
今回は薔薇戦争(バラ戦争)について、原因・経過・結果をわかりやすく丁寧に解説していくよ!高校世界史の定期テスト・共通テスト対策にもバッチリ使えるから、ぜひ最後まで読んでみてね!
📚 この記事のレベル:高校世界史
📖 山川出版社『詳説世界史』準拠
🎯 共通テスト・大学受験対応
実は「薔薇戦争」という名前は、当時のイングランド人がつけたものではありません。赤バラと白バラが象徴として有名ですが、この呼び名が一般に定着したのは戦争から約350年後のこと——19世紀の歴史家や作家たちがロマンチックな命名をしたのです。でも、実態は30年に及ぶ凄惨な王家の権力争い。その壮絶な人間ドラマを、今回はわかりやすく解説していきます。
薔薇戦争とは?
① 1455〜1485年にイングランドで起きた、ランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)の王位継承争い。
② 百年戦争の敗戦と国内の混乱が主な原因。統治能力に乏しいヘンリー6世の時代に内乱が勃発。
③ ヘンリー7世(テューダー家)が1485年のボズワースの戦いで勝利し、テューダー朝を開いて戦争が終結した。
薔薇戦争(英語: Wars of the Roses)とは、1455年から1485年にかけてイングランドで起きた王位継承争いです。「バラ戦争」とも表記されますが、どちらも同じ出来事を指します。
争ったのは、ともにプランタジネット朝の血を引く2つの家。ランカスター家は赤バラを、ヨーク家は白バラを紋章としていたことから、この名がついたとされています。
ランカスター家(赤バラ):ヘンリー4世・5世・6世と続くプランタジネット系の傍流。ヘンリー6世の代に失政が相次ぐ。
ヨーク家(白バラ):エドワード4世・リチャード3世を擁するプランタジネット系の別流。力強いが短命な王朝となった。
実は「薔薇戦争」という呼び名自体が後世の産物です。当時の人々はこの内乱を「薔薇戦争」とは呼んでいませんでした。この名称が広まったのは、主に19世紀のウォルター・スコットら作家・文学者の著作を通じてとされています。赤バラ・白バラが対立の象徴として使われた場面も、実際には限定的だったと指摘されています。

え、「薔薇戦争」って当時の呼び名じゃないの?テストにはどう出るの?

テストには「薔薇戦争(バラ戦争)、1455〜1485年、ランカスター家vsヨーク家」が頻出!命名が後世のものという雑学は教養として知っておくと面白いけど、試験には直接出ないよ。でも「バラ戦争」という別名も記述問題で書けると加点チャンスだよ!
次の章では、なぜこの内乱が起きたのか、その背景と原因を見ていきましょう。
薔薇戦争の背景と原因

薔薇戦争が起きた最大の背景は、百年戦争(1337〜1453年)におけるイングランドの大敗北です。フランスとの長期戦によって国庫は空になり、フランス内の領土をほぼ全て失ったイングランドは、深刻な疲弊状態に陥りました。敗戦によって失地した貴族たちは王権への不満を募らせ、国内の政治的緊張は高まる一方でした。
さらに追い打ちをかけたのが、ヘンリー6世の統治能力の問題です。ランカスター朝第3代の国王として即位したヘンリー6世は、学問と信仰に熱心な一方で、政治的な判断力と軍事的な指導力に乏しいとされていました。1453年には一時的な精神的混乱(統治能力の喪失)が起き、これを機にヨーク公リチャードが摂政として権力を握り始めます。これがランカスター家とヨーク家の本格的な対立の火種となりました。

百年戦争でボロボロになったイングランドに、さらに内紛まで加わったんだ。今でいう、大赤字で倒産寸前の会社でお家騒動が起きたイメージだよ!しかも社長(ヘンリー6世)が経営能力ゼロで……これじゃ内乱が起きるのも無理はないね。
ランカスター家もヨーク家も、どちらも同じプランタジネット朝の血筋です。エドワード3世(在位1327〜1377年)の子孫たちが、時代を経てランカスター系とヨーク系に分岐しました。
つまり、どちらも「自分こそ正統な王位継承者だ」と主張できる根拠がありました。弱い王(ヘンリー6世)が統治する中で、ヨーク家は「我々こそ本来の王家だ」と権力奪取に動いたのです。これがいわば「同族内戦」の本質です。

同じ王家の中で争ったってこと?日本でいうと応仁の乱みたいな感じかしら?

まさにそのとおり!実は薔薇戦争(1455年〜)と応仁の乱(1467年〜)はほぼ同時代なんだ。イングランドでも日本でも、ほぼ同じ時期に「同族内での権力争い」が起きていたって、歴史の面白さを感じるよね!
では実際に、1455年に何が起きたのでしょうか。次の章では薔薇戦争の幕開けを見ていきます。
薔薇戦争の始まり——第一次戦争(1455〜1461年)

薔薇戦争の火ぶたが切られたのは、1455年5月のセント・オールバーンズの戦いです。ヨーク公リチャードが軍を率いてロンドンに向かい、王軍と衝突。ヨーク側が勝利してヘンリー6世を捕らえ、リチャードは再び摂政の地位を得ました。この戦いは数千人規模の衝突とされていますが、参加兵力の詳細については諸説あります。
しかしその後も争いは続きます。ランカスター側を実質的に率いたのは、ヘンリー6世の妃マーガレット(アンジューのマルグリット)でした。夫が戦場に立てない中、彼女は息子の王位継承権を守るべく懸命に戦いました。まさに「戦えない王に代わって国を守った女性」という、歴史の中でも印象的な人物です。
1460年にはウェイクフィールドの戦いでヨーク公リチャードが戦死。息子のエドワードが後を継ぎます。翌1461年、エドワードはタウトンの戦いでランカスター軍を圧倒し、ヘンリー6世を廃位してエドワード4世として即位。ここで一旦ヨーク家が優位に立ちます。

私は……戦が苦手で。政治の争いも、正直とてもつらいのです……。なぜ皆は争うのでしょうか……。

ヘンリー6世は芸術や宗教には深く傾倒した、繊細な人物だったんだ。でも王として求められるのは政治力・軍事力。その能力が不足していたことが、内乱を招いた皮肉な結果になったんだよ。「良い人が名君とは限らない」という歴史の教訓だね。
こうして1461年にヨーク家のエドワード4世が王座に就きましたが、戦いはこれで終わりではありませんでした。次の章では、エドワード4世の治世とその後の動乱を見ていきます。
エドワード4世の時代——ヨーク朝の最盛期
1461年に即位したエドワード4世は、長身で英雄的な外見を持ち、国内では比較的安定した統治を行ったとされています。ヨーク朝の最盛期を築いた人物です。しかし、その支持基盤を支えていた有力貴族ウォリック伯(「キングメーカー」とも呼ばれます)との関係が次第に悪化していきました。
1470年、ウォリック伯はランカスター側に寝返り、廃位されていたヘンリー6世を一時的に復位させます(いわゆる「ヘンリー6世の復位」)。エドワード4世はいったんブルゴーニュ公国(フランダース地方)に亡命しますが、1471年にイングランドに帰還。バーネットの戦いでウォリック伯を討ち取り、続くテュークスベリーの戦いでもランカスター軍を撃破します。マーガレット王妃も捕らえられ、ヘンリー6世もこの年に死亡したとされています(死因については諸説あります)。
こうして1471年以降、エドワード4世は再び王位を安定させ、1483年に病死するまでヨーク朝の最盛期を率いました。彼の治世はイングランドの商業発展と文化的な繁栄をもたらした時期とも評されています。

エドワード4世の時代ってどのくらい続いたの?テストでエドワード4世は出るの?

エドワード4世自体はテスト頻出ではないけど、「ヨーク朝の王」「テューダー朝成立への流れ」の中で登場するよ!注目すべきは、彼が1483年に突然亡くなったこと。その後に登場するリチャード3世こそがクライマックスの人物なんだ。次の章でじっくり解説するね!
エドワード4世の急死後、幼い息子たちを残していったことが、薔薇戦争最後の悲劇的な章を生み出すことになります。
リチャード3世——悪名高き王の真実
1483年、エドワード4世が急死すると、12歳の長男がエドワード5世として即位するはずでした。しかし、叔父のリチャード(グロスター公)が幼王とその弟をロンドン塔に幽閉し、自らがリチャード3世として即位します(1483年)。この「ロンドン塔の王子たち」がその後どうなったかは、現在も歴史的な謎のままです。2人は塔内で姿を消したとされていますが、真相については諸説あり、リチャード3世が直接関与したかどうかも未確認です。

俺が王になるのは必然だったのだ。何が悪い?……政治とはそういうものだ。後世が俺を「悪役」に描いたとしても、証拠なき批判など意に介さん。

リチャード3世って本当に悪い人だったの?シェイクスピアの作品で悪役として描かれているけど……。

シェイクスピアの「リチャード3世」は、実はテューダー朝(勝者側)のプロパガンダ的要素が強いと言われてるんだ。勝者が歴史を書く、ってやつだね。現代では「リチャード3世協会」なる団体が彼の名誉回復に取り組んでいて、再評価も進んでいるよ。実際の統治を見ると、法整備など一定の業績も残しているんだ。
「薔薇王の葬列」(漫画・アニメ)は、シェイクスピア「リチャード三世」などを原作として、薔薇戦争期のイングランドを舞台にした人間ドラマです。史実をベースにしつつも独自の解釈で描かれており、漫画・アニメきっかけで薔薇戦争を知った方も多いはず。
また、シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー六世」(三部作)「リチャード三世」は英文学の傑作として名高く、英語圏では薔薇戦争の「物語」として定着しています。BBCドラマ「ホワイト・クイーン」「ホワイト・プリンセス」なども薔薇戦争を題材にした近年の話題作です。
しかし、リチャード3世の治世は2年という短いものでした。ランカスター系の傍流・ヘンリー・テューダーが大陸から攻め込み、決定的な戦いが繰り広げられます。
テューダー朝の成立——ボズワースの戦いと戦争の終結

1485年、ランカスター系の傍流であったヘンリー・テューダーが、フランスで亡命生活を送った後にイングランドに上陸します。彼はウェールズ系の血筋を持ち、ランカスター家の遠縁にあたりました。
1485年8月22日、ボズワースの戦いでリチャード3世軍と激突します。ヘンリーの軍は数の上では劣勢でしたが、戦闘中にリチャード3世の部将であったスタンリー卿が寝返り、リチャード3世は戦場で討ち取られます。イングランドの王が戦場で命を落としたのは、このリチャード3世が最後とされています(諸説あり)。

こうして30年にわたる薔薇戦争は終結し、ヘンリー7世として即位したヘンリー・テューダーが絶対王政の礎を築くテューダー朝を開きます。プランタジネット朝は、これをもって終焉を迎えました。

ヨーク家の娘エリザベスと結婚することで、両家の争いに永久に終止符を打ったんだ。政略結婚こそ最強の外交術!赤バラ(ランカスター)と白バラ(ヨーク)をひとつに合わせた「テューダー・ローズ」が、我が王朝の象徴だ!

テューダー・ローズって、赤バラ(ランカスター)と白バラ(ヨーク)を組み合わせた紋章のことだよ。「ライバル同士が融合した」という統一の象徴として今もイングランドの国花になっているんだ!ヘンリー7世が戦場での勝利だけでなく「政略結婚」という知恵まで使って完全な王朝統一を図ったのが、のちの絶対王政への道を開いたんだよ。
テューダー朝成立後、ヘンリー7世の息子ヘンリー8世は国教会を創設し、孫のエリザベス1世は大英帝国の礎を築きます。薔薇戦争はまさに「近代イングランド」への出発点となった歴史的事件でした。次の章では、薔薇戦争がイングランド史に与えた影響を詳しく見ていきます。
薔薇戦争がイングランド史に与えた影響
30年にわたる薔薇戦争は、単なる王家の争いではありませんでした。この内乱はイングランドの社会構造そのものを大きく変えた歴史的事件です。その影響は、テューダー朝の絶対王政から現代のイギリス議会制度にいたるまで幅広く及んでいます。
まず最大の変化として、有力貴族(封建諸侯)の勢力が著しく弱まったことが挙げられます。30年の戦争を通じて多くの有力貴族が戦場で命を落とし、あるいは処刑されました。貴族の数が激減したことで、王権に対抗できる勢力が消滅し、ヘンリー7世は強力な中央集権的統治を行いやすくなったのです。
次に、テューダー朝の絶対王政への道が開かれました。ヘンリー7世は星室庁(スター・チェンバー)を整備して反抗的な貴族を抑え込み、強力な王権を確立します。この流れが、息子ヘンリー8世の国教会創設(宗教改革)、孫のエリザベス1世のいわゆる「黄金時代」へと続いていきます。

薔薇戦争のあと、イングランドはどうなったの?エリザベス1世とかヘンリー8世って関係あるの?

バッチリつながるよ!ヘンリー7世(テューダー朝初代・薔薇戦争終結)→ヘンリー8世(国教会創設)→エリザベス1世(大英帝国の礎)という流れ。薔薇戦争はその出発点なんだ!「絶対王政の幕開け」としてテストにも論述でよく問われるよ。
薔薇戦争(1455〜1485年)とほぼ同時期の日本では、応仁の乱(1467〜1477年)が勃発していました。イングランドでは王家が二分し、日本では足利将軍家の後継争いが勃発——どちらも「同族内での権力争いが国を揺るがした」という点で驚くほど似ています。薔薇戦争はプランタジネット朝の終焉を招き、応仁の乱は室町幕府の実権失墜を招きました。世界の各地でほぼ同じ時代に、似たような歴史が起きていたのは興味深いですね。
🌍 現代のイギリスとのつながり:薔薇戦争後に強化されたイングランド王権は、その後の「権利章典(1689年)」「名誉革命」などを経て現代の立憲君主制・議会制民主主義へと発展します。「薔薇戦争→絶対王政→議会との対立→名誉革命→現代議会」という大きな流れの起点として、薔薇戦争の位置づけを理解しておきましょう。
このように薔薇戦争は、イングランドを中世封建社会から近代絶対王政へと転換させるきっかけとなった、まさに「歴史の転換点」でした。次の章では、試験で必ず押さえておきたいポイントを整理します。
薔薇戦争についてもっと詳しく知りたい人へ

薔薇戦争をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を3冊紹介するよ!テスト対策から人物ドラマ、マンガまで、自分のスタイルに合った1冊を選んでね。
2019年にイースト・プレスから出た、日本語で書かれた数少ない薔薇戦争の通史です。著者の陶山昇平さんは東京大学法学部を出てオックスフォード大学で修士号を取った研究者で、ランカスター家とヨーク家の系譜からボズワースの戦いまでを約320ページで追いかけます。人物ごとに章立てされているので、記事で出てきたヘンリー6世やウォリック伯を1人ずつ確認していく読み方ができます。
薔薇戦争の流れを1冊で通して押さえたい人。まずは手に入りやすい元版から読み始めたい人。
リチャード3世の遺骨発見など最新の研究成果まで知りたい人。その場合は次に紹介する新版のほうが適しています。
上で紹介した『薔薇戦争』を2025年に大幅加筆した新版です。2012年にレスターの駐車場跡から見つかったリチャード3世の遺骨の発掘と改葬をめぐるエピソード、そして「ロンドン塔の王子たち」に関する最新の説が新たに書き加えられています。この記事で「諸説あり」と書いた部分がいま研究者のあいだでどう議論されているのかを知りたいなら、こちらです。
リチャード3世の実像や王子たち失踪事件の最新研究まで踏み込みたい人。薔薇戦争の本を1冊だけ買うならこれ、という人。
とにかく短時間で結論だけ知りたい人。読み応えがある分、テスト前日の速習には向きません。
シェイクスピアの史劇『リチャード三世』などを原作に、ヨーク家の三男リチャードを主人公として薔薇戦争期を描いた漫画です(秋田書店・プリンセスコミックス/2014年〜)。アニメ化もされました。史実そのままではなく独自の解釈を大きく含むダークファンタジーですが、登場人物の関係と時代の空気をつかむ入口としては強力です。
人物名がなかなか頭に入らない人。物語から入って世界史に興味を持ちたい人。
史実だけを正確に押さえたい人。作品独自の設定が多いので、試験対策には上の2冊と併読してください。
テストに出るポイント
ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。
📌 暗記のコツ:「ランカスター(ラ)=赤(R)」「ヨーク(ヨ)=白(白)」と頭文字で整理。テューダー朝はランカスター系の傍流なので「最終的に赤バラ側が勝ち」と覚えると混乱しない。ボズワースの戦い(1485年)は「絶対王政の幕開け」「プランタジネット朝の終焉」の2つの意味でセット暗記しておくと論述で使いやすい。

薔薇戦争で一番試験に出やすいところってどこ?

ズバリ「テューダー朝の成立(1485年・ヘンリー7世)+ランカスター家(赤バラ)vsヨーク家(白バラ)の色の対応」の2点!ここは確実に覚えておこう!記述・論述問題では「貴族の没落→王権強化→絶対王政の前提」という因果関係を書けると高得点が狙えるよ!
よくある質問
薔薇戦争(バラ戦争・英: Wars of the Roses)とは、1455年から1485年にかけてイングランドで起きた王位継承をめぐる内乱です。プランタジネット朝の傍流であるランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)が約30年にわたって王位を争いました。最終的にはランカスター系傍流のヘンリー7世(テューダー家)がボズワースの戦い(1485年)で勝利し、テューダー朝を開いて戦争が終結しました。
ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラを家の紋章として使っていたことに由来します。ただし、「薔薇戦争」という呼び名が定着したのは当時ではなく、後世のことです。シェイクスピアの歴史劇(「ヘンリー六世」など)でこの対比が描かれ、さらに19世紀のスコットランドの作家ウォルター・スコットらが「薔薇戦争」と命名・普及させたとされています。当時の人々は「薔薇戦争」とは呼んでいませんでした。
最終的にはランカスター系の傍流であるヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)が勝利しました。ただし、「どちらが勝ったか」という問いは少し複雑です。ヨーク家のエリザベスと結婚することで両家を統合しており、純粋にランカスター家が勝ったとも言い切れません。赤バラ(ランカスター)と白バラ(ヨーク)を合わせた「テューダー・ローズ」が新王朝の象徴となり、両家の融合という形で戦争は終結しました。
1485年8月22日のボズワースの戦いをもって実質的な終結とされています。この戦いでヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)がリチャード3世を倒し、テューダー朝を開きました。なお、その翌年の1486年にヘンリー7世がヨーク家のエリザベスと結婚し、両家の統合が完成しました(テューダー・ローズ誕生)。
ヘンリー6世はランカスター朝(赤バラ側)の王で、薔薇戦争の引き金となった統治能力不足の国王です。リチャード3世はヨーク朝(白バラ側)の最後の王で、戦争終盤のクライマックスを演じた人物です。2人は直接的な血縁関係にはなく、対立する家に属していました。時系列では、ヘンリー6世が1471年に死亡した後、ヨーク家のエドワード4世が統治し、その急死後にリチャード3世が即位(1483年)しています。
いくつかの要因が重なりました。まず、長年の戦争で有力貴族が激減し、新興勢力であるヘンリー7世に対抗できる旧貴族がほとんど残っていなかったことが挙げられます。次に、ヘンリー7世がヨーク家のエリザベスと結婚して両家を統合したことで、残存する反乱勢力の大義名分が失われました。また、イングランドの民衆が長年の内乱に疲れ果てており、安定した統治を望む空気があったことも大きな要因です。これらが重なり、テューダー朝は比較的スムーズに支配基盤を確立することができました。
共通テスト・定期テストでは主に以下の形式で出題されます。①「薔薇戦争(1455〜1485年)でヨーク家vsランカスター家が争った」という基本知識の選択問題。②「テューダー朝を開いた人物名(ヘンリー7世)」の記述問題。③論述問題では「絶対王政成立の背景」として薔薇戦争での貴族没落→王権強化という因果関係を説明させる問題が頻出です。「バラ戦争」「Wars of the Roses」などの表記ゆれも押さえておきましょう。
まとめ
薔薇戦争(1455〜1485年)は、ランカスター家(赤バラ)とヨーク家(白バラ)が約30年にわたって王位を争ったイングランドの内乱です。百年戦争で疲弊した国内において、ヘンリー6世の統治能力不足が引き金となり始まりました。第一次戦争ではヨーク家が優勢となりエドワード4世が即位。その後もランカスター側の抵抗が続きましたが、最終的には1485年のボズワースの戦いでヘンリー7世(テューダー家)がリチャード3世を倒し、テューダー朝を開いて幕を閉じました。
この30年の権力争いを経てイングランドは大きく変わりました。有力貴族の没落により王権が強化され、テューダー朝の絶対王政へと移行する基盤が整いました。ヘンリー8世の宗教改革、エリザベス1世の大英帝国形成——その起点となったのが、この薔薇戦争だったのです。
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1453年百年戦争終結・ヘンリー6世の精神的不安定が表面化。ランカスター朝の権威失墜
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1455年第一次セント・オールバーンズの戦い。薔薇戦争の開始
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1461年エドワード4世即位・ヨーク朝成立。ヘンリー6世廃位
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1470年ヘンリー6世一時復位。ウォリック伯(キングメーカー)の反乱
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1471年バーネットの戦いでウォリック伯戦死。テュークスベリーの戦いでランカスター軍撃破。ヘンリー6世死亡
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1483年エドワード4世急死。リチャード3世即位。ロンドン塔の王子たち(伝承)
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1485年ボズワースの戦い。リチャード3世戦死・ヘンリー7世即位・テューダー朝成立。薔薇戦争終結
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1486年ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの結婚。テューダー・ローズ誕生(両家の統合完成)

以上、薔薇戦争のまとめでした!テューダー朝以降のイギリス史(ヘンリー8世・エリザベス1世・スペイン無敵艦隊)も一緒に読んでみてね!
📅 最終確認:2026年7月
📖 本記事は山川出版社『詳説世界史』(改訂版)に基づいています。高校世界史・共通テスト対応。
Wikipedia日本語版「薔薇戦争」(2026年7月確認)
コトバンク「バラ戦争」(ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書)(2026年7月確認)
Wikipedia英語版「Wars of the Roses」(2026年7月確認)
山川出版社『詳説世界史』(改訂版)
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