
飛鳥時代といえば「聖徳太子とお寺」のイメージがあるかもしれません。でも実は、天皇暗殺・宮中クーデター・日本を二分した大内乱と、日本史上もっとも血なまぐさい政争が続いた120年でもあったのです。
その激動の末に生まれたのが、「天皇を頂点とする律令国家・日本」という私たちの国のかたちです。

今回は、飛鳥時代について、出来事・人物・文化をわかりやすく丁寧に解説していくよ!
youtube解説もしています。読むのが面倒な人は動画がオススメ◎
飛鳥時代とは?
飛鳥時代とは、592年から710年までの約120年間続いた時代のことです。飛鳥地方(現在の奈良県明日香村)に都が置かれていたことから「飛鳥時代」と呼ばれています。
飛鳥時代を一言でまとめると、「各地の豪族たちが協力して治めていた国が、天皇を中心とする国へと大きく生まれ変わった時代」です。

「豪族の協力体制」から「天皇中心の国」に変わるって、なんだかすごく大きな変化ね。具体的にはどんなことが起きたのかしら?

政治改革・暗殺事件・対外戦争・大内乱と、飛鳥時代は激動の連続だったんだ。それぞれ詳しく解説していくね。
古墳時代のおさらい
飛鳥時代の話に入る前に、まずは前の時代である古墳時代のおさらいをしておきましょう。

■ヤマト政権と大王
古墳時代の日本では、大和地方(奈良県周辺)の豪族たちが協力しながら政治を行っていました。

豪族っていうのは、各地の有力者のこと。今でいう地方の大企業の社長さんみたいなイメージだよ!
この豪族たちの協力体制のことをヤマト政権と言います。
ただ、みんなで協力して国を治めるのは簡単ではありません。意見が対立すれば何も決められなくなったり、武力闘争に発展する危険もあります。
そのため、豪族たちの中でも特に力を持つ人物がリーダーとなって政権をまとめていました。このリーダーのことを大王と言います。
※ヤマト政権の勢力は古墳時代末期には九州から東北地方南部にまで及んでいました。
■物部氏と蘇我氏の台頭
大王を中心にヤマト政権が安定してくると、豪族たちの間で権力争いが起こるようになりました。
古墳時代の末期、特に力を持つようになったのが次の2つの一族です。
物部氏・・・ヤマト政権の軍事を担当

蘇我氏・・・ヤマト政権の財政を担当

587年、この2つの一族は大陸から伝わった仏教の信仰をめぐって武力衝突を起こします。(丁未の乱)
この争いは蘇我氏の勝利に終わり、ヤマト政権の財政を握る蘇我氏が大王に次ぐ強大な力を持つようになりました。
蘇我氏が権力を握ると、592年には蘇我馬子の意向によって崇峻天皇が暗殺されてしまいます。
そして593年、新たに推古天皇が即位。蘇我氏が推古天皇を支える形で新しい政治がスタートしました。
こうして始まったのが飛鳥時代です。

推古天皇の時代〜政治改革の始まり
■隋の統一と改革の必要性
飛鳥時代が始まった頃、お隣の中国で大きな出来事が起こっていました。
581年に隋が建国され、長く分裂していた中国を統一して超大国になったのです。
となりにめちゃくちゃデカい国ができたヤマト政権は、焦りを感じるようになります。

日本をしっかり統治しないと、隋にやられてしまうかもしれん・・・。
ヤマト政権はもともと「豪族たちが協力して日本を治めよう」という形で作られたものなので、大王が統治するための政治システムが整っていなかったのです。
この矛盾は、大王の立場を不安定にする原因にもなっていました。500年代前半には磐井氏が新羅と組んで大反乱(磐井の乱)を起こし、592年には崇峻天皇の暗殺という大事件が起きたのも、この不安定な政治システムが一因です。

グダグダな統治のままだと、隋に付け入る隙を与えることになりかねない。大王が豪族たちをしっかり統治できるよう、政治を改革しよう!!
こうして推古天皇の時代、大がかりな政治改革が始まりました。
■冠位十二階と十七条憲法
改革を進めたのは、次の3人でした。
蘇我馬子
厩戸王(別名:聖徳太子)・・・推古天皇の甥にあたる皇族
この3人が協力して、次のような改革を行いました。
まず、ヤマト政権が直接人材を登用してランク付けする冠位十二階を定めました。
さらに、ヤマト政権で働く官僚たちが守るべき17の心構えを十七条憲法に定めました。

冠位十二階は今でいう「会社の人事制度」、十七条憲法は「社員の行動規範」みたいなイメージだよ!
古墳時代まで、ヤマト政権は豪族たちを氏姓制度によって支配していましたが、豪族の下で生活している一人一人の個人までは支配下に置けていませんでした。
そのためヤマト政権で働く官僚は、豪族が選んで送り込んでくる「派遣職員」みたいな感じでした。豪族をスルーして直接官僚に心構えを示したりランク付けする冠位十二階・十七条憲法は、当時としてはとても革新的な改革だったのです。
■遣隋使の派遣
さらにヤマト政権は、政治改革の参考とするために隋に使節団を派遣し、隋の文化・政治制度を学んで日本に取り入れる試みも始めました。
この隋に送られた使節団のことを遣隋使と言います。

飛鳥時代に入ると「大王」から「天皇」に呼び方が変わるって聞いたけど、なぜかしら?

「天皇」という呼び名がいつから使われ始めたかには諸説があるけど、飛鳥時代の途中から使われるようになったと考えられているよ。この記事でも、飛鳥時代以降は「天皇」という表現を使っていくね!

聖徳太子は、「10人の話を同時に聞き分けた」という伝説で有名な人物で、本名は厩戸皇子と言います。
民衆からとても人気があり、さまざまな伝説が残されていますが、一方で伝説が美化されすぎていて、信ぴょう性のある記録がほとんど残っていないのが現実です。

あまりにもわからないことが多すぎるので、最近では「厩戸皇子と聖徳太子は別物だ」とか「聖徳太子は実在しなかった!?」なんて説もあるんだよ。
蘇我氏の横暴と大化の改新
■蘇我蝦夷・入鹿の暴走
推古天皇の時代に始まった政治改革には、1つ大きな欠陥がありました。
それは、蘇我氏にだけは改革のメスを入れることができなかったという点です。
蘇我氏は改革の内容を決める側だったので、自分に不利な改革を受け入れなかったのです。そのため蘇我氏は改革後もヤマト政権の財政を握り続け、天皇に引けを取らないほどの力を持ち続けました。
推古天皇の時代(593年〜628年)はまだマシでしたが、推古天皇と厩戸王が相次いで亡くなり、蘇我馬子の子・孫の世代(蘇我蝦夷・蘇我入鹿)になると、ストッパーが誰もいなくなりました。
蘇我蝦夷・入鹿は豪華絢爛な家に住み、部下に命令だけして朝廷にも顔を出さなくなるなど、まるで自らが天皇であるかのような振る舞いを見せるようになったのです。
さらには蘇我入鹿が、聖徳太子の子である山背大兄王の一族を滅ぼしてしまうという暴挙にまで出ました。
■乙巳の変(645年)
こうした蘇我氏の横暴を食い止めようと立ち上がったのが、皇族の中大兄皇子でした。

改革を断行するには蘇我氏をなんとかしなければならぬ。
・・・が、今となっては蘇我氏の暴走を止めることは不可能だ。蘇我氏を暗殺して消すほかあるまい・・・。
645年、中大兄皇子は中臣鎌足という協力者を得て、蘇我入鹿を宮中で暗殺。蘇我蝦夷も翌日に自害に追い込まれました。
この暗殺事件のことを乙巳の変と言います。

■大化の改新の内容
邪魔者が消えると、改革が再び本格化します。乙巳の変の後に行われた一連の改革のことを大化の改新と言います。

大化の改新は、今でいう「明治維新」みたいなもので、国の仕組みを根本から作り替えようとする大改革だったんだ。
大化の改新の大きな柱は、全国の民と土地を天皇(国)が直接管理して、そこに税を課すというものでした。
これを公地公民と言います。それまで豪族が支配していた民や土地を、すべて国のものにしようとしたのです。
しかし、規模の大きな改革だっただけに、力を削がれる豪族たちの反発も強く、改革は思うようには進みませんでした。
乙巳の変で活躍した中臣鎌足は、その後も中大兄皇子の側近として活躍し続けました。
その功績が評価されて、死の直前に中大兄皇子から「藤原」の姓を授かりました。

奈良時代以降にたくさん登場する藤原氏は、実はそのほとんどが中臣鎌足をルーツとしているんだよ。
白村江の戦いと国防強化
■日本の参戦と大敗(663年)
663年、飛鳥時代の歴史を大きく動かす事件が起こります。
日本が百済と組んで、新羅・唐の連合軍と朝鮮半島で戦い、大敗してしまったのです。この戦いを白村江の戦いと言います。
ことの発端は、日本と友好関係にあった百済が新羅・唐の連合軍に攻め込まれて滅亡の危機に陥ったことでした。百済からの救援要請を受けて、日本は援軍を派遣したのです。

日本は、百済が滅んで朝鮮半島との交流が途絶えてしまうことを恐れたんだ。でも結果は日本・百済の惨敗だったんだよ・・・。
■敗戦後の国防体制
戦争に敗れた日本は、新羅・唐による報復攻撃を恐れて本土の防衛強化を始めました。
九州北部に水城や大野城などの城を築き、全国各地から兵を集めて九州の警備にあたらせました。この警備任務にあたった人たちのことを防人と言います。

防人っていうのは、今でいう「国境警備隊」みたいなものだね。東国から遠い九州まで行かされて、とても過酷な任務だったんだ。
さらにヤマト政権は、戦争や国防を理由にして民・土地の支配を強めながら改革を推し進めました。
白村江の戦いの後、中大兄皇子は新羅・唐が攻めてきた時に都を守りやすいように、飛鳥地方から山に囲まれた近江宮(現在の滋賀県大津市)へと遷都しました。
しかしこの遷都は飛鳥に住む人々の大反対を招き、民衆にも重い負担を課すこととなって、大ブーイングが巻き起こりました。この不満が、後の壬申の乱の一因となっていきます。
668年、皇太子だった中大兄皇子が天智天皇として即位しました。

壬申の乱〜日本を二分した大内乱
672年、天智天皇が亡くなると、皇位継承をめぐる大内乱が勃発します。
対立したのは次の2人でした。
天智天皇の息子:大友皇子
天智天皇の弟:大海人皇子
天智天皇の死後、朝廷を率いていた大友皇子に対し、吉野に退いていた大海人皇子が反旗を翻して挙兵しました。
大海人皇子の軍は近江宮めがけて進軍し、ついに大友皇子を討ち取りました。
この大友皇子と大海人皇子による内乱のことを壬申の乱(672年)と言います。

大海人皇子が勝てた理由のひとつは、白村江の戦い後の国防政策に多くの人が不満を抱いていたこと。大海人皇子が挙兵すると、朝廷に不満を持つ人たちが続々と集まってきたんだ。
壬申の乱に勝利した大海人皇子は、天武天皇として即位しました。
天武天皇・持統天皇の治世

■天武天皇の大改革
それまでの改革は、豪族たちの根強い反対で思うように進みませんでした。
しかし天武天皇の時代になると、改革は一気に加速します。

どうして天武天皇の時代には改革が進んだの?

壬申の乱で天武天皇に逆らう勢力が一掃されたからだよ。壬申の乱は、結果的に改革の障壁を取り除いてくれたんだ。
天武天皇は以下のような大改革に着手しました。
改革①:民を統治するための法令の制定に着手
改革②:天皇を中心とする国にふさわしい首都の建設
改革③:八色の姓による新しい身分制度
※八色の姓は、天皇を頂点として豪族たちに8段階の姓(かばね)を与えて序列化する制度です。古い氏姓制度を天皇中心の秩序に再編する狙いがありました。
■飛鳥浄御原令と藤原京
686年に天武天皇が亡くなると、皇后が持統天皇として即位し、天武天皇の改革を受け継ぎました。
689年:飛鳥浄御原令を施行(天武天皇が編纂を開始した法令)
694年:新しい都「藤原京」へ遷都


藤原京は、中国の都城制にならった日本で最初の本格的な都城だよ。今でいう「計画都市」のようなもので、碁盤の目のように整然と区画された大きな都だったんだ。
■大宝律令の完成と飛鳥時代の終わり
701年、飛鳥浄御原令をさらにバージョンアップした大宝律令が完成しました。
大宝律令は国の統治の基本となる法律と行政の仕組みを定めた法典で、今でいう「憲法+法律+省庁の設置法」が一体化したようなものです。
こうして日本は、豪族たちの協力体制から天皇を中心とした律令国家へと大きな変貌を遂げました。
710年には都が平城京に遷されます。平城京への遷都を区切りに、時代も飛鳥時代から奈良時代へと移り変わりました。
飛鳥時代の文化
飛鳥時代には、大きく分けて2つの文化が花開きました。
■飛鳥文化(7世紀前半)
飛鳥文化は、推古天皇の時代(6世紀末〜7世紀前半)に栄えた文化で、日本で最初の仏教文化です。

仏教が伝来したことで、それまでの日本にはなかった寺院建築や仏像彫刻が一気に広まったんだ。中国の南北朝時代や朝鮮半島の影響を強く受けているのが特徴だよ。
飛鳥文化の代表的な作品・建造物をまとめると以下のとおりです。
建造物
法隆寺・・・聖徳太子が建立したとされる寺院。現存する世界最古の木造建築として世界遺産に登録されています。
四天王寺・・・聖徳太子が建立したとされる寺院(大阪市)。日本最古の官寺とも言われています。
仏像・美術工芸品
法隆寺金堂釈迦三尊像・・・鞍作止利の作。左右対称で厳かな雰囲気が特徴です。

法隆寺百済観音像・・・すらりとした美しいプロポーションで知られる仏像です。

法隆寺玉虫厨子・・・タマムシの羽を装飾に使った仏具。精巧な細工が施された美術工芸品です。

中宮寺半跏思惟像・・・片足を組んで物思いにふける姿の美しい仏像です。

広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像・・・京都・広隆寺に安置されている、国宝第一号として知られる仏像です。


飛鳥文化の仏像って、なんだか独特の微笑みを浮かべているイメージがあるんだけど・・・

それは「アルカイック・スマイル」と呼ばれる表現だよ。中国の北魏様式の影響を受けたもので、釈迦三尊像にもこの特徴が見られるんだ。飛鳥文化の仏像を見分けるポイントだね!
■白鳳文化(7世紀後半〜8世紀初め)
白鳳文化は、天武天皇・持統天皇の時代(7世紀後半〜8世紀初め)に栄えた文化です。
飛鳥文化と同じく仏教文化ですが、唐(初唐)の影響が強くなり、より写実的で豊かな表現が特徴となりました。

飛鳥文化の仏像が「厳かで神秘的」なイメージだとすると、白鳳文化は「人間味があって生き生きとした」イメージだね。遣隋使・遣唐使を通じて唐の最新文化が入ってきた影響が大きいんだ。
白鳳文化の代表的な作品・建造物は以下のとおりです。
薬師寺東塔・・・奈良・薬師寺に現存する白鳳文化を代表する建築。「凍れる音楽」と称される美しい三重塔です。

薬師寺金堂薬師三尊像・・・写実的で柔らかな表現が特徴の白鳳文化を代表する仏像です。

興福寺仏頭・・・もともと山田寺の本尊だった仏像の頭部。白鳳文化の穏やかな表情が特徴です。

高松塚古墳壁画・・・奈良県明日香村で発見された、極彩色の壁画。中国・朝鮮半島の影響を強く受けた美しい女性群像が描かれています。

キトラ古墳壁画・・・高松塚古墳の近くで発見された壁画。四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)や天文図が描かれています。

飛鳥時代の主要人物
飛鳥時代に活躍した主要人物を時代順にまとめておきます。
推古天皇の時代
推古天皇・・・日本初の女性天皇。蘇我馬子・厩戸王と協力して政治改革を推進しました。
蘇我馬子・・・蘇我氏の当主。推古天皇の時代に大臣として政治改革を主導しました。
厩戸王(聖徳太子)・・・推古天皇の甥。冠位十二階・十七条憲法の制定、遣隋使の派遣に関わりました。
大化の改新の時代
中大兄皇子(天智天皇)・・・乙巳の変で蘇我氏を打倒。大化の改新を主導し、後に天智天皇として即位しました。
中臣鎌足・・・中大兄皇子の協力者。乙巳の変で活躍し、後に「藤原」の姓を授かりました(藤原氏の祖)。
蘇我蝦夷・蘇我入鹿・・・蘇我馬子の子・孫。天皇をしのぐ横暴を行い、乙巳の変で倒されました。
壬申の乱〜律令国家の完成
大海人皇子(天武天皇)・・・壬申の乱に勝利して即位。律令制定・藤原京建設など大改革を推進しました。
大友皇子・・・天智天皇の息子。壬申の乱で大海人皇子に敗れました(後に弘文天皇と追号)。
持統天皇・・・天武天皇の皇后。天武天皇の死後に即位し、飛鳥浄御原令の施行・藤原京への遷都を実現しました。
テストに出るポイント&覚え方

飛鳥時代でテストによく出るポイントをまとめておくよ!
超重要キーワード
冠位十二階(603年)・・・個人の才能に基づく官僚の位階制度
十七条憲法(604年)・・・官僚の心構えを示した法令
乙巳の変(645年)・・・中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒した暗殺事件
大化の改新(645年〜)・・・乙巳の変後に行われた一連の政治改革。公地公民が柱
白村江の戦い(663年)・・・日本+百済 vs 新羅+唐。日本の大敗
壬申の乱(672年)・・・大友皇子 vs 大海人皇子。大海人皇子が勝利→天武天皇
大宝律令(701年)・・・律令国家の基本法典
混同しやすいポイント
乙巳の変 vs 大化の改新・・・「乙巳の変」は蘇我氏を倒した暗殺事件。「大化の改新」はその後に行われた政治改革全体のこと。この2つは別物です!
飛鳥文化 vs 白鳳文化・・・飛鳥文化は推古天皇の時代(7世紀前半)で中国南北朝の影響。白鳳文化は天武・持統の時代(7世紀後半〜)で唐の影響。時代と影響元がポイント!
よくある質問
飛鳥時代は592年から710年までの約120年間です。592年に推古天皇が即位したことに始まり、710年に平城京に遷都されたことで奈良時代に移行しました。
飛鳥は現在の奈良県高市郡明日香村にあたる地域です。飛鳥時代にはこの周辺に天皇の宮殿(飛鳥板蓋宮、飛鳥浄御原宮など)が置かれていました。
710年に都が飛鳥地方から平城京(現在の奈良市)に遷されたことで、飛鳥時代は終わりを迎えました。大宝律令の完成(701年)により律令国家の仕組みが整い、より大きな都が必要になったためです。
乙巳の変は、645年に中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿を倒した暗殺事件のことです。大化の改新は、乙巳の変の後に行われた公地公民などの政治改革全体を指します。つまり、乙巳の変は大化の改新のきっかけとなった事件です。
飛鳥文化は推古天皇の時代(7世紀前半)に栄えた日本最初の仏教文化で、中国の南北朝・朝鮮半島の影響が強いのが特徴です。白鳳文化は天武・持統天皇の時代(7世紀後半〜8世紀初め)に栄えた文化で、唐(初唐)の影響が強く、より写実的で豊かな表現が特徴です。
まとめ
- 587年丁未の乱:蘇我氏が物部氏を滅ぼす
- 592年崇峻天皇暗殺。翌年、推古天皇が即位(飛鳥時代の始まり)
- 603年冠位十二階の制定
- 604年十七条憲法の制定
- 607年小野妹子を遣隋使として派遣
- 645年乙巳の変:中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒す
- 645年〜大化の改新:公地公民を柱とする政治改革
- 663年白村江の戦い:日本・百済が新羅・唐に大敗
- 668年中大兄皇子が天智天皇として即位
- 672年壬申の乱:大海人皇子が勝利し天武天皇として即位
- 689年飛鳥浄御原令の施行
- 694年藤原京に遷都
- 701年大宝律令の完成
- 710年平城京に遷都(飛鳥時代の終わり)

以上、飛鳥時代のまとめでした!飛鳥時代は「豪族の協力体制」から「天皇中心の律令国家」へと日本が大きく生まれ変わった時代だったんだ。
飛鳥時代の次は奈良時代。飛鳥時代に作られた律令国家の仕組みがどう運用されたのか、ぜひ読んでみてね!
飛鳥時代をもっと深く知りたい方へ

飛鳥時代にハマったら、ぜひこの本・漫画もチェックしてみてね!
笹山晴生ほか著『詳説日本史B』(山川出版社)
Wikipedia日本語版「飛鳥時代」「飛鳥文化」「白鳳文化」「大化の改新」「壬申の乱」「白村江の戦い」
コトバンク「飛鳥時代」「飛鳥文化」「白鳳文化」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典)
📚 飛鳥・奈良時代の記事をもっと読む → 飛鳥・奈良時代の記事一覧を見る









