日本人なら知っておきたい!日本はいつ「日本」になったのか

私たちが住むここ日本。日本はいつ頃誕生したのでしょうか?

日本が「日本」という名で呼ばれるようになったのは、700年頃と言われています(具体的な時期は所説あるようです。)。「日本」の前は対外的には「倭国」と呼ばれていました。

日本が「日本」という国号になった経緯について簡単に紹介したいと思います。

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名付けの親、天武天皇

「日本」という国号を名付けたのは天武天皇と言われています。しかし、「日本」という国号になった時期が正確でないため、誰が名付けたかも断言できるには至っていないのが現状のようです。

ですが、天武天皇が深く関わっていたのは間違いありません。さて、天武天皇とは何者でしょうか?

天武天皇は壬申の乱の勝者

壬申の乱は,大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子による皇位継承者争いです。672年の出来事です。大海人皇子が勝利し乱は集結しました。

(壬申の乱については、現代日本の原点となった壬申の乱。なぜ壬申の乱は起こったのかをどうぞ)

当時の日本の状況と言えば,中央集権国家を作ろうと必死の状況でした。
なぜ、中央集権国家を目指したかというと,大国の隋や唐(今でいう中国)を真似ながら外敵に負けないような国を目指していたからです。

どうも日本はペリー来航までの間、鎖国をし続けていたという印象が強いですが全くそんなことはありません。
この当時は、朝鮮半島(当時は新羅・高句麗・百済という3国が争っている時代でした。)や隋・唐との交易も盛んで、日本も東アジアの国際政治の中の一員だったのです。

例えば、壬申乱の少し前の663年には、日本(当時は倭国)は百済を助けようと新羅を攻めに遠征に赴いていました。これを教科書では「白村江の戦い」とか言ったりしてます。当時、日本は百済と友好的でした。

しかし、日本は、新羅に敗北します。完敗でした。

(白村江の戦いについては、第2次世界大戦に次ぐ日本史上の大敗、白村江の戦いをどうぞ)

なので、「もし新羅がせめて来たらどうしよう・・・」とか思うわけですね。そして、外国から身を守るには国が一致団結しなければなりません。

中央集権化には1つの障壁がありました。当時は大和・河内地方(今でいう大阪・奈良辺り)の有力者たちが中央集権化に取り組んでいました。
ところがどうでしょう、取組んでいた有力者達自身は,既得権益があるため、中央集権化に反発していたのです。「おまえはいいけど俺は嫌だ」という訳です。なんというわがまま!

そこに大きくメスを入れたのが壬申の乱。

勝者の大海人皇子(後の天武天皇)は、敗者となり弱体化した有力者たちを排除していきます。壬申の乱に天武天皇が勝利したことにより日本はますます中央集権国家に向けて歩みだします。

そして、その到着点の1つが「日本」という国号なのです。

天皇をトップに置いた国を作る

天武天皇は天皇をトップとした国を目指していました。

そこで行われたのが、「古事記」の編纂です。
古事記編纂の目的は、神々を序列化し、天皇を天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫としてトップに位置づけることで、天皇の権威を高めることでした。

古事記を読むと「さすがに嘘だろ~」とか思いつつも、天武天皇の並々ならぬ熱意を感じずにはいられません。ちなみに編纂を終了した時には既に天武天皇はすでに亡くなっており、完成した古事記を見ることはありませんでした。

そして遂に、日本は天皇を君主とした新しい国となったということを内外部に知らしめるため、国号の改正に着手します。そこで名付けたのが「日本」という国号でした。

天武の信念

天武天皇の頃は、繰り返しですが、白村江への遠征などにより国際情勢がとてもひっ迫している状況でした。そのような状況の中で「日本」という国号が生まれます。

その後、国際情勢は次第に安定していき、894年には遂に外交施策が不要であると判断され、あの有名な遣唐使の派遣を廃止が決められます。

しかし、天武の信念は後世に受け継がれてい行きました。

元寇が襲来したときの「神風」という呼び名や、その後、後醍醐天皇による親政が開始されたこと。

江戸時代には、欧米の脅威に対抗するため尊王攘夷の動きが高まり、王政復古が実現したこと。

天武天皇の目指した自分(天孫)を求心力とし、国民を導いていくという理想は、天武天皇死後も,日本に計り知れない影響を与えているのです。

天武天皇なくして日本なしと言った感じでしょうか。

私は、日本史上、最も大きい影響力を持った人は誰かと問われれば、間違いなく天武天皇と答えます。

現代の日本がもつ天皇観の原型を造ったのも天武天皇です。

(詳しくは、天照大神はなぜ日本の最高神なのか?伊勢神宮と天武天皇をどうぞ)

まとめ

「日本」という国号は、ひっ迫した国際情勢の下、中央集権化を目指す天武天皇が命名したものでした。

そして、天武天皇の目指した天皇を求心力とした国の在り方は、現在では国の象徴と形を変え、1300年間続いているのです。

天武天皇は、今の日本を形成した最重要人物の1人と言っても過言ではないでしょう。

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