ミッドウェー海戦を簡単にわかりやすく解説【敗因は何?空母4隻を失い日本大敗!】

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ミッドウェー海戦

もぐたろう
もぐたろう

今回はミッドウェー海戦について、「なぜ日本は負けたのか」という敗因を中心に、わかりやすく丁寧に解説していくよ!空母4隻を一気に失った”運命の5分間”の謎にも迫っていくね。

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • ミッドウェー海戦とは何か(1942年6月・太平洋戦争の転換点)
  • なぜ日本は負けたのか(敗因3つをわかりやすく解説)
  • 空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)の喪失状況
  • 日米の戦力比較と作戦の全体像
  • もし日本が勝っていたらどうなっていたか

「ミッドウェー海戦で日本が負けたのは、アメリカとの国力の差があったから」——多くの人がそう思っているかもしれません。

でも、実はそうではありません。

この海戦では、戦力だけ見れば日本のほうが優勢でした。空母の数も、参加した艦艇の数も、日本がアメリカを上回っていたのです。

それなのに、日本はわずか1日で主力空母4隻をすべて失う大敗を喫しました。その裏には「暗号の解読」「欲ばりすぎた作戦」、そしてわずか数分の不運が重なった「運命の5分間」がありました。なぜ優勢だったはずの日本が完敗したのか——この記事で一つずつ解き明かしていきます。

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ミッドウェー海戦とは? 3行でわかる基本情報

ミッドウェー海戦とは、1942年6月5日に太平洋のミッドウェー島付近で起きた、日本とアメリカの空母どうしの戦いです(「ミッドウェイ海戦」「ミッドウエー海戦」とも表記されます)。

3行でわかるミッドウェー海戦
  • いつ・どこで:1942年6月5〜7日、太平洋のミッドウェー島付近の海域
  • 何が起きた:日本が主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を一気に失う大敗を喫した
  • 結果どうなった:太平洋戦争の流れが逆転し、日本は攻める側から守る側へと転落した

1941年12月の真珠湾攻撃から半年。この時期の日本は、東南アジアから太平洋にかけて快進撃を続けていました。ハワイをのぞけば、太平洋の主導権はほぼ日本がにぎっていたのです。

その勢いのまま、日本は次の一手としてミッドウェー島の攻略を狙いました。ところが、この海戦をきっかけに、戦争の潮目しおめは一気に変わってしまいます。ミッドウェー海戦は、太平洋戦争の「転換点」と呼ばれる、とても重要な戦いなのです。

あゆみ
あゆみ

そもそもミッドウェーって、どこにあるの?太平洋のどのあたりなのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

ミッドウェー島は、ハワイの北西およそ2,000kmにある、とっても小さな環礁かんしょう(サンゴでできた輪っか状の島)なんだ。日本とアメリカ本土のちょうど中間あたりにあって、軍事的な「中継地点」としてすごく重要な場所だったんだよ。だから日本もアメリカも、ここをめぐって本気でぶつかったんだ。

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なぜ起こったのか? ミッドウェー海戦の目的と背景

日本がミッドウェー島を狙った最大の理由は、アメリカの空母をおびき出して撃滅することでした。

1941年12月の真珠湾攻撃で、日本はアメリカの戦艦を多数沈めることに成功しました。ところが、肝心のアメリカの空母はそのとき港におらず、無傷で残っていたのです。

真珠湾攻撃で炎上するUSS Arizona(1941年12月7日)
真珠湾で炎上するUSS Arizona(1941年12月7日)。このとき米空母はハワイ沖で訓練中で無傷のまま残った/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

この生き残った米空母こそ、日本にとって最大の脅威でした。実際、1942年4月には空母から飛び立った爆撃機が東京を初空襲する事件(ドーリットル空襲)まで起きています。

ドーリットル空襲のため発進するアメリカ爆撃機
日本に向けて発進しているアメリカの爆撃機

山本五十六
山本五十六

残った敵空母を放っておけば、いずれ日本本土が脅かされる…。ならばミッドウェーを攻めて、それを守ろうと出てくる敵空母を一気に叩く。これでアメリカの戦意をくじき、有利な講和こうわに持ち込むのだ。

この作戦を立案したのが、連合艦隊の司令長官・山本五十六やまもといそろくです。作戦の正式な名前はMI作戦エムアイさくせんと呼ばれました(MIはMidwayの頭文字)。

なぜ「早く決着をつけたかった」のか

アメリカは日本の何倍もの工業力を持つ大国でした。戦争が長引けば、次々と新しい軍艦や飛行機を作れるアメリカが有利になります。だから日本は「長期戦になる前に、短期決戦で大打撃を与えて講和に持ち込む」ことを狙っていたのです。ミッドウェー海戦は、その短期決戦のための”大勝負”でした。

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日本 vs アメリカ 両軍の戦力比較

では、両軍の戦力はどうだったのでしょうか。下の表を見てください。表面的な数字だけ見れば、日本のほうがはるかに優勢だったことがわかります。

比較項目日本(機動部隊)アメリカ(太平洋艦隊)
主力空母4隻3隻
主な空母名赤城・加賀・蒼龍・飛龍エンタープライズ・ホーネット・ヨークタウン
戦艦・巡洋艦など多数(戦艦も随伴)少数(空母中心)
切り札熟練パイロット・優れた航空機暗号解読による情報
日本海軍の空母・赤城(南雲機動部隊の旗艦)
南雲機動部隊の旗艦・赤城/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

📌 兵力の数だけ見れば日本が優位でした。しかしアメリカには「JN-25」という日本海軍の暗号を解読し、日本の作戦計画を事前にほぼ把握していたという、目に見えない最強の切り札がありました。この「見えない差」が勝敗を分けることになります。

ゆうき
ゆうき

そもそも「空母」ってなに?飛行機を乗せた船ってこと?戦艦とは違うの?

もぐたろう
もぐたろう

いい質問だね!空母(航空母艦)っていうのは、簡単に言えば「飛行機が飛び立てる、海の上の動く滑走路」だよ。戦艦が大砲で殴り合うのに対して、空母は飛行機を飛ばして遠くから敵を攻撃するんだ。この時代の海の戦いは「どっちが多くの空母と飛行機を持っているか」で勝敗が決まったから、空母4隻を一気に失うのは致命傷だったんだよ。

ミッドウェー海戦の経緯 奇襲から空母炎上まで

1942年6月5日(日本時間)の早朝、南雲忠一なぐもちゅういちが率いる日本の空母機動部隊が、ミッドウェー島への攻撃を開始しました。

攻撃を受けているミッドウェー基地
攻撃を受けているミッドウェー基地

まずは島の基地をたたくため、第一次攻撃隊が出撃します。ところが島の防御は頑強がんきょうで、「もう一度、島を攻撃する必要がある」という報告が入りました。

ここで南雲は重大な判断をせまられます。手元に残った飛行機には、敵の艦船を攻撃するための魚雷が積まれていました。しかし島をもう一度たたくなら、地上攻撃用の爆弾に積みかえなければなりません。

南雲は「島の再攻撃」を選び、魚雷から爆弾への積みかえ(兵装転換へいそうてんかん)を命じました。ところが——その作業のさなかに、思いもよらない知らせが届きます。「近くにアメリカの空母がいる」というのです。

南雲忠一
南雲忠一

爆弾への積みかえを始めたばかりだ…。今すぐ魚雷に戻して敵空母へ突撃させるか、それとも整えてから万全の態勢で出すか。どちらを選んでも、わずかなスキが命取りになる…!

南雲は迷った末に、魚雷へ積みかえ直して攻撃態勢を整えることを選びました。この判断のために、空母の甲板や格納庫には、付けかえ途中の爆弾や魚雷、そして燃料が雑然ざつぜんと置かれた状態になってしまいます。これが、のちに「運命の5分間」と呼ばれる悲劇の伏線ふくせんになるのです。

ミッドウェー海戦の敗因 なぜ日本は負けたのか

戦力で優勢だった日本が、なぜ完敗したのか。その答えは、ひとつの原因ではなく、3つの要因が重なったことにあります。ここからは敗因を順番に見ていきましょう。

ミッドウェー島の位置を示す太平洋地図(日本・ハワイ・ミッドウェーの位置関係)

■ 敗因① 暗号解読 アメリカは作戦を見抜いていた

最大の敗因は、アメリカが日本の暗号を解読していたことです。

アメリカ海軍の暗号解読班は、日本海軍が使っていた暗号「JN-25ジェイエヌにじゅうご」を部分的に解読していました。そして「日本が次に狙う目標はミッドウェーらしい」とまでつかんでいたのです。

確信を得るため、アメリカはある巧妙こうみょうな仕掛けを使いました。わざと「ミッドウェー基地で真水が不足している」という偽の無線むせんを流したのです。すると日本側が暗号で「攻撃目標は真水が不足している」と打電したのを傍受。これで「攻撃目標=ミッドウェー」だと確定させました。

こうしてアメリカは、日本がいつ・どこを攻めてくるかを事前に知り、空母を待ちせする態勢を整えていました。手の内を読まれていた日本は、奇襲をかけるつもりが、逆に奇襲されてしまったのです。

連合艦隊司令長官・山本五十六(MI作戦を立案)
MI作戦を立案した連合艦隊司令長官・山本五十六/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

📌 暗号解読の立役者・ジョセフ・ロシュフォール 暗号解読を指揮したのは、ハワイの地下室「ステーション・ハイポ」で不眠不休の解析を続けたジョセフ・ロシュフォールじょせふ・ろしゅふぉーる中佐です。「真水不足」の偽情報を流す作戦もロシュフォールが発案しました。しかし上官との軋轢から、彼の功績は戦後長く正当に評価されませんでした。1986年、没後6年にしてようやく海軍功労章かいぐんこうろうしょう(DSM)が追贈されています。

■ 敗因② 二兎を追う作戦 戦力を分散させてしまった

2つ目の敗因は、欲ばって戦力を分散させてしまったことです。

日本はミッドウェー攻略(MI作戦エムアイさくせん)と同時に、北のアリューシャン列島への攻撃(AL作戦エーエルさくせん)も進めていました。本来なら全戦力を一点に集中すべきところを、2つの方面に分けてしまったのです。

さらに、味方の空母どうしも広い海にバラバラに展開していました。戦いの基本は「戦力の集中」です。それを無視して二を追った結果、肝心のミッドウェーに投入できる戦力がうすくなってしまいました。

📌 AL作戦(アリューシャン作戦)ってなに? アリューシャン列島はアラスカに連なる寒い島々です。日本はここを攻めることでアメリカの注意を北にそらし、ミッドウェー攻略をやりやすくしようと考えていました。しかし暗号を解読していたアメリカは「おとり」に引っかからず、戦力を分散した分だけ日本が不利になりました。

■ 敗因③ 運命の5分間 兵装転換中の急降下爆撃

そして3つ目、決定打となったのが「運命の5分間」です。

1942年6月5日の午前10時20分過ぎ。先ほど見たように、このとき日本の空母は兵装転換の真っ最中で、甲板や格納庫に爆弾・魚雷・燃料が散らばった、最も危険な状態でした。

そのころ上空では、もうひとつの悲劇が起きていました。米軍の魚雷爆撃機ぎょらいばくげきき(TBDデバステーター)3個飛行隊・計41機が、次々と日本の空母群に体当たり覚悟で突撃を試みました。しかし日本の零戦ぜろせんと対空砲火にほぼ全滅させられます。VT-8飛行隊(15機)では帰還できたのはわずか1機。墜落した機から海面に脱出したジョージ・ゲイじょーじ・げい少尉は、救命具1枚で浮かびながら、眼前で日本の空母が燃えていくのを目撃しています。しかしこの41機の犠牲は無駄ではありませんでした——零戦が低空に引きつけられたことで、高高度から急降下してくる米軍のSBDドーントレスを迎撃する戦闘機がいなくなっていたのです。

そこへ、アメリカの急降下爆撃機きゅうこうかばくげききが一斉におそいかかります。落とされた爆弾は、甲板に置かれていた爆弾や燃料に次々と引火。誘爆が誘爆を呼び、わずか数分のうちに赤城・加賀・蒼龍の3隻が炎の塊と化しました。残った飛龍も、その日のうちに反撃したのち撃破されます。

真珠湾で誘爆するUSS Shaw(1941年12月7日)
真珠湾で弾薬に引火し誘爆するUSS Shaw(1941年12月7日)。ミッドウェーの空母でも同様の連鎖爆発がわずか数分で3隻を炎に包んだ/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

📌 「運命の数分間」で何人が命を落としたのか 6月5日の急降下爆撃だけで赤城あかぎ267名・加賀かが811名・蒼龍そうりゅう718名、合計1,796名が戦死しました。加賀では艦橋への直撃で艦長・幹部の多くが即死。格納庫から噴き上がる炎と爆煙の中、脱出できなかった乗組員が次々と海へ飛び込みました。翌6日に飛龍ひりゅうも沈んで416名を失い、この海戦での日本の戦死者は計約3,057名。同じ太平洋戦争の真珠湾攻撃で失った日本兵(64名)の約48倍の数字です。

このたった数分間の出来事が、ミッドウェー海戦——いえ、太平洋戦争全体の流れを決めてしまったのです。だからこそ「運命の5分間」という言葉で語りがれています。

あゆみ
あゆみ

「運命の5分間」って、もし兵装転換のタイミングがずれていたら、結果は変わっていたのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

そこがこの海戦のドラマチックなところなんだ。「あと5分、爆撃機の到着が遅れていれば、日本は飛行機を発進させて反撃できたかもしれない」とよく言われるよ。ただ最近の研究では「実際にはそんなにキレイな5分間ではなかった」という指摘もあって、ちょっと脚色きゃくしょくされた伝説の面もあるんだ。それでも「最悪のタイミングで攻撃を受けた」という事実は変わらないよ。


ミッドウェー海戦の結果と太平洋戦争への影響

ミッドウェー海戦の結果は、日本にとってあまりに大きすぎる敗北でした。日本は主力空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)をすべて失い、艦上機も多数を海に沈めました。一方、アメリカが失った空母はヨークタウン1隻のみ。まさに「完敗」と呼ぶべき結果でした。

失われた4隻の空母(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)
  • 赤城あかぎ:南雲機動部隊の旗艦きかん。6月5日に被弾・炎上し、翌日処分された
  • 加賀かが:6月5日の急降下爆撃で大破・炎上し、同日に沈没した
  • 蒼龍そうりゅう:6月5日に被弾・炎上し、同日に沈没した
  • 飛龍ひりゅう:1隻だけ生き残って反撃しヨークタウンを大破させたが、その後被弾し翌6日に沈んだ

📌 「最後の1隻」飛龍と山口多聞の決死の反撃 3隻が炎上する絶望的な状況の中、唯一生き残った飛龍ひりゅうは、山口多聞やまぐちたもん少将の指揮のもと果敢に反撃を続けました。飛龍の艦載機はヨークタウンを大破・航行不能に追い込む戦果を上げますが、やがて飛龍自身も撃破されます。山口は生存部下を退去させたのち「俺はここに残る」と言い残し、艦長・加来止男かくとめお大佐とともに艦と運命をともにしました。山本五十六はのちに「最もよく戦った指揮官」と称えたと伝えられています。

そして空母以上に痛かったのが、熟練したパイロットや整備員を大量に失ったことです。優れた飛行機があっても、それを操る腕のいい人材はすぐには育ちません。日本はこの戦いで、簡単には取り戻せない「人の財産」を失ってしまったのです。

📌 国民に隠された大敗北 ミッドウェーの壊滅的な敗北は、長期間にわたって日本国民に知らされませんでした。生き残った将兵は帰国後に隔離され、外部への口外を厳命されます。新聞には「敵に多大なる損害を与えつつ…」という曖昧な戦果のみが報じられました。空母4隻の喪失という事実が公式に認められたのは、終戦後のことです。

この敗北を境に、太平洋戦争の流れは大きく変わります。それまで攻める一方だった日本が、ここから守勢に追い込まれていきました。2か月後の8月にはアメリカがガダルカナル島へ反攻を開始し、太平洋の主導権は完全にアメリカへと移っていきます。

1942年8月、ガダルカナル島へ上陸する米海兵隊
1942年8月、ガダルカナル島へ上陸する米海兵隊。ミッドウェーの勝利で主導権を得た米軍が本格反攻を開始した/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

📌 ミッドウェー海戦 日米損害の比較
 日本:空母4隻・重巡三隈みくま沈没、航空機248機喪失、戦死約3,057名
 米国:空母ヨークタウン・駆逐艦ハムマン沈没、航空機150機喪失、戦死307名
戦死者の比はおよそ10対1。戦力で優位だったはずの日本がこれほど一方的な結果になったのは、「暗号解読」と「運命の5分間」が重なったためです。

もぐたろう
もぐたろう

ミッドウェー海戦は「太平洋戦争の転換点(ターニングポイント)」って呼ばれるんだ。この敗北を境に、日本は攻める側から守る側に変わっていったからだよ。教科書でも「ミッドウェー海戦=戦局の転換点」はド定番のポイントだから、しっかり押さえておこう!

もし日本が勝っていたら? 歴史のif

「もしミッドウェー海戦で日本が勝っていたら、戦争の結末は変わっていたのでは?」——これは多くの人が一度は考える、ロマンあふれる問いです。

たしかに、日本がミッドウェー島の攻略に成功し、米空母を撃滅していれば、しばらくは日本が太平洋で優位を保てたかもしれません。ハワイへの圧力が増し、アメリカ本土がより脅威を感じた可能性もあります。

しかし、多くの歴史家は「それでも最終的な結末は変わらなかっただろう」と見ています。理由は単純で、日本とアメリカの国力こくりょくの差があまりにも大きかったからです。アメリカは戦争中、日本とは比較にならないペースで新しい空母や航空機を量産し続けました。一度の海戦で勝っても、その差をめることは難しかったのです。

あゆみ
あゆみ

じゃあ、もし日本が勝っていても、結局アメリカには勝てなかったのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

残念ながら、多くの歴史家の見方は「たぶん変わらなかった」なんだ。アメリカは人口も工業力も日本の何倍もある大国で、戦争が長引くほど有利になる国だったからね。ミッドウェーで負けたのは大ショックだったけど、それは「敗戦のタイミングが早まった」というだけで、戦争全体の勝ち負けをひっくり返すほどではなかった——というのが今の主流の考え方だよ。

ミッドウェー海戦についてもっと詳しく知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

ミッドウェー海戦をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を紹介するよ!戦史研究家の力作や、戦死者の声を掘り起こしたノンフィクション、太平洋戦争の全体像をつかむ定番書まで揃えたよ。

①ミッドウェー海戦の全貌を一次資料で読み解きたいなら|戦史研究の決定版

戦史研究家の森史朗が一次資料と関係者証言を徹底調査した大著。「なぜ日本は負けたのか」を暗号解読・兵装転換の経緯・「運命の5分間」の詳細まで追い、単なる「偶然の敗北」ではない構造的問題を明らかにします。ミッドウェー海戦に関心を持った人が次に読む本としてこれ以上の一冊はありません。

📎 こんな人には向かない:「さらっと概要だけ知りたい」という人。上下2冊の分量があり、読み応えは相当あります。


②戦死した3418人の「人間」を知りたいなら|菊池寛賞受賞の記録ノンフィクション

記録 ミッドウェー海戦

澤地久枝 著|筑摩書房

ノンフィクション作家・澤地久枝が7年をかけて日米の戦死者3418人を一人ひとり調べ上げた圧巻の記録。数字の陰に消えた「人」の声を掘り起こした本書は、菊池寛賞を受賞。戦史の解説書とは違う視点からミッドウェー海戦を見つめ直したい人に強くおすすめします。

📎 こんな人には向かない:「作戦経緯や軍事的分析を知りたい」という人。本書の中心はあくまで「人の記録」です。


③太平洋戦争の全体像をわかりやすくつかみたいなら|半藤一利の定番入門書

昭和史 1926-1945

半藤一利 著|平凡社

昭和史研究の第一人者・半藤一利が講義形式で語りかける入門書の決定版。ミッドウェー海戦は「太平洋戦争の転換点」として詳しく取り上げられており、なぜそこに至ったのか開戦から敗戦まで一気に理解できます。毎日出版文化賞特別賞受賞。中高生から大人まで広く読まれているロングセラーです。

📎 こんな人には向かない:ミッドウェー海戦だけを深掘りしたい人。昭和史全体を扱う一冊なので、個々の海戦の詳細描写は少なめです。


ミッドウェー海戦 よくある質問

A. 1942年6月、太平洋のミッドウェー島付近で行われた日本とアメリカの海戦です。日本は主力空母4隻を失う大敗をきっし、これが太平洋戦争の転換点(攻勢から守勢への分かれ目)となりました。「ミッドウェイ海戦」「ミッドウエー海戦」とも表記されます。

A. 主な敗因は3つです。①アメリカに暗号(JN-25)を解読され作戦が筒抜けだった、②ミッドウェー攻略(MI作戦)とアリューシャン攻略(AL作戦)の二正面作戦で戦力が分散した、③兵装転換の最中に急降下爆撃を受けた「運命の5分間」。戦力では日本が優勢でしたが、この3つが重なって完敗しました。

A. 赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4隻です。このうち赤城・加賀・蒼龍は6月5日に被弾・炎上し、飛龍は1隻だけ生き残って反撃したのち翌6日に沈みました。一方、アメリカ側が失った空母はヨークタウン1隻のみでした。

A. 1942年6月5〜7日(日本時間)に起きました。アメリカ側の日付では6月4〜7日にあたります。場所は太平洋上のミッドウェー島付近の海域です。

A. 1942年6月5日午前10時過ぎ、日本の空母が魚雷から爆弾へ兵装転換をしている最中に、アメリカの急降下爆撃機が来襲した約5分間を指す言葉です。甲板に散乱していた爆弾や燃料に引火し、わずか数分で赤城・加賀・蒼龍が炎上しました。なお近年の研究では「実際にきれいな5分間だったわけではない」という指摘もあり、やや脚色された伝説の面もあります。

A. この敗北で日本は主力空母4隻と多数の熟練パイロットを失い、太平洋での主導権(制空権・制海権)を失いました。以降は守勢に立たされ、同年8月からのガダルカナル島の戦いを経て、1945年の敗戦へと向かう流れが決定づけられました。だからミッドウェー海戦は「太平洋戦争の転換点」と呼ばれます。

A. 珊瑚海海戦(1942年5月)は史上初めて空母どうしが互いに見えない距離で戦った海戦で、勝敗はほぼ引き分けでした。一方ミッドウェー海戦(1942年6月)は日本が空母4隻を失った決定的な大敗で、太平洋戦争の転換点となりました。「珊瑚海=初の空母決戦/ミッドウェー=転換点の大敗」と覚えると区別しやすいです。

まとめ ミッドウェー海戦のポイント

ミッドウェー海戦のポイントまとめ
  • 1942年6月5日、太平洋のミッドウェー島付近で日米両海軍が激突した
  • 日本の敗因は3つ:暗号解読・二兎を追う作戦・運命の5分間
  • 日本は空母4隻(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を喪失し、太平洋での主導権を失った
  • この敗北が太平洋戦争の転換点となり、以降は日本が守勢に立たされた

もぐたろう
もぐたろう

以上、ミッドウェー海戦のまとめでした!「戦力では勝っていたのに、暗号解読と運命の5分間で負けた」——この流れをつかめれば完ぺきだよ。下の記事で太平洋戦争全体の流れや、真珠湾攻撃・ガダルカナルの戦いもあわせて読んでみてね!

ミッドウェー海戦の年表
  • 1941年12月
    真珠湾攻撃 — 太平洋戦争開戦
  • 1942年4月
    ドーリットル空襲 — 東京が初めて空襲される
  • 1942年5月
    珊瑚海海戦 — 史上初の空母決戦(ほぼ引き分け)
  • 1942年5月
    MI作戦発動命令 — ミッドウェー攻略作戦が決定
  • 1942年6月5日
    ミッドウェー海戦 開戦 — 日本空母機動部隊がミッドウェー島を攻撃
  • 1942年6月5日 午前10時過ぎ
    運命の5分間 — 兵装転換中に米急降下爆撃機が来襲。赤城・加賀・蒼龍が炎上
  • 1942年6月6日
    飛龍も沈没 — 日本の主力空母4隻全喪失が確定
  • 1942年8月〜
    ガダルカナルの戦い開始 — 太平洋の主導権が米軍へ

📅 最終確認:2026年6月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「ミッドウェー海戦」(2026年6月確認)
コトバンク「ミッドウェー海戦」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』(2022年版)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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