西安事件を簡単にわかりやすく解説するよ【張学良が抗日民族統一戦線結成のきっかけを作る】

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西安事件で監禁された蒋介石と関係者たち
もぐたろう
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今回は、1936年に起きた中国で起きた西安事件しーあんじけんについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 西安事件ってそもそもなに?
  • 西安事件はなぜ起こったの?
  • 西安事件の経過は?
  • 西安事件の結果、中国情勢はどうなったの?
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西安事件とは

西安事件とは、中国で内紛を続けていた中国国民党中国共産党が、外敵である日本に抵抗するため、1936年に停戦するきっかけになった事件のことを言います。

同じ頃、日本は、中国が内紛に明け暮れているのを良いことに、中国北部の華北地方を日本の支配下におこうと画策していました。(華北分離工作

しかし、日本のこうした行動は中国に強い刺激を与え、逆に西安事件をきっかけに中国を一致団結させる結果となり、翌年(1937年)に起こる日中戦争へと繋がっていきました。

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中国国民党と中国共産党の歴史(おさらい)

西安事件の話に入る前に、中国国民党VS中国共産党の歴史についてサッとおさらいしておきます。

中国国民党と中国共産党は、1911年の辛亥革命によって清王朝が滅んだ後、新政権の樹立を目指して生まれた組織です。

中国国民党が民主的な政治を目指したのに対して、中国共産党は共産主義的な政治を目指していました。両者の思想は相反しており、両者は基本的に犬猿の関係にありました。

当初、争いをリードしていたのは中国国民党でした。

1928年、中国国民党は中国北部の軍閥政権を倒し(北伐)、その後、南京政府を樹立して中国全土を1つに統一することに成功しています。

父を日本に殺された張学良

1928年当時、軍閥政権は日本の支援を受けており、トップは張作霖ちょうさくりんという男でした。

当時、日本は、軍閥政権をうまくコントロールして中国北部を日本の影響下におこうと目論んでいました。

ところが、軍閥政権が中国国民党に滅ぼされると、関東軍は「権力を失った張作霖にもはや利用価値なし」と判断。

※関東軍:中国に置かれた日本陸軍の組織の1つ。

逆に日本に反抗的な態度をとるのでは?と怪しまれ、関東軍は中国人の仕業に見せかけて張作霖を殺してしまいます。(張作霖爆殺事件

・・・ところが、後になって張作霖の死が日本の仕業であることが判明。

これを知った息子の張学良ちょうがくりょうは、張作霖の地盤(満州)を受け継ぐと同時に、父の方針を転換して日本に抵抗することを決意。

さらに張学良は、「敵は日本であって中国国民党ではない」と考え、中国国民党に降伏し、その後は中国国民党の幹部として活躍するようになりました。

張学良
もぐたろう
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張学良は、西安事件起こしたキーパーソンとして、後でまた登場することになるよ!

ところが、中国国民党が軍閥の残党たちとの戦いに明け暮れていると、その隙を狙って大人しくしていた中国共産党が息を吹き返します。

1931年11月、中国共産党はソ連の支援を受けて中華ソビエト共和国臨時政府を樹立。

中国に2つの政府が存在する結果となり、両者の争いは激化していきます。

しかも、これと同時期である1931年9月、日本が満州への軍事侵攻を開始した満州事変が起こりました。

ここで中国国民党のトップだった蒋介石しょうかいせきは大きな選択に迫られます。

中国国民党には、中国共産党と日本の両方と戦う力はありません。つまり、どちらと戦うか決断しなければならないのです。

・・・蒋介石が、決断したのは中国共産党の方でした。

蒋介石は日本に対してはある程度の譲歩を認めながら、中国共産党の撲滅に注力することにしたのです。

もぐたろう
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当時、日本はロシアにも勝った実績を持つアジア最強の国でした。

蒋介石は、そんな日本と真っ向対立しても自分の首を絞めるだけだと考えたのです。

その結果、日本は満州国を建国し、中国は満州を奪われる結果となりましたが、その代わりに中国共産党の撲滅は順調に進み、中国共産党を虫の息にまで追い込むことができました。

中国共産党は本拠地の瑞金ずいきんを放棄せざるを得なくなり、多くの兵を失いながらソ連に近い延安えんあんへと本拠地を移しました。この瑞金から延安までの一万キロ以上にもわたる移動のことは、歴史用語で長征ちょうせいと呼ばれています。

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西安事件のきっかけ

一方で1935年から、日本が華北地方を支配下に置こうとする動きが活発になります。

ここでも蒋介石は、中国共産党に全力を注ぐため、日本に大きな譲歩をします。

蒋介石は、華北の一部に日本の傀儡かいらい政権である冀東防共自治政府が置かれることを認め、これ反発する抗日運動の取り締まりを強化することにしたのです。

しかし、「日本にこびを売って中国共産党を攻撃し、同一民族内で殺し合いをしているのでは?」とも受け取れる蒋介石の行動に強い不満を抱く人物がいました。

その人物こそが、先ほど紹介した張学良です。

父(張作霖)から満州の基盤を受け継いだ張学良が、蒋介石と戦わずに降伏したのは、中国を統一した中国国民党の一員として日本と戦うためでした。

・・・が、実際に戦う敵は中国共産党ばかり。

張学良は、1935年9月〜11月にかけて西安に滞在していました。延安へ逃亡中の中国共産党を叩くミッションを与えられていたのです。

位置関係を整理すると、下のようなイメージ。

が延安

が西安

が瑞金です。

西安は、瑞金から延安に向かう中国共産党を攻撃するのにちょうど良い場所に位置していることがわかりますね。

しかし、張学良率いる軍は士気の高い中国共産党に敗北。

兵の一部が中国共産党の捕虜として捕らえられてしまいます。

そして1936年1月、張作霖は捕虜から解放された人物の一人から、中国共産党が内紛をやめて中国民の一致団結で日本に抵抗する計画(民族統一戦線)を持っていることを伝えられ、心を大きく動かされます。

八・一宣言

1935年8月1日、中国共産党は、華北分離工作を続ける日本を敵とみなす宣言を発表(8月1日に宣言されたので八・一宣言と言います。)

そして中国共産党は、日本と戦うため、中国国民党との停戦を望むようになっていきます。

この話を聞いた張学良は、秘密裏に中国共産党に接近。

張学良は、内紛を終わらせるべく独自の行動を採るようになります。

もぐたろう
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張学良は、1931年の満州事変の際も日本と真っ向から戦うのは自分の首を絞めるだけと考え、満州が日本に支配されるのを反撃の好機がくるまでジッと堪えていました。

しかし、待てども待てどもチャンスは来ず、張学良の反日感情はついに爆発した・・・のだと思います。

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西安事件

1936年10月、蒋介石が西安を訪れます。

蒋介石が西安を訪れたのは、張学良軍を鼓舞こぶすると同時に、張学良の不穏な動きを察知しつつ、張学良を西安の担当から外す検討をするためでした。

1936年12月10日、張学良の担当を西安から福建ふっけんへ移すことが決定されると、その翌日(11日)張学良は、蒋介石に対して中国共産党と停戦するよう訴えました。

そして、この訴えが退しりぞけられるとさらに翌日の12月12日、張学良は、蒋介石のいるホテルを襲撃し、蒋介石を監禁してしまいました。

その後、蒋介石の身柄をめぐって中国国民党と中国共産党の間で交渉が行われ、12月23日、蒋介石は解放されることになりました。

解放された蒋介石は、それまでの態度を一変し、日本に抵抗するため中国共産党との戦いを停戦することを受け入れました。

もぐたろう
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この時、張学良・中国国民党・中国共産党の3者でどのような交渉が行われたのかは、今もなおわかっていません。

わかっているのは、西安事件をきっかけに蒋介石の大きく変わったという事実だけです。

西安で起こったこの一連の出来事のことを西安事件と言います。

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西安事件の結果

西安事件の結果、長年続いていた中国国民党と中国共産党の戦いが終わることになります。

もぐたろう
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西安事件が終わった後、張学良は蒋介石も自分と同じく好機を窺うため日本の圧力に耐え忍んでいたことを知ったと言われています。

張作霖の心情は複雑だったことでしょう・・・・。

当初、中国国民党はあくまで停戦をしただけであって、積極的に中国共産党と協力するつもりはありませんでした。

・・・しかし、1937年7月、両者を結びつける大きな事件が起こります。それが盧溝橋事件です。

盧溝橋という場所で、日本軍と中国軍が争いを起こしたのをきっかけに、日本と中国の戦争に突入したのです。(日中戦争)

この戦争を機に、中国共産党との協力に否定的だった蒋介石もついに協力関係を結ぶことを決意。両者は協力関係を結び(第二次国共合作)、長年にわたる日本との全面戦争が始まったのです。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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