今回は、1921年~1922年にかけて開催されたワシントン会議について、わかりやすく丁寧に解説していくよ
ワシントン会議とは
ワシントン会議は、アメリカの主催によって開かれた軍縮について話し合う国際会議です。アメリカのワシントンD.C.で開かれたのでワシントン会議と呼びます。
会議のテーマは「太平洋・東アジアの平和秩序」。テーマに合わせて、太平洋・東アジアに影響を持っている九カ国が集められました。
ワシントン会議では、九カ国条約・四カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約など重要な条約が多く結ばれ、この会議によって太平洋・東アジアの国際情勢は一変することになります。
ワシントン会議によってもたらされた新しい太平洋・東アジアの国際情勢(秩序)のことをワシントン体制と言います。
ワシントン会議が開かれた理由
アメリカがワシントン会議を開いた理由は結構シンプルで、「第一次世界大戦によってメチャクチャになっていた東アジアの秩序を取り戻すため」でした。
1919年、第一次世界大戦の戦後処理としてヴェルサイユ条約が結ばれました。
しかし、ヴェルサイユ条約は、同じくメチャクチャになっていたヨーロッパの秩序を取り戻すことが主な目的だったのため、東アジアの問題は先延ばしにされていたのです・・・。
先延ばしにしていた東アジアの問題は、(アメリカが有利になる形で)私が解決してあげよう!
こうして1921年に開かれることになったのが、ワシントン会議です。
東アジアの情勢がメチャクチャになっていた理由は大きく3つあります。
これら3つの理由はそれぞれが独立したものではなく、それぞれ密接に関わっています。1〜3をまとめて説明するとこんな風になります。↓
アメリカが特に懸念していたのは、強くなった日本の存在です。
日本は強国になったからと言って、調子に乗りすぎ。
日本に中国を支配されたら俺も困るし、少しだけ日本を懲らしめてやるかww
ワシントン会議の目的は「太平洋・東アジアの平和秩序」にありましたが、アメリカはこの目的を日本の力を削ぐことによって実現しようとしたのです。
ワシントン会議の内容
ワシントン会議で話し合われた問題は、大きく3つありました。
それぞれ、詳しく解説していきます。
1 中国の利権をめぐる問題
中国は中国分割以降、多くの国から権益を奪い取られていたので、中国での各国の利害関係は複雑なものになっていました。
ところが、ワシントン会議の主役であるアメリカは中国分割に乗り遅れていたため、中国での権益をあまり持っていません。
そこでアメリカは、「東アジアの平和秩序のためにも、みんな中国にこれ以上干渉するのはやめようぜ!」と提案します。
俺は最初から中国に権益なんて持ってないから、みんなは困るけど俺だけは困らないんだよなぁww
そして、俺の提案で一番困るのはおそらく日本だろう。なんせ第一次世界大戦中に中国への干渉を強めていたからな。
調子に乗っている日本には、大いに困ってもらおうではないかww
このアメリカの提案は受け入れられ、中国に何かしら関与を持っている9カ国の間で九カ国条約が結ばれました。
2 太平洋諸島の平和
太平洋諸島がワシントン会議の重要なテーマになったきっかけは、ヴェルサイユ条約によって日本が南洋諸島(パラオやミクロネシア諸島など)の委任統治を認められたことにありました。
フィリピンを植民地化していたアメリカにとって、この日本の委任統治は大きな脅威となります。
なぜかというと、南洋諸島がフィリピン〜アメリカ間の航路を完全に遮断する位置に存在していたからです。このままでは、アメリカのフィリピン統治に大きな支障が生じる可能性があります。
さらにフィリピンは、日本の植民地である台湾とも北側で隣接しています。フィリピンは北・東の二方面から日本に挟まれており、フィリピンを統治する上で大きな問題となりました。
そこでアメリカは、南洋諸島付近に植民地を持っている国々に声をかけて「太平洋諸島を奪い合うような野蛮な行為は禁止するよう条約を結ぼうぜ!」と提案します。
こうして、アメリカ・イギリス・フランス・日本の間で四カ国条約が結ばれました。
条約を破れば、俺だけじゃなくてイギリス・フランスにも喧嘩を売ることになるから、これで日本も迂闊な行動はできまい。
※さらにアメリカは、四カ国条約を利用して日英同盟を破棄させることにも成功しています。
3 海軍の軍縮
当時、主にアメリカ・イギリス・日本を中心として熾烈な軍艦建造競争が繰り広げられていました。
しかし、軍艦の建造には莫大な資金が必要です。軍艦建造は国の財政を圧迫したため、多くの国が頭を抱えることになりました。(特にイギリスと日本!)
そこでアメリカは、「強い国みんなで話し合って、みんなが保有できる軍艦の量を決めてしまおうぜ!」と提案します。最初から話し合いによって各国の保有量を決めてしまえば、軍艦建造をめぐる競争を終わらせることができますからね。
俺がワシントン会議の主導権を握っているわけだし、俺(アメリカ)が一番有利な軍艦保有比率になるよう話を進めてしまおうww
もちろん、日本の軍艦保有量は俺より少なめな。
こうして、第一次世界大戦の戦勝国の中でも特に強国だったアメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアの間で、ワシントン海軍軍縮条約が結ばれました。
山東半島をめぐる外交戦【中国(+アメリカ)VS日本】
上で紹介した九カ国条約・四カ国条約・ワシントン海軍軍縮条約の他にも、ワシントン会議ではさまざまなことが話し合われました。
そして、上記3つの話以外で、日本にとって特に重要だったのが山東半島の権益をめぐる問題です。
日本は、ヴェルサイユ条約で「日本が山東半島の権益を持つこと」を認められていましたが、中国がこの決定にブチギレて、ヴェルサイユ条約の調印を拒否した歴史があります。
なので、山東半島の問題はヴェルサイユ条約上で解決済みとされたものの、その後も日本と中国の間で対立が続いていたのです。
当初、中国は九カ国条約に「日本は山東半島の権益を中国に帰すこと!」と明記させようしました。しかし、他の国から「それはヴェルサイユ条約で解決済みの話だから議論の余地なし」と議論を拒否されて失敗。最終的に、日本との単独交渉に臨むことになりました。
ただ、日本VS中国の2国間交渉だと、日本が強すぎて一方的な交渉になってしまいます。そこで、交渉の仲介役としてアメリカが話し合いに参加することになりました。
当時の3者の心中は、次のような感じでした。
みんな中国に干渉するのはやめるべき!だから日本も山東半島を返すべき!
中国(中華民国)「日本め!山東半島を返せ!!」
日本の中華民国に対する露骨な行動の数々は、国際的な批判を受けている。日本がこのまま強硬な態度を貫けば、日本は外交の上で孤立し、味方を失うだろう。
ここは山東半島の返還に応じて中国・アメリカとの協調外交を行い、これ以上敵を増やさないようにすべきだ。
とはいえ、タダで返還するほど私もお人好しではない。中国にはそれなりの条件を提示させてもらう。
こんな感じで、アメリカ・日本・中国の思惑が一致することになり、交渉の末に、日本は山東半島の租借地(膠州湾)と諸々の権益を中国へ返還しました。(もちろんタダではなく、条件付きです)
中華民国の要求は山東半島返還のみならず、二十一箇条の要求の撤廃にまで及びました。しかし、この点は日本は決して譲らず交渉は決裂します。
二十一箇条の要求には、日本が持つ満州の権益の内容が含まれていたので、日本と中国は、山東半島問題が解決した後も、満州をめぐって対立を続けることになりました・・・。
ワシントン会議まとめ【ヴェルサイユ・ワシントン体制】
ここまでの話をまとめると、次のようになります。
ワシントン会議では東アジア・太平洋について多くのことが決められ、東アジア・太平洋の国際情勢も一変しました。
そして、ワシントン会議後に構築された新しい東アジア・太平洋の秩序のことをワシントン体制と呼びます。
1919年に結ばれたヴェルサイユ条約によって、ヨーロッパに新しい国際秩序(ヴェルサイユ体制)が生まれ、1921年〜1922年に開かれたワシントン会議では東アジア・太平洋に新しい国際秩序が生まれました。
この2つの国際秩序(ヨーロッパ+東アジア・太平洋)に基づく世界のことをヴェルサイユ・ワシントン体制と呼びます。
こうして世界では束の間の平和が訪れますが、1929年の世界恐慌で国々の経済がメチャクチャになると、自国の経済を守るため排他的な政策(ブロック経済)を行う国が増えはじめ、ヴェルサイユ・ワシントン体制は崩壊。
崩壊後は第二次世界大戦が起こり、凄惨な戦争が再び繰り返されることになります・・・。
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