今回は、1922年に結ばれた九カ国条約について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!
九カ国条約とは
九カ国条約は中国(中華民国)に関する条約で、中身は「みんな中華民国を支配しようとする行為はやめような。中国はどこにも支配されない独立国家だから、みんなが自由に貿易ができる国にしような!」というものでした。
九カ国条約の締結は、アメリカのワシントンで開催された国際会議「ワシントン会議」の中で行われました。
ワシントン会議はアメリカ主導で進められたため、九カ国条約にはアメリカの思惑が強く反映されています。
なぜ九カ国条約が結ばれたの?
なぜ中国(中華民国)のために、こんな仰々しい条約が結ばれたの?
と疑問に思う人がいるかもしれないので、当時の中華民国の状況を少しだけ紹介しておきます。
中華民国は、日清戦争に敗北した弱みにつけ込まれ、領地や利権を列強国に次々と奪われてしまった歴史を持っています。(中国分割)
そんな中、中華民国への影響力・支配力を強めていたのが日本でした。
1914年に起こった第一次世界大戦によって、列強国が東アジアに構っている余裕を失うと、この隙を狙って日本は露骨な動きをするようになります。
この日本の動きに危機感を持っていたのがアメリカです。
アメリカは中国分割の流れに乗り遅れていたため、中国の利権でうまみを得ることができず、他国が中国への影響力を強めることに強い不快感を持っていたのです。
なので、アメリカは日清戦争以降、一貫して中国の「門戸開放・(貿易などの)機会均等」を世界に訴え続けてきました。
他の列強国に中国の利権を奪われるぐらいなら、いっそ中国はどこの国も支配されない開かれた国になってくれた方が都合が良いからな・・・。
とはいえ、列強国が中国の支配を緩めることはなく、アメリカの唱える「門戸開放・機会均等」が実現することはありませんでしたが、第一次世界大戦によってそのチャンスが到来します。
1918年に第一次世界大戦が終戦すると、ヨーロッパの列強国は深い傷を負うことになり、列強国のパワーバランスが大きく変化したのです。
具体的に何が変化したかというと、戦争の影響を直接受けることのなかったアメリカ・日本が強い力をつけるようになりました。(特にアメリカは、列強国の中でも最強の国力を誇る国に成長しました。)
戦争で漁夫の利を得た形のアメリカは、今なら日本さえなんとかすれば昔から掲げていた中国の「門戸開放・機会均等」を実現できるのではないか・・・?と考えます。
中国の「門戸開放・機会均等」は、多くの国の利権が絡む複雑な問題だが、今なら戦争で疲弊したヨーロッパ諸国が俺(アメリカ)に文句を言うこともないだろうし、日本さえうまく抑え込めば「門戸開放・機会均等」を実現できるのではないか?
こうしたアメリカの意図によって九カ国条約が結ばれ、結果的に中国の「門戸開放・機会均等」が実現することになりました。
九カ国条約は、表向きは中国のための条約に見えますが、実際はアメリカのために結ばれた条約とも言われています。
他国の中国支配を弱めることで相対的にアメリカの影響力が強まれば、アメリカは中国への貿易で経済的な利益を得ることができますからね。
その証拠として、中国はワシントン会議で不平等条約の解消を目指していましたが、進展はほぼ皆無でした。
さらに、列強国たちは新たな支配行為は止めたものの、すでに手に入れている中国での諸々の利権を簡単に手放すことはしませんでした。
九カ国条約は中国についての条約なのに中国の意向が無視されている・・・という点で、中国から見れば理不尽な条約だったのです。
中国「憎き日本め!山東半島をかえせ!!」
中国は九カ国条約に向けた会議の中で、山東半島の返還を求めています。
1919年に調印されたヴェルサイユ条約が、日本が山東半島を支配することを国際的に公認したことに強い不満を持っていたのです。
ヴェルサイユ条約に「山東半島は日本が支配してOK!」という内容が盛り込まれることがわかると、当時の中国はこれに猛抗議しました。
中国国内では五・四運動と呼ばれる大暴動が起こり、最終的に中国はヴェルサイユ条約の調印を拒否。中国は日本への抗議を続けることになります。
日本に抗議を続ける中国にとって、1921年〜1922年にかけて開かれたワシントン会議は、外交によって山東半島を取り返す千載一遇の大チャンスだったのです。
中国は、九カ国条約に山東半島の返還を盛り込むことを提案しますが、この中国の提案は残りの八カ国から無視されてしまいます。
なぜ無視されたかというと、参加した九カ国のうち六カ国がヴェルサイユ条約に調印しているからです。この六カ国にとって「日本の山東半島支配」は、ヴェルサイユ条約で決定済みの事項であって、改めて議論するような話題ではないのです。
こうして山東半島問題は九カ国条約の内容から除外されました・・・が、その代わりとして、アメリカの仲裁の下、日本と中国の間で交渉の場が設けられることになりました。
交渉の結果、日本は中国に色々な条件を付け加えた上で、山東半島を中国に返還することを決めました。
九カ国条約と日本の山東半島返還によって、アメリカの思惑どおり中国は他国からの干渉をうけなくなりました。
九カ国条約が残した課題
その一方で、アメリカの視点から見ていくつかの課題も残りました。
1つは、ソビエト連邦(ソ連)が九カ国条約に参加していない点です。条約を締結した九カ国が中国への政治干渉を弱めると、条約に従う必要のないソ連が中国での影響力を強めるようになり、中国内で社会主義・共産主義の思想が強まるきっかけとなりました。
※資本主義を採用するアメリカ・日本・イギリスなどとしては、中国がソ連の影響を受けることは望ましくないことです。
2つ目は、日本と中国の交渉の中で、山東半島をめぐる対立は解消されたものの、満州をめぐる対立が依然として続いた点です。
日本は九カ国条約の建前上、しばらくの間は満州で露骨な動きを控えていましたが、1931年に満州での利権を守るため、満州事変によって満州を軍事的に制圧します。こうしてアジア情勢は再び一触即発となり、そのまま日中戦争→太平洋戦争へと発展し、アメリカは日本と戦争をすることになります。
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