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シベリア出兵の目的・経過を簡単にわかりやすく解説【社会主義潰しは失敗し、米騒動が起こる】

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もぐたろう
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今回は、1918年〜1922年にかけて実施されたシベリア出兵について、わかりやすく丁寧に解説するよ。

この記事を読んでわかること
  • シベリア出兵ってそもそも何?
  • なぜシベリア出兵は行われたの?
  • シベリア出兵の様子は?
  • シベリア出兵は日本にどんな影響を与えたの?
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シベリア出兵とは

ロシアで誕生した世界初の社会主義政権「ソビエト政権」の勢力拡大を防ぐため、連合国がシベリアなに出兵したことを「シベリア出兵」と言います。(世界史では「対ソ干渉戦争」と言われています。)

公に「ソビエト政権に攻め込む」と言ってしまうと不都合があったので、表向きは「シベリアで孤立してしまった仲間のチェコスロヴァキア軍を助ける」という名目でシベリア出兵が行われました。

連合国とは

三国協商(イギリス・フランス・ロシア)を筆頭に 三国同盟(ドイツ・オーストリア・ドイツ)と戦った国々のこと。

シベリア出兵には、イギリス・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中国(中華民国)・日本が参加しました。

※イタリアは途中で三国協商側に立場を変えました。

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シベリア出兵当時のロシアの状況

シベリア出兵の話に入る前に、当時のロシアの状況を確認しておきます。

ロシアの歴史(シベリア出兵が起こるまでver)
  • 1914年
    第一次世界大戦が起こる

    ロシアは、三国協商側として参戦。

  • 1917年2月
    ロシアで2月革命が起こる

    戦争が長期化し、ロシアでは重い負担を強いられていた労働者や兵士たちが大規模なデモを決行。

    ロシア政府はこれを抑え込むことができず、労働者や兵士たちはソビエトという組織を結成して、ソビエトを通じて国政へ介入しようとした。

  • 1917年10月
    ソビエトがロシアの政権を手に入れる(10月革命)

    ロシアの社会主義政党の1つ「ボリシェヴィキ」が中心となり、ソビエトがロシアの政権の奪取に成功。ロシアのロマノフ王朝は滅亡する。

    ロシアでは世界初の社会主義政権となる「ソビエト政権」が誕生する。

  • 1918年
    シベリア出兵←この記事はここ!

    社会主義を良く思わない連合国が、「シベリアにいる仲間のチェコスロヴァキア軍を助ける!」という名目で、シベリアに兵を送り込む

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社会主義の脅威

社会主義国の登場は、資本主義を採用する多くの国にとって、大きな脅威となりました。

なぜかというと、資本主義社会主義では、「労働者」に対する考え方が根本的に違うからです。

資本主義から見た労働者

資本主義は、資本家階級(ブルジョワシー)労働者階級(プロレタリアート)で構成される社会の仕組みのこと。

資本主義は、資本家と労働者との間に貧富の差が生まれることが前提の仕組みだったため、労働者は抑圧され、社会に対して不満を持つようになった。

社会主義から見た労働者

社会主義とは、資本家と労働者の貧富の差を廃止した平等な社会を目指す考え方のこと。

資本主義の現状を、資本家VS労働者の闘争と捉えて、労働者による革命(プロレタリアート革命)によって資本家階級を打ち倒そうとした。

プロレタリアート革命は、1917年のロシア革命で現実のものとなり、ロシアで世界初の社会主義政権が生まれた。

社会主義と資本主義については詳しく知りたい方は、以下の記事を合わせて読んでみてください。

ロシア革命を主導したボリシェヴィキは、プロレタリアート革命(労働者による革命)をヨーロッパ各国に広めようと考えます。

ロシアと同じようにヨーロッパでも、多くのプロレタリアート(労働者階級)が戦争の長期化に不満を持っていたので、これを利用してヨーロッパ各地でもロシアと同じような社会主義革命を起こして、同志を増やそうと考えたのです。

プロレタリアート革命というのは、言い換えれば「既存の政権を倒して、労働者中心の新政権を樹立する」ってことです。イギリスやフランスなどの多くの国は、ロシア革命の影響が自国の労働者にまで波及することを、ひどく恐れました。(なんせ、革命が起これば国が崩壊してしまうかもしれませんからね・・・)

1918年11月、ボリシェヴィキを率いていたレーニンが平和についての布告ふこく」と呼ばれる発表を行います。

革命を成功に導いたレーニン

平和についての布告は、無賠償・無併合・民族自決をモットーに、「今すぐ戦争をやめよう!」というメッセージを第一次世界大戦に参戦する全ての国に送ったものでした。

社会主義にとっての「戦争」

社会主義というのは、本質的に戦争を嫌います。なぜなら、戦争というのは各国の労働者同士が殺し合う行為だからです。社会主義の視点で見れば、世界中の労働者は資本家に対抗するための同士のはずです。当然、仲間同士で殺し合うのは良いことでありません。

また、「平和についての布告」には、社会主義国が率先して平和を望む姿勢を示すことで、各国の労働者たちに社会主義について関心を持ってもらう狙いや、戦争を避けて新政権を安定させようとする狙いもありました。

多くの国は社会主義を警戒し、レーニンのメッセージを無視します。しかし、このレーニンのメッセージに応じた国もありました。それがドイツです。

ドイツは東からはロシア、西からはフランス・イギリスと挟み撃ちにあっており、これを機にロシア(ソビエト政権)との講話に応じて西部戦線(フランス・イギリス方面)に戦力を集中させようと考えたのです。

1918年3月、外交駆け引きの末、ドイツとロシア(ソビエト政権)の間でブレスト=リトフスク条約が結ばれて、ドイツとロシアの休戦が決まりました。

これに困ったのがイギリスとフランスです。

フランス
フランス

おいおい!ソビエト政権が戦争から離脱したら、ソビエト政権を攻撃する口実がなくなっちゃうじゃねーか。

せっかくロシア革命や第一世界大戦の混乱に乗じて、社会主義勢力の芽を摘もうと思ったのに!

イギリス
イギリス

ロシアが戦いをやめたら、ドイツ軍は絶対に西側へ一斉攻撃してくるよなぁ。

この戦争はいつになったら終わるんだ・・・。

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そうだ!シベリアへ出兵しよう!

イギリスやフランスは、ロシア国内に残っていた反ソビエト勢力の支援を決めますが、ソビエト政権を攻撃する明確な口実がなく、決定打に欠けてしまいます。

しかし、1918年5月、ソビエト政権に攻め込む大チャンスが訪れます。シベリアに残留していたチェコスロヴァキア軍が、ソビエト政権とトラブルを起こして、死人も出るほどの紛争に発展したのです。

フランス
フランス

チェコ軍は俺たち三国協商の味方だ。

ってことは、『味方(チェコ軍)を助けるためにシベリアに出兵するわ』って口実を作れば、ソビエト政権に対して軍事的圧力をかけることができるわけだ。おまけに、ドイツに東からの攻撃を警戒させて、西部戦線に集中できなくさせることも可能だ。

これは大チャンスだぞ・・・!

イギリス
イギリス

だな。しかし、俺もフランスも、自国の戦争で手一杯だ。

ここは、味方の中でも余力を残している日本とアメリカにもシベリアへの出兵をお願いしよう。

こうして、日本もシベリア出兵に巻き込まれることになります。

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シベリア出兵と日本

要請を受けた日本は、シベリア出兵に協力することを決めますが、「どの程度協力するか?」という点で議論が起きます。

協力する姿勢をアピール見せるだけで良いから、被害を抑えるためにも形だけの出兵にしておこう。

いやいや!シベリアは、朝鮮や満洲に近い重要な場所だぞ。

ここが社会主義の思想に染まってしまったら、日本の大陸進出に支障が生じてしまう。シベリアのソビエト政権勢力を叩いて、社会主義が東アジアに波及するのを阻止すべき!

という意見があり、後者が採用されることになりました。(陸軍の意見が強かったと言われています。)

こうして、日本が本気モードで出兵準備を始めると、一緒に出兵予定だったアメリカがストップをかけてきます。

アメリカ
アメリカ

日本には申し訳ないんだけど、出兵数に制限を設けたから、勝手にやる気出すのやめてくれないかな?(不機嫌)

アメリカと日本の関係

当時、日本とアメリカは中華民国の権益を巡って、対立を続けていました。

アメリカは、日本が大軍を送りこんでシベリアを実効支配しようと企んでいると考え、関係国と根回しの上で、兵数に制限を設けたのです。

当時の日本とアメリカの関係は、石井・ランシング協定のお話で紹介しているので、気になる方は合わせて読んでみてください。

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いざ、シベリア出兵!

1918年8月、日本はシベリア出兵を決行。ソビエト政権(ボリシェヴィキ中心の政権)の勢力を蹴散らしながら、2ヶ月後にはバイカル湖にまで到達します。

さらに日本は、「苦戦しているからやむを得ず増援を送る」という理由で次々と大軍を送り込み、アメリカとの兵力制限の約束を破りました。

この増援は、陸軍が独断で決めたものだと言われています。

陸軍は、大日本帝国憲法に定める統帥権を利用して、政府の意向を聞かずに勝手に増援を決めてしまったのです。

※統帥権とは、天皇が持つ軍事の大権のこと。軍部の人たちは、「俺たちは天皇の命令(統帥権)で行動するんだから、政府の意見を聞く必要なし!」と考えて、自分勝手な行動をしがちでした。

しかし、1918年11月、ドイツが停戦協定を結んだことで第一次世界大戦そのものが終わってしまいます。戦争が終わると、「チェコスロヴァキア軍を助ける」という口実もなくなり、アメリカなどの国はシベリアからの撤退を開始。1920年までに多くの国がシベリアから兵を引き上げてしまいました。

・・・が、日本だけはシベリア出兵を続行しました。

日本は、チェコ軍が救出された後も「満州・朝鮮に社会主義が浸透するのを防ぐ」という大義名分で、シベリアのボリシェヴィキ勢力を制圧しようとしたのです。

チェコスロヴァキア軍救出という口実で始まったシベリア出兵ですが、気付いてみれば名実ともに日本が自国の権益を守るための出兵(戦争)へと化してしまったのです。

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シベリア出兵、大失敗に終わる・・・

最終的に日本だけが本格参戦する形になったシベリア出兵ですが、残念ながらシベリア出兵は大失敗に終わります。

日本は、シベリア出兵に約7万の兵力と10億を超える費用と投入しましたが、シベリアの過酷な気候や現地住民のゲリラ戦法を打ち破ることができず、1922年に撤退を決定。

シベリアの制圧は失敗に終わり、3,000人の死者と2万人を超える負傷者を出しただけの悲惨な結果に終わりました。

シベリア出兵の影響は人的被害だけでなく、国内政治や外交面でも大きな悪影響を与えます。

国内では米の転売ヤーが現れて、米騒動が起こりました。

シベリア出兵が決まれば、食料として米が大量に買われるはず。

出兵の前に米を買い占めて、後で高値で売り捌けば、簡単に大儲けできるww

米の買い占めが起こると、人々は米を手に入れることができなくなり、これにブチギレて各地で暴動が起こりました。(米騒動)

人々の不満の矛先は、米を買い占めた張本人だけではなく、シベリア出兵を決めた日本政府にまで向けられることになります。

政府のせいで、俺たちの生活は苦しくなるばかりだ。

こんな政権潰れちまえ!!

内閣総理大臣だった寺内正毅てらうちまさたけは、1918年9月、米騒動の責任を取る形で内閣総理大臣を辞任することになります。

シベリア出兵は外交面でも大きな影響を与えました。

日本は、決められていた兵力制限を破って軍事行動をしたことにより、多くの国(特にアメリカ)に「日本はシベリアを支配しようとしている」という不信感を与えてしまいました。

1918年〜1922年にかけて、列強国を中心に第一次世界大戦の戦後処理についてさまざまな話し合いが行われましたが、アメリカは日本に対して否定的な態度を取り続けます。

アメリカは、日本が二十一か条の要求によって強引に手に入れた山東半島さんとうはんとうを中華民国(中国)に返還することを要求し、さらに、裏で日英同盟を解消させようと暗躍しました。(実際に日英同盟は解消してしまいました。)

また、当然ながらソビエト政権との関係も悪化しました。ソビエト政権は勢力拡大を続け、1922年にはソビエト連邦を建国。他国と本格的な国交を持つようになりますが、日本との国交は断絶したままであり、1925年に日ソ基本条約が結ばれたことで、ようやく国交を持つことができました。

終わってみれば、シベリア出兵は、

  • 当初の目的(シベリアの制圧)は達成できず
  • 多くの死傷者を出し
  • 国内では米騒動を起こり、寺内内閣が解散に追い込まれ
  • 多くの国に不信感を与えてしまった

という散々な結果となってしまったのです・・・。

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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