今回は、1917年に日本とアメリカとの間で交わされた石井・ランシング協定について、わかりやすく丁寧に解説していきます
石井・ランシング協定とは
石井・ランシング協定とは、中華民国の権益をめぐって日本とアメリカの間で交わされた協定のことです。
協定締結の代表として、日本側は石井菊次郎、アメリカ側はロバート・ランシングが交渉に当たったことから、石井・ランシング協定と呼ばれています。
石井・ランシング協定の内容は、簡単に言ってしまうと次のような感じ。
中華民国の権益を1つの国が独り占めするのは絶対ダメ!
でも、日本は中華民国と地理的に近いし、満州あたりでは特別な利権を持ってもしょうがないよね!
・・・、いきなり内容を説明してもよくわからないと思うので、まずは「日本とアメリカはなぜ石井・ランシング協定を結んだのか?」というところから、お話していきます。
第一次世界大戦は、アジア進出の大チャンス!
1914年、ヨーロッパでは第一次世界大戦が起こります。
この大戦によって、ヨーロッパの大国(イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなど)は戦争で手一杯となり、東アジアのことにまで手が回らなくなりました。
そんな中、虎視眈々と中華民国の権益を狙っている国が2国ありました。その2国こそが、日本とアメリカです。
日本もアメリカもヨーロッパから離れていたおかげで、第一次世界大戦による戦火を免れることができ、余力を残していました。
というかむしろ、ヨーロッパへ軍需品を輸出することで大儲けし、経済的にも大成長を遂げていました。(この頃の日本の好景気のことを「大戦景気」と言います)
そんな日本とアメリカは、ヨーロッパの列強国たちが第一次世界大戦に没頭している隙に、東アジアでの勢力拡大に注力するようになります。(このタイミングなら、ヨーロッパの列強国たちから邪魔が入ることもありませんからね!)
日本VSアメリカ
こうして、日本とアメリカは中華民国をめぐって対立するライバルとなりました。
この対立は、中華民国の内紛を通じて表面化することになります。
1916年に、中華民国のトップ(大総統)だった袁世凱が亡くなると、中華民国政府内では派閥争いが勃発。
派閥は大きく安徽派・直隷派の2つに分かれ、
と言う形で、中華民国の内紛を通じてアメリカと日本は対立を深めていきました。
日本が安徽派を支援した代表的な政策には、西原借款があります。
石井・ランシング協定が結ばれた背景
1917年2月、第一次世界大戦で苦境に立たされていたドイツが、無制限潜水艦作戦を行うことを発表しました。
中華民国をめぐるアメリカと日本の話をしているのに、なぜ急にドイツの話が登場するの?
・・・と思うかもしれませんが、実はドイツのこの方針転換が、石井・ランシング協定が結ばれる大きな要因となっていきます。
というのも、このドイツの宣言に、アメリカがブチギレたからです。
ドイツさんよぉ、俺はイギリスやフランスに武器を売って大儲けしているんだが、無制限潜水艦作戦ってことはアメリカの商船も攻撃対象にするってことかい?
いい度胸じゃねーか。売られた喧嘩は買ってやるよ。ドイツに宣戦布告して、俺も第一次世界大戦に参戦するわ。
1917年4月、これまで参戦を控えていたアメリカが、ドイツに宣戦布告。第一次世界大戦に参戦することになりました。
このアメリカの参戦によって、日本とアメリカの関係にも大きな変化が生じます。
アメリカは第一次世界大戦に集中するため、次第に日本と対立を続けることを望まなくなってきたのです。
石井・ランシング協定が結ばれるまで
日本政府も、このアメリカの変化を見逃しません。
日本は、元外務大臣の石井菊次郎を全権大使として、日本はアメリカと交渉を始めました。
日本は、アメリカに対してこんな提案をします。
これ以上対立を続けるのは、お互いにデメリットしかないし、日本が持っている中華民国での権益(特に満州地域の)を、アメリカとしても正式に認めてくれないだろうか。
アメリカに赴いた石井菊次郎がこの旨をロバート・ランシングに説明すると、ランシングはこれに猛反対。
「中華民国はどこの国にも支配されずに、門戸を解放し、多くの国の人たちが平等に活動できる場にすべきだ」と反対し、逆に「門戸解放・機会平等について日本とアメリカで共同宣言しようぜ!」と持ちかけてきます。
アメリカと日本の意見が真っ向から対立していますが、最終的に両者の折衷案が採用され、1917年11月、石井・ランシング協定が結ばれました。
石井・ランシング協定の内容
石井・ランシング協定の内容は、大きく以下の3つ
日本・アメリカの意見を、シンプルに足し合わせた内容となっています。
実はこの協定内容、かなりグダグダでした。なぜかというと、3番目の内容に関して、「アメリカが、具体的に日本のどの権益を認めたのか」についてはっきり明記されていないからです。
ここがはっきりしない限り、3の内容と1・2の内容が矛盾してしまう可能性を秘めています。
しかし、グダグダな協定内容でも、特に問題なく協定は締結してしまいます。むしろ、石井・ランシング協定は、意図的にグダグダな内容にされた・・・という方が正しいです。
背景には、日本・アメリカそれぞれの思惑があります。
どんな形であれ、アメリカに日本の満州・内蒙古の権益を認めさせることが最優先。
アメリカも日本との対立を望んでいないわけだし、ある程度は妥協してくれるだろう。
とりあえず、今は日本との対立を終わらせて第一次世界大戦に集中することが最優先。
領土保全と門戸解放・機会均等を規定さえあれば、日本に譲歩して曖昧な内容にしてしまっても良い。これで日本との関係を改善できるなら安いものだ。
日本も、無益な争いを続けたくないだろうし、きっと妥協してくれるだろう。
日本は「アメリカに満州・内蒙古の日本の権益を認めさせた」ので満足。
アメリカも「日本との対立を終わらせて、第一次世界大戦に集中できる」ので満足。
というわけで、一応、石井・ランシング協定は両者が満足いく内容となりました。
石井・ランシング協定は、内容そのものよりも、「協定によってアメリカと日本の関係が改善した」という事実の方が重要視されたわけです。
廃棄された石井・ランシング協定
中華民国の権益には、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアなど多くの国が強い関心を持っています。
それなのに、中華民国の権益についてアメリカと日本が勝手に協定を結ぶことができたのは、ヨーロッパの列強国が、戦争で東アジアのことに介入する余裕がなかったからです。
しかし、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ各国が東アジアに再び関心を持ち始めると、情勢は大きく変わってしまいます。
1922年、中華民国(中国)の領土のあり方などについて9カ国(日本含む)の間で、九カ国条約というものが結ばれました。
九カ国条約は、中国の領土保全と主権の尊重、そして門戸解放と機会平等を認める条約です。日本に一部の権益を認めていた石井・ランシング協定は、九カ国条約に反していたため、このタイミングで石井・ランシング協定は廃棄されることになりました。
九カ国条約の締結と石井・ランシング協定の廃棄は、日本が満州・内蒙古における権益を放棄することを意味します。
しかし、日本は国際情勢を踏まえて渋々放棄しているだけで、内心は満州・内蒙古の権益を放棄したくありません。
日本は石井・ランシング協定が放棄されて九カ国条約が結ばれた後も、背後で満州・内蒙古への干渉を続け、1931年には満州事変を起こすことになります。
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