメリカには中国から手を引いてもらいたいが、アメリカと戦争をしたくはない。何か、穏便にアメリカが手を引いてくれる方法はないものか・・・!
この時に、政府や陸軍の間で浮上した案が、日本・ドイツ・イタリアによる軍事同盟の結成でした。
そうだ!ドイツ・イタリアと軍事同盟を結んで、アメリカ・イギリスを牽制してやろう!
『日本に手を出したら、ドイツ・イタリアが出てくるかもしれない』とアメリカに思わせることができれば、アメリカも日中戦争に介入しにくくなるはずだ!
ドイツの事情
ドイツでは、ヒトラー率いるナチ党が、領土拡大を狙って隣国への侵略行為を続けていました。
1938年3月にオーストリアを併合し、9月にはチェコスロバキア西部のズデーテン地方を併合。
さらに1939年3月に入ると、次はポーランドを標的に定めました。
このドイツの侵略行為に反対をしていたのが、イギリス・フランスでした。
ドイツとの戦争を避けたかったイギリス・フランスは、ドイツの侵略行為を静観していましたが、このまま隣国への侵略を続ければ、いずれイギリス・フランスと戦争になるのは時間の問題です。
そしてイギリスの参戦は、イギリスの友好国であるアメリカの参戦を意味していました。
大国アメリカとの戦争を避けたいドイツは、日本との軍事同盟を考え始めます。
アメリカを日本とドイツ・イタリアの東西から牽制すれば、迂闊にヨーロッパへ兵を送り込めないだろう・・・と考えたのです。
イタリアの事情
イタリアも、日本・ドイツと同じように侵略戦争を繰り返します。
1935年にはエチオピアへ侵攻し、1939年にはアルバニアを併合しました。
こうした侵略行為の結果、イタリアはイギリス・フランスから嫌われ国際社会から孤立。1937年には国際連盟を脱退してしまいます。
国際社会から孤立する中、これ以上の侵略行為を続ければ、いずれイギリス・フランスと戦争になるかもしれません。
そこでイタリアは、協力者を求めることにしました。そして協力者としてイタリアが接近したのが、同じく国際社会から孤立していたドイツ・日本だったのです。
日独伊三国同盟が結ばれるまでの経過
軍事同盟の案が最初に浮上したのは、1939年でした。
ドイツと軍事同盟を結んで、アメリカ・イギリスたちあが中国を支援しないよう圧力をかけたい・・・!
そして、万が一これらの国と戦争になった時に、対抗できるようにしておきたい!
ズデーテン地方を併合して以降、イギリス・フランスとガチで戦争になりそうだから、日本と同盟を組むことでアメリカの参戦を防ぎたい・・・!
度重なる侵略行為でイギリス・フランスを怒らせてぼっちになっちゃったから、同じくイギリス・フランスに嫌われてるドイツ・日本とは仲良くしておこう!
1939年3月頃から、三国の間で本格的な交渉が始まりますが、この交渉はすぐに頓挫することになります。
なぜなら、1939年9月にドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだからです。
日本からすれば、『はっ!?』って感じです。
ドイツとは、ソ連に対抗するため日独防共協定を結んでいたはずだ。
それなのに、そのドイツがソ連と条約を結ぶとは何事だ・・・!!
結局、ドイツへの不信感から、この同盟交渉は決裂に終わりました。
・・・が、1年後の1940年、決裂したはずの軍事同盟の交渉が再開することになります。
なぜ交渉が再開したのかというと、1939年→1940年のわずか1年の間で、世の中が目まぐるしく変化していったからです。
第二次世界大戦、勃発
1939年9月、ドイツがポーランド侵攻を開始。そして、これまでドイツの動きを静観していたイギリス・フランスもついにブチギレて、ドイツに対して宣戦布告をします。
これが何を意味するかというと・・・そうです、第二次世界大戦の始まりです。
ドイツは快進撃を続け、1940年5月にはフランス本土への攻撃を開始。6月にはフランスが降伏し、8月にはイギリス本土への爆撃を開始しました。
繰り返しになりますが、イギリスとの戦争は、同時にアメリカとの戦争をも意味します。
大国アメリカと真っ向から戦ってもドイツに勝ち目はありません。
・・・待てよ。ここで日本と軍事同盟を結んで『ドイツと戦争をしたら、日本とも戦うことになるけど本当にいいの?』ってアメリカを脅せば、めちゃくちゃ牽制になるのでは!?
こうして、軍事同盟結成の動きが再開することになります。
日独伊三国同盟、結成へ
一方の日本でも、ヨーロッパでドイツが優勢であることを知ると、ドイツとの軍事同盟が再検討されるようになりました。
そして1940年8月、ついにドイツと日本の交渉が再開します。
9月には内容がまとまり、9月27日、日独伊三国同盟が結ばれることになりました。
日独伊三国同盟の主な内容は、次のようなものでした↓↓
1・2番は、戦争に勝った後、ドイツがヨーロッパ、日本が東アジア・東南アジアの覇者になることを認め合うという内容。
そして、肝心なのは3番の内容です。
ここでいう日中戦争にもヨーロッパの戦争にも参加していない第三国っていうのは、実質的にアメリカのことを意味しています。
つまり、「アメリカが参戦してきたら、日本・ドイツ・イタリアは協力してこれに対抗するよ!」ってことが明記されたわけです。
日独伊三国同盟が世界に与えた影響【その後の戦局】
日独伊三国同盟は、ヨーロッパの戦局には直接的な影響を与えませんでしたが、東アジアの戦局(日中戦争)には大きな影響を与えました。
日本は、日独伊三国同盟でアメリカを牽制しつつ、援蒋ルートの阻止を試みるようになります。
最初に狙ったのはフランス領インドシナ(仏印)。
1940年6月にフランスがドイツに敗れたのを好機に、同年9月、日本は仏印の北部に進軍し、援蒋ルートの1つを阻止することに成功します。(北部仏印進駐)
そして、次に日本が阻止しようとしたのがイギリス領ビルマからの支援ルートでした。
・・・しかし、すでにお話ししたように「イギリスと戦争をする」=「アメリカとも戦争する」ことを意味しています。
一方のアメリカはといえば、日本の北部仏印進駐・日独伊三国同盟の結成にブチギレ状態でした。
日独伊三国同盟には、俺を牽制する意図があったらしいが、俺はそんなものには屈しない。日本・ドイツ・イタリアに徹底対抗してやんよ!
アメリカを牽制するために結んだ日独三国同盟だったんだけど、逆にアメリカを挑発する結果になってしまい、アメリカの日本への敵対心をますます強める結果になってしまったんだ・・・。
当時アメリカの大統領だったルーズヴェルトは、1940年9月、日本への鉄屑・鉄鋼の輸出禁止を決定し、10月には太平洋艦隊の強化にまで乗り出して、日本への圧力を強めました。
アメリカとの戦争を避けたい日本は、1941年からアメリカとの交渉を開始。
しかし、日本に不信感を持つアメリカは、日本に対して厳しい条件を提示。アメリカは断固として条件を譲らず、交渉は暗礁に乗り上げてしまいます。
交渉が進まない中、アメリカの経済制裁で資源不足に苦しんでいた日本は、資源確保のため1941年7月にフランス領インドシナの南部(南部仏印)へ進軍。(南部仏印進駐)
これにブチギレたアメリカが日本への石油輸出を禁止すると、追い詰められた日本は『それなら、石油が尽きる前に短期決戦でアメリカと戦ってやんよ!』とアメリカ・イギリスとの戦争を決意し、1941年12月、太平洋戦争が勃発することになります。
話をまとめると、『日独伊三国同盟でアメリカを牽制しつつ、援蒋ルートを阻止して、日中戦争に勝利する』という日本の目論見は失敗に終わって、逆にアメリカの経済制裁で日本は窮地に立たされたから、資源確保と援蒋ルート阻止のために東南アジアへ進軍し、その結果、大国アメリカと真っ向勝負をすることになったというわけです。
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