墾田永年私財法とは?簡単にわかりやすく解説【公地公民制の崩壊】

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今回は、奈良時代の743年に施行された墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)について解説します。名前ぐらいは響きが良いので知っている人も多いのではないでしょうか

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墾田永年私財法の前身、三世一身の法

722年、百万町歩開墾計画(ひゃくまんちょうふかいこんけいかく)っていう計画が出されます。

 

簡単に言うと「もっと金欲しいからみんな田んぼ耕してくれ!特に北陸の方は開墾の余地があるけど、蝦夷が反発してうるさいから頑張ってくれ!みんなで100万町の田んぼ開墾しような!」って計画。

 

あまりにも無謀な計画なのでスローガンでは?なんて言われてます。池田内閣の所得倍増計画みたいなもんですかね。(所得倍増計画は本当に実現したけどね・・・)

 

722年当時の、官僚トップは長屋王と言う人物でした。

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でその翌年の723年、三世一身(さんぜいっしん)の法ってのが施行されます。

 

これも簡単に言うと「土地を開墾してくれたら三世代に限って私有を認めるよ!(だからつべこべ言いわず田んぼ耕せ!!)」って法律。

 

当時の土地制度は公地公民制。土地の私有が認められていませんでしたが三代限定で認めたわけ。

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でも、土地を開墾しても自分の土地にならないのでは誰も開墾するモチベーションなんて上がりません。そこで出されたのが三世一身法だったんですけど、三代で国有地に戻されるんじゃ意味ないですよね。

 

三世一身の法は実効性のないまま、月日が流れていきます。百万町歩開墾計画は東北の蝦夷の反発を抑える方向で努力が進められます。(これも上手くいかない)

墾田永年私財法はなぜ制定されたのか?

ところが743年になると、ちょっと財政的にヤバい状況になりつつありました。

 

藤原広嗣が乱を起こしたのをきっかけに、聖武天皇がご乱心になってしまいます。

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741〜744年にかけて度重なる遷都を繰り返す。

 

741年、日本各地に国分寺・国分尼寺を建立することを宣言

 

743年、奈良の大仏を造立することを宣言。

 

きっと、財務を担当する部署の官僚たちはビビったに違いありません。「ねえ聖武天皇さん、ちゃんとお金のこと考えてる・・・?」と。

 

こんな感じで財政状況がヤバくなりそうな時に出されたのが墾田永年私財法でした。

 

三世一身の法とは違って、「土地を開墾してくれたらその土地の永続的な私有を認めるよ!その代わり税金は払ってね!」という太っ腹な制度が墾田永年私財法です。

 

当時の官僚トップは、橘諸兄という人物。当時の官僚たちがうろたえている様子が目に浮かびます。

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墾田永年私財法の仕組み

開墾したら、私有を認めるのが墾田永年私財法なんですが、一応面積制限みたいなものがありました。

 

ざっくり言うと偉い人・大きいお寺の方がたくさん土地を開墾できる!と言うもの。現代の累進課税制度とは全く真逆の制度です。

 

墾田永年私財法は、富裕層優遇制度として捉えることもできるんですね。

 

もしかすると、裏では有力者と朝廷の間で交渉があったのかもしれません。

 

「聖武天皇の言う大仏の造立、手伝ってやってもいいけど、それなりの見返りは貰えるんだろうな?」的なね。

墾田永年私財法は、大きなビジネスチャンス!?

墾田永年私財法は、それまでの土地の在り方に大改革をもたらしました。(国が意図していたかは別として)

 

大量の私有地を手にしようと多くの者が土地を開墾し始めます。私有地をたくさん持っていれば、安定した収穫が見込めますし、余剰分は売ることができます。私有地を大量に持つということは裕福になるということを意味しました。

 

墾田永年私財法の制定は、ある意味でビックビジネスのチャンスだったわけです。

 

上の方でもしかして朝廷と有力者の間で交換条件があったんじゃ・・・って話をしましたが、仮にあったとすれば、有力者が望んでいたのがまさにこの状況です。

墾田永年私財法と輸租田(ゆそでん)

班田収授法に基づいて与えられた田地(口分田と言います。)から採れた稲を納める税は租と言います。(詳細はここでは書けませんが、この頃は租は正税と言うものに姿を変えています)

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そして、墾田永年私財法により手に入れた私有地も、国から与えられた田地(口分田)と区別して輸租田(ゆそでん)と呼ばれ、課税対象となっていきます。というか、国としては輸租田から税金を取るのが墾田永年私財法の目的そのものです。

 

国の当初目的が達成され、税収も増えたため墾田永年私財法はひとまず成功した!と思ったはず。しかし、墾田永年私財法は、国の意図に関係なく、日本の税制や庶民の暮らしを大きく変えてしまいました。

墾田永年私財法と貧富の差

繰り返しですが、墾田永年私財法は、その制度設計から明らかに富裕層優遇制度でした。

 

墾田永年私財法の施行後、日本では貧富の差が拡大します。

 

墾田永年私財法により広大な土地を得ることができた者のほとんどが、貴族や大寺院(東大寺や藤原氏の氏寺である興福寺が特にすごい)ばかりでした。

 

 

一方で、大仏造立などの度重なる公共事業による重税に耐えられず、土地を放棄して逃げ出す農民も増えます。土地を放置されると困るのは国です。税金が入りませんから。

 

しかし、これを裏で喜んでいる人たちもいました。それが、貴族や寺院などの広大な土地を手に入れた裕福層の人々。広大な土地を耕すために人を欲していたからです。

 

こうして逃げ出した人々は次々と有力者の土地で小作農をやるようになり、ますます有力者の力が強くなっていきます。

 

国としても、これに危機感を覚え、何度か開墾停止命令を出したことがありますが、大きな流れを変えることはできませんでした。

墾田永年私財法と荘園制の始まり

墾田永年私財法により私有地が増えると公地公民制は次第に崩壊。崩壊と言っても突如として消え去ったわけではなく、平安時代初期〜中期にかけて少しずつ制度が機能しなくなります。

 

この私有地のことを日本史的には「荘園」と呼ぶわけですが、朝廷は荘園の存在を認め、荘園ありきの税制度の確立を目指すことになります。

 

ただ、確立と言っても行き当たりばったりで国としての明確な指針はなかったわけですが。

 

あと、「墾田永年私財法は公地公民制を崩壊させた愚策だ!」みたいな話がありますが、これはちょっと違うと思います。

 

公地公民制って人々に開墾させるインセンティブ(動機)を持ち合わせていないから、どうしても税収を増やすのが難しくなります。そこで聖武天皇みたいに巨大事業を行えば、墾田永年私財法があってもなくても、いずれ公地公民制は機能しなくなったんじゃないかと私は思います。

 

公地公民制は崩壊する運命だったけど、そのきっかけがたまたま墾田永年私財法だった・・・というだけというような気がします。(あくまで個人的な意見)

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