原文と現代語訳
養老七年四月十七日太政官奏すらく、「頃者、百姓漸く多く、田池窄狭なり。望請らくは、天下を勧課して、田疇を開闢せしめんことを。其れ新たに溝池を造り、墾を営み開く者有らば、多少を限らず、伝えて三世に給わん。若し旧き溝池に逐えば、其の一身に給わん」と。奏して可とす。
参考文献
日本史史料集(東京書籍)
養老七年四月十七日太政官奏すらく、「頃者、百姓漸く多く、田池窄狭なり。望請らくは、天下を勧課して、田疇を開闢せしめんことを。其れ新たに溝池を造り、墾を営み開く者有らば、多少を限らず、伝えて三世に給わん。若し旧き溝池に逐えば、其の一身に給わん」と。奏して可とす。
日本史史料集(東京書籍)
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