飛鳥時代(592〜710年)|聖徳太子・大化の改新・律令国家
飛鳥
飛鳥時代まとめ / 全記事一覧
飛鳥時代 / 592〜710年
飛鳥時代
聖徳太子の改革から、大化の改新・壬申の乱、大宝律令の完成まで。日本国家の骨格が一気に作られた激動の約120年。
592
推古天皇即位
645
大化の改新
701
大宝律令
592
推古天皇即位
603
冠位十二階
645
乙巳の変
672
壬申の乱
701
大宝律令
Phase I — 推古朝と聖徳太子の改革
592〜645年頃
592
603
制度改革
冠位十二階と十七条憲法 ─ 人材登用と役人の心得
603年に冠位十二階を制定し、家柄でなく能力で役人を登用する仕組みを整備。604年には十七条憲法を定め、天皇の命令に従い仏教を敬う役人の心構えを示しました。
▶ 深く読む
冠位十二階とは?聖徳太子が作った日本初の人材登用制度
徳・仁・礼・信・義・智の6徳目を大小2段階に分けた12階位。氏族ではなく個人の能力で登用する画期的な制度を解説。
607〜
外交
遣隋使の派遣 ─ 小野妹子が隋の文化・制度を持ち帰る
607年、小野妹子を隋(中国)に派遣。「日出づる処の天子…」で始まる国書で対等外交を主張しました。先進的な文化・制度を積極的に取り入れ、国家建設の手本としました。
▶ 深く読む
遣隋使とは?小野妹子が持ち帰ったもの
607年の派遣から始まる対隋外交。「日出づる処の天子」の国書はなぜ問題になったのか。外交と文化摂取の両面から解説。
Phase II — 大化の改新と壬申の乱
645〜672年
645
政変・改革
乙巳の変・大化の改新 ─ 蘇我氏打倒と新政の樹立
645年、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足が蘇我入鹿を宮中で暗殺(乙巳の変)。翌年「大化の改新」の詔を発し、公地公民制・班田収授法など律令国家の基盤となる改革を推進しました。
▶ 深く読む
乙巳の変とは?大化の改新との違いを簡単に解説
蘇我入鹿暗殺から始まった政治クーデター。「乙巳の変」と「大化の改新」は何が違う?混同しやすい2つの出来事をわかりやすく整理。
663
対外戦争
白村江の戦い ─ 百済救援に敗れ、防衛強化へ
百済(朝鮮半島)の救援のため出兵するも、唐・新羅連合軍に大敗。この敗北を機に、天智天皇は対馬・筑紫に防衛施設(水城・防人)を整備し、国内改革を加速させました。
▶ 深く読む
白村江の戦いとは?日本が大敗した理由と影響
663年、日本・百済連合軍 vs 唐・新羅連合軍。この敗戦が国内の律令整備を急がせた。敗因と国家への影響を解説。
672
内乱
壬申の乱 ─ 天武天皇が勝利し律令整備を本格化
天智天皇の死後、息子の大友皇子(弘文天皇)と弟の大海人皇子(天武天皇)が皇位をめぐって激突。大海人皇子が勝利して天武天皇として即位し、律令国家建設を本格的に推進しました。
▶ 深く読む
壬申の乱とは?天武天皇が勝った理由をわかりやすく
672年、日本最大の内乱。なぜ地方豪族の支持を集めた大海人皇子が近畿の貴族連合を破れたのか。乱の経緯と意義を解説。
Phase III — 律令国家の完成
672〜710年
694
701
法制整備
大宝律令の完成 ─ 「日本」という国名が定まる
701年、刑部親王・藤原不比等らが大宝律令を完成。律(刑法)と令(行政法)を備えた本格的な法典で、中央・地方の官制が整備されました。国号を「日本」、君主の称号を「天皇」と定めた記念碑的な法典です。
▶ 深く読む
大宝律令とは?律と令の違い・内容をわかりやすく解説
701年に完成した日本初の本格的法典。律=刑法、令=行政法。中央官制(二官八省)・地方官制(国郡里制)の仕組みと意義を解説。