奈良時代の記事一覧【時系列・テーマ別で学ぶ完全ガイド】

奈良
奈良時代

奈良時代

NARA PERIOD / 710〜784年(律令国家の完成と揺らぎ)

約75年
時代の長さ

なぜ奈良時代は「律令国家の完成期」なのか

奈良時代は、律令国家・日本が完成に向かいながら矛盾を深めた、政治・文化・制度の激変期である

710年の平城京遷都から794年の平安京遷都まで、約84年。藤原氏の台頭・聖武天皇と東大寺大仏・律令の揺らぎ——約75年の間に政治・文化・制度が同時進行する複雑な時代を、「時系列」と「テーマ」の2つの視点から整理しています。学びの目的に合ったタブを選んで使ってみてください。

710
平城京遷都
712
古事記完成
729
長屋王の変
740
広嗣の乱
741
国分寺の詔
752
大仏開眼
764
恵美押勝の乱
784
長岡京遷都
Phase I ─ 律令国家の確立
710〜720年頃
710
遷都
平城京遷都 ─ 奈良時代のはじまり

元明天皇が平城京(現在の奈良市)へ遷都し、奈良時代が幕を開けた。唐の長安をモデルにした碁盤の目状の都城で、最盛期には約10万人が暮らした。

▶ 深く読む
平城京とは?都のしくみをわかりやすく解説
碁盤の目状の街区・朱雀大路・東西の市……奈良の都の構造と暮らしを解説。
712
編纂
古事記の完成 ─ 日本最古の歴史書

太安万侶が元明天皇に献上した日本最古の歴史書。稗田阿礼が暗誦していた帝紀・旧辞をもとに編集し、神話から推古天皇までを記す。

古事記(準備中)
718
法制整備
藤原不比等の活躍 ─ 律令国家の骨格を固める

平城京遷都後、藤原不比等が大宝律令を整備し養老律令を起草。租・調・庸による税制や防人制度など、律令国家の制度的基盤を完成させた。

▶ 深く読む
藤原不比等とは?律令国家の基礎を作った人物をわかりやすく解説
大宝律令の整備に最大の貢献をした藤原氏の祖。藤原氏繁栄の礎を築いた政治家の生涯を解説。
720
編纂
日本書紀の完成 ─ 国家の公式正史

舎人親王らが編纂した日本初の正史。古事記が和語中心なのに対し、日本書紀は漢文で記された国家公認の歴史書。神代から持統天皇までを記す。

日本書紀(準備中)
Phase II ─ 藤原四兄弟の台頭
720〜740年頃
724
即位
聖武天皇の即位 ─ 藤原四兄弟が後見

元正天皇の後を受けて聖武天皇が即位。藤原不比等の4人の息子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が後見役として台頭し始める。

729
政変
長屋王の変 ─ 藤原四兄弟が皇族を陥れる

左大臣・長屋王が謀反の疑いをかけられ自害。四兄弟が仕組んだ政変とみられ、これにより朝廷の実権を掌握した。長屋王邸跡から出土した木簡は今も奈良で展示されている。

▶ 深く読む
長屋王の変とは?藤原四兄弟の台頭をわかりやすく解説
729年に皇族・長屋王が陥れられた政変。藤原不比等の4人の息子が権力を握るまでの政争を追う。
737
疫病
天然痘の大流行 ─ 四兄弟が相次いで死亡

735〜737年に天然痘が全国に大流行。権力の頂点にいた藤原四兄弟が相次いで病死した。この惨禍が聖武天皇を深く打ちひしがせ、仏教による国家救済を切実に願うきっかけとなる。

740
反乱
藤原広嗣の乱 ─ 北九州から反旗を翻す

四兄弟の遺児・藤原広嗣が政敵の排除を求めて北九州で挙兵。朝廷軍に鎮圧されたが聖武天皇を恐怖させ、「彷徨五年」(恭仁京・難波京・紫香楽宮への転々遷都)のきっかけとなった。

▶ 深く読む
藤原広嗣の乱とは?わかりやすく解説
740年に北九州で起きた反乱。聖武天皇を揺さぶり、奈良時代最大の政変のひとつ。
Phase III ─ 聖武天皇と天平文化
741〜757年頃
741
仏教政策
国分寺建立の詔 ─ 仏教で国を守る

聖武天皇が全国60余国に国分寺・国分尼寺の建立を命じた。仏教の力で天変地異・疫病・反乱から国を守るという鎮護国家思想の実践で、東大寺が総国分寺に位置づけられた。

▶ 深く読む
国分寺建立の詔とは?聖武天皇の仏教政策をわかりやすく解説
741年、全国に国分寺・国分尼寺を建立した詔。鎮護国家思想と東大寺との関係を解説。
743
仏教・土地
大仏造立の詔 + 墾田永年私財法

大仏造立の詔で東大寺大仏の建立を命じると同時に、墾田永年私財法を制定し新たに開墾した土地の永久私有を認めた。この法が初期荘園の形成を促し、班田収授の形骸化を招く律令の転換点となった。

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大仏造立の詔とは?行基との協力もわかりやすく解説
なぜ聖武天皇は大仏を建てたのか。行基の協力から天平時代の仏教まで一気に解説。
752
文化的絶頂
東大寺大仏の開眼 ─ 天平文化の頂点

752年、東大寺大仏(廬舎那仏)の開眼供養が盛大に行われた。インド・ペルシャ・唐の文物が集まる国際色豊かな「天平文化」の象徴。正倉院に残る宝物がその国際性を今に伝える。

聖武天皇 天平文化(準備中) 正倉院(準備中)
754
文化交流
鑑真の渡来 ─ 5度の失敗を超えて日本へ

唐の高僧・鑑真が6度目の渡航でついに来日し、聖武上皇へ正式な戒律(受戒)を授けた。盲目になりながらも渡来した鑑真は、日本仏教に正式な戒律制度をもたらした。

▶ 深く読む
鑑真とは?何度失敗しても諦めなかった渡来僧をわかりやすく解説
6度目の挑戦でついに渡来。失明しながらも来日した鑑真と唐招提寺・戒律制度の意義を解説。
Phase IV ─ 律令の揺らぎと奈良末期
757〜784年
757
政変
橘奈良麻呂の変 ─ 藤原仲麻呂への反発

橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、孝謙天皇の信任を独占する藤原仲麻呂(恵美押勝)打倒を図るも発覚・処刑された。

▶ 深く読む
橘奈良麻呂の変とは?わかりやすく解説
757年、藤原仲麻呂の独裁に反発したクーデター未遂事件。
764
内乱
恵美押勝の乱 ─ 藤原仲麻呂の反乱と壊滅

孝謙上皇と道鏡に権力を奪われた藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を起こすも敗死。称徳天皇(孝謙の重祚)が即位し、道鏡が法王として最高権力を握る前代未聞の状況が生まれた。

▶ 深く読む
恵美押勝の乱とは?わかりやすく解説
764年、藤原仲麻呂(恵美押勝)が起こした反乱。道鏡との対立が生んだ奈良時代最後の大乱。
770
失脚・転換
道鏡の失脚 ─ 天皇即位を阻まれた僧侶

770年、称徳天皇の崩御後に道鏡は失脚・流罪。藤原百川らが光仁天皇を擁立し、律令政治の再建を図った。仏教政治への批判が高まり、桓武天皇による平安遷都の遠因ともなった。

784
時代の終わり
長岡京遷都 ─ 奈良時代の終わり

桓武天皇が784年に長岡京へ遷都し、奈良時代が幕を閉じた。平城京は約75年間の首都であり続けた。律令制が揺らぎ始めた奈良の矛盾を引き継ぎ、いよいよ平安時代が始まる。

よくある質問(FAQ)

710年の平城京遷都から794年の平安京遷都までの約84年間です。都が平城京(現在の奈良市)に置かれた時代を「奈良時代」と呼びます。元明天皇の即位を起点とする場合もあります。
740年代に天然痘の大流行・藤原広嗣の乱・飢饉が重なり、社会不安が極限に達していました。仏教の力で国家を守る「鎮護国家」の考えのもと、741年に国分寺建立の詔、743年に大仏造立の詔を発しました。
743年に制定されたこの法律は開墾地の永久私有を認めましたが、その結果、貴族・寺社が農民を使って荘園を拡大。国に税を納める公地公民の原則が崩れ、律令制の根幹である班田収授が形骸化していきました。
聖武天皇・藤原不比等・藤原四兄弟・橘諸兄・吉備真備・藤原仲麻呂(恵美押勝)・道鏡・鑑真・行基などが代表的です。特に聖武天皇と道鏡の関係、藤原氏の台頭は試験によく出ます。
聖武天皇の時代(天平年間)を中心に栄えた国際色豊かな仏教文化です。東大寺大仏・正倉院宝物・唐招提寺・万葉集・古事記・日本書紀などが代表例。シルクロードを通じて唐・ペルシャ・インドの影響を受けた点が特徴です。
もぐたろう
もぐたろう
奈良時代をマスターしたら、次は平安時代へ!藤原氏がさらに権力を強め、摂関政治・国風文化……奈良でくすぶり始めた矛盾が一気に花開く時代だよ!
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