今回は1941年に起きた太平洋戦争について、わかりやすく丁寧に解説していくね!
太平洋戦争とは
太平洋戦争とは、1941年から1945年にかけて、日本と連合軍(主にアメリカ)の間で起きた戦争のことを言います。
1941年12月、日本がハワイ島とマレー半島に奇襲攻撃を仕掛けたのをきっかけに始まりました。
日本は序盤こそ優勢だったものの、次第にアメリカの巻き返しが始まり劣勢へ。
そして1945年8月、日本は広島・長崎に原爆を投下され、日本は太平洋戦争に敗北することとなりました。
太平洋戦争での敗北は日本史上でも最大レベルの敗北となり、日本の歴史にとてつもなく大きな影響を与えることになります。
良い悪いは別として、もし太平洋戦争の敗北がなければ、今の日本はまったく別の姿になっていたはずです。
太平洋戦争が起きた時代背景
日本は1931年の満州事変以降、中国への侵略行為を強め、中国とたびたび武力衝突を繰り返していました。
その武力衝突は次第に激化し、1937年、盧溝橋事件をきっかけに日本と中国は全面戦争に突入しました。(日中戦争)
しかし、日本は中国を上回る圧倒的な軍事力を誇りながらも、中国を追い詰めることができません。
・・・なぜかというと、背後でアメリカ・イギリス・ソ連などが中国を支援していたからです。
もし日本が中国を支配してしまったら、俺たちでも簡単に手出しできないほど日本が強くなってしまう・・・。絶対に日本を勝たせてはならない!
中国に軍事物資を送って、日本に負けないよう支援しようぜ!
中国へ軍事物資を送る補給ルートは、蒋援ルートと呼ばれ、大きくソ連・ビルマ・フランス領インドシナの3つのルートがありました。
蒋援ルートがある限り、中国は降伏に追い込むことはできない。
しかし、蒋援ルートを封鎖しようとすれば、アメリカ・イギリスらと戦争になるだろう。
中国にも苦戦している状況で敵をこれ以上増やすのは、あまりにも無謀すぎる・・・。
日本は援蒋ルートを絶つことはできず、日中戦争はこう着状態に陥ります。
しかし1939年、戦局が大きく動きます。
1939年9月、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに、第二次世界大戦が始まったのです。
そして1940年6月、フランスがドイツの猛攻に耐えきれず敗北します。
フランスが敗北した!?
今ならフランス領インドシナルートを封鎖できるのでは・・・!
1940年9月、日本はフランスに圧力をかけて、フランス領インドシナの北部に日本軍を配置することを認めさせ、蒋援ルートを封鎖することに成功。(北部仏印進駐)
同月、さらに日本はイギリス・アメリカに対抗するため、ドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結びます。
日本め、イギリス・アメリカがドイツと敵対していることを知りながら、ドイツと同盟を組むとはいい度胸だ。覚悟しとけ・・・!
日独三国同盟の結成は、アメリカ・イギリスを強く刺激して、もともと悪化していた日本とイギリス・アメリカはさらに悪化していきました・・・。
日米交渉
一方の日本は、イギリス・アメリカを邪魔だと思いながらも、戦争をすることまでは望んでいませんでした。
イギリス・アメリカと戦争になれば、日本も無事では済まないだろう。
なんとか戦争をせずにイギリス・アメリカが中国を支援することをやめさせることはできないものか・・・。
1941年に入ると日本は、アメリカとの本格的な外交交渉をスタートします。(日米交渉)
日本がアメリカの要求を受け入れる見返りに、アメリカに中国支援をやめてもらう・・・というのが、交渉の目的です。
・・・しかし、日米交渉は失敗に終わります。
1941年7月、戦争の長期化で資源不足に陥っていた日本は、軍事資源を求めてフランス領インドシナの南部に軍を進め、フランス領インドシナ全体を支配下に置きました。(南部仏印進駐)
アメリカは、交渉中にもかかわらず侵略行為を続ける日本にブチギレ。
交渉中に侵略行為とか完全に喧嘩売ってるよな。
俺もう完全に怒ったから、日本への石油・鉄くずの輸出を全面禁止にする経済制裁を発動するわ。
その後も日米交渉は進展せず、1941年11月、アメリカと日本は妥協点を見出すことができないまま交渉を終了することとなりました。
太平洋戦争、始まる
アメリカの経済制裁を受けた日本は、苦境に立たされます。
日本は、石油の大半をアメリカからの輸入に依存していました。石油は軍艦や戦闘機の燃料に使われていたため、このまま何もしないでいると、日本は戦争を継続することができなくなってしまいます。
つまり、日中戦争の敗北が確定してしまうのです・・・!
このままだとジリ貧で敗北は必須だ。
・・・こうなったら、力づくで石油を奪い取ってやんよ!!
日本は自力で石油資源を確保するため、、石油資源が豊富なオランダ領東インド(今のインドネシア)を侵略することを目論むようになります。
・・・しかし、オランダ領東インドの周辺にはイギリス領のビルマやマレー半島、アメリカ領のフィリピンが健在です。
もしオランダ領東インドに侵略すればイギリス・アメリカとの戦争は避けられません。
石油を失った今、もはや検討の時間などない。
こうなったら、長期戦になる前に超速攻作戦で東南アジア一帯を一挙にして制圧してやる!
日本はインドネシアを手に入れるため、次のような作戦を考えます。
- STEP1イギリス領のマレー半島、アメリカ領のハワイに先制攻撃を仕掛ける
- STEP2先制攻撃でイギリス・アメリカの海軍・空軍が麻痺している間に東南アジア一帯へ一気に侵攻する。
- STEP3東南アジアで石油などの軍事資源をゲット
- STEP4東南アジア一帯をイギリス・アメリカから死守する
この作戦は南方作戦と呼ばれ、1941年12月8日、実際に実行に移されました。
同日、日本軍はマレー半島とハワイ島へ先制攻撃を加え、日本はマレー半島の占領に成功。
ハワイ島のアメリカ基地にも大ダメージを与え、アメリカの太平洋方面の戦力を大きく削ぐことに成功しました。(真珠湾攻撃)
日本は先制攻撃を仕掛けた後、アメリカ・イギリスに宣戦布告。こうして起きたのが太平洋戦争です。
宣戦布告をした後に攻撃する予定でしたが、いろいろあって攻撃後の宣戦布告となりました。
そのためマレー半島・ハワイ島への攻撃は、結果的に奇襲攻撃となりました。
突然の奇襲攻撃は、アメリカ人を憤慨させ、アメリカは「リメンバー・パールハーバー(真珠湾の出来事を忘れるな!」とのスローガンを掲げ、日本とのガチ戦争に臨むことになります。
アメリカのカリフォルニア州などでは、真珠湾攻撃をきっかけに日系アメリカ人が強制収容所に収容されたよ。
太平洋戦争の経過
南方作戦は順調に進みます。
- 1942年1月フィリピンの首都マニラを制圧
- 1942年2月マレー半島の重要都市シンガポールを制圧
- 1942年3月本命だったオランダ領東インドのジャワ島を制圧
1941年12月に太平洋戦争が始まってからわずか4ヶ月で、日本は当初の目標をクリアすることに成功しました。
その後も日本は快進撃を続け、東南アジアのみならず広大な領地を支配下に収めます。
日本は、支配下に置いた広大な領域を大東亜共栄圏を称して、そこに西欧による支配から解放された新たな秩序を構築しようと目論みました。
・・・しかし、日本の快進撃もここまで。
広大な支配領域を手に入れたことで伸びきった防衛ラインは、日本の国力で防衛できる広さを超えており、大東亜共栄圏の維持のため、日本は膨大な数の兵力と軍備を浪費することとなったのです。
おまけに1942年の夏以降、体勢を立て直したアメリカが反撃に転じてきます。
1942年6月、日本はミッドウェー海戦でアメリカに大敗。
1942年8月から始まったガダルカナル島の戦いでも、日本はアメリカに敗北を喫しました。
やばい。このままだと大東亜共栄圏を維持できない・・・
度重なる敗北で防衛ラインを維持できなくなった日本は、1943年9月、太平洋側の防衛ラインを縮小し、これを絶対国防圏として死守する方針を定めます。
しかし、防衛ラインを縮小しても戦況は変わりませんでした。
1944年6月、絶対国防ラインの最前線拠点だったサイパン島がアメリカからの攻撃を受け、7月にはサイパン島が陥落。(サイパン陥落)
アメリカは奪い取ったサイパン島から日本に向けて爆撃機を飛ばして、日本本土を空爆するようになります。
絶対国防圏を破られたことで、日本本土がアメリカによる空爆の射程圏内になったのです。
さらに1944年10月、フィリピン奪回のためアメリカ軍が攻め込んでくると、日本は徹底抗戦するもアメリカに及ばず、フィリピンまでもがアメリカの手に落ちてしまいます。
フィリピン奪回後、アメリカは最終目標である日本本土への攻撃を決行。
アメリカは1945年3月に大激戦の末に硫黄島を占領し(硫黄島の戦い)、4月には沖縄への上陸作戦(沖縄戦)を開始しました。
終戦に向けたアメリカ・日本の動向
太平洋戦争も終わりに近づくと、アメリカ・日本はそれぞれの思惑で終戦に向けた動きを見せるようになります。
アメリカの動き
日本本土での戦いとなった硫黄島の戦い・沖縄戦での日本軍の抵抗は凄まじく、アメリカは降参する様子を一切見せない日本軍に困惑するようになります。
こいつら化け物すぎだろ。戦いには勝っているはずなのに、こちらの死傷者が多すぎてまるで負けているような気分だぜ・・・。
アメリカは、このまま沖縄→九州→本州と攻め込んだ場合、アメリカの被害も甚大なものになると考え、別の方法で日本を降伏に追い込むことを考え始めます。
方法は大きく2つありました。
1つは、ソ連にお願いして日本に攻め込んでもらうことです。
このアイデアは、1945年2月に開かれたヤルタ会談で採用されることになります。
もう1つの方法は、当時アメリカで研究中だった最新兵器の原子爆弾(原爆)を日本に投下する方法です。
ただ、原爆はまだ研究段階の兵器だったため、この方法は当初は見送られることとなりました。
日本の動き
一方の日本は、敗北を確信するようになり、少しでも良い条件でアメリカと和平を結びたいと考えるようになります。
・・・とは言っても、すでに日本本土まで攻め込んでいるアメリカが、日本のとの交渉に応じれくれる可能性はほとんどありません。
そこで日本は、アメリカとの和平交渉のためにソ連に仲介役を頼むことにしました。
俺、ヤルタ会談でアメリカと『日本に攻め込んであげよう!』って極秘の約束しちゃってるし、アメリカと日本の仲介役なんて無理なんだよなぁ・・・。
結局、ソ連は日本からの頼みを拒否し続け、日本とアメリカの交渉が実現することはありませんでした。
ポツダム宣言
1945年7月、再び日本・ドイツへの対応を議論するため、アメリカ・ソ連・イギリスに会談が開かれます。(ポツダム会談)
ポツダム会談では、降伏したドイツの戦後処理の方法をめぐってソ連とイギリスの意見が激しく対立しました。
そんなソ連の強気な姿勢を見て、アメリカは一抹の不安を感じるようになります。
もし、日本を降伏に追い込むためにソ連に手伝ってもらったら、ソ連は勝った後、俺にとんでもない要求をしてくるかもしれない。
安易にソ連に頼るのは、あまりにも危険すぎる。
ポツダム会談の最中、そんなアメリカに朗報が届きます。
原爆の投下実験に成功!!
きたか…!!
( ゚д゚ ) ガタッ
.r ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
\/ /
こうなったら、ソ連に頼らず原爆を使って日本を降伏に追い込んでやる。
しかし、原爆はあまりに非人道的な兵器なので、アメリカ国内でも使用に反対の声が多く、原爆を投下するには、大義名分が必要でした。
そこでアメリカは、原爆投下の大義名分を得るため、ポツダム会談を利用します。
・・・そうだ!
ポツダム会談の場を利用して、日本に『降伏しないなら日本には破滅が待っている』と声明を出そう。そして、日本が降伏に応じないことを確認したら、そこで初めて原爆を投下しよう。
そうすれば、「アメリカだってやれることをやった。やむをえず原爆を投下するしか戦争を終わらせる方法はなかった!」と大義名分を得ることができるぞ!
1945年7月26日、アメリカ主導により、日本に降伏を求める声明(ポツダム宣言)が発表されます。
うーん、ポツダム宣言にはYESともNOとも答えられない。よって黙殺する!
黙殺・・・ってことは、日本はポツダム宣言を拒否したってことだね!
じゃあ早急に原爆を投下して戦争を終わらせよう!!
原爆投下とソ連対日参戦、そして降伏へ・・・
1945年8月6日、アメリカは広島に1発目の原爆を投下。
そして8月9日、次は長崎に2発目の原爆が投下されました。
さらに、長崎に原爆が投下されたのと同じ8月9日、ヤルタ会談で約束していたソ連が日本への侵攻を開始。北方からソ連軍が雪崩れ込んできました。(ソ連対日参戦)
・・・は?たった一発の爆弾で都市1つが壊滅・・・だと!?
おまけに、ソ連が日ソ中立条約を破って攻め込んできやがった。
これでソ連の仲介でアメリカと和平を結ぶこともできなくなった。
ダメだ。完全に詰んだ・・・。
原爆投下&ソ連対日参戦で、完全に心を折られた日本はついに降伏することを決意。
8月14日、日本はポツダム宣言を受諾。
15日には、ラジオ放送を通じて昭和天皇自らが日本が敗北したことを全国民に発表し(玉音放送)、
さらに9月2日、日本と連合軍の間で正式な終戦手続を行い、4年にわたる戦争はようやく終戦しました。
敗戦後の日本
太平洋戦争で大敗した日本は、連合軍が設立したGHQの占領下に置かれました。
GHQ支配下に置かれた日本では、日本が再び戦争を起こさないよう民主化・非軍事化の大改革(五大改革)が行われ、今の日本の土台となる重要な制度や仕組みがたくさん作られました。
日本の最高法規である日本国憲法も戦後の改革によって制定されたものです。
今の日本の原型は、太平洋戦争の敗北によって作られた・・・と言っても過言ではないほど、敗戦は現代に至るまでの日本の歴史に大きすぎる影響を与えているんだね。
太平洋戦争まとめ【年表】
最後に、太平洋戦争に関する主要なイベントを年表でまとめておきます。
- 1941年12月太平洋戦争、勃発!
日本が資源確保のため、マレー半島&真珠湾へ奇襲攻撃
- 1942年5月
まで日本、連戦連勝の快進撃を続け東南アジア一帯を支配下に置く日本は、手に入れた広大な支配地を大東亜共栄圏と呼び、広大な防衛ラインを築きました。
- 1942年6月日本、ミッドウェー海戦に敗れる
快進撃を続ける日本の勢いに暗雲が立ち込める・・・
- 1943年9月防衛ラインを縮小する(絶対国防圏の設定)
- 1943年11月大東亜会議を開催
- 1944年7月サイパン島がアメリカの手に落ちる(サイパン陥落)
- 1944年10月日本、フィリピンの海上戦(レイテ沖海戦)で大敗。その後、フィリピンをアメリカに奪われる。
レイテ沖海戦では、神風特別攻撃隊が実戦投入された。
- 1945年2月ヤルタ会談。ソ連が日本へ侵攻することが秘密裏に決まる。
- 1945年3月硫黄島の戦い(日本の敗北)
- 1945年4月沖縄戦、始まる
- 1945年7月日本に降伏を求めるポツダム宣言が出される
日本はポツダム宣言を黙殺する。
- 1945年8月原爆投下→ソ連対日参戦→日本降伏(ポツダム宣言受諾)
- 1945年9月日本、降伏文書に正式に著名。太平洋戦争が終戦する。
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