今回は、1943年に行われたカイロ会談・テヘラン会談について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!
カイロ会談・テヘラン会談とは
カイロ会談・テヘラン会談は、アメリカ・イギリスが中心となり「日本とドイツをぶっ倒した後、どう対応すべきか」ということをテーマにした会談です。
どちらの会談も第二次世界大戦中である1943年11月に開催され、
カイロ会談では、敗北後の日本の処遇について話し合われ
テヘラン会談では、ドイツを倒す方法とドイツ敗北後のヨーロッパのあり方について話し合われました。
実はアメリカとイギリスは、1941年に戦後の世界平和を掲げた大西洋憲章なるものを発表しています。
カイロ・テヘラン会談は、大西洋憲章の理念を実現するために、その具体策について話し合われた会談でもありました。
※大西洋憲章ってなに?って方は、まずは下の記事から読んでみてくださいね!
カイロ会談とテヘラン会談は、同じタイミングで開かれていて関連性もあるからセットで覚えてしまうのがオススメです!
カイロ会談・テヘラン会談が行われた時代背景
1943年という年は、第二次世界大戦の戦況が大きく動いた大事な1年でした。
1942年まで、第二次世界大戦の戦況は枢軸国が優勢でした。
・・・が、1942年の後半に入ると枢軸国の勢いにも陰りが見えるようになります。
そして1943年2月には、ドイツがスターリングラードの戦いでソ連に大敗。さらに日本も、同月にガダルカナルの戦いで大敗を喫しており、戦況は連合国の優勢へと移り変っていきます。
そんな連合国が有利な情勢の中で、今後の連合国の方針を決めるために開かれたのがカイロ会談・テヘラン会談でした。
カイロ会談とカイロ宣言
まず最初に開かれたのは、カイロ会談でした。
エジプトのカイロに、
・アメリカのローズヴェルト大統領
・イギリスのチャーチル首相
・中国の蒋介石主席
の3トップが集まり、戦後の日本の処遇について議論が交わされます。1943年11月22日〜26日にかけて行われました。
本来なら、日本と複雑な利害関係を持っていたソ連も参加すべきでしたが、ソ連は当時、日本と日ソ中立条約を結んでいて、日本とは戦わない約束をしていたため、カイロ会談には参加しませんでした。
カイロ会談で話し合われた内容は、カイロ宣言として世界に向けて発表されました。その内容をまとめると、こんな感じでした↓↓
カイロ会談の狙いは大きく2つあります。
中国の連合国からの離脱を防ぐ!
1つは、日中戦争で劣勢に立たされていた中国が、日本に降伏して連合国から離脱してしまうのを防ぐことです。
ローズヴェルトは、日本に勝った場合の中国の手柄(満州国・台湾など)を示すことで、中国が日本に降伏するのを防ごうと考えました。
大東亜会議に対抗する!
もう1つは、11月に日本が開催していた大東亜会議に対抗することです。
日本は東アジア・東南アジアの国々のトップを集めて、「東アジア・東南アジアを西洋支配から解放する!」と宣言していました。
連合国サイドは、この宣言を放っておくと東アジア・東南アジアが完全に日本に靡いてしまうと考えました。
そこで、大東亜会議の内容を否定するカイロ宣言を発表して、日本を牽制することにしたのです。
テヘラン会談
カイロ会談を終えたローズヴェルトとチャーチルは、すぐにテヘラン(今のイランの首都)へ向かいます。
テヘランに向かった主な目的は、ドイツを倒す方法&戦後のドイツの処遇についてソ連と議論を交わすため。
テヘラン会談に参加したのは、
・アメリカのローズヴェルト
・イギリスのチャーチル
・ソ連のスターリン
の3人。当時の大国ナンバー1〜3が揃った錚々たるメンバーです。
テヘラン会談では、次のようなことが決められました。
ソ連が日本と日ソ中立条約を結んでいた関係上、カイロ会談で堂々と話し合いができなかったから、テヘラン会談でドイツについて議論を進める裏で、アメリカはソ連に対日参戦を呼びかけることにしたわけだね。
カイロ会談・テヘラン会談が世界に与えた影響
会談が終わった後、第二次世界大戦の戦況は、おおむねカイロ会談・テヘラン会談で話し合われた通りのシナリオで進んでいきます。
- 1944年6月ノルマンディー上陸作戦開始
イギリス&アメリカがフランスに上陸してドイツに攻め込む(テヘラン会談のシナリオどおり!)
- 1945年5月ドイツ、降伏する
- 1945年8月9日ソ連が日本に宣戦布告(テヘラン会談のシナリオどおり!)
- 1945年8月15日日本、ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏する(カイロ宣言のシナリオどおり!)
- 日本敗戦後領土が日本列島のみになる(カイロ宣言のシナリオどおり!)
・日本は、満州国・台湾などを中国に返還
・朝鮮の植民地支配が終了し、1948年に独立して韓国と北朝鮮となる。
・日本は南洋諸島の委任統治権を喪失。南洋諸島では、パラオ・ミクロネシア連邦が独立して、サイパン島はアメリカ領となる。
第二次世界大戦中の重要な会談まとめ【参考までに】
最後に、第二次世界大戦中に行われた会談のうち、教科書に載っている重要なものを時系列でまとめておきます!
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