大正時代の記事一覧

大正時代(1912〜1926年)|大正政変・大正デモクラシー・普通選挙法

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TAISHO PERIOD / 1912〜1926年(大正政変から普通選挙まで)

約14年
時代の長さ
25記事
収録中
3フェーズ
で整理
1913
大正政変
1914
第一次世界大戦
1918
米騒動
1921
ワシントン会議
1925
普通選挙法

なぜ大正時代は「民主主義」と「弾圧」が同時に進んだのか

大正時代は、普通選挙法で民主主義の頂点に達しながら、同じ年に治安維持法で自由を封じた、矛盾に満ちた14年間である

1912年の大正政変で藩閥政治に終止符を打った民衆は、第一次世界大戦・ワシントン体制・大正デモクラシーを経て、1925年に普通選挙法を勝ち取った。しかし同じ年、治安維持法が成立し昭和軍国主義への布石が打たれた。この特集では、複雑な大正時代を3つのフェーズに整理し、各テーマを深掘りできる構成にしています。

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Phase I — 大正政変と第一次大戦

1912〜1918年
1913
政変

大正政変 ─ 民衆の力で桂内閣を53日で打倒

「閥族打破・憲政擁護」を掲げた第一次護憲運動が全国に拡大し、桂太郎第3次内閣を53日で総辞職に追い込んだ。藩閥・元老政治から本格的な政党政治への転換点となった日本初の「民衆による政変」。

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大正政変とは?護憲運動が政権を倒した歴史的意義
第一次護憲運動から大正政変まで。民衆・政党・マスコミが一体となって藩閥政治を打倒した経緯と、「憲政の常道」の始まりを解説。
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1914〜
開戦・外交

第一次世界大戦参戦 ─ 対華二十一カ条と戦時景気

日英同盟を口実にドイツに宣戦布告し、山東省のドイツ権益を接収。1915年には対華二十一カ条要求で中国に大幅な権益を強要した。戦時景気で重化学工業が急成長し、日本は「債務国」から「債権国」へ転換した。

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対華二十一カ条とは?中国への要求と国際的批判
5号21カ条にわたる中国への要求。なぜ国際社会から批判され、中国で「国恥記念日」と呼ばれるのか。背景と影響を解説。
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1918
社会運動

米騒動とシベリア出兵 ─ 寺内内閣崩壊と原敬の平民宰相

シベリア出兵を見越した米の買い占めで米価が急騰し、富山の漁村から始まった「米騒動」が全国に拡大。寺内内閣が総辞職し、原敬が立憲政友会を率いる日本初の本格的政党内閣を組織した。

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シベリア出兵とは?目的・経緯・撤兵の理由をわかりやすく
ロシア革命への干渉として出兵されたシベリア出兵。米騒動との連動、国際的孤立、長期化の理由を解説。
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Phase II — 国際秩序とデモクラシー

1918〜1924年
1919
国際外交

ヴェルサイユ条約と三・一運動 ─ 戦後秩序と民族自決の波

パリ講和会議で日本は常任理事国の地位を獲得しながら、山東省権益問題で中国・朝鮮の反発を招いた。1919年3月に朝鮮で三・一独立運動、5月に中国で五・四運動が起きた。

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ヴェルサイユ条約とは?日本との関係・国際連盟の設立
第一次大戦の講和条約。日本にとっての戦後国際秩序。国際連盟の設立と人種平等提案の否決を解説。
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1921
軍縮外交

ワシントン会議 ─ 海軍軍縮と東アジア新秩序の成立

米・英・日・仏・伊5カ国による海軍軍縮条約(主力艦5:5:3比率)と、中国の主権・領土保全を定めた九カ国条約・日英同盟廃棄を含む四カ国条約により「ワシントン体制」が成立した。

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ワシントン会議とは?海軍軍縮と「ワシントン体制」の意味
1921〜22年の国際軍縮会議。5:5:3比率・四カ国条約・九カ国条約の3本柱とワシントン体制が東アジアにもたらした意義を解説。
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1918〜
民主化

大正デモクラシーの最盛期 ─ 民本主義・原内閣・天皇機関説

吉野作造の「民本主義」が思想的支柱となり、原敬の本格的政党内閣が成立。労働運動・女性運動・部落解放運動も活発化した。しかし、戦後恐慌が起き、1923年の関東大震災も重なり政情は不安定化した。

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大正デモクラシーとは?民本主義から普選法まで
吉野作造の民本主義を軸に展開した大正期の民主化運動。政党政治の確立・普選法成立への道筋をわかりやすく解説。
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Phase III — 護憲三派と普通選挙法

1924〜1926年
1923〜
政治危機

虎ノ門事件と第二次護憲運動 ─ 憲政の常道をめぐる最後の戦い

1923年、難波大助が皇太子を狙撃した虎ノ門事件が発生。政局が混乱する中、1924年の総選挙で憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の「護憲三派」が圧勝し、加藤高明内閣が成立した。

1925
立法

普通選挙法と治安維持法 ─ 民主主義の頂点と昭和への楔

1925年、同じ年に成立した2つの法律は大正時代を象徴する。25歳以上男子に選挙権を与えた普通選挙法はデモクラシーの到達点だが、「国体変革・私有財産否定」を禁じた治安維持法は昭和の弾圧の布石となった。

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普通選挙法とは?成立の背景・内容・治安維持法との同時成立
25歳以上男子に選挙権を付与した1925年の普通選挙法。治安維持法との「抱き合わせ」の背景と大正デモクラシーの限界を解説。
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1926
次の時代へ

大正天皇の崩御 ─ 昭和時代のはじまり

1926年12月25日、大正天皇が崩御し昭和時代が始まる。デモクラシーの芽を宿しながら、治安維持法という楔を胸に大正時代は幕を閉じた。昭和時代では、この矛盾がいよいよ噴出していく。

TIMELINE

大正史のハイライト年表

1912 大正改元・大正政変 明治天皇崩御で大正へ。桂太郎の第3次内閣が53日で瓦解。大正デモクラシーの幕開け。
1914 第一次世界大戦参戦 日英同盟を口実にドイツに宣戦布告。山東省のドイツ権益を接収。
1915 対華二十一カ条要求 袁世凱政府に中国への権益拡大を強要。国際的な反日感情と中国のナショナリズムを刺激。
1918 米騒動・原敬内閣 全国で米価暴騰に対する暴動が発生。寺内内閣が総辞職し原敬の本格的政党内閣が誕生。
1919 ヴェルサイユ条約・三・一運動 パリ講和会議で日本は常任理事国に。朝鮮では日本統治に抵抗する独立運動が起きる。
1921 ワシントン会議 四カ国条約・九カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約を締結。国際協調路線へ転換。
1923 関東大震災 死者・行方不明者約10万5千人。震災後の混乱で朝鮮人・社会主義者への虐殺も発生。
1925 普通選挙法・治安維持法 25歳以上の男性に選挙権(普通選挙)。同日、国体変革を禁じる治安維持法も成立。
1926 大正天皇崩御・昭和へ 大正天皇が崩御し昭和に改元。わずか14年の大正時代が幕を閉じる。

大正史でよく出る疑問

1912年(大正元年)7月30日〜1926年(大正15年・昭和元年)12月25日。わずか14年3ヵ月と短い元号です。明治の44年、昭和の63年に比べ大幅に短い在位期間でした。
大正時代に広まった民主主義・自由主義の潮流。吉野作造の「民本主義」(政治は民衆の意向に従うべき)や美濃部達吉の「天皇機関説」(天皇は憲法の機関)が理論的基盤。普通選挙運動・労働運動・女性解放運動も活発化しました。
ドイツが持っていた中国(山東省)の権益と南洋諸島(マーシャル・マリアナ・カロリン諸島)を獲得。また欧米列強がヨーロッパに注力した間に中国・アジア向け輸出が急増し「戦時景気」で日本経済が大きく発展しました。
1918年(大正7年)、シベリア出兵を見越した米の投機的買い占めで米価が急騰。富山の漁村から始まった民衆の蜂起が全国70以上の都市に拡大し、軍隊まで出動する事態に。寺内正毅内閣が総辞職し、原敬の政党内閣成立のきっかけになりました。
1925年(大正14年)成立。25歳以上のすべての男性に選挙権を付与しました(納税額の制限を撤廃)。ただし女性は対象外で、女性参政権は戦後1945年の選挙法改正まで待つことになります。
1923年9月1日、マグニチュード7.9の大地震が南関東を直撃。死者・行方不明者約10万5千人(多くは火災による)、全半壊家屋37万棟以上。震災後の混乱で朝鮮人・中国人や社会主義者が殺害される事件も起きました。東京の都市復興計画が推進され、近代的なインフラが整備されました。