学問のすすめの原文と現代語訳を全文でわかりやすく解説【天は人の上に人を造らず・初編】

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学問のすすめ
もぐたろう
もぐたろう

今回は、学問のすすめの初編を、明治のはじめに書かれた原文と、当サイトの現代語訳の2点セットでまるごと読んでいくよ!有名な書き出しの「その先」まで、一緒にじっくり見ていこう。

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史・公共
📖 山川出版社『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • 学問のすすめ(初編)の原文と現代語訳(本文4段+端書+署名を全文掲載)
  • 「天は人の上に人を造らず」の本当の意味(「といへり」=伝聞の形で引かれていること)
  • 福沢が本当に言いたかったこと(学ぶか学ばないかで差がつくという主張)
  • 実学のすすめ(何を学ぶべきだと説いたのか)
  • 一身の自由と一国の自由独立(自由と分限=わきまえの関係)

「天は人の上に人を造らず」は、平等を宣言した言葉として広く知られています。

実は、福沢諭吉はこの一句を「といへり(〜と言われている)」という伝聞の形で紹介しているだけで、話の本題はその直後にあります。

続く文章で福沢は「けれども現実には、賢い人と愚かな人、豊かな人と貧しい人がいる。その差は学ぶか学ばないかで生まれる」と論を進めます。書名のとおり、この本の中心は「だから学びなさい」という主張なのです。

この記事では、初編の原文を段ごとに区切り、現代語訳と解説を添えて最後まで読み通します。

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学問のすすめ(初編)とは?

3行でわかるまとめ
  • 明治5年(1872年)2月に、福沢諭吉・小幡篤次郎の名で刊行された全17編シリーズの第1編
  • 「天は人の上に人を造らず」で始まるが、本題は「人の差は学問から生まれる」ことと実学のすすめ
  • もとは福沢の郷里・中津(現在の大分県中津市)に学校を開くにあたり、同郷の人々へ向けて書かれた

『学問のすすめ』は、福沢諭吉ふくざわゆきち小幡篤次郎おばたとくじろうの連名で、明治5年(1872年)2月に初編が刊行されました。小幡は福沢と同じ中津なかつの出身で、福沢のもとで学んだ人物です。

和服姿の福沢諭吉の上半身の肖像写真
福沢諭吉の肖像写真(1891年頃撮影)/著作者:福沢研究センター(Commons上の表記)/出典:Wikimedia Commons/ライセンス:Public domain(PD-Japan-oldphoto)

『学問のすすめ』は一冊で完結した本ではありません。明治5年から明治9年(1876年)にかけて全17編が次々に出され、明治13年(1880年)に1冊にまとめられました。この記事で読むのは、その最初の1冊である初編です。

西洋の制度や考え方が一気に流れ込んだ文明開化の時代に、身分の生まれより学問が人を決めると説いたこの本は、当時非常によく読まれたとされています。

ただし発行部数には2つの系統の数字があり、どちらも福沢自身の見積もりです。明治13年(1880年)の合本の序文では「初編は偽版を含めて約22万冊、全編で約70万冊」とし、晩年の『福沢全集緒言』では「毎編およそ20万冊とすれば、17編で340万冊」と述べています。どちらが実態に近いかは決着していません。

あゆみ
あゆみ

タイトルって「学問のすすめ」と「学問のすゝめ」の2通りを見かけるけど、どっちが正しいの?

もぐたろう
もぐたろう

どっちも同じ本だよ!「ゝ」は直前のかなを繰り返す記号(踊り字)で、「すゝめ」と書いて「すすめ」と読むんだ。初版の表紙は「すゝめ」だけど、この記事の地の文では読みやすい「すすめ」で統一するね。

この記事では、初編を本文4段と端書はしがき・署名に分け、段ごとに【原文】→【現代語訳】→解説の順で並べます。書き下し文は付けません。原文がもともと漢字とかなの交じった日本語の文章なので、現代語訳と見比べれば意味をたどれるからです。

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第1段:「天は人の上に人を造らず」の本当の意味

ここからは原文を実際に読んでいきます。文語が苦手な人は、【現代語訳】だけを追っていっても内容がつかめるようにしています。

原文は、慶應義塾けいおうぎじゅく大学メディアセンター所蔵の『学問のすゝめ』初編 初版を底本としました。

旧字体は新字体に、変体仮名は現在通用している平仮名に改めました。表示できない異体字1字(眿)は「眺」に改めています。また、底本で濁点の欠けている2か所に濁点を補い、繰り返し記号で書かれた「たまたま」は開いて表記しました。歴史的仮名遣いは原文のままです。句読点とカギ括弧は、読みやすさのために当サイトが付けたもので、原文にはありません。

✏️ この記事の現代語訳は、当サイトが原文から作成したものです。解釈に幅がある箇所もあるため、お気づきの点はお問い合わせからお知らせください。確認のうえ修正します。

■ 「天は人の上に人を造らず」――伝聞としての引用

【原文】

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といへり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安楽に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言われている。

つまり、天が人を生み出すときには、すべての人がみな同じ位にあり、生まれながらの身分の上下の区別はない。人は万物の中で最もすぐれた存在として、体と心の働きによって天地の間のあらゆる物を利用し、衣食住の必要を満たす。そして自由自在に、互いに他人の邪魔をすることなく、それぞれが安らかにこの世を生きていけるようにしてくださっている――というのがその趣旨である。

📝 語注
といへり:「〜と言われている」。自分の意見ではなく、人から伝わった言葉として紹介する言い方
貴賤きせん上下:身分が高いか低いか
万物の霊:あらゆる生き物の中で最もすぐれたもの(人間のこと)
り:頼りにして用いる、利用する

もぐたろう
もぐたろう

注目してほしいのは最後の「といへり」だよ。福沢は「天は人の上に〜」を自分の言葉として言い切っていないんだ。「世の中ではこう言われているよね」と、よく知られた考え方をまず紹介しているわけだね。

人は生まれながらに平等で、自由に生きる権利をもつ――この考え方は、西洋の啓蒙思想の中で育ちました。日本では明治のはじめに天賦人権の考え方として紹介されていきます。

天賦てんぷとは「天から授けられたもの」という意味です。冒頭の一句は、まさにこの発想を短く言い表したものといえます。

冒頭の一句はどこから来たの?

「といへり」と書いている以上、福沢には下敷きにした言葉があったと考えられます。

その出どころとしては、アメリカ独立宣言の「すべての人は平等につくられている」という一節を翻案したものとする説が有力視されています。ただし、福沢自身が出典を書き残していないため、確定はしていません。

■ 現実の差はどこから生まれるか(『実語教』の言葉)

【原文】

されども今広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明なり。実語教に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

けれども今、広くこの人間の世界を見渡してみると、賢い人もいれば愚かな人もいる。貧しい人もいれば豊かな人もいる。身分の高い人もいれば低い人もいて、その違いは雲と泥ほどにも見える。これはなぜだろうか。

その理由ははっきりしている。『実語教』に「人は学ばなければ知恵がない。知恵のない者は愚かな人である」とある。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによって生まれるのである。

📝 語注
実語教じつごきょう:江戸時代の寺子屋などで、子どもの読み書きや道徳の教科書として広く使われた教訓書
・雲とでい:雲と泥。天と地ほどの大きな違い(「雲泥の差」と同じ)
・次第:わけ、理由

ゆうき
ゆうき

えっ、「人はみんな同じ位」って言ったすぐ後に「でも現実には差がある」って言ってるよね?これって矛盾してない?

もぐたろう
もぐたろう

そこがこの本のいちばん大事なポイントなんだ!福沢は「生まれつきの差はない」と認めたうえで、「それなのに差があるのは、学んだかどうかの違いだ」と説明しているんだよ。平等の宣言で終わる話じゃなくて、「だから学べ」へつなげるための前置きなんだね。

福沢の論の運びを、本人の立場から言い換えると次のようになるでしょう。以下は原文の趣旨を当サイトがまとめたもので、福沢が実際にこう語った記録ではありません。

福沢諭吉
福沢諭吉

生まれで人の上下が決まるわけではない。けれど、学ぶ者と学ばない者とでは、やがて大きな差がひらく。だから学問をすすめるのです。

■ 仕事の軽重と身分 ― 学ぶか学ばざるか

【原文】

又世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人といふ。都て心を用ひ心配する仕事はむつかしくして、手足を用る力役はやすし。故に医者、学者、政府の役人、又は大なる商売をする町人、夥多の奉公人を召使ふ大百姓などは、身分重くして貴き者といふべし。

身分重くして貴ければ自から其家も富て、下々の者より見れば及ぶべからざるやうなれども、其本を尋れば唯其人に学問の力あるとなきとに由て其相違も出来たるのみにて、天より定たる約束にあらず。諺に云く「天は富貴を人に与へずして、これを其人の働に与るものなり」と。されば前にも云へる通り、人は生れながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

また、世の中には難しい仕事もあれば、やさしい仕事もある。難しい仕事をする人を身分の重い人と呼び、やさしい仕事をする人を身分の軽い人という。およそ頭を使い、気を配る仕事は難しく、手足を使う力仕事はやさしい。

だから、医者・学者・政府の役人や、大きな商売をする町人、たくさんの奉公人を使う大百姓などは、身分が重く貴い人というべきである。

身分が重く貴ければ、自然とその家も豊かになり、下々の者から見れば手の届かない存在のように思える。しかし、その根本をたどれば、その人に学問の力があるかないかで違いができただけであり、天が定めた約束ではない。

ことわざに「天は富や地位を人そのものに与えるのではなく、その人の働きに与える」という。だから前にも述べたとおり、人は生まれながらに身分や貧富の区別はない。学問に励んで物事をよく知る人は身分が高く豊かになり、学問のない人は貧しく身分の低い人になるのである。

📝 語注
力役:体を使う労働
奉公人:住み込みなどで主人に仕えて働く人
富貴:財産があり、身分が高いこと

もぐたろう
もぐたろう

今でいうと「専門知識が必要な仕事ほど収入や社会的な評価が高くなりやすい」という話に近いね。福沢はその差を「生まれ」ではなく「学問の力」に結びつけたんだ。身分が生まれで決まった江戸時代を終えたばかりの人たちには、かなり新しい見方だったはずだよ。

では、ここでいう「学問」とは、どんな学びを指しているのでしょうか。次の章で読む第2段で、福沢はその中身を具体的に語ります。

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第2段:実学のすすめ ― 学ぶべきは何か

■ 「実のない学問」への批判

【原文】

学問とは、唯むつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽み、詩を作るなど、世上に実のなき文学をいふにあらず。これ等の文学も自から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の学問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其学問の実に遠くして日用の間に合はぬ証拠なり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

学問とは、ただ難しい字を知り、わかりにくい古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るといった、世の中で実際の役に立たない文学のことをいうのではない。

こうした文学も、人の心を楽しませるもので、それなりに便利なものではある。しかし昔から世間の儒学者や和学者などが言うほど、ありがたがって尊ぶべきものではない。

昔から、漢学者で暮らしのやりくりが上手な人は少なく、和歌が得意で商売の上手な町人もまれである。そのため分別のある町人や百姓の中には、自分の子が学問に熱中するのを見て、いずれ財産を食いつぶすのではないかと親心から心配する者もいる。

無理もないことだ。結局それは、その学問が実際から遠く、日々の暮らしの役に立たないという証拠である。

📝 語注
儒者じゅしゃ:儒学(孔子の教えをもとにした学問)を修めた学者
和学者わがくしゃ:日本の古典や和歌などを研究する学者
身代しんだいを持崩す:財産を使い果たして家を傾ける
畢竟ひっきょう:結局、つまるところ

もぐたろう
もぐたろう

福沢は和歌や漢詩を「いらない」とまでは言っていないよ。「楽しいし便利なところもある。でも、みんながありがたがるほどのものじゃない」という言い方なんだ。江戸時代に学問の中心だった漢学や古典の教養より、まず暮らしに役立つ学びを先にしよう、という順番の話だね。

■ まず学ぶべき実学とは

【原文】

されば今斯る実なき学問は先づ次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬へば、いろは四十七文字を習ひ、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進て学ぶべき箇条は甚多し。地理学とは日本国中は勿論世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て其働を知る学問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。脩身学とは身の行を脩め、人に交り、此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

だから今は、そうした実際の役に立たない学問は後回しにして、何よりも励むべきなのは、人が普段の暮らしで使う実学である。

たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の書き方、帳簿のつけ方、そろばんの稽古、天秤てんびんの扱い方などを身につける。さらに進んで学ぶべきことは非常に多い。

地理学とは、日本国内はもちろん、世界各国の風土を案内するものである。究理学とは、天地万物の性質を観察して、その働きを知る学問である。歴史とは、年代記をくわしくしたもので、世界の昔と今のありさまを調べる書物である。

経済学とは、一人・一家の暮らしのやりくりから、天下全体のやりくりまでを説いたものである。修身学とは、身の行いを正し、人と交わり、この世を生きていくための自然な道理を述べたものである。

福沢がすすめる実学とは、読み書き・計算のような毎日の暮らしに直結する学びから始まり、自然科学や経済のような西洋の学問へと広がっていくものでした。

あゆみ
あゆみ

「帳合」とか「究理学」とか、聞き慣れない言葉が並んでるわね。今でいうと何にあたるの?

もぐたろう
もぐたろう

ざっくり置き換えると、帳合ちょうあいは「簿記・会計」、究理学きゅうりがくは「物理学などの自然科学」、脩身学しゅうしんがくは「倫理・道徳」のイメージだよ。いろは・手紙・そろばんは「国語と算数の基礎」だね。暮らしの基本から始めて、世界の地理や経済まで広げていく順番になっているんだ。

■ 学んで身も家も国も独立する

【原文】

是等の学問をするに、何れも西洋の飜訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便し、或は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押へ、其事に就き其物に従ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を尽し、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

これらの学問を学ぶには、どれも西洋の翻訳書を調べ、たいていのことは日本の仮名で用を足す。あるいは若くて文才のある者には、横文字(西洋の言語)も読ませる。

どの分野のどの学問でも、実際の事実をしっかり押さえ、その事柄、その物に即して、身近なところから物事の道理を探り、今日の役に立てるべきである。

以上は人が普通に学ぶべき実学であり、人である以上、身分の上下に関係なく誰もが身につけるべき心得である。この心得があってこそ、士農工商それぞれがその務めを果たし、めいめいの家業を営み、個人も独立し、家も独立し、国家も独立することができるのである。

第2段の結びは、学問の目的が「一人ひとりの独立」から「家の独立」、そして「国家の独立」へとつながっていく、という見通しです。

ここで「士農工商」の誰もが同じように学ぶべきだとしている点にも注目です。武士だけが学問をする時代ではない、という福沢の考えがよく表れています。

この「独立」と「自由」の話は、次の章で読む第3段で、さらにくわしく語られます。

第3段:自由と分限、そして一国の独立

■ 学問に必要な「分限」を知る

【原文】

学問をするには分限を知る事肝要なり。人の天然生れ附は、繫がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱へて分限を知らざれば我儘放盪に陥ること多し。即ち其分限とは、天の道理に基き人の情に従ひ、他人の妨を為さずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘との界は、他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。

譬へば自分の金銀を費して為すことなれば、仮令ひ酒色に耽り放盪を尽すも自由自在なるべきに似たれども、決して然らず。一人の放盪は諸人の手本となり、遂に世間の風俗を乱りて人の教に妨を為すがゆゑに、其費す所の金銀は其人のものたりとも其罪許すべからず。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

学問をするには、分限を知ることが大切である。

人は生まれつき、つながれることも縛られることもなく、一人前の男は男として、一人前の女は女として、自由自在な存在である。しかし、ただ自由自在だとばかり唱えて分限を知らなければ、わがままで身勝手なふるまいに陥ることが多い。

その分限とは、天の道理にもとづき、人の情に従い、他人の妨げをせずに自分自身の自由を実現することである。自由とわがままの境目は、他人の妨げをするかしないかにある。

たとえば、自分のお金を使ってすることなら、酒や色事におぼれて遊び放題をしても自由なように思える。しかし、決してそうではない。一人の放蕩ほうとうは多くの人の悪い手本となり、ついには世の中の風俗を乱して人々の教えの妨げになる。だから、使ったお金がその人自身のものであっても、その罪は許されないのである。

📝 語注
分限ぶんげん:身のほど、わきまえ。ここでは「他人の自由を侵さない範囲」という意味で使われている
・我儘放盪ほうとう:わがままで、勝手気ままにふるまうこと
・酒色にふけり:酒や色事におぼれて

第3段のキーワードは分限です。福沢は、自由を大切にしながらも、「他人の妨げをしない」という線を引いています。

分限は、今でいえば「人に迷惑をかけない範囲での自由」に近い考え方です。自分のお金でも、周りに悪い影響を広げるなら許されない――「自由」は「何をしてもいい」という意味ではない、ということです。

■ 一身の自由独立、そして一国の自由独立

⚠️ この見出しと次の見出しの原文には、「黒奴」「支那人」という語が出てきます。いずれも当時の用語で、今日では差別的・不適切とされる言葉です。この記事では史料として原文のまま掲載し、現代語訳ではそれぞれ「黒人の奴隷」「清国(中国)の人々」に置き換えています。

【原文】

又自由独立の事は、人の一身に在るのみならず、一国の上にもあることなり。我日本は亜細亜洲の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交を結ばず、独り自国の産物のみを衣食して不足と思ひしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易の事始り、今日の有様に及びしことにて、開港の後も色々と議論多く、鎖国攘夷などゝやかましくいひし者もありしかども、其見る所甚だ狭く、諺にいふ井の底の蛙にて、其議論取るに足らず。

日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合相同じき人民なれば、こゝに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互に相教へ互に相学び、耻ることもなく誇ることもなく、互に便利を達し互に其幸を祈り、天理人道に従て互の交を結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐入り、道のためには英吉利亜米利加の軍艦をも恐れず、国の耻辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てゝ国の威光を落さゞるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

また、自由独立ということは、人の一身にあるだけでなく、一国についてもいえることである。

わが日本はアジアの東に離れた一つの島国で、昔から外国と交わりを結ばず、自国の産物だけで衣食をまかない、不足を感じることもなかった。ところが嘉永年間にアメリカ人がやって来てから外国との貿易が始まり、今日の状況に至っている。

開港の後もいろいろと議論が多く、鎖国だ、攘夷だとやかましく言う者もいた。しかし、その見方はとても狭く、ことわざにいう「井の中の蛙」であって、その議論は取るに足りない。

日本も西洋諸国も、同じ天地の間にあって、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、人情も同じ人間どうしである。だから、こちらに余るものは相手に渡し、相手に余るものはこちらがもらう。互いに教え合い学び合い、卑屈になることも威張ることもなく、互いに便利を図り、互いの幸せを祈り、天の道理と人の道に従って交わりを結ぶべきである。

道理のためには、アフリカの黒人の奴隷(原文の語は「黒奴」)にもかしこまって従い、正しい道のためにはイギリスやアメリカの軍艦をも恐れない。国の恥となる事態には、日本中の人々が一人残らず命を捨ててでも国の威光を落とさない――それこそが一国の自由独立というべきものである。

📝 語注
嘉永かえい年中アメリカ人渡来:嘉永6年(1853年)のペリー来航を指すと考えられる
攘夷じょうい:外国人を追い払って国を閉ざそうとする考え方
日輪にちりん:太陽
ることもなく誇ることもなく:卑屈にもならず、おごりもせず

第1段・第2段では個人の話が中心でしたが、ここで福沢は視点を国へ広げます。個人に「一身の自由」があるように、国にも「一国の自由独立」がある、という対応です。

「理のためには黒奴にも恐入り」という一節は、当時の人々が低く見ていた相手であっても、道理が相手にあるなら従う、という意味で読まれています。道理を重んじる主張ではありますが、表現そのものに当時の人種的な偏見が映っている点には注意が必要です。

なお、この「個人の独立」と「国の独立」を結びつける考えは、のちの三編で「一身独立して一国独立する」という言葉で、さらにくわしく論じられます。初編の段階で使われている言葉は「一身の自由」「一国の自由独立」です。

■ 攘夷論への批判

【原文】

然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに「夷狄々々」と唱へ、四足にてあるく畜類のやうにこれを賤しめこれを嫌らひ、自国の力をも計らずして妄に外国人を追払はんとし、却て其夷狄に窘めらるゝなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて云へば天然の自由を達せずして我儘放盪に陥る者といふべし。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

それなのに、清国(中国)の人々(原文の語は「支那人」)などのように、自分の国のほかに国はないかのように思い込み、外国人を見れば一口に「夷狄いてき(野蛮人)だ、夷狄だ」と言う。四つ足で歩く獣のように見下して嫌い、自国の力も考えずにむやみに外国人を追い払おうとして、かえってその「夷狄」に苦しめられる。

こうした始末は、まさに国の分限を知らないということである。一人の人間にたとえて言えば、生まれながらの自由を実現できず、わがままで身勝手なふるまいに陥った者というべきだろう。

ゆうき
ゆうき

福沢って、外国を追い払えっていう攘夷の考えには反対だったの?

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ。福沢は、自分の国の実力も測らずに外国を見下して追い払おうとするのは「国の分限を知らないわがまま」だと批判しているよ。大事なのは、外国と対等に付き合いながら、学問で国の力をつけることだと考えていたんだね。清国の例は、欧米諸国との戦争に敗れて苦しんでいた当時の清の姿と重ねて読むとわかりやすいよ。ただ、どの出来事を指しているのかまでは原文に書かれていないんだ。

■ 王政一新と四民平等の芽生え

【原文】

王制一度新なりしより以来、我日本の政風大に改り、外は万国の公法を以て外国に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基こゝに定りたりといふべきなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

王政が一新されてからというもの、わが日本の政治のあり方は大きく改まった。外に対しては万国公法(国際法)にもとづいて外国と交際し、内に対しては人民に自由独立の趣旨を示した。

すでに平民に苗字を名乗ることや馬に乗ることを許したのは、国の始まり以来の一大快挙であり、士農工商の四民の地位を同じにする基礎が、ここに定まったというべきである。

📝 語注
・王制一度新なりし:王政が改まったこと。明治維新で天皇中心の政治に切り替わったことを指す
・万国の公法:国と国との間で守るべき決まり。今でいう国際法
開闢かいびゃく以来:天地のはじまり以来、国が始まって以来
・四民:士農工商の4つの身分

江戸時代には、苗字を公に名乗ることや乗馬は、原則として武士などに限られていました。明治政府は明治3年(1870年)に平民にも苗字を名乗ることを許すなど、身分の垣根を取り払っていきます。

福沢はこうした変化を、四民が同じ地位に立つ社会への第一歩として高く評価しました。

■ 位は生まれでなく才徳による

【原文】

されば今より後は日本国中の人民に、生れながら其身に附たる位などゝ申すは先づなき姿にて、唯其人の才徳と其居処とに由て位もあるものなり。譬へば政府の官吏を粗略にせざるは当然の事なれども、こは其人の身の貴きにあらず、其人の才徳を以て其役義を勤め、国民のために貴き国法を取扱ふがゆへにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。

旧幕府の時代、東海道に御茶壺の通行せしは皆人の知る所なり。其外御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避る等、都て「御用」の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きもののやうに見へ、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌ひながら又自然に其仕来に慣れ、上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟是等は皆法の貴きにもあらず品物の貴きにもあらず、唯徒に政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威といふものなり。

今日に至りては最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むることなく、其路を求め其筋に由り、静にこれを訴て遠慮なく議論すべし。天理人情にさへ叶ふ事ならば一命をも抛て争ふべきなり。是即ち一国人民たる者の分限と申すものなり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

だから、これから後は、日本中の人々にとって、生まれつき身に備わった位などというものは、まずないも同然である。ただ、その人の才能と人徳、そしてその人が置かれた立場によって、位が生まれるのである。

たとえば、政府の役人をぞんざいに扱わないのは当然のことだが、それはその人自身が貴いからではない。その人が才能と人徳によって役目を務め、国民のために大切な国の法律を扱っているからこそ、敬うのである。貴いのは人ではなく、国法なのである。

旧幕府の時代に、東海道を御茶壺が通行したことは、誰もが知っている。そのほかにも、将軍家御用の鷹は人よりも大事にされ、御用の馬が来れば往来の旅人も道をよけた。何でも「御用」の二字を付ければ、石でも瓦でも恐ろしく貴いもののように見えたのである。

世の中の人も、はるか昔からこれを嫌いながら、いつのまにかそのしきたりに慣れ、上の者も下の者も見苦しい風習をつくってきた。しかし結局、これらはすべて法が貴いのでも品物が貴いのでもない。むやみに政府の威光を振りかざして人を脅し、人の自由を妨げようとする卑怯ひきょうなやり方であり、中身のない見せかけの威光というものである。

今日では、もはや日本国内にこのような浅ましい制度や風習はないはずである。だから人々は安心し、もし政府に対して不満を抱くことがあれば、それを胸にしまって陰で上を恨むのではなく、正しい方法を求め、しかるべき筋道を通して、落ち着いて訴え、遠慮なく議論すべきである。

天の道理と人情にかないさえすれば、命をかけてでも争うべきである。これこそが、一国の人民としての分限というものである。

📝 語注
・才徳:才能と人徳
御茶壺おちゃつぼ:将軍家に献上する宇治の茶を運んだ行列(御茶壺道中)。格式が高く、道中の人々は道を譲らされたとされる
虚威きょい:中身のない、見せかけだけの威光
なげうて:投げ出して

あゆみ
あゆみ

「貴いのは人ではなく国法だ」って、今の感覚でもすごく納得できるわ。でも、政府に不満があったら命がけで争えって、ずいぶん過激じゃない?

もぐたろう
もぐたろう

たしかに強い言い方だよね。でも直前で福沢は「陰で恨まずに、筋道を通して静かに訴え、遠慮なく議論せよ」と言っているし、第4段では強訴や一揆で乱暴することを批判しているよ。だから「暴力で逆らえ」というより、道理にかなうことなら命がけで主張して争ってよい、それが国民としての分限だ、と読むのが自然なんだ。ただ、どこまでの手段を含むのかまでは、原文ははっきり書いていないよ。

第3段は、個人の自由から国の自由独立へ、そして「生まれではなく才徳が位を決める」社会へと話を広げ、最後に国民としての分限でしめくくっています。

では、なぜそのために学問が急いで必要なのでしょうか。次の章で読む第4段で、福沢はその理由を語ります。

第4段:学問はなぜ急務なのか ― 愚民と圧政、そして本書の趣旨

第4段は、初編の本文をしめくくる段です。ここまでの「自由」「分限」の話を受けて、福沢はなぜ今すぐ学問が必要なのかを、社会と政府の関係から語っていきます。

■ 一身も一国も「不羈自由」――だから字を学ぶ

【原文】

前条にいへる通り、人の一身も一国も、天の道理に基て不羈自由なるものなれば、若し此一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るゝに足らず、此一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず。ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、何れも安心いたし、唯天理に従て存分に事を為すべしとは申ながら、凡そ人たる者は夫々の身分あれば、亦其身分に従ひ相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備んとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。是即ち学問の急務なる訳なり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

前の段で述べたとおり、人の一身も一国も、天の道理にもとづいて、何ものにも縛られない自由なものである。だから、もしこの一国の自由を妨げようとする者があれば、世界中の国を敵に回しても恐れることはない。この一身の自由を妨げようとする者があれば、政府の役人であっても遠慮することはない。

まして近ごろは、四民が同等であるという基本も定まったのだから、誰もが安心して、ただ天の道理に従って思う存分に物事を行えばよい。とはいえ、およそ人である以上、それぞれに身分(社会の中での立場)があるのだから、その立場にふさわしい才能と人徳がなくてはならない。

才能と人徳を身につけようとするなら、物事の道理を知らなくてはならない。物事の道理を知ろうとするなら、字を学ばなくてはならない。これこそが、学問が急務であるわけである。

📝 語注
不羈ふき自由:何ものにも縛られず、自由であること
はばかる:遠慮する、おそれてためらう
・四民同等:士農工商の四民が同じ地位に立つこと
・才徳:才能と人徳

ここで福沢は、第3段までの話を「字を学ぶ」という一点にまとめています。自由にふるまってよい、しかし立場に見合った才徳が要る、才徳には物事の理が要る、理を知るには字が要る――という順番です。

ここでの「身分」は、生まれで決まる上下ではなく、農民・職人・商人・役人といった社会の中での立場や役割を指していると読むと、第3段の「位は才徳と居処による」という主張ともつながります。

■ 三民の地位向上と、無知への厳しい批判

【原文】

昨今の有様を見るに、農工商の三民は其身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並るの勢に至り、今日にても三民の内に人物あれば政府の上に採用せらるべき道既に開けたることなれば、よく其身分を顧み、我身分を重きものと思ひ、卑劣の所行あるべからず。

凡そ世の中に無知文盲の民ほど憐むべく亦悪むべきものはあらず。智恵なきの極は耻を知らざるに至り、己が無智を以て貧究に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずして妄に傍の富る人を怨み、甚しきは徒党を結び強訴一揆などゝて乱妨に及ぶことあり。耻を知らざるとやいはん、法を恐れずとやいはん。天下の法度を頼て其身の安全を保ち其家の渡世をいたしながら、其頼む所のみを頼て己が私欲の為には又これを破る、前後不都合の次第ならずや。或はたまたま身本慥にして相応の身代ある者も、金銭を貯ることを知りて子孫を教ることを知らず。教へざる子孫なれば其愚なるも亦怪むに足らず、遂には遊惰放盪に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少からず。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

近ごろの様子を見ると、農・工・商の三民は、その地位が以前の百倍にも高まり、やがて士族と肩を並べるほどの勢いになっている。今日でも、三民の中にすぐれた人物がいれば政府に採用される道がすでに開けているのだから、自分の立場をよく顧み、自分の身分を重いものと考えて、卑劣な行いをしてはならない。

およそ世の中に、無知で字の読めない民ほど、哀れで、また憎むべきものはない。知恵のなさが極まると恥を知らなくなる。自分の無知のせいで貧乏に陥り、飢えや寒さに迫られると、自分自身を責めずに、むやみに近くの金持ちを恨む。ひどい場合には徒党を組み、強訴だ一揆だといって乱暴をはたらくことさえある。

恥を知らないというべきか、法を恐れないというべきか。天下の法律を頼りにして身の安全を保ち、家の暮らしを立てていながら、都合のよいところだけ法に頼り、自分の欲のためには平気でそれを破る。なんとつじつまの合わない話ではないか。

また、たまたま身元が確かで相応の財産をもつ者でも、お金を貯めることは知っていても、子や孫を教育することを知らない。教育しない子孫なのだから、愚かになるのも不思議ではない。ついには遊び怠けて身を持ち崩し、先祖から受け継いだ家の財産を、あっという間に煙のように失ってしまう者も少なくない。

📝 語注
三民:士農工商のうち、武士を除く農民・職人・商人
無知文盲:知識がなく、字が読めないこと。「文盲」は今日では差別的な響きがあるとして、放送や出版では言い換えられることが多い言葉
強訴ごうそ:大勢で押しかけて、役所などに無理に訴えること
貧究:貧しくて苦しむこと(今の表記では「貧窮」)
身本たしか:身元が確かなこと
一朝の煙:ひと朝のうちに煙のように消えること。財産をたちまち失うたとえ

もぐたろう
もぐたろう

前半は「農民も職人も商人も、もう武士と肩を並べられる時代になったんだから、自分の立場に誇りをもとう」という励ましなんだ。ところが後半は一転して、学ばない人たちへのかなり厳しい言葉が続くよね。チャンスが開かれたからこそ、学ばずにそれを生かせない人に福沢はいら立っていた、と読むと流れがつかみやすいよ。

「徒党を結び強訴一揆」というくだりには、幕末から明治のはじめにかけて各地で一揆いっきや打ちこわしが起きていた世の中のようすが背景にある、とみる読み方ができます(原文は具体的な事件を挙げていません)。福沢は、暮らしの苦しさそのものより、法を頼りにしながら法を破る「つじつまの合わなさ」を問題にしています。

■ 「愚民の上に苛き政府あり」

【原文】

斯る愚民を支配するには迚も道理を以て諭すべき方便なければ、唯威を以て畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこの事なり。こは政府の苛きにあらず、愚民の自から招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば良民の上には良き政府あるの理なり。故に今我日本国におゐても此人民ありて此政治あるなり。

仮に人民の徳義今日よりも衰へて尚無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、若し又人民皆学問に志して物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、唯人民の徳不徳に由て自から加減あるのみ。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

このような愚かな民を治めるには、とても道理によって言い聞かせる手だてがないので、ただ力で脅すしかない。西洋のことわざに「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのは、このことである。

これは政府のせいで厳しくなっているのではなく、愚かな民が自ら招いた災いである。愚かな民の上に厳しい政府があるのなら、善良な民の上には善い政府があるのが道理である。だから今のわが日本でも、この人民がいるからこそ、この政治があるのだ。

仮に人民の道徳心が今日よりも衰え、なお学問のないままでいるなら、政府の法ももう一段厳しくなるだろう。もしまた人民がみな学問に志し、物事の道理を知って文明の方向へ進むなら、政府の法もさらに寛大でおおらかなものになるだろう。法が厳しいか寛やかかは、ただ人民に徳があるかないかによって、おのずと加減が決まるだけなのである。

📝 語注
とても:とても、どうしても
おどす:おどす、おそれさせる
からき:厳しい、むごい
・徳義:人として守るべき道徳
寛仁大度かんじんたいど:心が広く情け深く、度量が大きいこと

第4段の中心にあるのが、愚民と政府の関係です。福沢は、政府の厳しさや寛やかさは政府だけで決まるのではなく、その国の人民がどれだけ学んでいるかの映し鏡だと説いています。

あゆみ
あゆみ

「愚民の上に苛き政府あり」って、厳しい政治を国民のせいにしているみたいで、ちょっと引っかかるわ。政府をかばっているの?

もぐたろう
もぐたろう

言葉はたしかにきついよね。でも続きを読むと「良民の上には良き政府がある」「人民が学べば法も寛やかになる」と言っているんだ。つまり、学ばない人が多いと政府は力で押さえつけるしかなくなる、だから政治を良くしたければ、まず一人ひとりが学ぼう――という因果の話なんだよ。政府をほめるためというより、読者に学ぶ理由を示すための一文だね。

🔍 原文は「愚民の上に苛き政府あり」を「西洋の諺」として紹介しています。ただし、どの西洋の書物や言葉を下敷きにしたのかについては見方が分かれており、この記事では特定しません。

■ 良い政治を願う心と、本書の趣旨

【原文】

人誰か苛政を好て良政を悪む者あらん。誰か本国の富強を祈らざる者あらん。誰か外国の侮を甘んずる者あらん。是即ち人たる者の常の情なり。今の世に生れ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思を焦すほどの心配あるにあらず。唯其大切なる目当は、この人情に基きて先づ一身の行ひを正し、厚く学に志し、博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備へて、政府は其政を施すに易く、諸民は其支配を受て苦みなきやう、互に其所を得て共に全国の大平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧る学問も、専らこの一事を以て趣旨とせり。

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

いったい誰が、ひどい政治を好んで良い政治を嫌うだろうか。誰が、自分の国が豊かで強くなることを祈らないだろうか。誰が、外国から侮られることに甘んじるだろうか。これは人として当然の気持ちである。

今の世に生まれて国に尽くそうという心をもつ者は、必ずしも身を苦しめ、思い悩むほどの心配をする必要はない。大切な目標はただ一つである。この人情にもとづいて、まず自分自身の行いを正し、熱心に学問に志し、広く物事を知り、それぞれの立場にふさわしいだけの知恵と徳を備える。

そうして、政府は政治を行いやすく、人々はその治めを受けても苦しみがないように、互いにふさわしい立場を得て、ともに国全体の平和を守ろうとする――ただこの一事に尽きるのである。いま私たちがすすめる学問も、もっぱらこの一事を目的としている。

📝 語注
苛政:人々を苦しめる厳しい政治
報国:国の恩に報いること、国のために尽くすこと
余輩:わたしたち。初編の署名は福沢と小幡の連名だが、福沢一人の自称と読む余地もある
全国の大平:国全体の平和(今の表記では「太平」)

ゆうき
ゆうき

第1段では「学べば貴人や富人になれる」って話だったのに、最後は「国のため」になってるよね。結局、学問って自分の出世のため?それとも国のため?

もぐたろう
もぐたろう

いい質問!福沢の答えは「どちらか一方じゃない」なんだ。一人ひとりが学んで自分の行いを正し、立場に見合った知恵と徳を身につける。その積み重ねが、そのまま国の平和や独立につながる、と考えているんだよ。しかも「身を苦しめるほど心配しなくていい」とまで言っている。国のためといっても、特別な犠牲を求めているわけじゃないんだね。

最後の一文「今余輩の勧る学問も、専らこの一事を以て趣旨とせり」で、初編の本文は終わります。書名の「学問のすすめ」が何のための学問なのかを、ここではっきり言い切っているのです。

本文のあとには、この冊子がなぜ書かれ、どうして世に出ることになったのかを記した端書が付いています。次の章で、その端書と署名を読んでいきましょう。

端書:なぜこの本は書かれたのか ― 中津への想いと刊行の経緯

初版の本文のあとには、「端書」と題された短い文章と、日付・署名が添えられています。わずか数行ですが、『学問のすすめ』がもともと誰に向けて書かれたのかがわかる、大切な部分です。

■ 故郷の学校のために綴られた一冊

【原文】

此度余輩の故郷中津に学校を開くに付、学問の趣意を記して旧く交りたる同郷の朋友へ示さんがため一冊を綴りしかば、或人これを見て云く「この冊子を独り中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せば其益も亦広かるべし」との勧に由り、乃ち慶応義塾の活字版を以てこれを摺り、同志の一覧に供ふるなり。

明治四年未十二月 福沢諭吉 小幡篤次郎 記

福沢諭吉・小幡篤次郎『学問のすゝめ』初編(明治5年)

【現代語訳】

このたび、私たちの故郷である中津に学校を開くことになったので、学問の趣旨を書き記し、古くから付き合いのある同郷の友人たちに見せるために一冊にまとめた。

すると、ある人がこれを見て「この冊子を中津の人だけに見せるより、広く世間に公にすれば、その益もまた広がるだろう」と勧めてくれた。そこでその勧めに従い、慶應義塾の活字版でこれを刷り、志を同じくする人々に読んでもらうことにしたのである。

明治4年(辛未かのとひつじの年)12月 福沢諭吉・小幡篤次郎しるす

📝 語注
朋友ほうゆう:友人、仲間
布告:広く世間に知らせること
すなわち:そこで
活字版:活字を組んで刷る印刷(活版印刷)
り:印刷して
一覧に供ふる:読んでもらうために差し出す

中津は、現在の大分県中津市にあたる中津藩の城下町で、福沢が少年時代を過ごした土地です。前半で紹介したとおり、署名に名を連ねる小幡篤次郎も同じ中津の出身です。原文の「余輩の故郷」は「私たちの故郷」という意味です。

原文に書かれている経緯をまとめると、次の3点になります。

① 中津に学校を開くにあたり、学問の趣旨を同郷の友人に示すために書いた

② 読んだある人から「中津の人だけでなく、広く世間に出すべきだ」と勧められた

③ そこで慶應義塾の活字版で刷り、志を同じくする人々に読んでもらうことにした

ここでいう学校は、一般に、福沢らの働きかけで中津に設けられた洋学の学校(中津市学校)を指すとされています。ただし原文そのものには、学校の名前や開校の時期までは書かれていません。

あゆみ
あゆみ

えっ、あの有名な本が、もとは故郷の友だち向けの冊子だったの?

もぐたろう
もぐたろう

そうなんだ!端書を読むかぎり、はじめから全国の読者を狙って書いたわけではなかったんだよ。「広く世間に出したほうがいい」というひと言がきっかけで刷られ、結果として当時とてもよく読まれる本になった。部数の見積もりに諸説あることは、前半で紹介したとおりだね。本文に「同郷の人に語りかける」ような熱さがあるのは、こういう成り立ちだからかもしれないね。

■ 署名「明治四年未十二月」を読む

端書の最後にある「明治四年未十二月」の「未」は、その年の干支を示しています。明治4年は干支でいう辛未の年にあたるため、「未」の一字が添えられているのです。

この日付は、明治5年12月に太陽暦へ切り替わる前の旧暦によるものです。そのため、「明治4年12月(旧暦)」は、西暦の1871年12月とそのまま同じ月ではない点に注意が必要です。初編の刊行は、その後の明治5年(1872年)2月とされています。

署名は「福沢諭吉 小幡篤次郎 記」と2人の連名です。一般には福沢の著作として知られていますが、初編を2人の共著とみるか、福沢個人の著作とみるかは、資料によって扱いが分かれています。この記事では、原文の表記どおり連名で紹介しています。

もっと学問のすすめを読みたい人へ

この記事では、全17編のうち初編だけを原文と現代語訳で読みました。『学問のすすめ』は二編以降も続き、たとえば三編では「一身独立して一国独立する」という言葉で、個人の独立と国の独立の関係がさらにくわしく論じられます。

全編を通して読みたい人には、現代語訳や漫画版など、読みやすい本がいくつも出ています。目的別の選び方は学問のすすめのおすすめ本の記事でくわしく紹介しているので、あわせて参考にしてください。

もぐたろう
もぐたろう

初編を読んで続きが気になった人には、学問のすすめ全17編を読み通せる現代語訳もおすすめだよ!

①全17編を通して読みたいなら|定番の現代語訳

この記事で扱った初編は、『学問のすすめ』全17編のうちの1編です。現代語訳 学問のすすめ(ちくま新書)は、福澤諭吉の原文を教育学者の齋藤孝さいとうたかし氏が現代語に訳したもので、初編から十七編までの全文を読み通せます。文語の原文に慣れていなくても、内容を通して追いやすい構成になっています。

現代語訳 学問のすすめ(ちくま新書)

福澤諭吉(著)/齋藤孝(訳) 著|筑摩書房

✓ こんな人におすすめ

初編以外の二編〜十七編もあわせて、学問のすすめ全体の主張を通しで読みたい人

△ こんな人には向かない

この記事のように、原文の文語表現そのものを味わいたい人(原文版は上で紹介したおすすめ本の記事で紹介しています)

よくある質問(FAQ)

言葉そのものの意味は「人は生まれながらに上下の差がなく、みな平等である」ということです。ただし福沢はこの一句を「といへり(〜と言われている)」という伝聞の形で紹介し、すぐあとで「現実の差は、学ぶか学ばないかによって生まれる」と続けています。つまり初編の本題は、平等の宣言そのものより「だから学問をしなさい」という主張にあります。

全17編です。初編が明治5年(1872年)2月に刊行され、以後、明治9年(1876年)にかけて順に出されました。明治13年(1880年)には、全編が1冊にまとめられています。

一般には福沢諭吉の著作として知られていますが、初編の端書の署名は「福沢諭吉 小幡篤次郎 記」と2人の連名です。小幡篤次郎は福沢と同じ中津の出身で、福沢のもとで学んだ人物です。初編を2人の共著とみるか、福沢個人の著作とみるかは、資料によって扱いが分かれています。

初編でいう実学は、「人間普通日用に近き」=毎日の暮らしに役立つ学問のことです。いろは・手紙の書き方・帳合(簿記)・そろばんといった基礎から始まり、地理学・究理学(自然科学)・歴史・経済学・脩身学(倫理)へと広がります。難しい字を覚えたり、古文や和歌を楽しんだりするだけの学問は「先づ次にし」、つまり後回しにすべきだとされています。

いいえ、三編に出てくる言葉で、初編の原文にはありません。初編で使われているのは「一身の自由」「一国の自由独立」といった言葉や、第2段の結びの「身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」という一節です。個人の独立と国の独立を結びつける考え方は初編から見えますが、決まり文句として示されるのは三編になってからです。

初編の端書によると、故郷の中津に学校を開くにあたり、学問の趣旨を同郷の友人たちに示すために書かれました。それを読んだある人から「広く世間に出せば、益も広がる」と勧められ、慶應義塾の活字版で刷って世に出したと記されています。

あります。第3段の「支那人」「黒奴」、第4段の「無知文盲」などは、今日では差別的・不適切とされる言葉です。この記事では明治初期の史料として原文は改めずに掲載し、現代語訳では「清国(中国)の人々」「黒人の奴隷」などに言い換えたうえで、原文の語を示しています。

まとめ

学問のすすめ(初編)のポイントまとめ
  • 「天は人の上に人を造らず」は「といへり」=伝聞の形で紹介され、本題は「差は学ぶか学ばないかで生まれる」という主張
  • 第2段:まず暮らしに役立つ実学を学び、身も家も国も独立すべきだと説く
  • 第3段:自由と分限(他人の妨げをしない範囲)を示し、一身の自由から一国の自由独立へ話を広げる
  • 第4段:「愚民の上に苛き政府あり」。政治の良し悪しは人民の学びしだいで、学問の目的は一身を正し国の平和を守ること
  • 端書:もとは故郷・中津に学校を開くにあたり、同郷の友人に示すために書かれた

有名な書き出しだけを切り取ると、『学問のすすめ』は平等を唱えた本に見えます。けれども初編を最後まで読むと、福沢が一貫して語っているのは「学ぶことで、一人ひとりも国も独立できる」という、実践的な呼びかけだとわかります。

もぐたろう
もぐたろう

以上、学問のすすめ初編の原文と現代語訳でした!「天は人の上に人を造らず」の先に、こんなに具体的な「学びのすすめ」が続いていたんだね。下の記事で、福沢諭吉の生涯や、学問のすすめを全編読める本、天賦人権論や啓蒙思想の背景もあわせて読んでみてください!

📅 最終確認:2026年9月 / 参照:慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション『學問のすゝめ』初編(初版)

参考文献

福沢諭吉・小幡篤次郎『學問のすゝめ』初編 初版(明治5年)慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション・書誌解説(底本・2026年9月確認)
『福沢全集』巻2(明治31年・時事新報社)国立国会図書館デジタルコレクション(対校・2026年9月確認)
『福沢全集』第3巻(大正15年・国民図書)国立国会図書館デジタルコレクション(対校・2026年9月確認)
コトバンク「学問のすゝめ」「実語教」「茶壺道中」「四民平等」(2026年9月確認)
Wikipedia日本語版「学問のすゝめ」「小幡篤次郎」「中津市学校」「宇治採茶使」(2026年9月確認)
慶應義塾「『学問のすゝめ』出版150年」(Keio Times・2026年9月確認)
国立公文書館「あの日の公文書」平民苗字許可令(2026年9月確認)
国立国会図書館 レファレンス協同データベース「明治期の『西洋事情』と『学問のすゝめ』の価格及び出版部数」(2026年9月確認)

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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