三種の神器とは?八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉の意味と歴史をわかりやすく解説

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三種の神器

もぐたろう
もぐたろう

今回は三種の神器について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉、それぞれの由来から、なぜ誰も見てはいけないのか、今どこにあるのかまで、まるっとまとめたよ◎

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • 三種の神器とは何か(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉の基本)
  • それぞれの神話での由来(天岩戸・ヤマタノオロチ退治)
  • 現在の保管場所(伊勢神宮・熱田神宮・皇居)
  • なぜ誰も見てはいけないのか(神道の禁忌と神秘性)
  • 歴史上の争奪戦(壇ノ浦・南北朝・天皇の即位との関係)

「三種の神器」という言葉は、ほとんどの日本人が一度は聞いたことがあるはずです。でも——実は、現代の日本人で本物の三種の神器を見たことがある人は、ただの一人もいません。天皇陛下でさえも、です。

千年以上のあいだ、誰も中身を確認していない宝物が、いまも日本のどこかにひっそりと祀られている。なぜ「見てはいけない」のか、そしてどうやって守られてきたのか——その不思議な世界をのぞいてみましょう。

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三種の神器とは?

3行でわかる三種の神器
  • 三種の神器とは、日本の天皇が代々受け継いできた3つの宝物——八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉のこと。
  • 日本神話にほんしんわに由来し、天皇の正統性(皇位の証)を示す最高の象徴とされる。
  • 本物は現在も伊勢神宮・熱田神宮・皇居に奉安されており、歴代の天皇さえも直接見ることが許されていない。

三種の神器は、漢字で書くと「三種の神器さんしゅのじんぎ」と読みます。「さんしゅのしんき」と読むこともありますが、皇室・神道の文脈では「じんぎ」と読むのが伝統的とされています。

3つの宝物の正式名称は、それぞれ次のとおりです。

  • 八咫鏡やたのかがみ——青銅製の鏡。天照大神あまてらすおおみかみの御霊代(みたましろ)とされる。
  • 草薙剣くさなぎのつるぎ——剣。スサノオがヤマタノオロチを倒したときに尾から現れたとされる。別名「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ」。
  • 八尺瓊勾玉やさかにのまがたま——勾玉(曲線状の宝石)。天岩戸の前で神々が捧げた装飾品が起源とされる。

3つあわせて「鏡・剣・玉」のセット。それぞれが古事記日本書紀という日本最古の歴史書に登場し、天皇家がこの3つを所有することこそが「正統な天皇である証明」だと考えられてきました。

ゆうき
ゆうき

名前が全部むずかしいよ……。八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉って、どうやって覚えればいいの?

もぐたろう
もぐたろう

シンプルに「鏡(かがみ)・剣(けん)・玉(たま)」の3つって覚えるのがコツだよ!フルネームの漢字は「八咫鏡=大きな鏡」「草薙剣=草を薙いだ剣」「八尺瓊勾玉=大きな勾玉」って意味で、頭に「八(やた・やさか)」が付くと「大きい・立派な」って意味になるんだ。

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それぞれの由来と意味——神話のなかで生まれた3つの宝

3つの宝物は、いずれも古事記日本書紀に書かれた神話に登場します。場面は、神々がまだ地上にいた「神代(かみよ)」の時代——。それぞれが、どんなドラマのなかで生まれたのかを順番に見ていきましょう。

■ 八咫鏡(やたのかがみ)——天岩戸から生まれた「アマテラスの魂」

真っ暗な世界。太陽の女神・天照大神あまてらすおおみかみが、弟のスサノオの乱暴ぶりに耐えかねて、岩戸の奥に身を隠してしまいました——。

世界からは光が消え、神々も人間も困り果てます。これが日本神話で最も有名なシーン、天岩戸隠れです。

天照大神
天照大神

スサノオはひどすぎる……。もう外には出ない。世界が暗くなっても、知ったことではないわ。

困った神々は知恵を絞り、岩戸の外でにぎやかなお祭りを開きます。そのとき、岩戸を少し開けたアマテラスに見せたのが——一枚の鏡でした。

鏡に映った自分の姿を「もうひとりの輝く神」と見間違えたアマテラスは、思わず岩戸から身を乗り出します。その瞬間、神々が彼女を引き出して世界に光が戻った——というのが、八咫鏡誕生の物語です。

歌川国貞「岩戸神楽之起顕」三枚続—天岩戸から現れる天照大神
岩戸から現れる天照大神(歌川国貞 画・1844年頃)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

もぐたろう
もぐたろう

つまり八咫鏡は、アマテラスを岩戸から外に誘い出した「鍵」だったってこと。だから後の世で、アマテラスの分身・魂そのもの=「みたましろ(御霊代)」として大切にされるようになったんだよ。

古墳時代の古代銅鏡(6世紀頃)ホノルル美術館所蔵
古代の銅鏡(古墳時代・6世紀頃)ホノルル美術館所蔵 / 出典:Wikimedia Commons(CC0)

じつは八咫鏡が伊勢神宮に移った経緯には、もうひとつ驚くべき話が伝わっています。もともと鏡は宮中(天皇の住む場所)に置かれていましたが、第10代・崇神天皇すじんてんのうのとき、天皇は「鏡が放つ神威があまりに強くて、そばにいると畏れ多い」と感じ、ついに宮の外に移すことを決断しました。「神でさえも近くに置けないほど強い神威」——これが、八咫鏡が「誰も見てはいけない」とされる最初のきっかけのひとつとも言われています。

もぐたろう
もぐたろう

つまり「鏡が怖すぎて天皇自身が遠ざけた」……!これって「天皇でさえも見てはいけない」というルールの出発点でもあるんだよね。神器の神秘性は、千年以上前からずっと保たれてきたんだ。

■ 草薙剣(くさなぎのつるぎ)——ヤマタノオロチの体から現れた剣

場面は変わって、出雲の国。八つの頭と八つの尾を持つ巨大な怪物——ヤマタノオロチ八岐大蛇が、毎年若い娘をひとり生贄に取っていました。

そこに現れたのが、姉アマテラスのもとを追放されて流浪していたスサノオです。彼はオロチに酒を飲ませて酔いつぶし、剣で次々と首を切り落としていきました——。

月岡芳年「日本略史」スサノオノミコト—ヤマタノオロチを退治するスサノオ
ヤマタノオロチを退治するスサノオ(月岡芳年 画)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

すべての首を落とし、最後に尾を切ろうとしたそのとき。剣の刃がカチンと何かに当たります。尾の中から出てきたもの、それが——一振りの神剣でした。

スサノオノミコト
スサノオノミコト

これは……ただの剣ではない。神の力が宿っている。この剣、姉上(アマテラス)に献上しよう。これまで荒れ狂って迷惑をかけたお詫びだ。

スサノオはこの剣を「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ」と名づけ、天界のアマテラスに献上しました。剣を抜くと空に雲が湧き起こったため、この名前がついたと伝えられています。

では、なぜ後に「草薙剣」と呼ばれるようになったのか。鍵を握るのは、神話の英雄ヤマトタケル日本武尊です。

ヤマトタケルが東国遠征のさなか、相模国(今の神奈川県)の野で敵に火をつけられ、炎に囲まれてしまいました。死を覚悟したそのとき、彼は腰に下げていた天叢雲剣を抜き、自分のまわりの草をなぎ払ったのです——。

ヤマトタケル(日本武尊)
ヤマトタケル

この剣がなければ、おれは死んでいた……。剣に意志があるかのように、ひとりでに草を薙いでくれた。これからはこの剣を「草薙剣」と呼ぼう。

こうして「草を薙いだ剣」=草薙剣という名が定着しました。剣そのものは同じ一振りで、エピソードによって呼び名が変わるだけなのです。

ヤマトタケル(日本武尊)・月岡芳年 画
ヤマトタケル(月岡芳年 画)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

この草薙剣には、もうひとつ「剣を手放した者は滅ぶ」という悲劇的な伝承があります。ヤマトタケルが東国平定を終え、近江国(今の滋賀県)にある伊吹山(いぶきやま)の荒ぶる神を討ちに向かうとき、彼はなぜか草薙剣を妻の宮簀媛みやずひめのもとに残して行ってしまいました。「こんな山の神ごとき、剣がなくても倒せる」と——。

ヤマトタケル
ヤマトタケル

山の神なんぞ、素手で倒してみせる……。まさか、あのような恐ろしい目に遭うとは思いもしなかった。

ところが伊吹山の神は巨大な白いイノシシに化けてヤマトタケルに猛吹雪を浴びせ、彼は正気を失うほどの打撃を受けてしまいます。かろうじて帰路についたヤマトタケルは、三重県の能褒野(のぼの)という地で力尽き、白い鳥(白鳥)となって飛び去ったと伝えられています。「草薙剣を手離したから死んだ」——この伝説が、神器は常に天皇のそばになければならないという教えの原型になったと言えるかもしれません。また、宮簀媛が遺された剣を熱田の地に祀ったのが熱田神宮の起源とされています。

■ 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)——岩戸の外で奏でられた「神々の宴」

もう一度、天岩戸の場面に戻ります。岩戸の外でアマテラスを誘い出すために、神々が大がかりな祭りを開いたあのシーン——。

火を焚き、踊り、笑い声をあげる神々。その中央に立てられた「真榊(まさかき)」という神聖な木に、青々と輝く玉が飾られていました。それが八尺瓊勾玉です。

「八尺(やさか)」は長さの単位というより、「大きく立派な」という意味の美称。「瓊(に)」は赤い玉や美しい玉を指す古語、「勾玉(まがたま)」は曲がった形の玉のことです。つまり「大きくて美しい曲玉」というのが、文字どおりの意味になります。

あゆみ
あゆみ

でもさ、鏡と剣は「武器」「道具」って感じだけど、勾玉って装飾品でしょ?なんで天皇の象徴になるくらい大事なの?

もぐたろう
もぐたろう

いい質問だね!縄文時代から勾玉は「魔除け」「権力の象徴」として大切にされてきたんだ。古代の有力者のお墓からも勾玉がたくさん出てくる。つまり当時の人にとって勾玉は、今でいう「王冠」みたいな“権威の証”だったんだよ。

3つの神器がそろうのは、神話の最終章である「天孫降臨てんそんこうりん」の場面です。アマテラスは、孫のニニギノミコトを地上に降ろすとき、こう告げました——。「この鏡・剣・玉をわたしの分身と思って、これを持って地上を治めなさい」と。

これが、三種の神器が「天皇家のもの」になった起源とされる神話です。神話のうえでは、神器は天から授けられた“統治のシンボル”なのです。

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三種の神器はどこにある?現在の保管場所

神話の世界から、現代へ——。3つの神器は、今もそれぞれ別の場所に大切に祀られています。

ゆうき
ゆうき

3つともいま、どこにあるの?まさかひとつの宝物庫にまとめて……ってわけじゃないんだよね?

もぐたろう
もぐたろう

3つそれぞれ別の場所に置かれているんだ。鏡は三重県の伊勢神宮、剣は愛知県の熱田神宮、玉は東京の皇居——って覚えるといいよ。あとで詳しく説明するけど、皇居にあるのは「分身」なんだよ◎

■ 八咫鏡——三重県・伊勢神宮の内宮

八咫鏡の本体は、三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮(皇大神宮)に祀られています。ご祭神は——もちろん天照大神そのもの。鏡=アマテラスの御霊代という神話の流れが、そのまま現代まで守られています。

本殿の最も奥、誰も立ち入れない「正殿(しょうでん)」の中心に鏡が安置されているとされ、宮司(神主のトップ)でさえも直接拝することは許されていません。20年に一度の「式年遷宮(しきねんせんぐう)」のときも、白い布で覆われた状態のまま新しい社に移される——という、徹底した秘匿ぶりなのです。

■ 草薙剣——愛知県・熱田神宮

草薙剣は、愛知県名古屋市の熱田神宮に祀られています。なぜ熱田なのかというと、ヤマトタケルが東国遠征の帰路でこの地に剣を残し、彼の妃である宮簀媛みやずひめがそれを祀ったのが始まりとされているからです。

熱田神宮もまた、本殿の奥に剣を安置していると伝えられていますが、こちらも誰も実物を見ることはできません。ただし、後で詳しく話しますが、熱田にあるのは「形代(かたしろ)」=分身の剣だという説が有力です。本物のほうは、平安時代末期にある“事件”で行方不明になったとされているからです。

■ 八尺瓊勾玉——東京都・皇居(御所)

八尺瓊勾玉は、現在は東京の皇居(吹上御所)内の「剣璽の間けんじのま」と呼ばれる場所に置かれているとされています。3つの神器のうち、唯一天皇のそばに直接置かれているのが勾玉なのです。

あわせて剣の分身(形代)も剣璽の間に納められており、皇位継承の儀式や天皇が外に出かけるとき(行幸)には、この2つが必ず一緒に運ばれます。これを「剣璽動座(けんじどうざ)」と呼びます。

「形代(かたしろ)」って何?

「形代(かたしろ)」というのは、本物の神器の代わりに同じ霊力を持つとして作られた“もう一つの神器”のことです。神道では「神器に宿る神の魂は、形代にも同じように宿る」と考えられているため、本物が遠くにあっても、形代があれば儀式は成立する仕組みになっています。

たとえば天皇は伊勢神宮や熱田神宮に毎日通うわけにいかないので、皇居には鏡と剣の形代が用意されています。一方、玉だけは本物が皇居にあるとされており、「3つの本物が3つの場所に分散している」のではなく、皇居にもセットがそろっているのです。

もぐたろう
もぐたろう

整理すると——本物の鏡=伊勢神宮/本物の剣=熱田神宮(諸説あり)/本物の玉=皇居。そして「鏡と剣の形代+本物の玉」のセットが、いつも天皇のそばにあるってこと。これ、神器の構造を理解するうえで大切なポイントだよ!

なぜ誰も見てはいけないのか?

ここまで読んできて、ひとつ大きな謎が浮かびます。なぜ、天皇でさえも本物を見ることが許されないのか?——です。

あゆみ
あゆみ

天皇の宝物なのに、天皇すら見られないって不思議すぎる……。だって、自分のものでしょ?管理のためにも一度くらい確認したくなりそうなのに。

もぐたろう
もぐたろう

ここがすごく大事なポイントなんだ。神道の世界では、神器は「物」じゃなくて「神そのもの」として扱われる。天皇でも“見る”ことは畏れ多くて許されない——というのが基本ルールなんだよ。

神道では、神器は「御霊代(みたましろ)」と呼ばれ、神の魂が宿る依代(よりしろ)と考えられています。八咫鏡なら天照大神の魂、草薙剣ならスサノオから受け継がれた神の力。「物体としての鏡や剣」ではなく、「神そのものの分身」だという信仰なのです。

そうした“神そのもの”を人間がじっと見つめるのは、神に対する不敬であり、強い畏れの対象でした。中世以降、神器を白い布や箱で何重にも包んで「決して中身を確認しない」というルールが厳格化していきます。

2019年の令和の即位の礼でも、新しい天皇陛下に剣と勾玉が引き継がれる「剣璽等承継の儀けんじとうしょうけいのぎ」が行われましたが、神器は黒い箱に納められたままで、誰一人として中身を見ることはありませんでした。「奉じる」だけで、「見る」「触れる」ことはないのです。

もうひとつ、現実的な理由もあります——もし誰かが「これは偽物だ」と言い出したら、皇位の正統性が揺らいでしまう。誰も中身を確認しないからこそ、永遠に“本物”として通用する。神秘性こそが、神器の権威を支えている、というわけです。

もぐたろう
もぐたろう

「誰も見ていないから、永遠に本物でいられる」——これって哲学的だよね。神器の本質は“物”じゃなくて“信じる気持ち”そのものなんだ、って言ってもいいかもしれないね。

歴史の中の三種の神器——壇ノ浦と南北朝の争奪戦

神話のなかで生まれた神器は、現実の歴史のなかでもたびたび大きな事件の主役になっています。なかでも有名なのが、平安時代末期の壇ノ浦の戦いと、室町時代初期の南北朝の動乱——。神器をめぐる2つの大ドラマを見ていきましょう。

■ 壇ノ浦の戦い(1185年)——海に沈んだ草薙剣

1185年、関門海峡——。平氏と源氏が激突した最後の決戦、壇ノ浦の戦い源義経率いる源氏軍に追い詰められた平氏は、当時わずか8歳だった安徳天皇を擁したまま、ついに敗北の瞬間を迎えます。

壇ノ浦の戦いを描いた合戦絵—平家と源氏の海上戦
壇ノ浦の戦い(合戦絵)/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

「もはやこれまで」と覚悟した平時子(清盛の妻・安徳天皇の外祖母)は、神器の剣を携えて海へと身を投げ、天皇は従者に抱かれたまま入水したと伝えられています——。平家物語や吾妻鏡に描かれた、あの有名なシーンです(史料によって詳細は異なります)。

戦いが終わったあと、源氏の兵士たちは必死で海を捜索しました。鏡と勾玉はなんとか引き上げられたと伝えられています。しかし——剣だけは、ついに見つかりませんでした

これが、現在熱田神宮にある剣が「形代ではないか」と言われる理由です。本物の草薙剣は、1185年のあの日、安徳天皇とともに関門海峡の底に沈んだまま——というのが、もっとも有力な説となっています。

実は草薙剣をめぐる「行方不明」の疑惑は、壇ノ浦よりはるか以前から始まっていました。668年(天智天皇7年)、百済から渡来した僧・道行どうぎょうが熱田神宮から草薙剣を盗み出し、新羅へ持ち帰ろうとしました。しかし玄界灘で激しい嵐に遭い、生死の境をさまよった道行はとっさに剣を海へ投じて難を逃れたと伝えられています。剣はその後漁師の網にかかって戻ったとも、そのまま沈んだままとも言われ、この盗難事件もまた「熱田にある剣は本物なのか」という議論の根拠のひとつになっているのです。

失われた剣の代わりとして、その後、伊勢神宮にあった別の剣が形代として補完されたとされています。神話の世界では「形代も本物と同じ霊力を持つ」ため、皇位継承の儀式は途切れることなく続けられました。

■ 南北朝の動乱——神器を持つ方が「正統な天皇」

後醍醐天皇の肖像画
後醍醐天皇の肖像画/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

時代は進み、14世紀の南北朝時代——。1336年、後醍醐天皇ごだいごてんのう足利尊氏あしかがたかうじと対立し、いちど和議のために三種の神器を足利方へ引き渡しましたが、その後「渡した神器は贋物だ」と宣言して、奈良の吉野へ逃れます。南朝の正統性を主張し続けた後醍醐天皇の大胆な行動でした。

一方の京都では、足利尊氏が別の天皇(光明天皇こうみょうてんのう)を擁立します。これにより、京都の「北朝」と吉野の「南朝」という2つの朝廷が、約56年にわたって並び立つ——という前代未聞の事態が始まりました。太平記が描く、あの動乱の時代です。

このとき「どちらが正統な天皇か」を判断する決め手になったのが——三種の神器でした。後醍醐天皇は「足利方に渡した神器は贋物であり、本物の神器を持つ南朝こそが正統」と主張。北朝はそれに対抗するため、儀式上の手続きを整えて自らの正統性を訴えました。

あゆみ
あゆみ

えっ、つまり「神器を持っている方が本物」ってこと?じゃあ持ち逃げした方が勝ちじゃん……。なんだか変な話だね。

もぐたろう
もぐたろう

するどいね!実はこの「神器の取り合い」は、ただの宝探しじゃなくて政治的な“正統性の証明書”の争奪戦だったんだ。神器を持つ=アマテラスから続く本物の血筋という証——だから誰もが必死で奪い合ったんだよ。

結局、南北朝は1392年に足利義満の仲介で統一されます。このとき南朝の後亀山天皇ごかめやまてんのうから北朝の後小松天皇ごこまつてんのうへ、三種の神器が正式に引き渡されました。これにより、形のうえでは南朝の系譜が北朝に吸収される形で、皇位は再び一本化されたのです。

のちに明治政府は、「神器を持っていた南朝こそが正統」と公式に定めました。今の天皇家は北朝の系統ですが、教科書では南朝を正統として扱う——という、ちょっと不思議なねじれが今も残っているのは、この神器をめぐる議論の名残りなのです。

もぐたろう
もぐたろう

つまり、三種の神器は「ただの宝物」じゃなくて「天皇の正統性の証明書」でもあった——ということ。だからこそ千年以上のあいだ、戦乱の中でも命がけで守られてきたんだね。次の章では、その正統性の証明書が、実際にどう天皇から天皇へと引き継がれていくのかを見ていくよ。


天皇の即位と三種の神器の関係——皇位継承の証

千年以上のあいだ、命がけで守られてきた三種の神器。その「正統性の証明書」としての役割は、現代の天皇即位の儀式にも、そのまま受け継がれています。ここでは、令和の即位の礼で実際に行われた儀式を例に、神器がどう天皇から天皇へと渡されていくのかを見ていきましょう。

ゆうき
ゆうき

新しい天皇が即位するときって、神器ってどうやって渡されるの?テレビでチラッと見たけど、何の儀式なのかよくわかんなかった……。

もぐたろう
もぐたろう

あれは剣璽等承継の儀けんじとうしょうけいのぎっていう、即位の最初の儀式なんだよ。新しい天皇が皇位の象徴である神器を受け継ぐ場面で、たった10分くらいなんだけど、千年以上続いてきた“一番大事な瞬間”なんだ。

剣璽等承継の儀で渡されるのは、3つの神器のうち剣(草薙剣の形代)と勾玉(八尺瓊勾玉)の2つ。これに、天皇の印である「御璽ぎょじ」と国の印である「国璽こくじ」を加えた4点が、新しい天皇のもとへと運ばれます。

鏡(八咫鏡)は儀式の場には登場しません。なぜなら、本物は伊勢神宮に、形代は皇居の賢所かしこどころに祀られたまま動かさないからです。剣璽(けんじ)の2つだけが、天皇とともに移動する——これが古代からの決まりです。

■ 令和の即位——実際に行われた儀式

2019年5月1日、新天皇陛下(今上天皇)の即位にともない、剣璽等承継の儀が皇居・宮殿の「松の間」で執り行われました。前日に上皇陛下が退位され、日付が変わった瞬間に皇位は新天皇に継承——その朝、最初に行われたのがこの儀式でした。

儀式では、侍従(じじゅう)と呼ばれる側近たちが、白布で覆われた剣と勾玉の箱を恭しく捧げ持って入場します。新天皇陛下の前にある案(机)の上にそっと置かれ、深く一礼して退出する——それだけ。一言も発しない、ものの10分ほどの静かな儀式です。

もちろん、箱を開けて中身を確認することはありません。神器は最後まで「見えない」ままで、新天皇のもとへ移される——千年以上前と変わらぬ作法が、令和の時代にもそのまま続いているのです。

あゆみ
あゆみ

そういえば、剣璽等承継の儀って女性皇族は参列しなかったって聞いたわ。あれってなんで?

もぐたろう
もぐたろう

そう、令和の即位では成年皇族のうち女性皇族は参列しなかったんだ。古来の慣例として、剣璽の儀には男性皇族のみが参列するという伝統が踏襲された——というのが宮内庁の説明。ただ、唯一女性閣僚として当時の片山さつき地方創生担当大臣だけは参列していて、これは1990年の前回(平成)の即位とは違う、新しい変化だったんだよ。

剣璽等承継の儀のあとには、新天皇が国民の代表に即位を宣言する「即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)」が行われます。さらに半年後の10月22日には、世界に向けて即位を宣言する「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」が行われました。この一連の儀式の出発点が、神器の継承——というわけです。

もぐたろう
もぐたろう

つまり、三種の神器は「日本という国の連続性そのもの」を象徴する宝物なんだ。神話の時代から令和の今日まで、同じ作法で同じものが受け継がれている——これって世界的に見ても、本当にめずらしいことなんだよ。

三種の神器についてもっと詳しく知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

三種の神器や日本神話についてもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!

①三種の神器の謎を本格的に掘り下げたいなら|三種の神器 〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源

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福永 武彦 著|河出書房新社(河出文庫)


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竹田 恒泰 著|学研パブリッシング

よくある質問(FAQ)

三種の神器とは、日本の天皇が代々受け継いできた3つの宝物——八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことです。日本神話に由来し、天皇の正統性(皇位の証)を示す最高の象徴とされています。

残念ながら、三種の神器は一般公開されておらず、現代の日本人で本物を見た人は一人もいません。八咫鏡は伊勢神宮の内宮、草薙剣(の形代)は熱田神宮、八尺瓊勾玉は皇居(御所)に奉安されていますが、いずれも厳重に秘匿されており、神宮の宮司や天皇陛下でさえも直接拝することは許されていません。

神道では三種の神器は単なる「物」ではなく、神そのものが宿る「御霊代(みたましろ)」と考えられているためです。人間が直接目にすることは神への不敬とされ、即位の礼の「剣璽等承継の儀」でも、神器は箱に納められたまま受け継がれます。また、誰も中身を確認しないことで「永遠に本物」として通用する——という神秘性の側面もあります。

1185年の壇ノ浦の戦いで、安徳天皇とともに三種の神器は海に沈みました。鏡と勾玉は源氏軍が引き上げたものの、剣だけはついに見つからなかったとされています。その後、伊勢神宮にあった別の剣が形代として補完され、現在熱田神宮にあるのもこの形代だという説が有力です。本物の草薙剣は、今も関門海峡の海底に眠っていると伝えられています。

形代とは、本物の神器の代わりとして同じ霊力を持つとされる「もう一つの神器」のことです。神道では「神の魂は形代にも同じように宿る」と考えられているため、本物が遠くにあっても形代があれば儀式は成立します。皇居には鏡と剣の形代が置かれており、天皇の即位や行幸の際に運ばれます。

新天皇が即位する際、最初に行われる儀式が「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」です。剣(草薙剣の形代)と勾玉(八尺瓊勾玉)に、御璽・国璽を加えた4点が新天皇のもとへ運ばれ、皇位の正統性が示されます。南北朝時代には「神器を持つ方が本物の天皇」とされたほど、皇位継承の決定的な証とされてきました。

まとめ:三種の神器は「見えない日本の心」

三種の神器 関連年表
  • 神話の時代
    天岩戸事件——八咫鏡・八尺瓊勾玉が誕生
  • 神話の時代
    ヤマタノオロチ退治——草薙剣が現れ、アマテラスに献上される
  • 神話の時代
    天孫降臨——ニニギに三種の神器が授けられる
  • 古代
    ヤマトタケルの東征——草薙剣が熱田に祀られる
  • 1185年
    壇ノ浦の戦い——安徳天皇とともに草薙剣が海中へ
  • 1336〜1392年
    南北朝の動乱——神器を持つ側が「正統な天皇」とされる
  • 1392年
    南北朝統一——南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇へ神器が渡される
  • 2019年
    令和の即位——剣璽等承継の儀で三種の神器が新天皇に引き継がれる

もぐたろう
もぐたろう

以上、三種の神器のまとめでした!神話から令和まで、千年以上にわたって「誰も見ない」まま守り継がれてきた日本の宝物——そのロマンと不思議さを感じてもらえたら嬉しいよ。下の関連記事で、古事記の神様たちや壇ノ浦の戦いも合わせて読んでみてね!

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「三種の神器」(2026年5月確認)
コトバンク「三種の神器」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』
宮内庁公式サイト「即位関係の儀式」(2026年5月確認)
伊勢神宮公式サイト・熱田神宮公式サイト(2026年5月確認)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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