大正時代(1912〜1926年)|大正政変・大正デモクラシー・普通選挙法
なぜ大正時代は「民主主義」と「弾圧」が同時に進んだのか
大正時代は、普通選挙法で民主主義の頂点に達しながら、同じ年に治安維持法で自由を封じた、矛盾に満ちた14年間である
1912年の大正政変で藩閥政治に終止符を打った民衆は、第一次世界大戦・ワシントン体制・大正デモクラシーを経て、1925年に普通選挙法を勝ち取った。しかし同じ年、治安維持法が成立し昭和軍国主義への布石が打たれた。この特集では、複雑な大正時代を3つのフェーズに整理し、各テーマを深掘りできる構成にしています。
「閥族打破・憲政擁護」を掲げた第一次護憲運動が全国に拡大し、桂太郎第3次内閣を53日で総辞職に追い込んだ。藩閥・元老政治から本格的な政党政治への転換点となった日本初の「民衆による政変」。
日英同盟を口実にドイツに宣戦布告し、山東省のドイツ権益を接収。1915年には対華二十一カ条要求で中国に大幅な権益を強要した。戦時景気で重化学工業が急成長し、日本は「債務国」から「債権国」へ転換した。
シベリア出兵を見越した米の買い占めで米価が急騰し、富山の漁村から始まった「米騒動」が全国に拡大。寺内内閣が総辞職し、原敬が立憲政友会を率いる日本初の本格的政党内閣を組織した。
パリ講和会議で日本は常任理事国の地位を獲得しながら、山東省権益問題で中国・朝鮮の反発を招いた。1919年3月に朝鮮で三・一独立運動、5月に中国で五・四運動が起きた。
米・英・日・仏・伊5カ国による海軍軍縮条約(主力艦5:5:3比率)と、中国の主権・領土保全を定めた九カ国条約・日英同盟廃棄を含む四カ国条約により「ワシントン体制」が成立した。
吉野作造の「民本主義」が思想的支柱となり、原敬の本格的政党内閣が成立。労働運動・女性運動・部落解放運動も活発化した。しかし、戦後恐慌が起き、1923年の関東大震災も重なり政情は不安定化した。
1925年、同じ年に成立した2つの法律は大正時代を象徴する。25歳以上男子に選挙権を与えた普通選挙法はデモクラシーの到達点だが、「国体変革・私有財産否定」を禁じた治安維持法は昭和の弾圧の布石となった。
1926年12月25日、大正天皇が崩御し昭和時代が始まる。デモクラシーの芽を宿しながら、治安維持法という楔を胸に大正時代は幕を閉じた。昭和時代では、この矛盾がいよいよ噴出していく。