米騒動をわかりやすく解説|1918年・シベリア出兵との関係と原因・大正デモクラシーへの影響

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米騒動

もぐたろう
もぐたろう

今回は米騒動について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「原因はシベリア出兵」ってよく言われるけど、それだけじゃないんだ。大正デモクラシーを動かした大事件まで、テストにも使える内容で解説するね!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
🎯 定期テスト・大学受験(共通テスト・国公立二次)に対応

この記事を読んでわかること
  • 米騒動の原因(シベリア出兵・大戦景気・買い占めの三重構造)
  • 富山から全国へ広がった経緯(庶民の行動が70万人規模の運動に)
  • 寺内内閣総辞職と原敬内閣誕生(日本初の本格的政党内閣)
  • 大正デモクラシーへの影響(労働運動・女性運動との関係)
  • テストに出るポイント(年号・人名・因果関係の押さえ方)

実は、米騒動は「米の値段が上がって怒った人々が暴れただけの暴動」だと思われがちですが、その正体は近代日本の政治を大きく変えた“政治変革の引き金”でした。

この事件をきっかけに、藩閥や軍人が支配していた政治が倒れ、日本で初めての本格的な政党内閣が生まれます。その背景には、近代化がもたらした格差社会の矛盾が凝縮されていました。

「シベリア出兵が原因」という単純な説明だけでは語りきれない、近代史の重要な転換点を一緒に読み解いていきましょう。

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米騒動とは?わかりやすく解説

3行でわかる!米騒動

米騒動とは、1918年(大正7年)に米価の急騰に怒った民衆が全国で起こした暴動です。
原因は、シベリア出兵を見越した米商人の買い占めに、大戦景気による物価高が重なったことでした。
結果、寺内正毅内閣が総辞職し、「平民宰相」原敬による日本初の本格的政党内閣が誕生しました。

米騒動こめそうどうとは、1918年(大正7年)に米の値段が急激に上がったことをきっかけに、全国各地で起こった民衆の暴動のことです。

同じ年の夏、わずか数か月のあいだに、米の値段はおよそ2倍にまで跳ね上がりました。生活に欠かせない主食がいきなり高騰したため、「これでは暮らしていけない」と人々が立ち上がったのです。

騒動は富山県とやまけんから始まり、新聞報道をきっかけに北海道から九州までほぼ全国へ広がりました。米屋への押しかけや安売り要求にとどまらず、一部は商店の打ちこわしにまで発展します。

その規模はあまりに大きく、政府はついに軍隊を出動させて鎮圧しました。そして、この騒動の責任をとって寺内正毅てらうちまさたけ内閣が総辞職することになります。

あゆみ
あゆみ

米騒動って、どのくらいの規模だったの?地域のちょっとした騒ぎってイメージなんだけど…。

もぐたろう
もぐたろう

それがとんでもない規模なんだ!参加者は全国でのべ約70万人とも言われていて、38市・153町・177村に広がったんだよ。鎮圧のために動員された軍隊ものべ数万人規模。一つの内閣を倒したくらいだから、当時の日本を揺るがした大事件だったんだ。

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米騒動が起きた背景(大戦景気と社会の変化)

米騒動を理解するには、まず当時の日本社会がどんな状況だったかを知る必要があります。キーワードは大戦景気です。

1914年に始まった第一次世界大戦で、ヨーロッパは戦場となり、国際市場から商品が消えました。そのすき間を埋めたのが、戦場から遠い日本です。日本の工業製品や船はとぶように売れ、輸出が急増しました。

こうして日本は空前の好景気に沸きます。これが大戦景気たいせんけいきです。鉄鋼・造船・海運などで巨万の富を築く成金なりきんが次々と現れました。

ところが、好景気の裏側で物価もどんどん上がっていきました。給料の上がり方が物価の上昇に追いつかず、とくに都市で働く労働者の暮らしは、かえって苦しくなっていったのです。

💡 「成金」ってなに? もともとは将棋で、歩が敵陣に入って「金」と同じ働きをするようになることを指す言葉です。そこから、短期間で急に大金持ちになった人を「成金」と呼ぶようになりました。大戦景気では「電灯では暗い」と言って100円札を燃やして明かりにした、という逸話が残るほど派手な成金も現れた一方、庶民の生活は物価高で苦しくなり、格差は大きく広がっていきました。

■ 寄生地主制と農民の困窮

もう一つの背景が、当時の農村を支配していた寄生地主制きせいじぬしせいという仕組みです。

寄生地主とは、自分では農作業をせず、農民に土地を貸して高い小作料(米)を取り立てる地主のことです。米を実際に作っている小作農は、収穫の半分近くを小作料として地主に納めなければなりませんでした。

つまり、米を売って利益を得るのは地主であって、作っている農民ではなかったのです。米の値段が上がっても、その恩恵は地主に集中しました。

一方、都市の労働者や農村の小作農は、上がり続ける米を「買う側」です。好景気のなかで一部の人だけが豊かになり、多くの庶民が物価高に苦しむ——この格差のひずみが、米騒動の火種になっていきました。

ゆうき
ゆうき

寄生地主制って、テストに出るの?

もぐたろう
もぐたろう

よく出るよ!イメージとしては、今でいう「不労所得で稼ぐ大家さん」が農村のあちこちにいた感じかな。寄生地主制はこのあと戦後の農地改革で解体されるんだけど、そこまでセットで覚えておくと一気にラクになるよ!

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米騒動の原因とシベリア出兵の関係

大戦景気による物価高と寄生地主制——この土台のうえに、米価高騰の直接の引き金を引いたのがシベリア出兵でした。

シベリア出兵とは、1917年のロシア革命でできた社会主義政権をつぶすため、1918年に日本・アメリカ・イギリス・フランスなどが共同でシベリアへ軍隊を送った干渉戦争です。

日本政府が出兵を検討しているという情報が伝わると、米商人たちはこう考えました。「戦争になれば軍隊用の米が大量に必要になる。今のうちに米を買い占めておけば、あとで高く売れる」——と。

■ なぜシベリア出兵が米価格を上げたのか?

ポイントは、実際に戦争が起こる前から米の値段が上がり始めたことです。流れを整理すると、次のようになります。

① シベリア出兵の動き → 「軍が米を大量に買うはず」と予想される

② 米商人の買い占め → 値上がりを見越して米を大量に抱え込む

③ 市場から米が消える → 出回る米が減り、値段が急騰する

④ 庶民が暮らせなくなる → 怒りが爆発し、米騒動へ

つまり、まだ戦争も始まっていないのに、「出兵で米が値上がりするだろう」という予想だけで買い占めが進み、本当に米が市場から消えてしまったのです。これが米騒動の直接の原因でした。

「買い占め」が値段を上げる仕組み

商品の値段は、ふつう「出回る量(供給)」と「ほしい人の量(需要)」のバランスで決まります。米のように毎日みんなが必要とするものは、出回る量が少しでも減ると値段が大きく跳ね上がります。

米商人たちは、この性質を利用して「値上がりしそうな米を先に買い占めて、高くなってから売る」という投機的な行動をとりました。さらに、政府の対応が後手に回ったことで、買い占めに歯止めがかからず、米価はあっという間に2倍近くまで高騰したのです。

あゆみ
あゆみ

シベリア出兵と米騒動って、結局どうつながっているのか一言で言うと?

もぐたろう
もぐたろう

「シベリア出兵を当て込んだ米の買い占め → 米が市場から消える → 値段が急騰 → 庶民が怒って米騒動」って流れだよ!テストでは「シベリア出兵の決定を見越した買い占め」というキーフレーズがそのまま問われるから、ここはまるごと覚えちゃおう。

富山から始まった米騒動の経過(1918年7月〜9月)

では、米騒動は実際にどう広がっていったのでしょうか。すべての始まりは、1918年7月、富山県の漁村に暮らす人々の行動でした。

富山湾沿岸の町では、地元でとれた米が、より高く売れる県外へどんどん運び出されていました。地元の米が足りなくなり、値段も上がっていくなか、生活に困った主婦たちが立ち上がります。

彼女たちは港や米屋に集まり、「米を県外へ積み出さないでほしい」「安く売ってほしい」と要求しました。この行動は、のちに新聞で「越中女房一揆」えっちゅうにょうぼういっきなどと報じられることになります。

■ 主婦たちの行動が全国を動かした

注目すべきは、この運動が誰かに指導されたものではなく、追い詰められた庶民が自然発生的に起こした行動だったという点です。

富山の出来事が新聞で報じられると、「自分たちの町も同じだ」と共感した人々が、各地で次々と声を上げ始めました。とくに物価高に苦しんでいた都市の労働者たちが激しく反応します。

こうして米騒動は、富山という一つの県から、新聞というメディアを通じてまたたく間に全国へと燃え広がっていったのです。

🍚 余談:「平成の米騒動」もあった 1993年(平成5年)、記録的な冷夏でその年の米が大凶作となり、店頭から国産米が消える騒ぎが起こりました。これも「平成の米騒動」と呼ばれます。このときは暴動にはならず、政府がタイ米などを緊急輸入して対応しました。1918年の米騒動とは原因も結末も違いますが、「米が足りなくなると社会が大きく動揺する」という点は、時代を超えて共通しています。

■ 騒動の規模と鎮圧(軍・警察の動員)

全国に広がった米騒動の規模は、想像をはるかに超えるものでした。参加した人はのべ約70万人とも言われ、騒動が起きた地域は38市・153町・177村にのぼったとされています。

各地で米屋への押しかけや打ちこわしが相次ぎ、警察だけでは抑えきれなくなりました。そこで政府は、ついに軍隊を出動させて鎮圧にあたらせます。

軍が国民に銃を向けて沈静化させるという事態は、政府にとって大きな痛手でした。多くの参加者が検挙・起訴され、騒動は8月をピークにしだいに収まっていきます。

ゆうき
ゆうき

富山の小さな町の話が、なんで全国に広がったの?

もぐたろう
もぐたろう

一番のカギは新聞だよ!「富山で米騒動が起きた」と報じられたことで、同じく物価高で苦しんでいた全国の人たちが「うちもだ!」と一気に共感したんだ。しかも当時はロシア革命の直後。政府は「日本でも革命が起きるのでは…」とビクビクしていて、その焦りも事態を大きくしたんだよ。

寺内内閣の総辞職と原敬・平民宰相の誕生

軍隊まで動員する事態となった米騒動は、当時の寺内正毅てらうちまさたけ内閣に致命的なダメージを与えました。

寺内内閣は、国民や政党の意向にとらわれず政治を進める超然主義ちょうぜんしゅぎの立場をとっていました。陸軍出身で「ビリケン宰相」とあだ名された寺内首相は、世論との距離が遠かったのです。

米騒動でその姿勢が厳しく批判されると、新聞・世論は内閣退陣を強く求めました。そしてついに1918年9月、寺内内閣は騒動の責任をとって総辞職することになります。

■ 原敬とはどんな人物か?

寺内内閣に代わって首相となったのが、原敬はらたかしです。原は、米騒動が生んだ「新しい時代の宰相」でした。

原敬の肖像写真
原敬(出典:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

原敬は、衆議院に議席を持つ政党立憲政友会りっけんせいゆうかいの総裁でした。そして、爵位(華族の身分)を持たない初めての首相として、「平民宰相へいみんさいしょう」と呼ばれ、国民から大きな期待を集めます。

原が組織した内閣は、陸軍・海軍・外務の3大臣をのぞくほとんどを立憲政友会の党員でかためた、日本初の本格的な政党内閣でした。これは、藩閥や軍人が握ってきた政治のあり方を大きく変える出来事だったのです。

原敬
原敬(はらたかし)

私はあえて爵位を受けず、衆議院に議席を置く一人の政党人として、この内閣を率いる。藩閥でも軍人でもない、選挙で選ばれた者が政治を動かす時代を始めるのだ。

あゆみ
あゆみ

「平民宰相」って、そんなに珍しいことだったの?

もぐたろう
もぐたろう

すごく珍しかったんだ!それまでの首相は、ほとんどが薩摩・長州出身の藩閥か、貴族・軍人ばかり。いわば「上流階級の指定席」だったんだよ。今でいうと、ずっと世襲のエリートばかりだった社長の座に、初めて現場たたき上げの人が就いた、みたいなインパクトだったんだ。詳しくは原内閣の記事でも解説しているよ!


米騒動が残したもの(大正デモクラシーへの影響)

米騒動が日本史で重要視されるのは、単に「米の値段で人々が暴れた事件」だからではありません。この騒動が、その後の大正デモクラシーの流れを大きく後押ししたからです。

これまで政治とは、藩閥や軍人といった一部の「えらい人たち」が決めるもので、普通の庶民にはどうにもできないもの——そう考えられていました。ところが米騒動では、名もなき庶民の行動が新聞を通じて全国に広がり、ついに一つの内閣を倒してしまったのです。

「自分たちが声を上げれば、政治を動かせるかもしれない」——この実感が、人々のあいだに広がっていきました。米騒動は、庶民が政治の主役になりうることを示した、象徴的な出来事だったのです。

■ 労働運動・女性運動の台頭

米騒動のあと、社会のあちこちで「自分たちの権利を主張しよう」という動きが活発になっていきます。

都市の工場で働く労働者たちは、よりよい賃金や労働条件を求めて労働運動を盛んにしました。労働者の全国組織である友愛会ゆうあいかいはこの時期に大きく成長し、のちに日本労働総同盟へと発展していきます。

また、これまで政治の表舞台から遠ざけられてきた女性たちも、参政権などを求めて声を上げ始めます。女性運動や農民運動、被差別部落の解放を目指す運動など、さまざまな社会運動がこの時期に次々と立ち上がっていきました。

そして、こうした民衆の力の高まりは、やがて「身分や納税額に関係なく、すべての成年男子に選挙権を」という普通選挙運動ふつうせんきょうんどうへと結びついていきます。1925年に成立する普通選挙法は、米騒動から続くこの大きな流れの一つの到達点でした。

ロシア革命と政府の危機感

米騒動の前年、1917年にロシアで革命が起こり、世界で初めての社会主義政権が誕生していました。労働者や農民が立ち上がって帝政(皇帝の支配)を倒したこの出来事は、日本の政府に強い衝撃を与えます。

そんな矢先に、全国規模の民衆運動である米騒動が起こったのです。政府は「このまま放置すれば、日本でもロシアのような革命が起きるのではないか」と本気で警戒しました。だからこそ軍隊まで動員して急いで鎮圧し、その後は社会運動への取り締まりも強めていきます。米騒動への対応の激しさの裏には、こうした政府の危機感があったのです。

あゆみ
あゆみ

たった一度の騒動が、今の民主主義にまでつながっているなんて、ちょっと驚きね。

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ!「米の値段」という生活に直結する問題が、最後は「普通の人が政治に参加する権利」にまでつながっていった。米騒動は、大正デモクラシーという大きな流れの中の大事な一歩だったってことだね。

大正時代・米騒動をもっと深く学ぶおすすめ本

もぐたろう
もぐたろう

米騒動や大正デモクラシーをもっと深く学びたい人向けに、入門書から読み物まで3冊紹介するよ!

①まず全体像をつかみたいなら|図解たっぷり・大正時代を一冊で網羅

一冊でわかる大正時代

大石学 著|河出書房新社


②大正デモクラシーを本格的に理解したいなら|岩波新書の定番入門書

③原敬という人物を深く知りたいなら|中公新書で読む「平民宰相」の実像

テストに出るポイント

ここからは、定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 米騒動(1918年):シベリア出兵の決定を見越した米の買い占めで米価が急騰。富山県の漁村の人々の行動が発端
  • シベリア出兵:ロシア革命(1917年)後の対ソ干渉戦争。日・米・英・仏が共同出兵。米の買い占めを引き起こした直接の引き金
  • 寺内正毅内閣の総辞職:米騒動の責任をとって1918年9月に辞任。超然主義(非立憲)内閣の終わり
  • 原敬内閣(1918年成立):日本初の本格的な政党内閣。爵位を持たない「平民宰相」として知られる。立憲政友会の総裁
  • 大正デモクラシーとの関係:米騒動 → 政党内閣の成立 → 普通選挙運動の高まり、という流れで大正デモクラシーを加速させた

📌 暗記のコツ:「米騒動 → 寺内内閣が倒れる → 原敬(平民宰相)登場」の3ステップで覚えるのがおすすめ。米騒動の原因は「シベリア出兵を見越した買い占め」、結果は「本格的な政党内閣の成立」とセットで記憶しよう。共通テストでは「なぜ大正デモクラシーが進んだのか」を問う問題で、この因果関係がそのまま使えます。

寺内正毅内閣原敬内閣
成立・終了米騒動で1918年9月に総辞職1918年9月に成立
政治の立場超然主義(非立憲)本格的な政党内閣
首相の出身陸軍出身(藩閥・軍人)立憲政友会総裁・爵位なし(平民宰相)
米騒動との関係責任をとって退陣米騒動を受けて誕生

ゆうき
ゆうき

テストで一番大事なのはどこ?

もぐたろう
もぐたろう

ズバリ「シベリア出兵 → 買い占め → 米騒動 → 寺内内閣総辞職 → 原敬(平民宰相)」の流れが最頻出だよ!この一本のストーリーをスラスラ言えるようにしておけば、関連する問題はほとんど解けるようになるからね。

よくある質問(FAQ)

1918年は、シベリア出兵の決定を見越した米商人の買い占めで米価が急騰した年でした。そこに第一次世界大戦による大戦景気の物価高や、寄生地主制という構造的な問題が重なり、庶民の生活が一気に行き詰まったため、各地で暴動が起こりました。

「出兵が決まれば軍隊用の米が大量に必要になる」と予想した米商人が、値上がりを見越して米を買い占めました。その結果、市場から米が消えて値段が急騰し、生活に困った庶民が怒って暴動を起こしました。つまりシベリア出兵は、米価高騰と米騒動の直接の引き金になったのです。

富山県の漁村に暮らす人々の行動が起点とされています。1918年7月、地元の米が県外へ積み出されて値段が上がるなか、生活に困った主婦らが米の積み出し阻止や安売りを求めて立ち上がりました。この動きが新聞で報じられ、全国へ広がっていきました。

軍隊を動員して鎮圧する事態にまで発展し、その責任をとって寺内正毅内閣が1918年9月に総辞職しました。代わって原敬が日本初の本格的な政党内閣を組織し、米騒動は大正デモクラシーの大きな転換点となりました。

原敬が、爵位(華族の身分)を持たないまま首相になった初めての人物だったからです。それまでの首相は薩摩・長州出身の藩閥や、貴族・軍人がほとんどでした。衆議院に議席を置く政党人が首相になったことが画期的だったため、「平民宰相」と呼ばれて人々の期待を集めました。

米騒動は、庶民の行動が政治を動かしうることを示した出来事でした。これをきっかけに労働運動・女性運動などの社会運動が活発になり、本格的な政党内閣の成立や普通選挙運動の高まりへとつながります。こうして米騒動は、大正デモクラシーを大きく前進させる原動力になりました。

まとめ:米騒動が変えた日本の政治

米騒動は、米価の高騰に怒った庶民の暴動から始まりましたが、その影響は一つの内閣を倒し、日本初の本格的な政党内閣を生み出すところまで及びました。「米の値段」という生活の問題が、最終的には「庶民が政治に参加する」という大きな流れにつながっていったのです。最後に、米騒動の流れを年表で確認しておきましょう。

米騒動の年表
  • 1917年
    ロシア革命が起こり、世界初の社会主義政権が誕生 → 日本政府の警戒が高まる
  • 1918年7月
    富山県の漁村で米の積み出し阻止行動が起こる(米騒動の発端)
  • 1918年8月
    シベリア出兵を正式に宣言/米騒動が全国へ波及(38市・153町・177村)
  • 1918年9月
    寺内正毅内閣が総辞職/原敬内閣が成立(本格的な政党内閣の始まり)
  • 1920年代〜
    労働運動・普通選挙運動が加速 → 1925年に普通選挙法が成立

もぐたろう
もぐたろう

以上、米騒動のまとめでした!「シベリア出兵 → 買い占め → 米騒動 → 寺内内閣総辞職 → 原敬」の流れさえつかめれば、もう怖くないよ。下の記事で大正デモクラシーや原敬内閣についてもあわせて読んでみてね!

📅 最終確認:2026年6月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「米騒動」(2026年6月確認)
コトバンク「米騒動」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
コトバンク「原敬」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
コトバンク「寺内正毅」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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