今回は、1921年にアメリカ、イギリス、日本、フランスの間で結ばれた四カ国条約について、日本の話を中心にわかりやすく丁寧に解説していくよ!
四カ国条約とは
四カ国条約とは日本・アメリカ・イギリス・フランスの間で結ばれた条約です。
条約の内容は「四カ国が植民地としている太平洋の島々を、互いに奪い合うようなことはやめようね」というもので、第一次世界大戦後の太平洋の平和のために結ばれました。
四カ国条約の締結は、1920年から開催されていたワシントン会議の中で決定されたもので、条約の主導権はアメリカが握りました。つまり、四カ国条約の内容にはアメリカの意図が強く反映されているわけです。
このアメリカの意図を理解すると、四カ国条約が結ばれた背景や内容がスッとわかるようになります。・・・というわけで、さっそくアメリカの話に入ります!
アメリカの策略
太平洋の平和という四カ国条約の掲げる目的は、あくまで表向きの理由にすぎません。
アメリカが四カ国条約を結んだもう1つの目的(裏の目的)は、「強くなりすぎた日本の力を削ぐこと」にありました。
日本は、1919年に結ばれたヴェルサイユ条約によって、第一次世界大戦でドイツの植民地だった南洋諸島を委任統治することを認められます。
アメリカは、日本が南洋諸島を影響下に置いたことを強く警戒します。なぜなら、南洋諸島はアメリカの植民地になっていたフィリピンの東隣に位置していたからです。
フィリピンは、北は日本本土、東は南洋諸島に挟まれる形になってしまったのです。
そこでアメリカは、日本に対してフランス・イギリスも巻き込んだ上で「太平洋の平和のため、侵略行為をしてはダメ!」と四カ国条約を結ばせることで、日本を牽制することにしました。
もし日本が約束を破って侵略行為をすれば、アメリカのみならずフランス・イギリスからも批判を受けることになるので、四カ国条約は日本に対する強い抑止力になる・・・というわけです。
アメリカが日本を警戒していた理由は、これだけではありません。アメリカは、日本が中国への影響力を強めていることにも警戒心と不信感を持っていました。
日本は1915年に中国に二十一か条の要求を行い、1917年~18年には西原借款によって金の力で中国を裏から操ろうと目論みました。さらに、1918年に実施したシベリア出兵では、多くの国が撤兵を決める中、日本だけが撤退せず、満州に近いシベリアを攻略しようとしていました。
このような日本の行動は、アメリカをさらに刺激することになります。
調子に乗っている日本をなんとかして黙らせたい。
アメリカ「日英同盟潰したろww」
アメリカは日本を弱体化させるため、第一次世界大戦後の国際情勢を利用して、日英同盟を破棄させる計画を考えます。
なぜここで、いきなり日英同盟がでてくるの・・・?
なぜ日英同盟の話になるかというと、第一次世界大戦により世界秩序が大きく変化し、イギリスにとって日英同盟の存在価値が薄れてしまったからです。
しかも、日英同盟の効力は1922年までになっていたので、イギリスが更新を拒否すれば同盟は自然消滅します。
つまり、四カ国条約が結ばれた1921年というのは、日英同盟を解消に追い込む絶好の大チャンスだったわけです。
このタイミングで、アメリカが外交を駆使して、イギリスに同盟を更新させないよう働きかけることができれば、日本は同盟国(イギリス)を失い、外交力を大きく削がれることになります。
そもそも日英同盟とは?【おさらい】
話が本題からそれてしまいますが、日英同盟についてもう少し詳しく紹介しておきます。
※理解を深めるためにも、以下の日英同盟の記事を合わせて読んでいただくことをオススメします↓
日英同盟は、1901年にイギリスと日本との間で結ばれた軍事同盟です。イギリスと日本が、ロシアという共通の敵を持っていたことで成立しました。
日英同盟によって「日本に喧嘩を売る」=「イギリスに喧嘩を売る」となり、日英同盟は日本の国防の上で、非常に重要な同盟となりました。たとえ列強国であっても、イギリスが背後についている日本に迂闊に手出しをすることはできませんからね。
1904年の日露戦争で日本がロシアに勝利したことで、日本・イギリスは外交方針を転換し、ロシアと強調路線を採るようになりました。しかし、ロシアという共通の敵が消えても、日英同盟は継続されました。
というのも、日露戦争の後、イギリスとドイツの対立が深まり、日英同盟の仮想敵国がロシアからドイツへとシフトしていったからです。
しかし、1918年にドイツが第一次世界大戦で敗北したことで、ドイツに代わる仮想敵国がいなくなってしまいました。こうなると、イギリスが日英同盟を結んでおく必要が薄れていきます。
敵がいないのに、これ以上日英同盟を結んでおく必要があるのだろうか・・・
四カ国条約が結ばれるまでの経過
一方、日本には日英同盟を更新したい切実な事情がありました。
日本は日露戦争以降、イギリスとの日英同盟とロシアとの日露協約を外交の2本柱としていました。
しかし、1917年にロシア革命で社会主義国家に変貌すると、日露協約は白紙へ。日本の満州支配はどの国の公認も受けない不安定な支配になってしまいましたが、同年(1917年)、日本はアメリカと協定を結んでこれを認めさせました。(石井・ランシング協定)
しかし、アメリカは日本の弱体化を狙っている張本人です。石井・ランシング協定は日露協約ほど信用できるものではありませんでした。
※実際に、ワシントン会議では石井・ランシング協定の廃棄が決まりました。
さらに、2本柱のもう1つの柱である日英同盟も、すでにお話ししたようにイギリスが同盟更新に積極的ではありません。
日露協約に続いて日英同盟まで廃棄になってしまうと、日本は外交上、味方を失って孤立することになります。
日英同盟がなくなれば、外交上、日本は丸裸も同然だ。
日本にいちゃもん言ってくるアメリカに対抗するためにも、絶対に日英同盟だけは死守せねばならない・・・!!
・・・結論を先に言ってしまうと、日本の願いは叶いませんでした。
イギリスの自治領でアメリカとも深い関係にあるカナダが、日英同盟の更新に猛反対したからです。
結局、イギリスは日英同盟を更新しないことを決定。さらにアメリカが、「日英同盟の代わりに、アメリカ・日本・イギリス・フランスの四カ国で条約を結ぼうぜ!」と提案し、四カ国条約の締結へと至ります。
こうしてアメリカは、表向きは「太平洋の平和」を大義名分に掲げながら、「日英同盟を廃棄させて日本の力を削ぐ」という裏目的をも達成したのです。
日本としても、外交上孤立するよりは四カ国条約を結ぶほうがマシだったので、国際情勢に不要な荒波を立てぬためにも四カ国条約で妥協する・・・という判断を下します。
四カ国条約まとめ
四カ国条約の内容はとても平和的な内容だけど、日本としては素直に喜べない一面もあったんだね。
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