今回は、高校日本史向けに飛鳥時代の年表をまとめてみました。
飛鳥時代の年表
年代 | 出来事 | 天皇 |
---|---|---|
592年 | 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位 | 崇峻天皇→推古天皇 |
603年 | 冠位十二階の制定 | 推古天皇 |
604年 | 憲法十七条の制定 | 推古天皇 |
607年 | 小野妹子ら、遣隋使派遣。 | 推古天皇 |
630年 | 犬上御田鍬ら、遣唐使派遣。 | 舒明天皇 |
645年 | 乙巳の変で蘇我氏が失脚。 大化の改新が始まる | 皇極天皇→孝徳天皇 |
646年 | 改新の詔が出される | 孝徳天皇 |
663年 | 白村江の戦い(日本敗北) | 天皇なし |
664年 | 九州に防人設置 | 天皇なし |
667年 | 近江大津宮へ遷都 | 天皇なし |
670年 | 庚午年籍の作成制定 | 天智天皇 |
672年 | 壬申の乱 | 天武天皇 |
684年 | 八草の姓の制定 | 天武天皇 |
689年 | 飛鳥浄御原令が施行 | 天皇なし |
690年 | 庚寅年藉の作成 | 持統天皇 |
694年 | 藤原京へ遷都 | 持統天皇 |
701年 | 大宝律令制定 | 文武天皇 |
708年 | 和同開珎が鋳造 | 元明天皇 |
710年 | 平城京遷都。奈良時代へ! | 元明天皇 |
飛鳥時代の流れ
飛鳥時代の流れは、時代を大きく3つに分けると理解しやすくなります。
ターニングポイントになるのは、乙巳の変と壬申の乱だよ!
蘇我氏が政治の中枢にいた時代(〜乙巳の変まで)
飛鳥時代の初期は、推古天皇と蘇我氏が協力しながら政権運営を担っていた時代でした。
・・・しかし、推古天皇が亡くなると、次第に蘇我氏の影響力を強くなります。
640年頃になると、蘇我蝦夷・入鹿が力を持つようになり、天皇を凌ぐとも言われる権力を手に入れました。
そこで、皇族の中大兄皇子は蘇我氏を暗殺を計画。
645年の乙巳の変で蘇我氏は暗殺され、天皇が権力を持つようになりました。
権力をめぐって皇族が争った時代【乙巳の変〜壬申の乱まで】
天皇が権力を持つようになると、皇族同士の権力争いが起こるようになります。
争いの中でも特に規模が大きかったのが672年に起きた壬申の乱でした。
672年に天智天皇が亡くなると、
天智天皇の子である大友皇子
天智天皇の弟である大海人皇子
の2人が次期天皇の座をめぐって激しい内乱(壬申の乱)を繰り広げ、大海人皇子が勝者となりました。
天皇が権力を掌握した時代【壬申の乱(672年)〜】
壬申の乱は、「古代史上最大の内乱」と呼ばれるほど大規模なものだったので、乱に勝利した大海人皇子は、結果として政敵を一掃することに成功しました。
大海人皇子は天武天皇として即位すると、邪魔者がいないメリットを活かして、政治改革を断行しました。
唐では天皇権力の下に民を法(律令)に従わせる律令制が栄えていたため、日本も「日本も律令制を採用すれば、唐みたいに強い国になれるはず!」と律令制の導入を目指しました。
天皇天皇は686年に亡くなりますが、政治改革はその後の天皇にも受け継がれ、飛鳥浄御原令の施行や藤原京への遷都、そして大宝律令の制定に繋がっていきます。
飛鳥時代のポイント
最後に、飛鳥時代の年表を覚える上で抑えておきたいポイントを2つ、紹介しておきます。
ポイント1:律令制の歩み
飛鳥時代後半は、律令制が少しずつ出来上がっていった時代。どんな歩みで律令制が作られていったのかを抑えておきましょう。
年代 | 出来事 | 天皇 |
---|---|---|
670年 | 日本初の全国規模の戸籍「庚午年籍」を作成。 誰がどこにいるか人民把握が可能になる。 | 天智天皇 |
684年 | 八草の姓の制定。 一族ごとに8つのランクを設けて上下関係をはっきりさせた。 | 天武天皇 |
689年 | 飛鳥浄御原令が施行。 律令のうち「令」がついに形になった。 | 天皇なし |
690年 | 庚寅年藉の作成。 戸籍をアップデートして最新版にした。 | 持統天皇 |
694年 | 藤原京へ遷都。 律令国家の唐をパクった新しい都をつくった | 持統天皇 |
701年 | 大宝律令制定 律令制の根幹となる律令がついに形になった。 | 文武天皇 |
ポイント2:外交・国際関係
飛鳥時代は、朝鮮半島や中国(隋・唐)と深い関わりがあった時代です。
朝鮮半島・中国の動きと日本の動きをセットで確認しておきましょう。
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