

今回は「尾張国郡司百姓等解」について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!1000年以上前に農民たちが国司を訴えた——その驚きの記録を一緒に読み解いていこう!
📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応
「昔の農民は、お上にひたすら従うだけの弱い存在だった」——そんなイメージを持っていませんか?
実は、平安時代の尾張国(今の愛知県西部)では、農民や地方の役人たちがチームを組み、自分たちを苦しめる国司(地方のトップ)の不正を31か条もの証拠つき告発状にまとめて朝廷に突きつけました。そしてその訴えは見事に通り、国司はクビになったのです。これが、今からおよそ1000年以上前の出来事だというから驚きです。
この告発状こそが、教科書にも登場する有名な史料「尾張国郡司百姓等解」です。この記事では、この文書がどんなもので、何が訴えられ、どんな結果になったのかを、中学生にもわかるように丁寧に解説していきます。
尾張国郡司百姓等解とは?
- 尾張国郡司百姓等解は、988年(永延2年)に尾張国の郡司・百姓らが、国司・藤原元命の不正を朝廷に訴えた訴状です。
- 全31か条で構成され、過剰な税の取り立て・出挙の不正・交易詐欺など、多岐にわたる不正を告発しました。
- この訴えにより、翌989年に元命は尾張守を解任され、「国司苛政上訴」の代表例として教科書に載る歴史的文書となりました。

「おわりのくにぐんじひゃくしょうらのげ」って読むよ。最後の「解(げ)」というのは、下の立場の人が上の役所に提出する公文書のこと。今でいう「陳情書」や「告発状」に近いイメージだね!
尾張国郡司百姓等解は、平安時代の988年(永延2年)11月に、尾張国(現在の愛知県西部)の郡司や百姓たちが、国司である藤原元命の悪政を朝廷に訴えた文書です。
その内容は全31か条。元命がこの3年間で行った不正・横暴を、ひとつひとつ具体的に書き連ねたものでした。当時、国司の横暴に苦しむ地方は各地にありましたが、これほど詳細に、かつ組織立てて朝廷へ訴えた例はめずらしく、この文書は「国司苛政上訴」(国司の悪政を朝廷に訴えること)の代表例として、現在の高校日本史の教科書にも史料として掲載されています。

「郡司」とか「百姓」って誰のこと?農民がそんな偉い人を訴えることなんて、本当にできたの?

いい質問だね!郡司は地方豪族出身の役人で、今でいう「市区町村長クラス」。百姓はここでは一般の農民だけじゃなく、地元の有力者も含むんだ。彼らがチームを組んで朝廷に直訴したのがこの文書なんだよ。くわしくは次の章で説明するね!
受領・国司とは?悪政が起きやすかった背景
なぜ、藤原元命のような悪政がはびこったのでしょうか。それを理解するには、まず「国司」と「受領」という役職のしくみを知る必要があります。
もともと国司とは、朝廷から地方の「国」へ派遣された役人のことです。律令制(古代日本の法に基づく統治のしくみ)のもとでは、国司は決められた手順で税を集め、朝廷に納めるのが仕事でした。ところが平安時代の中頃になると、この律令制のしくみがだんだん崩れていきます。
そこで朝廷は、地方の統治と徴税をまとめて国司に「丸投げ」するようになりました。「この国から決まった額の税を集めて納めてくれれば、あとのやり方は任せる」という方式です。こうして任国に実際に赴任し、強い権限を握って徴税を取り仕切るようになった国司のトップを「受領」と呼びます。
■ 受領とは?
📌 受領(ずりょう)=任国に実際に赴任した国司の最上席者。任国の徴税・統治を一手に握った地方のトップ。今でいう「地方長官 兼 税務署長 兼 警察署長」を一人でこなしているようなイメージ。

朝廷との約束は「この国から決まった額の税を集めて持ってくる」という一種の請負契約。それさえ達成すれば、残りは自分の取り分にしてもいい——というしくみだったんだ。だから「とにかくたくさん取って自分の懐に入れよう」という悪徳な受領が生まれやすかったんだよ。
受領は任地でどれだけ多く税を集めるかが、そのまま自分の利益になりました。そのため、決められた以上に農民から税を絞り取る受領があとを絶ちませんでした。「受領の濫行」(受領による横暴・不正行為)という言葉が生まれたのも、この時代です。
💡 受領の貪欲さを表す有名な言葉に「受領は倒るる所に土をつかめ」があります。「受領は転んでもただでは起きない(転んだ拍子に土でもつかんで利益にせよ)」という意味で、説話集『今昔物語集』に登場する受領のあくどさを示す一節です。
■ 郡司とは?
一方の郡司は、国の下に置かれた「郡」を管理した役人です。郡司の多くは、その地方に古くから根を張る地方豪族の出身でした。受領(国司)に仕える立場ではありますが、地元では名門であり、土地や人々への影響力をしっかり持っていました。今でいえば「市区町村長クラス」の存在です。
つまり、郡司は「都から来た受領」と「地元の農民」のあいだに立つ存在でした。受領の悪政が度を超えると、地元を守る立場の郡司も黙ってはいられません。尾張国でも、この郡司たちが農民とともに立ち上がり、訴状の中心メンバーとなったのです。

これって今でいうと、外部から来た支社長が現地スタッフを搾取して、本社にはバレないようにしていた……みたいな話かしら?

まさにそのイメージが近いよ!郡司はその「現地スタッフ」のリーダー格。あまりにひどい搾取に耐えかねて「本社(朝廷)に直訴するぞ!」と決意したわけだね。
藤原元命の悪政——31箇条の訴状
尾張国の郡司・百姓たちを立ち上がらせた相手が、当時の尾張守(尾張国の受領)藤原元命でした。元命は986年(寛和2年)ごろに尾張守として任地に赴き、約3年にわたって尾張国を支配しました。そのあいだに行われた数々の不正・横暴が、31か条の訴状にまとめられることになります。
■ 藤原元命とはどんな人物か
藤原元命は、藤原氏のなかでも傍流(主流ではない家系)に属する貴族でした。中央の政界で大きな出世が望めない中・下級の貴族にとって、地方の受領は数少ない「稼げるポスト」。元命にとっても尾張守は、財をなすための重要な任地だったと考えられます。
元命が尾張で力をふるった988年ごろは、のちに摂関政治の頂点に立つ藤原道長が、まさに中央政界で頭角を現しつつあった時期でもありました。元命と道長は同じ藤原氏とはいえ別系統で、直接の関わりがあったわけではありません。しかし「貴族たちが中央の権力争いに明け暮れる裏で、地方では受領による搾取が深刻化していた」——この文書は、そんな平安時代の「光と影」をくっきりと映し出しているのです。
🎬 NHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台も、ちょうどこの時代です。華やかな宮廷文化の陰で、地方では受領の濫行が起きていた——尾張国郡司百姓等解は、ドラマには直接出てこない「地方のリアル」を知る格好の史料といえます。
■ 31箇条の不正——どんな悪いことをしたのか
31箇条の不正を大きく5つに分類
31か条の訴えはじつに多岐にわたりますが、内容を整理すると、おおよそ次の5つのタイプに分けられます。
- 過剰な税の取り立て……検田(田の調査)を口実に、決められた以上の税を上乗せして徴収した。
- 出挙(すいこ)の不正……法律で決められた利率を超えて、農民から利息を取り立てた。
- 交易の詐欺……絹や布などを不当に安く買いたたき、他国へ高く売って差額をもうけた。
- 郎等(家来)の乱暴……元命の部下たちが、農民を暴力で脅して財産を奪った。
- 公文書の偽造・職務怠慢……税の帳簿をごまかし、朝廷への報告も正しく行わなかった。

出挙(すいこ)っていうのは、国が春に農民へ種もみを貸し付けて、秋の収穫後に利息をつけて返させる制度のこと。本来は決められた利率があったのに、元命はそれを超える利息を取り立てていたんだ——今でいう「違法な高利貸し」みたいなものだね。
出挙とは、春に稲(種もみ)を貸し付け、秋に利息をつけて返させる古代の貸付制度です。国が行うものを「公出挙」といい、その利息は国の重要な収入源でした。
もともとは農民を助ける意味合いもありましたが、しだいに「強制的に貸し付けて、必ず利息を取る」という、事実上の税のような制度に変わっていきました。元命はその利率を法定以上に引き上げ、農民を苦しめたのです。
訴えの内容——31箇条を現代語でひも解く
ここからは、31か条の訴えのなかでも、特に農民たちの怒りがよく伝わる代表的な内容を、現代語でかみくだいて紹介します。1000年前の人々が、何にどう苦しめられたのか——その「生の声」を見ていきましょう。
■ 現代語で見る主な不正行為
- 決められた以上の税を取り立てた……朝廷が定めた額をはるかに超える租税を、無理やり農民から徴収した。「今でいうと、決められた税率を勝手に何倍にも引き上げて取り立てる」ようなものです。
- 出挙の利息をぼったくった……法で決められた利率を超える高い利息を出挙に課し、返せない農民を追い込んだ。「違法な高利貸し」と同じ構図です。
- 絹や布を安く買いたたいた……農民が納める絹や布を不当に安く評価し、その差額を自分の利益にした。「今でいう、品物を相場よりずっと安く買い取って転売でもうける」やり口です。
- 家来(郎等)が農民に乱暴した……元命が都から連れてきた郎等たちが、税の取り立てに従わない農民を暴力で脅し、財産を奪った。
- 帳簿をごまかし、報告をしなかった……税の記録を改ざんし、朝廷への正式な報告も怠った。不正がバレないよう、書類の段階から手を加えていた。
こうして並べてみると、元命の不正が「税の取りすぎ」だけにとどまらず、暴力・詐欺・公文書偽造にまで及んでいたことがわかります。郡司・百姓たちは、これらをひとつひとつ証拠とともに書き上げ、31か条という形で朝廷に突きつけたのです。

31か条って、全部覚えないといけないの?テストに出やすいのはどのあたり?

全部覚えなくて大丈夫!テストで大事なのは「受領の濫行」というキーワードと、「国司苛政上訴の代表例=尾張国郡司百姓等解」というセットだよ。くわしくは記事後半の「テストに出るポイント」でまとめているから、そこを押さえておいてね!
国司苛政上訴の結果——元命は解任されたのか
では、勇気をふりしぼって朝廷に突きつけた31か条の訴えは、いったいどんな結末を迎えたのでしょうか。
結論からいうと——訴えは通りました。988年に提出された尾張国郡司百姓等解を受けて、朝廷は元命の不正を問題視。翌989年(永祚元年)、元命は尾張守を解任されることになります。地方の郡司・百姓たちの訴えが、実際に受領の更迭を実現させた——これは当時としてはきわめてめずらしい「逆転劇」でした。
■ 朝廷はどう動いたのか
訴状を受け取った朝廷では、太政官(国政を取り仕切る中央の最高機関)でこの問題が審議されました。31か条という具体的な証拠が整然と並べられていたうえ、訴えの中心には地方豪族である郡司が名を連ねていたため、朝廷もこれを軽くあつかうことはできませんでした。
そして翌989年、人事を決める「除目」(朝廷の役職任命の儀式)において、元命は尾張守の任を解かれます。こうして、農民・郡司たちの訴えは「悪い受領を交代させる」という形で実を結んだのです。

当時の農民が、ここまで組織的に動けたのね……。普通ならもみ消されてしまいそうな気がするけれど、どうして訴えが通ったのかしら?

カギは2つあるよ。1つは、訴えの中心に郡司という地方豪族が立っていたこと。もう1つは、ただ感情的に「ひどい!」と叫ぶのではなく、31か条の証拠をきちんとした公文書の形式で揃えたこと。立場のある人々が、正式な手続きで証拠を突きつけたから、朝廷も無視できなかったんだ。
とはいえ、元命が尾張守を解任されたあと、重い刑罰を受けたという記録ははっきり残っていません。受領の濫行そのものがこの一件でなくなったわけでもなく、似たような国司苛政上訴は、その後も各地で起こり続けました。それでも「地方の人々の訴えが、中央の人事を動かした」という事実は、この文書を歴史に残る一級史料へと押し上げたのです。
歴史的意義——なぜ「尾張国郡司百姓等解」は重要なのか
尾張国郡司百姓等解は、ただ「悪い国司がクビになった」というだけの出来事ではありません。この文書には、平安時代中期という時代を読み解くうえで欠かせない、いくつもの重要な意味が込められています。
大きく分けると、その意義は次の3つにまとめられます。
- 国司苛政上訴の代表例……地方の人々が国司の悪政を朝廷へ訴える「国司苛政上訴」が、実際に機能した最も有名な事例です。
- 地方社会の実態を伝える一級史料……教科書や貴族の日記からは見えにくい、平安時代の地方の暮らしや徴税の実態を、生々しく今に伝えています。
- 受領制の矛盾を映し出す証拠……徴税を国司に丸投げした「受領制」が、いかに無理をはらんだ仕組みだったかを端的に示しています。
とくに注目したいのが、2つめの「地方社会の実態を伝える」という点です。平安時代の歴史は、『源氏物語』に代表される華やかな宮廷文化や、貴族たちの日記をもとに語られることが少なくありません。しかしそれらはあくまで「都の上流階級」から見た記録です。一方この文書は、地方で実際に税を取られ、暮らしを脅かされていた郡司・百姓たちの側から書かれています。「下から見た平安時代」を知ることができる、貴重な窓口なのです。
■ 受領の支配から荘園公領制へ
尾張国郡司百姓等解が示した「受領の濫行」は、その後の日本社会にも大きな影響を残しました。
受領による厳しい取り立てに耐えかねた農民のなかには、土地を捨てて逃げ出す者(逃散)や、有力者の保護を求めて自分の土地を寄進する者が現れます。こうして、貴族や寺社が支配する私有地である「荘園」が各地に広がっていきました。
その結果、国司が直接支配する公の土地(公領)はじわじわと縮小し、やがて荘園と公領が並び立つ「荘園公領制」へと、地方支配の仕組みは大きく姿を変えていきます。尾張国郡司百姓等解は、その大きな転換期の入り口に立つ出来事として、歴史の流れのなかに位置づけられるのです。
📌 尾張国郡司百姓等解の本文は、後世に書き写された写本という形で現在に伝わっています。31か条という具体的な内容は、平安時代の地方社会・徴税制度を研究するうえで欠かせない一級史料として、現在も高く評価されています。

「民衆の声が政治を動かした」という意味でも、「当時の地方のリアルがわかる史料」という意味でも、この文書はとっても重要なんだ。次の章では、試験で直接問われやすいポイントをギュッとまとめていくよ!
テストに出るポイント
ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。
📌 暗記のコツ:①「尾張国郡司百姓等解=988年=国司苛政上訴の代表例」を3点セットで覚える。②混同注意——訴えたのは「郡司・百姓(下の立場)」、訴えられたのは「受領=藤原元命(上の立場)」。誰が誰を訴えたかを逆にしないこと。③論述では「受領制の矛盾・限界を示す史料」「地方民衆の声が中央政治を動かした事例」という切り口で書けると高評価。
| 比較項目 | 受領(ずりょう) | 郡司(ぐんじ) |
|---|---|---|
| 立場 | 任国に赴任した国司の最上席者(地方のトップ) | 「郡」を管理する地方の役人 |
| 出身 | 都から派遣された中・下級貴族 | その地方に根を張る地方豪族 |
| 役割 | 任国の徴税・統治を一手に握る | 受領のもとで郡の実務を担う |
| この事件での立場 | 訴えられた側(藤原元命) | 訴えた側の中心メンバー |

一番大事なのはどこ?論述問題で出るとしたら、どんな問われ方をするのかな?

論述では「この史料から何が読み取れるか」を問う出題が多いよ。ポイントは受領制の問題点(徴税の丸投げが濫行を生んだこと)と、地方民衆の訴えが中央政治を動かしたという2点。この2つをセットで書ければバッチリだよ!
受領・国司の理解を深めるおすすめ本

尾張国郡司百姓等解を読み解くには、受領制度と摂関政治の仕組みをもう少し深く知っておくと理解がグッと深まるよ!入門書を2冊紹介するね。
①テスト前の中高生なら|図解つきで政治の流れが一気にわかる
②平安政治をもっと深く知りたい大人なら|受領の実態・財政構造まで踏み込んで解説
よくある質問(FAQ)
尾張国郡司百姓等解について、検索でよく調べられている疑問をQ&A形式でまとめました。
988年(永延2年)に、尾張国(現在の愛知県西部)の郡司・百姓らが、国司・藤原元命の不正を朝廷に訴えた訴状です。全31か条で構成され、過剰な徴税・出挙の不正・交易詐欺などを告発しました。「国司苛政上訴」の代表例として教科書にも掲載される史料です。
受領(任国に赴任した国司の最上席者)が任地で行った横暴・不正の総称です。尾張国の場合は、決められた以上の税の取り立て、出挙の利息のぼったくり、絹や布の買いたたき、家来による農民への暴力、税帳簿の偽造などがありました。これらが31か条の訴状にまとめられています。
尾張国の郡司・百姓らが、元命の不正を31か条の証拠つき訴状にまとめて朝廷に提出したためです。訴えの中心に地方豪族である郡司が名を連ね、具体的な証拠がきちんとした公文書の形式で揃えられていたため、朝廷も無視できませんでした。その結果、翌989年の除目(人事の儀式)で元命は尾張守を解任されました。
988年(永延2年)に提出されました。テストでは「988年」という年号が問われやすいので、しっかり覚えておきましょう。翌989年(永祚元年)には、訴えを受けて藤原元命の解任が決定しています。
大きく3つの意味があります。①国司苛政上訴が実際に機能した最も有名な事例であること、②貴族の日記からは見えにくい平安時代の地方社会の実態を伝える一級史料であること、③徴税を国司に丸投げした「受領制」の矛盾を示す証拠であること、です。後の荘園公領制への移行を考えるうえでも重要な出来事です。
受領は、都から派遣されて任国に赴任した国司の最上席者で、任地の徴税・統治を一手に握る「地方のトップ」です。一方の郡司は、その地方に古くから根を張る地方豪族出身の役人で、受領のもとで「郡」の実務を担う立場です。尾張国郡司百姓等解では、訴えられたのが受領(藤原元命)、訴えた側の中心が郡司、という構図になります。
尾張国郡司百姓等解が提出された988年は、藤原道長が中央政界で頭角を現しつつあった時期と重なります。NHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台もちょうどこの時代で、華やかな宮廷文化の陰で地方では受領の濫行が起きていました。元命と道長は同じ藤原氏でも別系統で直接の関わりはありませんが、ドラマには描かれにくい「地方のリアル」を知る格好の史料といえます。
まとめ

以上、尾張国郡司百姓等解のまとめでした!1000年前の農民たちが、勇気と知恵で国司をクビにさせた——そんな痛快な逆転劇だったんだね。受領制や荘園のしくみについてもっと知りたい人は、下の記事もあわせて読んでみてください!
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9世紀末律令制の崩壊が進み受領制が成立
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986年(寛和2年)ごろ藤原元命が尾張守として任地に赴く
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988年(永延2年)尾張国郡司百姓等解が朝廷へ提出される
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989年(永祚元年)藤原元命、除目で尾張守を解任される
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11〜12世紀受領制の矛盾が深まり荘園公領制へ移行
📅 最終確認:2026年5月
📖 本記事は山川出版『詳説日本史』(2022年版)に基づいています。中学歴史・高校日本史どちらにも対応しています。
Wikipedia日本語版「尾張国解文」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「藤原元命」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「国司苛政上訴」(2026年5月確認)
コトバンク「尾張国郡司百姓等解文」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年5月確認)
コトバンク「藤原元命」(2026年5月確認)
山川出版社『詳説日本史』
記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。
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